第七十七話 Sweet Devil
頑張れ、エリカさん!
「まったく……面倒な人に絡まれるわね、あなたも」
「面目次第も……と、言いたい所なんですが、私のせいですかね、さっきの」
カールの去った後。入り口付近に立っていたメイドから軽めのお酒を二つ貰って来た浩太は、そのまま中庭に備え付けられたテーブルと椅子に座るエリカの対面に腰を降ろした。差し出されたグラスを、『ありがとう』と言って受け取ったエリカは流れる様にグラスに口を付ける。ブドウの味付けの為されたそれは、エリカの喉を爽快に潤していった。
「にしても……良いのですか、こんな所に居て」
「良いのよ、別に。ある程度大事な人とは話もしたし、『仕事』は終わったわ」
そう言ってもう一口。珍しく引いたルージュがグラスの縁に付き、エリカはそのルージュを今度は自身の左手の人差し指でそっと拭って見せた。
「……たまにはいいでしょ、こういうのも」
そう言ってエリカは嫋やかに微笑み――そして、心の中で『ファイト! エリカ!』と自身にエールを送った。
そう。エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムは張り切っているのだ。
『このまま、直ぐにパーティー会場に戻ったら、何だかカールの後を着いて行ったみたいじゃない! それ、なんかイヤ! それに、中はちょっと暑いし……もうちょっと、涼んでから入りましょ?』
と、いうエリカの進言もあり、『それじゃお酒でも取ってきましょうか』と浩太がメイドから受け取ったグラスを中庭備え付きのテーブルに置いて対面で座っているのが現在の状況、そこに『二人きりになるチャンス!』というエリカの、いじらしいとも狡いとも取れる戦略があった事はご想像に難くないだろう。何ともみみっちい作戦ではあるが……ちなみにこのエリカの謀により、ソニアと綾乃は現在、大広間中を探し回っているのであながち戦略的に間違ってはいない。
まあ、考えても見てほしい。なんだかんだ言ってエリカと浩太の中は少しだけ近くなったものの、テラでの生活は色々と『ライバル』も多い。王都ラルキアにやって来てからも、初日はロッテ、二日目は綾乃、三日目はシオンと、結局浩太とは別行動だ。二日目に至っては綾乃とのラブラブっぷりまで見せつけられれば正直、ストレスも溜まる。
「……ここで逆転よ」
「何か言いました?」
「な、なにも言ってないわよ!」
そうして迎えた夜会。何時もとは違う雰囲気、何時もとは違う髪型、何時もとは違うドレス、何時もとは違う化粧、そして――何時もとは違う、『エリカ』。これだけ条件が揃えば、幾ら老荘の域に達した様な浩太でも流石にぐっと来るだろう。そう、例えば――
『エリカさん、今日は……綺麗なドレスですね?』
『あら? ドレスだけかしら?』
『そ、そういう訳では――』
『ふふふ。冗談よ?』
『エリカさん……』
『その……コータ? こういう時は、『エリカ』って、呼び捨てにして……欲しい、かも』
『……エリカ』
『……コータ』
彼我の距離は徐々に近くなり、やがてそのまま――
「……よだれが出てますよ、エリカさん」
「――っは! ち、違うの!」
妄想の中で『コータ君人形』に回していた手を慌てて振り解き、その勢いのままエリカは現実世界に立ち戻る。ふう、と大きく息を吐いてきっ! と浩太を睨んで見せた。
「ち、違うんだから!」
「……なにが?」
「だ、だから!」
パニックになり、あうあうするエリカに溜息一つ。このままでは話が進まないと悟った浩太は話題の転換を図った。
「それにしても……びっくりしましたね。カールさん、ですか」
「ちがうん……へ? あ、ああ、うん。カールね。カール・ローザン。侯爵で、近衛の団長閣下よ。今までの近衛って言えばこう、『中性的な美男子』ってイメージだったのに、それを見事に覆した人って有名なのよ、彼」
「そうなんです?」
「まあ噂話だけどね。私が生まれる前から近衛の団長だもん、カール。私に取っては団長はカールだけよ」
「……それはまた……とんでもないですね。何年現役なんですが、あの人」
「でしょ? ま、そういう訳で私も小さい時からお世話にはなってるのよ。一応、私も『王族』だからね。昔はカールの『守る対象』だったの」
「昔から『ああ』なんですか?」
「『ああ』って?」
「その……エリカの嬢ちゃん、って」
「……何時まで経っても子供扱いなのよ、カール。もう私だっていい歳だって言うのに、昔みたいに嬢ちゃん、嬢ちゃんって……」
頬をぷくりと膨らまして愛らしく拗ねてしまうエリカ。その姿が何だか微笑ましく、クスリと浩太が笑みを漏らした。
「……何よ?」
「いえ……これだけでも、来た『かい』があったかな、と思いまして」
「来たかいって?」
「中々、エリカさんは過去のお話をされたがらないでしょう?」
「そう? そう……かな?」
「ええ。なんとなく、ですが。ですから、あまり昔のエリカさんを想う機会も無かったのですが」
そう言いつつ、浩太はしばし想像を過去に飛ばす。『もう、カール! 何でよ!』『うるせー嬢ちゃんだな。そんなんじゃ何時まで経っても胸が大きくなんねーぞ?』なんて会話がミニマムサイズのエリカとカールの間で繰り広げられていたか、と想像すると、ついつい頬も緩んでしまう。
「……ねえ、コータ? 何か失礼な想像してない?」
「いいえ。恐らく、小さい時のエリカさんも可愛らしかったんだろうな、って思っただけですよ」
嘘、偽りの無い本心。必死に背伸びをするエリカの幼少時代の姿が何だか可愛らしく思えて、思わず頬が緩んだだけ。正直に言えば、別段深い意味は無い。
「かかかかか可愛らしいって!」
が、それは言った浩太の立場からの話。言われたエリカからすれば、面と向かって『可愛い』と言われたのだ。しかも、『小さい時のエリカさん『も』』だ。『も』なのだ。裏を返せば『今『も』可愛い』と思われている、という事じゃない! と、エリカは非常に好意的に解釈して見せた。
……チョロい子か! と、言うなかれ。恋する乙女は男性の言葉に一喜一憂するモノなのである。
「えっと……エリカさん?」
「な、何でも無い! 何でも無いわよ!」
真っ赤に染まる頬を誤魔化す様、ぐいっと一気でブドウのお酒をあおる。さして強くは無い酒とは言え、エリカだって此処に至るまでに既に結構な量を呑んでいる。加えて、沸騰した頭に一気、だ。
……話は変わるが、『酔い』とは酒量も去ることながら、『雰囲気』も重要なファクターであると思う。悲しい時に飲むお酒はしんみりとした酔い方になるであろうし、楽しい酒席ではお通夜の様な酔い方はまあ、しないであろう。翻って、今のエリカの状況を思い出して欲しい。そもそも、『此処で一旗あげたる!』という気分の乙女が、意中の男に『可愛い』と言われてグイ、だ。その酔い方は当然、意中の男とのこの後を想像する……まあ、言ってみれば、もっと『可愛い』とか『ドキっとする』と言わせたい、色っぽい酔い方である。
「……ふ、ふう。す、少しだけ暑くなったわね」
額に手を当てて、チラリと流し目をして見せる。出来るだけ色っぽく見える様、シナを作り、まるで媚びる様に浩太に目線を向けて。
「そうですか?」
そんなエリカの視線を受けても、浩太はいたって平常運転。『むしろ涼しいくらいじゃないですか?』なんて、トンチンカンな事を言って見せる浩太に思わずエリカの肩ががくっと落ちた。
「……貴方ね」
――この若年寄がー! とエリカが心の中で気炎を上げたとして、誰が責められようか。むしろ浩太よ、もっと頑張れと言いたい。
「あ、暑いの! 飲みすぎたかしら!」
「ああ、そう言う事ですか。水でも貰ってきましょうか?」
そうじゃないわよ、このバカ! と、エリカは心の中の『コータ君人形』に鋭い突っ込みを入れた。首の座っていない赤ん坊の様にグラングランと首を揺らすコータ君人形に少しだけ溜飲を下げ、エリカの灰色の脳細胞が高速コンピューター並のフル回転を見せる。やがて、その灰色の脳細胞がその動きを止めて、一つの『解』を導き出した。この朴念仁には言葉だけのやり取りでは生ぬるい。もっと、直接的な。
「……そうね」
即ち――色仕掛けしかない、と。
「? エリカさん?」
「……ねえ、コータ?」
断っておくが、これはお酒の力である。普段のエリカならこんな『はしたない』事はしないし……もっと言えば、出来ない。だが、お酒は魔力を持っているのだ。非日常であるパーティー会場、と言うのもソレに拍車をかける。脳内で首をブランブランさせているコータ君人形も絶賛後押し中だ。
「――暑いって、言ってるのよ?」
自身の何処からこんな声が出るのか、当のエリカ自身もびっくりする様な、艶のある声。びっくりした様な浩太の顔に少しだけ気を良くし、エリカは椅子から少しだけ腰を浮かせ、テーブル越しに向かい合う浩太の顔を覗き込む様に体を伸ばした。
「最後まで言わないと……分からないかしら?」
妖艶なそのポーズ。きっと、リズ辺りが見たら『お姉様が狂った!』と言わんばかりの、艶のあるその姿勢。そんなエリカの体勢に、思わず浩太が顔を背け、そんな浩太にますますエリカが図に乗って行く。そうよ! やっぱり、こうあるべきなのよ! と、そんな事を思いながら、尚も浩太に顔を近づける様に体を伸ばす。
「え、エリカさん! そ、その体勢は色々! 色々危険です!」
「危険? ふふふ。ねえ、コータ? 何が危険なのかしら?」
「な、何がって……そ、その、エリカさん? 冷静になって下さいよ?」
「冷静よ、私は」
「いや、冷静じゃないでしょ! きっとエリカさんが傷つきます! で、ですから」
「……それ、すっごい失礼。私はお酒の勢いだけでこんな事する『安い』女じゃないわ」
きっかけは、確かにお酒。力を借りたのもお酒。それを否定はしない。しないが。
「……気持ちまで、否定しないでよ」
「え、エリカさん? 済みません、良く聞こえ――」
「いいから! さあ――」
――さあ、コータ? そんなに視線を背けずに、もっと見ていいのよ? この体勢なら良く見えるでしょ? 私の谷間が――
「……――谷間?」
そこまで思い、エリカははたと気付く。相変わらずのその姿勢のまま、顔だけをゆっくり下に向けた。自らの視界を遮るモノなど何もない、凹凸の少ないブルードレスが広がるその光景にエリカは思い出す。かつて父王に連れて行って貰った、波一つ立たない穏やかな海を。
「……あはは」
乾いた笑いがエリカの喉奥から漏れる。ああ、そうだ。この光景は水平線の向こうまで見渡せるあの日見た海と一緒だ、と。
「その、え、エリカさん?」
困った様な視線を向ける浩太に、エリカもようやっと気付く。ああね、と。そうね、と。こんな貧相な体で、何処が色仕掛けだ、と。
「……多分、慰められたら泣く」
消え入りそうなエリカの声に、浩太の困り顔がますます渋くなって行く。何かフォローが必要と思案し、首を上へ下へ、うんうん唸りながら解答を導き出し。
「……だから傷つく、って言ったのに」
「追い打ちはもっとやめて! 本当に泣くわよ!」
出した解答が、最悪。キッと睨みつける涙目のエリカの視線の先に、浩太の困った様な、それでいて情けない顔が映った。何だかその顔に羞恥ではなく怒りが湧いてくる。
「だ、大体! 何で貴方は何も言ってくれないのよ!」
湧いてくるのが怒りなら、出て来る言葉は罵倒だ。
「え、エリカさん?」
「こ、このドレス、すっごく考えたのよ! か、可愛いって、言って貰えるかなって、そんな事ばっかり考えて、い、一生懸命選んだのに! な、なのに」
……何よ、と。
「あ、アヤノの事は褒めた癖に!」
言った後、『しまった』と思う。だって、そうであろう? 自分で誘惑しておいて自爆して、最後には相手に怒る、だ。もしエリカ自身、もしエリカみたいな女に迫られても、こんな面倒臭い女はイヤだ。
「……アヤノには可愛いって言ったのに」
だって言うのに、エリカの言葉は止まらない。胸の内に留めた言葉が、後から後から漏れて来る。
「……羨ましかったのに……」
思わず、俯いてしまう。ポタリ、ポタリと目の端から漏れた涙が足元に小さなシミを作り、地面に吸い込まれて消える。自らも、そんな水滴同様に消えてしまえれば良いのにと後ろ向きなエリカはそう思う。
「――え?」
だから、だろう。
「こ、コータ!」
温かく、そして大きな掌がエリカの頭を撫でるまでそれに気付かなかったのは。
「その……申し訳ありません、と言うのは失礼なのでしょうね」
「……」
「別に、気付いて無かった訳では無いのですよ? ただ……こう、何て言うのでしょうか。少し、気恥ずかしいモノがありまして」
「……気恥ずかしい?」
「ええ。今まで見た事の無いエリカさんでしたので、その……」
何となく、褒めづらくて、と。
「……私、可愛い?」
「ええ、可愛いですよ?」
「このドレス、似合ってる?」
「とても。エリカさんの為にあつらえたかと……元々、エリカさんのですか?」
「ううん。良いのが無かったから、リズに借りた」
「そうですか。でも、とても良くお似合いですよ?」
「そう」
「ええ」
「その……ぎゅ、ぎゅって、したくなる?」
「ええ……ええーーーーー!」
流れで頷いていた浩太に、気付かれない様にそっとの言葉の爆弾。浩太のその反応に少しだけ溜飲を下げ、エリカはおずおずと浩太のスーツの端を握った。
「……くい」
「……なんです?」
「……くい、くい!」
「えっと……エリカさん?」
彼我の身長差から、見おろす様な形の浩太。視線を下げた先に、上目遣いのエリカと目が合い。
「……えへへ」
ふんわりと、とても綺麗に笑んで見せるエリカに、何だか気恥ずかしくなって思わず浩太は顔を背ける。その仕草に、少しだけ『むっ』として、爪先立ちになったエリカが浩太の顔を持って『ぐいっ』と引っ張り、自身に向けた。
「痛い! え、エリカさ――」
「……」
「……エリカさん?」
「見てくれないと、や!」
ぷくっと頬を膨らまし、少しだけ拗ねた様な仕草。お酒の力で『甘えた』モードになったエリカのその仕草に浩太は思う。
――なに、この可愛いイキモノ、と。
「え、えっと、エリカさん?」
「ラルキアに来てからもそうだけど……テラでもずっと、皆と一緒だったじゃない。いや、別にそれがダメって訳じゃないんだけど……こ、こう、ホラ! た、たまには……」
先程までの勢いは何処へやら、浩太と目が合った気恥ずかしさからか慌てて目を逸らすエリカ。それでも視線を逸らしがたいのか、チラ、チラと浩太に視線を走らす。その、何だかとても庇護欲をそそる仕草に思わず浩太がごくりと唾を飲んだ。
「……え、えへへ」
その音が聞こえたか、少しだけ気恥ずかしそうに、それでも嬉しそうにエリカは微笑み、そしてゆっくりとその瞳を閉じて心持顔を上に上げる。若年寄、と言われているが、この姿勢が果たして一体何を意味しているか分からない程は鈍くもないし、ドキリとしない程にも老成している訳では無い。
「……」
「……」
彼我の距離が、一歩、また一歩と近づく。誘蛾灯に群がる蛾――と、いうと例えが悪すぎるが、抗い難いその魅力に徐々に浩太はその身をエリカに近づけ。
「殿下。流石に趣味が悪うございます」
「ちょ、エド! 静かにせんかい! 今、エエとこじゃぞ! あのエリカ殿下が、男を誑し込んどる姿やこ、もう二度と見る事が無いかもしれんじゃろ! ええんか、お前、そんな勿体ない事しても!」
「……申し訳ございません、殿下。ちょっと何言ってるか分からないです」
背後から聞こえるその声に、思わず浩太は振り返る。『なに?』と言わんばかりに訝しみながらエリカは閉じていた瞳を開け、浩太の背中越し、ひょいっと後ろを覗き込み。
「……なんで、貴方が此処に居るのですか?」
「……」
「……」
「……ヤアエリカデンカ。キグウダネ」
「キグウダネ、じゃないでしょ?」
ゴゴゴ……っと後ろから阿修羅が出て来そうな勢いで額に青筋を浮かべるエリカに、声を掛けられた人物――植込みの陰に隠れ、覗き込む様に見ていた不審者は、あからさまな程に額から汗をダラダラ流してソッポを向いて見せる。
「……ねえ、殿下? クリスティアン・ウェストリア殿下? 貴方……一体、そこで何しているのかしら?」
「……あ、あはは……いやー……ねえ?」
だらだらと汗を流しながら、それでもへらへらと笑う、クリスティアン・ウェストリア殿下に。
「ねえ? じゃないわよ! 一体、何してたのか聞いてるの!」
エリカの怒号が――まあ、色んな意味で怒っても良いエリカの怒号が、広い中庭に響き渡った。
◇◆◇◆◇◆
「……いやー久しぶりじゃな、エリカ殿下。元気にしとったか?」
「久しぶり、じゃないわよ、このバカ! っていうかエドワード! 貴方が付いてるんだから、もうちょっとしっかり手綱握っていなさいよね!」
「相済みません、エリカ殿下」
「まったく!」
腕を組み、『私、イライラしています!』と言わんばかりにタンタンと爪先で地面を叩くエリカに、もう一度はははと笑って見せ、クリスティアンは視線を浩太に向ける。
「それで……この優男は誰なんじゃ? エリカ殿下のコレか?」
ぐいっと親指を立てて見せるクリスティアン。その仕草にエリカの頬にさっと朱色が差した。
「ち、違うわよ! 何言ってるのよ、貴方!」
「あれ? ほうじゃけど、ぶちええ雰囲気じゃったが」
「……貴方が壊したんでしょうが、その良い雰囲気を」
「ん? なんか言うたか?」
「何でもないわよ!」
はーっと溜息、一つ。このままでは話が進まないと踏んだか、エリカは浩太に少しだけ疲れた笑みを見せながら口を開いた。
「……コータ。こちらはクリスティアン・ウェストリア殿下。ウェストリア国王のお子様で、王位継承権第三位の王族よ」
こんなんだけど、と付け加え、エリカは今度は視線をクリスティアンに向ける。
「クリスティアン殿下。こちらはコータ・マツシロ殿。私が治めるロンド・デ・テラの……そうね、財政顧問をして貰っているわ」
「ロンド・デ・テラの、コータ……って、あれか! あの『魔王』様じゃないんかい?」
「あの、が、どの、かは分からないけど……そうね、多分その『魔王』様よ」
エリカの言葉に嬉しそうに頬を緩め、クリスティアンは浩太の手を握って上下にブンブンと振る。
「いやー、アンタがあの魔王か! 一度逢って見たかったんじゃ!」
「は、はあ。その……光栄、です」
「いや、そんなに畏まらんでもええ!」
「そうは申されましても……王族の方ですし」
「王族、言うても妾の子じゃけん! 王位継承権なんか有って無い様なモンじゃ。どうせ上の兄様方が王位やこ継ぐんじゃけ! そう考えたらホレ、アンタは魔『王』じゃが。アンタの方が上じゃ」
「その理屈は少しおかしいと思うんですが……」
何とも言い難い、独特の『馴れ馴れしさ』に助けを求める様に浩太はエリカを見やる。そんな浩太の視線の先で、エリカは疲れた様に視線を落として見せた。
「……こういう人なのよ、昔から。前に、コータ私に聞いたでしょ? 『オルケナの王家はこんなに心安いんですか』って。その筆頭みたいな人だから」
「そんな事ないじゃろ? カルロス一世に比べれば、全然じゃぞ?」
「……訂正。あの方と双璧ね」
もう一度、深い深い溜息を吐くエリカに快活に笑って見せ、クリスティアンは浩太に向き直る。
「改めて、初めまして。私はウェストリア王国第三子、クリスティアン・ウェストリアじゃ。年はエリカ殿下より……二つ? じゃったか? 上になる。小さい頃からエリカ殿下とは一緒に居ったけん、まあ幼馴染みたいなモンじゃな」
じゃろ? と問い掛けるクリスティアンにエリカも肩を竦める事で応え――その後、慌てた様に浩太に詰め寄った。
「そ、その、違うからね!」
「何がですか?」
「確かに幼馴染だけど、その、『昔、ちょっといいな~』とか思った幼馴染とかじゃないからね! か、勘違いしないで! 本当に、本当に何にも無いんだからね!」
「……そう言われると勘ぐりたくなるものですが」
「ち、違う! 本当に違うから!」
「冗談ですよ」
浩太の言葉に、ほっと胸を撫で下ろし、その後『きっ』とキツイ視線をクリスティアンに向けるエリカ。向けられたクリスティアンは、頭に疑問符を浮かべて首を捻って見せた。
「えっと……なに? なんで睨まれてるんじゃろ?」
「きっと、クリスティアン殿下が男前だからでしょう」
「こ、コータ!」
浩太の軽口に慌てた様にエリカが叫ぶ。その姿を初めはきょとん、その後大口を開けて笑う事によってクリスティアンは応えた。
「なんじゃあ、エリカ殿下? 見惚れてくれたんか?」
「その、貴方の自信過剰の所が腹が立つのよ、私は」
「ほうか? これがエエ、いう人もおるんじゃけどな? 後、顔と」
「……顔が良いのは認めてあげるわよ。肩口までの、女の私ですら嫉妬する様な綺麗な金髪だし、鼻も高いし……眼は濁ってるけど」
「酷っ!」
「まあ、男前は男前よ。フレイム社交界でも『中性的な美男子』って言われるぐらいですものね」
「いや~そんなに褒められると照れるの~」
「そうね。後はその女癖の悪さを直せば良いんじゃないかしら? テラにまで届いてたわよ? 『クリスティアン殿下に泣かされた女性』の噂」
「いや~そんなに褒められると照れるの~」
「褒めてないから!」
「まあ、ほいでもその噂は嘘じゃで? プラトニックな関係じゃから」
「……はいはい」
「それ、絶対信じてない時の返答じゃが! ったく……」
そう言って尚もブツブツ言いながらクリスティアンは浩太にもう一度視線を向ける。先程まで渋い顔をしていたとは思えない程、良い笑顔をして見せるクリスティアン。まるで百面相だ。
「そうそう、コータ……コータって呼んでもエエじゃろ? コータ、こっちにおるのがエドワードじゃ。私の護衛……というか、側仕えじゃの」
「初めまして。エドワード・アルトナーと申します。どうぞ、お見知りおきを」
クリスティアンが『中性的な美』であるのと対照的、こちらは『抜身の真剣の様な』美。静謐感漂うその雰囲気の男性は、そう言ってゆっくりと頭を下げた。
「……それで? 貴方達、こんな所で何してたのよ?」
「いや、ちょっと中が暑くなってからの。少し涼を取ろうかと思うて外に出てみたんじゃ。そしたら……まあ、『あの』エリカ殿下がエエ雰囲気じゃろ?」
「『あの』って何よ、『あの』って!」
「言葉のアヤじゃ。まあ、とにかく、そんなエリカ殿下を発見してしもうたんじゃけ、そりゃ思うじゃろ? 『隠れて見な、おえん!』って」
「思うか! 貴方、一応王族でしょ! 何でそんな……もう!」
むきーっと後ろに吹き出しが付きそうな怒りを見せるエリカ。対照的にクリスティアンは面白そうにその光景を見ている。恐らく、相性が悪いのだろう。
「ま、そういう訳でこっそりエリカ殿下の成長を見守っとったんじゃ」
「大きなお世話よ!」
「……全然、成長して無い所もあるんじゃけどな~」
「何処見て言ってるのよ! 本当に、大きなお世話よ!」
「……」
「……」
「……」
「……な、なによ」
「…………いや……なんか、ほんまに悪かったの。うん、ほんまに」
「がっつり同情するの止めてくれる! 本気で落ち込むんだけど!」
がーっと怒りだすエリカ。そんなエリカに心持――と言うより、思いっきり気まずそうな表情を浮かべ、乾いた笑いを見せて。
「――あーー! エド! ほら、そろそろ行かんとおえんじゃろ!」
「……なるほど。そういう逃げ方をしますか」
「な、何言うとんじゃ! に、逃げる訳じゃない! 戦略的撤退じゃ!」
「それを逃げていると言うのでは?」
「や、やかましいわ! そ、それじゃあの!」
「まあ、主がこう言っておりますので。それでは失礼します」
まるで、脱兎のごとく。
逃げる様に走り去って行くクリスティアンと従者エドワードを呆気に取られた様に見つめ、浩太はエリカに視線を戻し――ぎょっとする。
「……え、エリカさん?」
「なによ、なによ……あのバカ殿下……折角、折角良い雰囲気だったのに……なんで、今日に限って邪魔するのよ……バカ、あのバカ……」
暗い、暗い瞳。瞳の中のハイライトの消えたエリカが親指を噛みながらブツブツ言っているその姿は、ちょっとだけホラーチックで浩太の背筋にも冷たいモノが走る。
「え、エリカさん?」
「……なによ、なによ、なによ……」
「エリカさん!」
「……なに――って、え? ど、どうしたの、コータ? 何か顔が青いケド……?」
「い、いえ……な、何でもありませんよ、ええ」
先程のちょっと『ヤバめ』なエリカには触れない様にする事にする浩太。君子は危うきに近づかないのだ。
「えっと……あ、あはは。結局、何しに来られたんでしょうね、クリスティアン殿下」
「昔から『ああ』なのよね、彼。こう、あんまり見られたくない所とかを見つけてお腹抱えて大笑いするのよ。本当に、性質が悪いわ」
「そ、それは……何と言うか、ご愁傷様です」
「まあ、そういう人だから多分、本当に偶々遭遇しただけでしょ、今日も。ああ、もう! 折角良い雰囲気だったのに!」
ぷりぷりと怒るエリカ。まるで『むきー』という擬音が付きそうなその態度だが、浩太的にはそれどころでは無い。
「え……っと、エリカさん?」
「なによ?」
「その……良い、雰囲気?」
「……へ?」
浩太は一体、何を言っているんだろうとエリカは悩む。それも一瞬、先程の自らの発言――『良い雰囲気』に行き当たり、エリカの顔がボンと瞬間湯沸かし器の様に沸騰し。
「あ、あの、そ、その……え、えっと! えっと!」
「え、エリカさん? 少し落ち着いて!」
「だ、だから! その! い、良い雰囲気は良い雰囲気だったじゃない!」
どうしようも無いと判断。開き直る事にした。
「そ、そうよ! 良い雰囲気だったのよ! だから!」
「だ、だから?」
「そ、その……だ、だから!」
「えっと……」
困った顔を浮かべる浩太。その視線に、何だか少しだけ罪悪感を覚え、エリカは慌てて口を開いた
「し、仕切り直し!」
「……はい?」
「だ、だから、仕切り直し! クリスティアン殿下は来なかった! さっきまでのは無し! こ、ここから、もう……いっ……かい……」
徐々に語尾が弱くなり、段々と声が小さくなる。そんなエリカに、浩太も先程以上に表情に困惑を浮かべる。
「……」
「……」
「……そろそろ、もどろっか」
「……そうですね」
流石に、『それじゃ、仕切り直し!』と此処で言える程、エリカの経験値は高くない。『私のバカ! 私のヘタレ!』と、全然罪の無い心の中のコータ君人形をぺちぺちと叩きながらトボトボ歩くエリカの後ろ姿は――何だか、煤けて見えたとか。




