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第七十九話 Dear My ――

正直、ちょっとプライベートがバタバタです。頑張っておりますが来週が若干微妙。多分、特典SSか本編か、どちらかは投稿……出来ると、いいな~……

「――ミリ……エミリ」

「……ん……くぅん……」

 夢と現実の間を揺蕩っていたエミリは、固く閉じていた瞳をゆるゆると開ける。料理・洗濯・掃除から領地運営まで何でもこなす結構なパーフェクトメイドさんであるエミリだが、彼女も決して超人では無く、『弱点』も存在する事はあまり知られていない。


「……まぶしぃよぉ……」


 ――彼女は、朝に弱いのだ。しかも、滅法。

「こらこら。エミリ? 早く起きなきゃ」

 カーテンの隙間から差し込む陽光に目を細め、掛布団を頭から被ろうとしたエミリを優しく押し留める声と、手。それに不満そうな顔を見せながら、それでもエミリはもぞもぞとベッドの上に体を起こし、深々と目の前の男性に頭を下げて見せる。

「……おはようごじゃいます。こーたさま……」

 普段のエミリからは想像も付かない、そんな可愛らしい態度に男――浩太も眉根を下げて微笑ましく苦笑をして見せる。そんな浩太を知ってか知らずか、エミリは顔を上げて『にぱっ』と微笑みを見せ。


「……コータ様?」


 浩太が少しだけ不満そうな顔をしている事に、徐々に自らの意識が覚醒していく。何か粗相を――いや、粗相自体は十分にしているのだが、ソレ以外の粗相をしたのかと思い直し、エミリはマジマジと浩太を見つめ――気付く。

「……コータ様? その……なぜ、私の部屋に?」

 しかも、浩太の服装は寝間着姿だ。『寝間着姿もステキです!』なんてエミリは思い、いやいやそうじゃないだろうと自身でツッコミを入れた後、エミリは浩太の顔が先程よりも渋くなっている事に気付き更に慌てた。

「あ、あの、コータ様?」

「……どうしたの、エミリ? そんな呼び方して」

「よ、呼び方って……って、え、『エミリ』? こ、コータ様? 今、な、なんと仰いましたか!」

「何とって……そんなよびか――」

「そこではなく! そ、その、わ、私の事をっ!」

「え? エミリはエミリでしょ? 何言ってるんだよ」

 本当に意味が分からないとばかりに首を傾げて見せる浩太。が、ぶっちゃけエミリの方が訳が分からない。

「な、なぜ? なぜコータ様が私を呼び捨てに!」

「なぜって……え? 本当にどうしたの、エミリ? 寝ぼけてる? 俺の事を『コータ様』とか呼ぶしさ。何か、三年前ぐらいを思い出すんだけど」

「お、『俺』? え? え? さ、三年? 三年ま――」


 そこまで言い掛けて――エミリは気付く。


「……ああ、そうでした。もう、三年になるんですね」


 正確には、思い出す、だが。焦燥を浮かべていた表情に苦笑を浮かべ、もう一度浩太に丁寧に頭を下げて見せた。


「……そう、でした。申し訳ございません。少し、寝ぼけていた様です」

「……でしょ?」

「ええ」

「びっくりしたよ。『もう、俺の事嫌いになったのか?』なんて思った」

「その様な事はございません。三年前、あの教会で結婚式を挙げてから貴方を慕っていなかった日など御座いません」

「ホント?」

「ええ。その、少し昔の夢を見ておりましたので……つい、口調が元に戻ってしまいました」

 そう言ってエミリは瞳を閉じ、少しだけ過去に意識を飛ばす。


 ――三年前、エミリは浩太と結婚した。


 エリカやソニア、それに綾乃は少しだけ不満そうにしながら、それでも笑顔で祝福してくれた。


『結婚式はチャペルよ、チャペル! 私、神父さんの役するから! は? 神父の資格? 女性なのに神父は可笑しい? はん! そんなモン、関係ないわよ! アンタ達に一番幸せになって欲しい人が言祝げば良いでしょ! 神じゃなくて私達に誓いなさい!』と綾乃は、はりきり。


『折角の結婚式ですもの。思い出に残る物にしましょう! こう、エミリさんが感動でむせび泣くような……そう! 音楽ですわ! 感動的な音楽で、二人の門出を祝福させて頂きます!』とソニアはソルバニアから宮廷楽団を連れて来てくれ。


『……その、エミリ? 結婚、おめでとう。えっと……まあ、アレよ。誰が選ばれても恨みっこなし、って思ってたし……こう、『好きな人』を二人も一度に失うみたいで凄く寂しいけど、でも、そんな『好きな人』二人が夫婦になるっていうのは……その、嬉しかったりするし……ああ、もう! とにかく、おめでとう! はい、これ! 結婚式は純白のドレスってコータの世界ではなっているって聞いたから! ほ、ホントは私が作ってあげたかったんだけど、時間も技術もないから……む、胸の所の花の刺繍だけは私が入れたの。その、へたっぴで申し訳――ちょ、え、エミリ! な、なんで泣くのよ! へ? う、嬉しい? そ、そう? そ、それなら良かった――って、ああ、もう! 泣かないの! とにかく、おめでとう!』

 そう言ってエリカは、刺繍によって傷だらけになった指に包帯を巻いた手でエミリにドレスを手渡してくれた。


「エミリ? どうしたの、ぼーっとして。まだ寝ぼけてる?」

「いえ……夢のせいですかね? 少し、昔を思い出していましたので」

「昔って……三年前?」

「ええ。結婚の時の事です」

「……ああ、アレ? 『任せろ、コータ! 君たちの子供は私が自ら教育してやる! ラルキア大学をスキップで卒業できる様な優秀な子に育ててやるからな!』ってシオンさんが言ってたよね?」

「貴方は『遠慮します。シオンさんに育てて頂くと……残念な子になりそうなので』と仰ってましたね? シオン様、少し涙目でしたよ?」

「いや……だって、シオンさんだし……それより、マリアさんの『お祝い』がとんでもなかったよね。まさか『どうしても仕事で結婚式に行かれへんから』って」

「まさか『お詫びとお祝い』と称して家一軒、プレゼントして下さるとは思ってもおりませんでした」

「普通、結婚式にいけない『お詫び』なんてないんだけどね」

「まあ、マリア様らしいと言えばらしいのでしょうが」

 少しだけ、二人で苦笑をして見せ。

「きっと、今日皆さまが遊びに来て下さる予定になっているからでしょう」

 そう言って、エミリはベッドから降り立ち綺麗に揃えられたスリッパに足を通す。

「そろそろ朝御飯の仕度をしなければなりませんね。さあ、何時までも寝ていないで起きて下さい」


『旦那様』と。


「やっぱりソレじゃないとしっくり来ないよ」

「そうですね。結婚してもう三年ですし……『コータ様』とお呼びしていた期間よりも長いですからね。さあ、『旦那様』? そろそろ起きて下さい。料理やお酒の買い出し、一緒に行くって言っていたではありませんでしたか?」

「言ってる事は凄く正しいんだけど……なんか、エミリに言われるのはそこはかとなく納得がいかないかも」

「ふふ。そう仰られず。皆さまがおいで下さるのですから、腕によりをかけて料理を作らせて頂きます。期待していてください、旦那様」

「エミリの料理はいつでも美味しいけど……うん、楽しみにしている」

 いつもの柔和な笑みを浮かべる浩太に、更に胸の奥の『愛しさ』が深くなって行く事をエミリは感じ、ほっこりするその感情に知らず知らずの内に笑みを浮かべる。

「――色々、ありましたね」

「……そう? 何かあっと言う間だった気もするけど」

「まあ、それはそうですが……ですが、三年前は思いも寄りませんでしたよ? 貴方に、私が選ばれるなど、予感もしておりませんでした」

「……これからもずっと一緒だよ。二人で、仲良く――」

「ストップ、です」

「――暮らして……エミリ?」

「二人ではありません」

「え?」

「……ああ、そうですね。きっと、昔を思い出したのは皆さまが来られるからだけではありませんね」

 そう言って、そっと自分のお腹を押さえて見せて。



「――これからは『三人』で、仲良く……ですね?」



◇◆◇◆◇◆


「――様! エミリ様!」

 ガクガクと揺さぶれる感覚に、エミリはトリップしていた意識を現実に引き戻す。目の前では、少しだけ焦燥した様な表情を浮かべる一人の男性の姿があった。

「……あ……れ?」

「女性の体に許可なく触れた事、平にご容赦を。申し訳ございません、私はホテル・ラルキア本館総支配人、クラウス・ブルクハルトと申します」

「は、はあ……よろしく、お願いします?」

「こちらこそ、以後お見知りおきを。これでも一応、コータさんの友人を自負しておりますので、お逢いする機会も増えるかと存じますが」

「旦那様のご友人の方でしたか」

「は? だ、旦那様?」

「――っは! い、いえ! こ、こちらの話です!」

 慌てた様に両手を左右にわたわた振って頬を赤らめるエミリ。トリップした意識を引き戻したとはいえ、それでもまだまだ現実に意識がついて来ない。現状把握に務めようと、視線を夜会の会場に飛ばして。


「――お気付きだとは思いますが」


 睨みあう、二人の男性の姿が目に留まる。ああ、そうだ。あまりと言えばあまりのその『不意打ち』に意識を飛ばしていたが、これは、アレだ。俗に言う。


「正直……結構、不味いです」


 もう一度、あの『夢』を見れたらどんなに幸せだろうかとエミリは思った。


◇◆◇◆◇◆


「……ふーん」

 頭から垂れて来る酒をペロリと舌で舐め取り、浩太の眼前にいる男――アロイス・ベッカーはニヤリと不敵に笑んで見せた。

「なるほど、なるほど。いきなり他人の頭からお酒を飲ませる行為がヤメート流かい? いや、流石に東方の風習には詳しくないけど、中々に野蛮な風習だね」

「……」

「おや? 質問に答えないのもヤメート流かな?」

 からかう様、そう言って笑みを向けるアロイスに、浩太の視線の『キツさ』が増す。アロイスの言っている事が正論だとは重々承知しながら、それでも浩太は言葉を放った。

「そっくりそのままお返ししますよ。人の質問に答えないのがフレイム流ですか?」

 浩太の言葉に、『ああ、そう言えばそうだね』なんて笑って見せるアロイス。先程までの皮肉な顔立ちからは一転、『美しい』と評しても良かろうその表情に、浩太は心の澱が徐々に増えていく様な感覚を覚えた。そんな浩太の葛藤を知ってか知らずか、アロイスは言葉を継ぐ。

「自己紹介をさせて頂こうか。私はアロイス。アロイス・ベッカー。王都ラルキアで、ベッカー貿易商会を営んでいる商人だ。それで――」

 そこまで喋り、マジマジと上から下まで浩太を見渡して。



「――そうだね。エミリとは『深い仲』だ」



 口元に笑みを浮かべたまま。

「違うかい、エミリ?」

 視線をそのまま、後方に。未だ現実のあまりの加速度的な変化について来れないエミリに問いかけた。

「……え? は、はい?」

「私達二人の関係は『浅い』か『深い』か、そのどちらかと言えばエミリ、君はどちらだと思う?」

「ど、どちらと言われましても……」

「おや? 私とエミリの仲は『浅い』のか? そうだとしたら随分と悲しい事だね」

「そ、そんな事はありません!」

 殆ど反射的。

 慌てた様にそう答えるエミリに、浩太はドンドン体温が低くなって行く様な感覚を覚える。自身のその感覚に戸惑いながら、それでもその感情の動きを捕えようと必死に回らない頭を動かし続け。

「ああ、そう言えば昔は良く『大好き』と言ってくれていたね、エミリ。折角だから『今』、『此処』でもう一度聞いて置こうか」

 そんな浩太の内心の動揺を見透かす様、アロイスは視線をエミリから逸らし浩太へ向け。

「こ、此処で!? こ、此処で……ですか? そ、それはその……」

「ああ、そうだよ。さあ、言ってごらん、エミリ? 君は私の事、今でも『大好き』かい?」

 分かり切っている答えを、聞くかの様に。



「……そ、その……ええ、い、今でも……『大好き』です」



 躊躇し、照れた様な仕草を見せ、羞恥で顔を赤く染めながら、それでもはっきり『大好き』という、エミリの姿を視界におさめて浩太は気付く。



 ――ああ、この感情は『喪失感』だ、と。



「君はコータ・マツシロ君だろ? エミリから……そうだね、『よく』聞いているよ? 何せエミリは月に一度、私に手紙をくれるから。そうだ、君の質問に答えて無かったね、コータ君。確かにエミリは嫌がっていたかも知れない。彼女の言を信じるなら、ダンス自体は久しぶりだっただろうからね。だが、愛しい人と一緒に踊りたいと云う私の感情自体、間違った物では無いだろう? そして、エミリも私の事が『大好き』だと来ている。ああ、それではこうしようか」

 そう言って、一息。


「『済みません、コータ君。私は、私の事が『大好き』なエミリを無理やりダンスに誘いました。ダンスは止めて、一緒にお酒を楽しむ事にします』なんて、どうかな? 私だって別にダンスを踊りたい訳じゃないんだ。ただ、エミリの側に居たいだけで」


 まるで、捕まえた鼠をいたぶる猫の様。じわり、じわりと浩太を追い詰めるアロイス。


「……さて、私の謝罪は済まさせて頂いた。今度は君の番だよ、コータ君?」

 今までの笑みを一転。

「私に……この、アロイス・ベッカーの頭から酒を飲ましてくれた『言い訳』を、どうぞ聞かせて頂こうか?」

 否、表情自体は、笑み。それでも先程までとは打って変わったかのようなその一種凄味のある表情に、思わず息を呑む。カラカラに渇いたかのような喉が、水分と空気を求める様、大きく口を開けて、それでも何とか言葉を発し様として、でも、何も出来ずに口を開閉させて。

「――お話し中失礼します、アロイス様」

「……クラウス? クラウスじゃないか! 久しぶりだね!」

 そんな浩太を見かねて、割って入ったのはクラウス。その姿をみとめ、アロイスは破顔。先程までの凄味を何処に隠したか、そんな表情の変化に割って入ったクラウス自身も内心で舌を巻きながら、それでもクラウスは言葉を継いだ。

「不義理をお詫びします、アロイス様。そして、重ねて謝罪を」

「重ねて謝罪?」

「この度、コータ・マツシロ氏がアロイス様に働いた暴挙、偏にこのクラウスの罪に御座います」

「……ほう。聞こうか、クラウス」

「私とコータ・マツシロ氏……コータさんは友誼を結んでおります。コータさん、この様な場所は不慣れな様でして……つい、飲ませ過ぎてしまい」

「酒の席だ、という言い訳? クラウスにしては芸が無いね。飲んでたから許して、なんてちょっと認められないかな?」

「それだけでは無く……その、私がつい、口を滑らしてしまいました」

「なんて?」

 少しだけ、言い淀み……それでも、これを言わなければこの場は収まらないと判断。



「――『アロイス・ベッカーは、エミリ・ノーツフィルトにご執心だ』と」



 瞬間。


「――はは。あーっはははは! なに? クラウス、そんな事言ったの?」


 アロイスの口から実に楽しそうな哄笑が漏れた。

「……大変、申し訳ございません」

「ははっは! そっか、そっか! いや、なんでいきなりコータ君が絡んでくるんだろ? とは思ってたんだよね! ああ、ああ、そう言う事ね」

 態度どころか、キャラまで変わったかのようなアロイスの言動に、先程までシリアス一辺倒で来ていた浩太も思わず目を丸くする。

「要はアレ? 男の嫉妬、ってやつ?」

「いえ、嫉妬とかではなく……その、アレです。エミリ様はコータさんと同様、テラの……」

「歯切れが悪いね、クラウス。それじゃちょっと誤魔化されてやれないな~?」

 にやにやと、意地の悪い笑みを見せるアロイスに大きく――大きく、『安堵』の溜息を吐くクラウス。先程まではどうなる事かと思ったが、アロイスのこの『いつもの』姿が出た以上、それほど怒っていない事は、ホテル・ラルキア本館総支配人として決して短くない付き合いを続けて来たクラウスには良く分かる。

「……大体、アロイス様だってお気付きだったでしょう?」

「あれ? ばれてる?」

「ええ。エミリ様と『深い仲』だとか、『大好き』だとか……趣味が悪すぎます」

「失礼だな。私のエミリに対する愛の深さは、誰にも負けないよ?」

「それはそうでしょうが……コータさん」

 精神的置いてけぼり。そんな気分を味わっていた浩太に向き直り、困った様な、呆れた様な、それでも少しだけ微笑ましい様な視線を浮かべて。

「……まあ、確かに私も悪かったですよ。ええ、それは認めます。『敢えて』誤解を招く様な言い方をしたんですから、責められるべきは私なのでしょうが……それでもいきなり初対面の人に頭からお酒を飲ませるなんて、貴方は一体なにさま――ああ、『魔王様』でしたか」

「……え? え? す、済みません、クラウスさん。私、ちょっと付いて行けないのですが」

 やれやれと首を振るクラウスに、慌てた様に浩太が口を開く。その仕草を見つめた後視線をアロイスに飛ばし、その首が縦に振られた事を認めたクラウスが話を続けた。

「……この方は、アロイス・ベッカー様。ベッカー貿易商会の若き会長で、九人委員会の一人に名を連ねる、王都商業連盟の重鎮です」

「それが――」

「今でこそアロイス様はベッカー家のご当主ですが、過去からそうであったわけではありません。ああ、これは先代当主が居たとか、そういう意味では……まあ、そういう意味ですが、そうではなく……そうですね。アロイス様は私と一緒なのです」

「クラウスさんと一緒?」

 ええ、とクラウスは一つ頷き。

「アロイス様はご結婚によりベッカー家を継承なさいました。私同様、『婿養子』というやつです。そして、婿に行く前のお名前がアロイス・ノーツフィルト様。ノーツフィルト現子爵家ご当主の実弟に当たられ――」

 一息。



「――エミリ・ノーツフィルト様の、ご実兄に当たられます」



「………………はい?」

 目が、点。

「いやー、どうもどうもコータ君。只今ご紹介に預かりました、エミリ・ノーツフィルトのお兄ちゃん、アロイス・ベッカーでーす」

「……」

 陽気に笑いながら、エミリの肩に手を回すアロイス。『ちょ、お兄様!』なんてエミリの言葉が浩太の右の耳から左の耳へ抜けて行き。



「間男かと思った? ざーんねん! お兄ちゃんでした~!」



 ――浩太の顔が『はにわ』になった。



◇◆◇◆◇◆


「……こ、コータ様」

「……」

「そ、その……」

「……」

「……あ、あまり落ち込まれず」

「……」

「……お、お兄様はああいうお方ですので、決して怒ってはおられません。ですので、こう、そんなに……」

「…………お酒を」

「は、はい? お酒?」

「……強い、お酒を下さい。もう、全てを忘れてしまえる程の、強い――お酒を」

 夜会会場の外、中庭にて。会場に背を向ける様に体育座りをして呆然としている浩太が上げた瞳。ついぞ見た事の無い様な『死んだ』目を見せる浩太に、思わずエミリも息を呑む。心なしか、浩太の背中の影も薄くすら見える。

 ……まあ、浩太の事情も斟酌してあげて欲しい。確かに酒の勢いで、というのもあるにはあるし、幾ら酔っているからと言ってやって良い事と悪い事はある。あるが、勢い込んで『ああ? なに人の女に手を出してんだよ?』と酒を頭からぶっかけて見たら『お兄ちゃんでした~』だ。こう、衝撃の大きさが半端ない。

「だ、ダメです! お酒はお控えください、コータ様!」

 こういう事もあろうかと、という訳では無いが、持っていた水の入ったグラスを浩太に渡すエミリ。少しだけ不満そうにしながらそのグラスを受け取った浩太が一息でグラス内の水を飲み乾した。

「……落ち着かれましたか?」

「……少し」

 浩太の返答にほっと息を吐き、空のグラスをそっと浩太の手から取り上げて中庭に備え付けのテーブルの上に置く。その後、視線を二、三度行ったり来たり。

「……エミリさん?」

 あまりにも不審なその態度に、違和感を覚える浩太。そんな浩太の視線を知ってか知らずか、エミリが少しだけ慌てた様に口を開いた。

「こ、コータ様が座っていて私が立っているというのもおかしな話ですね!」

「……えっと?」

「こ、こう、あの椅子に座れば宜しいのでしょうが、それでは流石に遠すぎて声を張らないと会話も出来ませんですし、何より効率が悪いです。ですので、こ、コータ様?」

「……はい?」

「その、し、失礼して隣に座らせて頂きますから!」

 言い切り、勢い込んで浩太の隣に腰を下ろすエミリ。肩と肩が触れ合う程の近しい距離に、香る香水。柑橘系の一種『スッキリ』したその香りは夜会会場での甘さにはそぐわないものの、凛としたエミリにはよく似合う、そんな芳香だ。

「……済みませんでした、エミリさん。その、ご迷惑をおかけしまして」

 隣に座る美女、という状況に少しだけ高鳴る胸を押さえながら、浩太は丁寧に頭を下げる。

「頭をお上げ下さい。決して迷惑では……ええ、ですが少し驚きました。まさか、コータ様があのような暴挙に出られるとは」

「申し訳ございません。その……何の言い訳にもなりませんが、お酒が入ったら、こう、つい……」

「……」

「……エミリさん?」

「その……私も、少しだけお酒が入っております。ですので、少しだけ、少しだけ本当の事を申しますが、宜しいですか?」

「は、はあ。えっと……どうぞ?」

「迷惑だとは思っておりませんが……『お酒』の勢いだけ、ですか?」

「……」

「そこに、何の感情の変化もなく、ただただ『お酒』の勢いだけであのような暴挙に出られたのですか?」

 答えを欲し、その答えが出る事を怖がるような、それでも少しだけ期待するような上目遣い。そんな瞳に、浩太は『降参』とばかりに両手を上げて見せた。

「……正直に申しましょう、『嫉妬』です」

「……」

「今日のエミリさんは――というと語弊がありますね。いつもエミリさんはお綺麗ですけど、今日は一段と磨きがかかっていました。ええ、会場で貴方を見つけた時、思わず息を呑むほどに……って、エミリさん? どうされたのですか? ご自分のほっぺたを抓ったりなんかして」

「いえ……あまりにも私にとって都合の良いお言葉を賜ったのでつい、夢ではないかと疑っただけにございます。続けて下さい」

「は、はあ。良く分かりませんが……それで、誇らしいと共に、こう、『ああ、釣り合ってないな』と思ってしまったんですよね。エミリさんは何でも器用にこなされる上に、あれだけお綺麗だ。『ノーツフィルトの可憐なる一輪の花』でしたか? なるほど、頷ける。なのに私は……と、情けない事を考えていたら、ですね?」

 苦笑。

「アロイスさんご登場、です。はたから見たらとてもお似合いですし……それに、その……エミリさんの接し方も随分とこう『親しげ』で、その」

「それは……まあ、実の兄で御座いますし」

「いえ、まったくその通り。予備知識があればまた別の見方もあったのですが……クラウスさんの――ああ、人のせいは良くありませんね。とにもかくにも、私は随分『嫉妬』してしまったわけです」

 情けない話ですが、と弱り切った笑みを見せる浩太。その姿を見つめエミリがその小さな口から言葉を漏らした。

「――三つ、言いたい事がございます」

「……はい」

「今日、私がこのドレスを選んだのは偏に貴方に褒めて頂きたいからです。『可愛い』と『綺麗だ』と『よく似合っている』と、そう言って貰いたいが為に、一生懸命選びました。外の男性など関係ございません。ただ、貴方の為だけです」

「……それが、一つ目ですか?」

「そうで御座います。そして、二つ目です。確かに私は兄であるアロイスの事が嫌いではありません。私は上に二人ずつ兄と姉がおりますが、その中では一番好きな兄ですし、尊敬もしています。慕っている、と言っても過言では無いでしょう。ですがそれはあくまで兄と妹、兄妹の間での親愛に過ぎません」

「……」

「そもそも……その、わ、私はこう見えて結構『一途』に御座います。その、誰にでもいい顔をする様な器用さも、それをすることを良しとする性格にも御座いません。コータ様が私の事をその様な『軽い』女だと思っておられるなら――」

「そ、そんな事はありませんよ!」

「……なら、宜しいですが」

「もう、本当に申し訳ございませんでした。私が悪かったのは重々承知しておりますので、そろそろご勘弁を願えたら」

「まだです。三つ、と申しましたでしょう?」

 少しだけ困ったような顔をして見せる浩太。そんな表情に、少しだけ、ほんの少しだけ勇気を振り絞って。



「――『嫉妬』、して下さいましたか?」



「……」

「……コータ様?」

「……ああ……ええ…………はい」

「『盗られる』と思って下さいましたか? それが『嫌だ』と思って下さいましたか? 私の事を――『他の誰にも渡したくない』と、そう、思って下さいましたか?」

「……ええ、認めます。すべて、『はい』です」

「そうですか」


 そう言って。


 眩しいほどの、満面の笑みを浮かべて。



「――私は、その事が……たまらなく、嬉しく御座います」



 そっと胸の前で手を組み、まるで祈る様な仕草をして見せるエミリ。瞳を閉じながら、それでも口元には隠し切れない嬉しさが溢れ、プレゼントを貰った子供の様にあどけない笑みですらある。


「貴方が私に嫉妬を覚え、独占したいと思って下さる事が――堪らなく、とても、とても幸せに御座います」

「……あ」

「……ふふ。少し、照れてしまいますね」

 瞳を開け、ふんわりと笑む。頬を真っ赤に染めて、チラチラと上目遣いに浩太を見上げる仕草に、撃ち抜かれた様な衝撃が浩太を襲う。

「……」

「……」

 無言。だが、決して嫌な感じのしないそんな時間が流れ……その沈黙を、堪え切れなくなったエミリが打ち破った。

「――は、話!」

「は、はい!」

「え、えっと、そ、その……は、話は変わりますが……そ、その、私は今日、一人部屋を与えられております!」

「…………はい?」

「へ、変な意味ではございません! そ、その、す、少しだけ、少しだけ――ふ、二人でお、お話をしたいな~、な、なんて」

「……」

「そ、その……」


 ダメ、ですかぁ? と。


 少しだけ、潤ませた瞳で、もう一度、上目遣い。


「……えっと、そ、その……」

「……」

「……い、嫌とかではなく、そ、その」

「……おねがい、します」

 懇願するような、視線。

 その視線に、『いや、それは流石に不味いでしょう』という心の声は何処かに追いやられた。流されるよう、そのまま頭を縦に振り――



「まあ、いい年頃の男女の話だし? 別にそこまで煩くいうつもりは無いけど……でも流石に、可愛い可愛い妹のそんな姿は見たくないかな~とか思ったりしてるんだよね~」



 ――かけて、その仕草を止める。のち、壊れかけのロボットの様なぎこちない仕草で声のかかった方向――すなわち、後ろを振り返り。


「やっほー。元気、コータ君?」


 綺麗な笑みを浮かべて、ひらひらと右手を振って見せるアロイスと目があった。

「お、お兄様! い、いつから聞いて――」

「ん~? 『あ、あまり落ち込まれず』ぐらいから?」

「さ、最初から―」

 一息。

「――って、本当に最初からではないですか! え? 全然気付かなかったのですが!」

「フフフ。お兄ちゃんの百八の特技の一つに『気配を殺す』っていうのがあるんだ!」

「そんなに胸を張って言うことですか!」

 頭を抱え、羞恥の――先ほどとは別の意味の羞恥の色を浮かべるエミリを面白そうに見やった後、アロイスは視線を浩太に向けた。

「さて、エミリ? 非常に可愛らしい所を個人的にはもうちょっと見ていたいところだけど」

「嫌です!」

「あら、残念。まあ、それはともかく――コータ君?」


 ちょっと、二人で話さないかい? と。


「もちろん、断らないよね?」


 にこやかに笑んで見せるアロイスに、浩太は思う。


 ――即ち、『今日は厄日だ』と。まあ、自業自得ではあるが。



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