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第七十八話 魔王様、ご乱心。

タイトル通りです。ご乱心です。殿中に御座います! です。

まあ、うん、こういう事する奴、たまに居るんだよね……


「やあ、コータさん。お楽しみでしたか?」

 エリカと別れ(エリカは非常に残念そうな顔をしていたが)、再びパーティー会場に戻った浩太に後ろから声がかかる。声の主に心当たりを付け、浩太は心持恨めしげな視線を後方に送った。

「……裏切り者。助けてくれてもバチは当たらないと思いますけど?」

「あ、あはは……す、済みません、コータさん」

 頭を掻きながら申し訳なさそうにお酒を差し出すクラウスにジト目を向けた後、浩太は肩を竦めてそのお酒を手に取る。林檎の果汁の入ったソレに一口口を付けた後、クラウスに笑んで見せた。

「……まあ、このお酒でチャラにしておきます」

「いや、面目次第も御座いません。まあ、カール閣下に取っては挨拶ですし、それにコータさんに取っても……その、取って付けた様な理由でしょうが、まあきちんと話をしておいた方が良い方だと思ったのもあるんですよ」

「カールさんが、ですか?」

 ええ、と頷き、クラウスも浩太に倣う様に手に持ったグラスに口を付け、一息。

「――カール・ローザン侯爵閣下。五十年近く、フレイム王国近衛騎士団長の要職に就く、フレイム王国きっての名門貴族です。まあ、実際は『ああ』な人ですが……分かりますよね?」

「持っている権力は途轍もなく大きい?」

「フレイム王国の軍制上で『近衛』とはある種、特別です。陛下の側近くに仕え、陛下を守り、陛下に仇なすモノを斬る。近衛は剣であり、盾であり、一族から近衛を出す事は非常に名誉な事なんですよ、貴族に取って」

「平民は?」

「フレイム千年の歴史で、平民から近衛に入団した人間はおりません。どれほど力のある人間でも、どれほどお金を持つ人間でも、です。近衛は名誉職、なんて言葉もありますが、それでも……だからこそ、でしょうか? 貴族の若様には人気なんですよ」

 そう言って、もう一口。舌と喉を湿らす様にお酒を口に含んでクラウスは言葉を継いだ。

「近衛に入る為には、現在の近衛騎士団在職者の推薦が必要です。そうなると、その『推薦』を取る為に……まあ、ありとあらゆる手段を用いる人も居るんです。脅し、宥め、すかし、その上で『実弾』が飛び交うんですよ、近衛の『入団』には。そして、貴族の皆様方だってお金が湯水の様にある訳じゃない。そうなると――」

「……なるほど。借金をしなければならず、その借金の相手が」

「御名答です。まあ、九人委員会に限った話ではないですが、多くの商会が貴族にお金を貸付けています。利息収入の代わりに減税特権を貰う、なんて商会もありますから」

 個人的にはあまり好きなやり方ではありませんが、と、肩を竦めて見せるクラウス。そんなクラウスに向けて、浩太が言葉を続けた。

「ホテル・ラルキアもその『賄賂』を贈っているんですか?」

「賄賂、という言い方は少し語弊があるのですが……付け届けぐらいはしていますよ。幸い、当ホテルは『放って置いても来て下さる』様に出来ているのであまり多くの付け届けは不要ですが。まあ、儀礼的に」

「なるほど」

 クラウスの言葉に一つ頷き、浩太は視線を中空に向ける。名誉を求める人が、金で名誉を買う。その為に借金をしてまで現職の近衛団員に賄賂を贈る。そうして近衛に入団した人間が、今度は賄賂を貰う側に転身する。システムとしてはまずまず巧く出来ていると言える。言えるのだが。

「……何だか、想像が付かないのですが」

先程、浩太に向かって『陛下の敵は斬る』と断言した御仁と、賄賂塗れの近衛騎士団長像と言うのがどうしても結びつかない。疑問を頭に浮かべた浩太に、クラウスは苦笑しながらその解答を示した。

「カール閣下は少しだけ特殊ですね。彼はあまり『賄賂』と言うのが好きではありませんので」

「近衛の団長なのに?」

「望めば莫大な富を手に入れる事も出来るにも関わらず、清貧……と言うほど貧しくはないでしょうが、まあ一般的な貴族の範疇を逸脱しない程度の暮らしを続けている。裏を返せばカール閣下が真面目だからこそ、近衛の団長職を何十年と続けていられるんですがね」

「なるほど」

「そういう意味ではロッテ閣下に通じる所もあります。ロッテ閣下も賄賂が嫌いですから」

 クリーンなイメージを続ける政治家は息が長い、の代名詞みたいなモノである。

「あの二人は仲が宜しいので? 先程、カールさんはそんな感じの事をいっておられましたが」

「カール閣下とロッテ閣下は年も近いですから。王府と近衛という違いはあれど、二人ともほぼ同時期に中央で頭角を現しておられますし、殆ど戦友の様なノリですね、あの二人は」

「……詳しいですね、クラウスさん」

「これぐらい、誰でも知っています……と、言いたい所ですが」

 そう言って、もう一口。グラスに残ったお酒を一息で開けて、クラウスは近くのメイドを捕まえてシルバーからグラスを二つ手に取る。

「まだイケますか?」

「ええ。失態を犯す事も無いでしょうし」

 礼を言ってクラウスからグラスを受け取り、手に持っていたグラスの中身を一気で煽る。『良い飲みっぷりですね』と煽てるクラウスにグラスを渡し、浩太は言葉の続きを待った。

「もうご存知でしょうが、カール閣下は『ああいう』人です。侯爵家、という高位の貴族に生まれながら、ウェストリア方面軍に自ら仕官して入隊した様な人……ああ、ウェストリア方面軍というのは、文字通りウェストリアとの国境沿いに本部を置く軍です。フレイム王国とウェストリアは犬猿の仲ですので、しょっちゅう小競り合いが起きていますし、まあ戦闘経験が段違いに高い軍隊ですね。当然、戦死率も全軍の中で抜群に高く、本来であればローザン家程の家格の方が入隊する軍ではないのですが」

 そこまで喋り、溜息。

「……ああいう人でしょ? カール閣下」

「……ええ」

「もう、今までの近衛の常識をぶち壊す様な人でして。酒は浴びる様に飲むし、ギャンブルも大好き。娼館から近衛の本部に通っていたと言われるぐらい、女遊びも激しい人なんです。よくローラにも遊びに来ておられまして……言いましたよね? 私の実家、ローラの安宿だ、って」

「ええ、お聞きしました」

「まだ祖父が生きている頃、良く遊びに来ていらしたんですよ、カール閣下。小さい頃は『クラ坊、クラ坊』と可愛がって頂いたんですが……まあ、その可愛がり方が酷くて。十代前半の私に酒は飲ます、ギャンブルをさせようとする、娼館に連れて行こうとする、で」

 在りし日を思ってか、遠い目をするクラウス。何だかその視線に悲哀の色が交っている様に見えるのは、恐らく浩太の見間違えでは無い。

「……ラルキアに来て、驚きました。まさかあの『カールおじさん』が、近衛騎士団長カール・ローザン侯爵閣下だったなんて。音に聞こえた近衛の団長閣下が、『アレ』とは……正直、随分ショックも受けました」

 深い、深い溜息をついて見せるクラウスに、思わず浩太も心の中で合掌。

「……まあ、そんな訳で私はごくごく小さい時からカール閣下を良く見知っていたんです。ロッテ閣下とのお話も、ご本人から直接お聞きする機会もありましたので。本当はイケないのですが……こう、閣下と話しているとどうしても『昔』を思い出して言葉遣いも汚くなってしまうんですよ。よくカール閣下にも叱られます。『お前は俺に対する扱いがぞんざい過ぎる』って。そういう意味ではホテル・ラルキアのホテルマンとしては失格なのでしょうが」

 そう言って、苦笑。

「……仕方ないですね、こればっかりは」

 その後、いつも通りの柔和な笑みを見せるクラウスに、浩太の頬も少しだけ緩む。

「それでも、なんだかんだ言って『嫌い』な訳では無いんでしょう?」

「私が尊敬するのはホテル・ラルキア会長、アドルフ・ブルクハルト氏です。スマートで、粋で、格好いい、『こういう男になりたい』と思わせて下さる人ですが……残念な事に、カール・ローザンという人も、とてもとても、魅力的なんですよ」

「残念なんですか?」

「残念ですよ。絶対、ああはなりたく無いと思うのに、それでもあの生き様を『格好いい』と思ってしまうんですから。正確には『悔しい』が近いのでしょうが」

 そう言って、ぐいっと手に持った酒を呷る。少しだけクラウスの頬が赤いのはお酒の力だけではなさそうだ。

「……中々に難儀な人ですね、クラウスさんも」

「自分でもそう思います。祖父や父の様な粗野な人間が大嫌いだった筈なのに、その人間に似たカール閣下に憧憬を覚えるんですから」

「真似しようとは?」

「思いませんね。少しだけ大人になったか、あの生き方も『悪くは無い』とは思えますが……それでも、ね」

 浮かべる表情が無いのか、結局困った様な笑みに顔を形作るクラウスに、浩太も微苦笑を浮かべて見せ。

「……それに、娼館通いなんてした日には、きっとエルが大変な事になります」

「…………ああ」

「否定できないでしょう?」

「肯定しか出来ませんね」

 二人でもう一度苦笑し、後、クラウスは盛大に溜息を吐いて見せた。


◇◆◇◆◇◆


「それで? どうだったんですか?」

「何がです?」

「先程聞いたでしょ? 『お楽しみでしたか?』って」

「お楽しみって……」

「丁度、カール閣下とお逢いしたんですよ。『エリカの嬢ちゃんとコータ、二人きりにして来たから邪魔するなよ!』と言われたので……」

「……カールさん」

 クラウスの言葉に、もう一度溜息。ジト目で浩太はクラウスを見やった。

「……というかクラウスさん、そういうお話興味があるんですか?」

「そういう、と言うと?」

「色恋沙汰」

「まあ……全く興味が無いと言うと嘘になりますね。『イロ』の話は社交界の華ですから。どこそこの貴族の子弟が格好いい、だれそれの娘が美しい、そして、だれそれがお付き合いをしている、なんて言うのは殆ど様式美ですので」

「いやな様式美ですね、それ」

「まあ好き嫌いはありましょうが……」

 困った様な笑みを見せるクラウスにジト目を向けた後、クラウスにジト目を向けても仕方ないと思い直して浩太は言葉を継いだ。

「特に何もありませんでしたよ」

「隠し事ですか?」

「いえ、そうではなく。途中でウェストリア王国の殿下が来られまして。お付きのエドワードさんと四人で歓談……歓談? まあ、お話をさせて頂いておりました」

「殿下? というと……クリスティアン殿下ですか?」

「ご存知で?」

 浩太の問いにええ、と頷きクラウスはもう一度グラスを呷る。メイドが運んできたシルバーに乗せられた『おかわり』を二つ手に取り、浩太に一つ差し出した。

「……飲み過ぎじゃないです?」

「私は平気ですが……コータさんは?」

「少しふわふわしていますが、気分は良いです。頂きます」

 クラウスからグラスを受け取り一口。目線だけで話を動かす浩太に、クラウスが口を開いた。

「クリスティアン・ウェストリア殿下。ウェストリア王国の第三子で、ウェストリアには珍しい『穏健派』……というのは語弊がありますが、まあフレイム王国に対して好意的な方ではあります」

「フレイム王国に好意的、ですか? 間違っていたら済みません。フレイムとウェストリアは犬猿の仲だったとお聞きしていた気がするのですが」

「仰る通り、ウェストリアとフレイムの戦争はここ十年で七回、起こっています。戦争が無い年の方が珍しいと言われるぐらいに細かな小競り合いが何度も続いていますね。そして、戦争で負けた場合、ウェストリアは領地割譲の代わりに『人質』を差し出すんですよ」

「……ああ、なるほど。では、クリスティアン殿下は」

 浩太の首肯に我が意を得た様に頷くクラウス。

「ご想像通りです。ウェストリア殿下がフレイム王国の地を踏んだのは六歳の時です。人質、と言ってもまあ、ウェストリアとの戦争など殆ど風物詩の様なモノ、実際は殆ど客人扱いだったらしいのですが。フレイム王国の先代陛下とアンジェリカ様は人間の良く出来た人だったのもありますが、殆ど我が子同様に可愛がっておられて……冗談みたいな話ですが、ウェストリアに帰る時は泣いてごねたらしいですよ、クリスティアン殿下」

「……なんとも、まあ」

「以来、戦争で負けるたびにウェストリアからはクリスティアン殿下が『人質』で来られるようになりました。ウェストリアとしても我が子の安全が担保され、領地の割譲の代わりになるのであれば、という思惑もあり、アンジェリカ様も楽しみにされており、と……」

「……本当に仲が悪いのですか、フレイム王国とウェストリア王国」

 何だか某アメリカ映画の猫と鼠の話のようである。仲良く喧嘩しな、と言った所か。

「先代陛下の時代はそうでも無かったのですが……そうですね、エリザベート陛下が御即位為されてからは少し対応が変わって来ていますね」

「なぜ? 何か外交上に問題が?」

「問題、ではないのですが」

 一息。

「……男尊女卑の強い国なのですよ、ウェストリア王国は」

 そう言って、溜息一つ。

「ウェストリア建国の始祖と呼ばれるのは『アレックス帝の親友』とまで言われたヘンリー王です。大陸を統一したアレックス帝の良き相談相手になったとか。『不臣の礼』と言われるほどに厚遇したとされております」

「ヘンリー王、ですか」

「所謂アレックス物の後記はアレックスの恋愛物が多いですが、次いで多いのがヘンリーとの友情物です。ヘンリーの死に際し、当時公爵家だったウェストリア家に王号を与え、初代国王としたのもアレックスです。帝国の中に王国がある、一種の入れ子の様な構造をしたオルケナ独自の統治体制はこの時に生まれたとされています。それほど良好だった両者の仲が、千年の間でこじれにこじれてしまうとは何とも皮肉な話ではありますが」

 肩を竦めて苦笑を浮かべて見せる。

「……話を戻しましょう。ヘンリー王自身は愛妻家だった、と言われています。側室もおかず、正妻であるエレナ妃を深く愛していたと言われているのですが……二代目に即位なされたエドワード王が……こう、なんというか……まあ、ヘンリー王と真逆、女性関係に『だらしない』方だったらしく」

「……ああ、そうなりますか」

「何の話ですか?」

「こちらの話です」

 浩太の頭の中に『アレックス書簡』が再生される。『ねえ、ヘンリー様? 私の事、好きですよね? 好きですよね、好きですよね、好きですよね?』とヤンデレ宜しくヘンリーに迫ったエレナ妃が居れば、きっとヘンリーには生涯エレナ以外の女性の影は見えなかっただろし、そして、帝国のトップと肝胆相照らす仲であった父の家庭でのその一種『情けない』姿を見た子息が、歪んだ成長を遂げたとしても……まあ、不思議では無い。

「可笑しなコータさんですね。とにかく、エドワード王は女性に対してある種の敵愾心すら持っていたと言われています。何かに憑りつかれたかのように次々と女性を召し上げては、捨てる。まるで『復讐』の様だと言われるほど……言葉は悪いですが、とっかえひっかえだったとか」

「……」

「トップがそうだと、下々もそうなります。まあ、それでも今ではある程度改善をされていますが、殆ど『文化』の域で刷り込まれていますから……そうですね。例えばフレイムの様に『女王』が即位するなんて事はウェストリアでは論外です。そして、フレイムの様に女性が高位についている国を」

「憎む、と?」

「そういう事です。私がホテル・ラルキアに婿入りする理由もまあ、その辺りが噛んできますが」

「恨んでいます?」

「まさか。今では感謝すらしていますよ。ウェストリアが『ああ』でなければ、私はこの場に立っていないでしょうから」

 そう言って、肩を竦めて見せて。

「クリスティアン殿下は幼少期にフレイムで過ごされておりますし、人生の半分ほどをフレイムで過ごされています。間違いなくウェストリア王国の殿下ですが、精神面ではウェストリア・フレイムのその折衷に近い方なのでしょう。女性に対しても分け隔てなく接して――」

 そこで、思い出したかのように浩太の全身をマジマジと見つめるクラウス。視線を向けられた浩太ははてな顔で首を傾げ、その姿そのままの疑問を口にした。

「なんです?」

「いえ……クリスティアン殿下は男女の別なく接する方ですが……才能を何より愛される方なのですよ」

「才能、ですか? それが?」

「コータさんは『ロンド・デ・テラの魔王』と呼ばれ、テラ経済を見事に復興為された立役者だ」

「私の力ではありませんが」

「少なくとも、情報収集に余念のない商人や王族の間では話題には昇っています。そして……そうですね、もう一度言います。クリスティアン殿下は才能を愛される方です。ええ――男女の別なく」

「…………え?」

「……殿下は見目麗しい方ですので、多くの浮名が社交界で流れています。ただ、その御側には常にエドワード氏が控えているんですよ。どんな時も、片時も離れず。まあ、言ってみれば『敵国』の中に一人、王族が居る訳ですから当然と言えば当然なのですが……それでも、臣下と王の寝室が一緒って、異常だと思いませんか?」

「……」

「勇気ある貴族の御令嬢が殿下に問われたそうです。『殿下は、エドワード様と良い仲なのでしょうか』と」

「……へ、返答は?」

「……ただ、笑っておられたらしいですよ。否定も、肯定もせずに」

「……」

「……」

「じょ、冗談、ですよね?」

「男尊女卑の強いウェストリアでは『男娼』自体は忌避されるものではありません。ある種、貴族の嗜み的な所もありますし」

「……」

「……」

「……ちなみに、殿下の渾名は『二刀流』です。渾名の由来は――」

「いいです! 聞きたくありませんから!」

 寒くも無いのに体がぶるりと震える。そんな浩太の姿に少しだけ可笑しそうに笑って見せ、クラウスがもう一杯、お酒を差し出した。

「アレだけ高位の方ですが、その権力をカサに着て『無理やり』手を出したという話は聞いた事が御座いません。そうしなくても向こうから、というのもあるのでしょうが……まあ、話相手位では呼ばれる事もあるかも知れませんので」

「出来れば聞きたくなかった情報ですよ」

「知識としては知って置いた方が宜しいでしょう?」

「……分かりました。クラウスさん、貴方は結構意地悪です」

「おや? 今頃気づきましたか?」

「……はあ」

 肩を落とす浩太に快活に笑って見せ、その後いつも通りの柔和な笑みを見せるクラウス。

「まあ、そこまで心配しなくても大丈夫でしょう。根拠は御座いませんが」

「全然、慰めになっていませんが?」

「慰めてませんから」

 恨めしそうな目を向ける浩太に、笑顔を一つ。クラウスが視線を浩太から外し、室内を睥睨する。そんなクラウスに訝しんだ表情を浮かべ、浩太が口を開いた。

「……クラウスさん?」

「さて……それではそろそろ行きましょうか、挨拶回り」

「挨拶回りって……え?」

「九人委員会の方々に、ですよ? まさか、忘れていたんですか?」

「い、いえ、忘れてはいませんが! ですが、その……く、クラウスさんも?」

「これでも一応、私もホテル・ラルキアの本館総支配人ですしね。コータさん一人で行くよりも、随分マシではないでしょうか?」

 それとも、私の助力は要らないのですか? と問い掛けるクラウスに、浩太は慌てて首を振る。勿論、左右に。

「あ、有難い話ですが……ですが、宜しいので?」

「言ったでしょ? 友人の為なら助力は惜しみませんよ、私は」

 どれほど役に立つか不明ですが、と笑って見せるクラウスにもう一度首を左右に振る。何処の馬の骨かも知れない浩太が一人で行くより、『ホテル・ラルキア』の看板を持つクラウスが付いて行った方が信用力は増すであろう。何より。

「心強いです」

 これである。

「それは何より。それでは――ああ、丁度良い所におられますね」

 ほら、あそこ、と指差したクラウスのその指を追うように、浩太が視線をそちらに向けて。



「――っ!」



 そして、息を呑む。

「……どうです? 私も何度か社交界にお邪魔しましたが、初めて見た時は驚きましたよ」

 クラウスの、少しだけからかう様な言葉を右から左に受け流し、浩太はその眼前の光景に目を奪われて、奪われ続けていた。


 視線の先に、エミリが、居たのだ。


 黒髪、黒眼という容姿に合わせたかの様な真っ黒なドレス。エリカや、或いはソニアが着ている様な装飾の付いていない、飾り気という点ではこの夜会の誰よりも劣るシックなドレス。アクセサリーの類も殆どなく、お義理程度に付けられた黒のイヤリングが揺れているのみという、至ってシンプルな佇まい。『この場所は葬儀会場です』と言われても、頷けるような、本当に簡素の装い。だって、言うのに。


「『ノーツフィルトの可憐なる一輪の花』。エミリ・ノーツフィルト嬢の夜会での二つ名です。エリカ様がどちらと言えば行動的な装いを好まれるのに対し、エミリ様は落ち着いた佇まいを好まれます。好まれますが……フレイム王国に黒髪・黒眼は珍しいので」


 圧倒的な存在感を放ちます、と、そう締め括るクラウスに浩太も知らず知らずの内に頷く。派手な装飾品に身を纏う人々の中で、異質と言っても過言ではないエミリの立ち姿は、そこだけ切り取った絵画の様な、ある種の静謐さを持って浩太の眼に映った。否、恐らく浩太だけでは無いだろう。エミリの隣に並び立つ事により、自らが見劣りするのを避けるかの様、まるでそこだけモーゼの海割り宜しく人口密度が少ない。

「……先程お逢いした時は気付きませんでした」

「あの方の御衣裳は周りの方に溶け込んで初めて栄えます。いや、勿論単体でご拝見しても美しい方なのですが……『美人主従』の名は伊達ではありません。主が最も栄える映り方を良く心得ていらっしゃる」

「本当に」

 今日の青のドレスを身に纏った姿のエリカ。エミリに優るとも劣らないエリカと二人で並べば、それはそれは絵になるだろう。そう思い、その姿を見れない事を少しだけ残念な気持ちになりながら、エミリを見つめ続けて。

「――え?」

 浩太の口から、言葉が漏れる。

「……来られましたか」

 人の密度の少なかったエミリの周りに、一人の男が躍り出た。居並ぶ大貴族の御婦人方が、そこに並ぶ事で見劣りするのを厭ったエミリの側に、である。哀れな愚者、突然の珍客の来訪に驚いた様に目を丸くしたエミリ。


だが、次の瞬間。


「――あ」


 エミリが、嬉しそうに、微笑んだ。


 愛想笑いではない、心からの笑み。

その笑みに気を良くしたのか、男性も嬉しそうに笑み、優しくエミリをハグ、左右の頬にキスを落す。その仕草に、少しだけ驚き、自らの頬にもキスを強請る男性に少しだけ躊躇し、頬を赤く染め、周りを伺う様に二、三度左右を睥睨し、そして。



 ――エミリも、同様に男性の頬にキスを落す。



「あの方が、『九人委員会』の一人、アロイス・ベッカー氏。ベッカー貿易商会の会長です。御年二十九、九人委員会の最年少メンバーの記録ホルダーで……コータさん? 聞いていますか?」


 聞いちゃいない。


「……クラウスさん」

「聞いていませんね、きっと」

「クラウスさん!」

「はいはい。なんですか?」

「……あの方は?」

「ですから、アロイス――」

「そうではなく」

 まるで、胸中を掻き毟られる様な感覚に、知らず知らずの内に浩太の語調も強くなる。常の浩太であればこんな言葉遣いはしないが――友人という免罪符、酒の力という免罪符、それに『嫉妬』という免罪符の、三枚のカードがある。決して長い付き合いでは無いも、いつもの浩太を知り、そして何時もの浩太を想像出来るクラウスは驚いた様に目を丸くし、その後浩太の焦燥を煽る様な言葉の爆弾を落とす。


「昨日、説明したでしょう? エミリ様には『随分とご執心』な殿方が居る、って」


『私の話を聞かないで』という少しの呆れと、『偶にはこんなコータさんも珍しくていいですね』という、少しの悪ふざけが入っての、この『言葉の爆弾』だ。はっきり言おう、これはクラウスが悪い。否、勿論クラウスだけが悪い訳ではなく、友人としての一種の『ワルノリ』も含めての言葉ではある。その点は斟酌出来る。出来るのだが。


「――そうですか」


 クラウスは聞いていて、知っていた筈なのだ。


「そうですかって……ちょ、ちょっと! こ、コータさん? 何処に行くんですか!」




 ――浩太の『酒癖』が、非常に悪い事を。




「……」

 歩きながら、浩太はメイドの持つシルバーの上に置いてあるグラスを手に取る。目指す目的は、未だに楽しそうに談笑する二人。


「……もう……様」

「ははは……久しぶりだからね。元気にしていたかい? エミリ?」


 やがて、徐々にその声が近くなる。楽しそうに喋る二人と、その二人を微笑ましそうに見つめる周りの人。先程まで静謐さを湛える絵画であったソレが、今はまるで陽気な晩餐会の様な和やかな雰囲気になっている事に、尚も浩太の胸が掻き毟られる。


「……ああ、そうだ! エミリ、どうだい? 久しぶりに一曲、踊らないか?」

「だ、ダンスですか? ですが、私はさいき――ちょ、ちょっと!」

「良いよ、良いよ。私とエミリの仲じゃないか。足を踏んでも怒らないからさ!」

「で、ですが!」


 この辺りが、限界。


「――失礼」


 やがて、距離はゼロへ。男性の後ろに立った浩太にエミリが気付き、困惑顔そのままで口を開いて言葉を発しかけ。


「え? あ、ああ! こ、コータさ――コータ様! な、何を!」


 頭上高く掲げたグラス。それでも、彼我の身長差からか、ギリギリ――本当にギリギリ男性の頭の上に掲げる事が精一杯。それが、何だかとても悔しい。


「どうしたんだい、私の可愛いエミリ? そんな大きな声を出して」


 やがて、男がゆっくりと振り返る。室内の照明に光を浴びて光る金色の髪に、エメラルドグリーンの瞳。恐らく、『近衛騎士の一人』と言われても違和感の無いその端正な顔立ちは、成程エミリの隣に居ても栄えるだろうであろう美貌の――有体に言って、ハンサムな男性。そして、それが、その事実が、その事実を突きつけられる事が。



 ――無性に、腹が立つ。



「嫌がっている女性を」

 

 だから。


「こ、コータ様! お、お止め下さい!」


 何をしようとしたのか察し、エミリの制止の声が響く――も、聞いちゃいない。頭上高く掲げたグラスを、ゆっくりと、軽やかに、でも確実に、その上下を逆さにして。



「――無理やりダンスに誘うのが、フレイムの流儀ですか?」



 浩太は並々と注がれた液体を、眼前の色男に頭から飲ませた。


『えーーー! え、エミリさん!?』ってなっておられる方は、申し訳ございません。次回まで『もんもん』として頂ければ。

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