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第七十六話 さあ、パーティーに行こう!

ご無沙汰しています、疎陀です。まあいつも通り、一話で終わりませんでした……あ、あれ?

長くなり過ぎたので分割です。『エミリは! ねえ、エミリは!』と言う方、来週までお待ち頂ければ……

 一体、本日のパーティーに幾らの費用がかかるのか。


 ラルキア王城大広間に、所狭しと並べられた料理やお酒は膨大な量だ。三百人は優に超えるキャパを誇る大広間をして、それでも芋を洗うようにごった返した人々を見ればきっと自分の想像も付かない様な金額なんだろうな、と根っこは小市民の浩太は一人注がれたコップに入った果実酒をちびりと呷る。

「楽しんでいますか……と、そんな訳は無さそうですね」

 杯を傾けた浩太は、後ろからかかる声に振り返る。眼前に、右手にグラスを持って少しだけ掲げて見せるクラウスをみとめ、それに合わせる様に苦笑を浮かべたまま自身の杯を上げて見せた。

「そんなにつまらなそうに見えましたか?」

「ええ。何と言うか……『一人ぼっちで寂しい』と背中が語っておられましたよ?」

 柔和な笑みを浮かべるクラウスに、先程よりも苦笑の色を強めて浩太は視線を――先程見ていた場所とは別、いつもの青のドレスとは違う、綺麗なドレスに身を纏ったエリカに視線を飛ばした。心なし、いつもよりも気合の入ったメイクにサラサラの金髪が光を受けて輝いて見える。そんなエリカは、浩太の知らない初老の男性と談笑していた。

「今、エリカ様がお話されているのがローダー侯爵です。先々代の国王陛下の末弟に当たられる……エリカ様の大叔父様に当たられるお方です。現在はチタンの片田舎に住んでおられるのですが、エリカ様が王都に来られると言う事でわざわざチタンから出て来たそうですよ」

「……はあ」

「ちなみに、向こうでソニア殿下がお話されているのが『九人委員会』の一つ、ハンバルト兄弟商会のソルバニア総支配人、ラルフ・ハンバルト氏です。ラルフ兄弟商会のナンバー2ですね。アヤノ様とお話されているのは……」

「ラルキア王国のルドルフ宰相閣下ですね? それで、シオンさんとアリアさんがお話されている方は?」

「あれは……ああ、ラルキア大学に出入りされている業者の方々でしょうね。アリアさんの講義は人気がありますから、きっと教材としての本の売り込みでしょう。個人的に、こういう場でああいう会話はどうかと思いますが。無粋でしょう?」

「粋を理解する程、こういう場所に縁がある訳ではありませんので。ですので……正直、居場所がありません」

 そう言って肩を竦めて見せる浩太に、クラウスは柔和な笑みを苦笑にかえて、一言。

「『夜会』とは、そういうモノですよ」

 王家主催のこのパーティーは九人委員会の構成商会を含めた、中級以上の商会や有力貴族、他国の貴族までを招いた盛大なモノになった。なるほど、ロッテがわざわざ『大々的な』と断じるだけはある。

「小市民には厳しいです、正直」

 最初こそ、居並ぶ人の数と綺麗な装飾、美味しそうな料理に目を輝かせた浩太だが、楽しかったのは最初の三十分まで。

「まあ、エリカ様もソニア様も王族ですし……シオンやアリアさんだって、立派な権力者、ですからね」

 なまじ、近すぎてその『凄さ』が分からないと言う事はままある。いつも一緒に居て寝食を共にしているが、エリカだってソニアだって立派な王族であり、エリカにいたっては現国王の姉である。ソニアだって貿易帝国の王女だし、シオンは……普段はまあ、あれであるがそれでも学術院の主任研究員を務める才女だ。アリアにしても同様だし、強いて言えば浩太と『釣り合い』が取れそうなのはエミリと綾乃ぐらいのモノだが。

「それしても……びっくりしましたよ。あの『ラルキアの聖女』様とコータさんが既知とは」

 これである。言ってしまえば、浩太の周りに集まる女性陣は尽く『ビッグネーム』ばかりであり、浩太など精々ロンド・デ・テラの一地方領で魔王だ何だと言われている小僧に過ぎない。『利用価値』という点では明らかに優先順位は下がり、まあ結局の所。


「ぼっち、です。私」


 こういう事だ。ちなみに、もう一人の話の合いそうな相手であるエミリとは開始早々にはぐれてしまっている。つまり、浩太は『ぼっち』の上に『迷子』状態だ。

「『ロンド・デ・テラの魔王』が一人ぼっちで迷子、なんて、きっとホテル・ラルキアの経営会議メンバーが聞いたら腰を抜かして驚きますよ?」

「そうですか? むしろ手を叩いて笑いそうですが?」

 特に、浩太にスキャンダルをすっぱ抜かれた財務部長と人事部長あたりは。

「まあ、そういう線もありますね。でも、だからこそ私の大事な友人を笑いモノにしない様、私が来たんです。話し相手ぐらいはさせて頂きますよ?」

 歩いて来るメイドのシルバーからシャンパングラスの様な形状のグラスを二つ取り、一つを浩太に差し出す。頭だけ下げてそれを受け取り、浩太は口を開いた。

「宜しいので?」

「ええ。正直、私もコータさんと同じ様なモノですから。迷子ではありませんが」

「ホテル・ラルキアの本館総支配人ともあろう人が?」

「本日は『ホテル・ラルキア会長の代行であるエリーゼ・ブルクハルトの付添人』ですからね。それに……まあ、こういう場所では」

 ホラ、とグラスで指した先。多くの男性に囲まれて、シックな黒のドレスを着こんだエルを見ながら。

「概ね、女性が主役ですよ」

「そういうモノですか?」

「権力者の多くは男性で、男性は見目麗しい女性を好みますから。利用価値の無い若僧など、精々こんな扱いでしょう」

「内心、忸怩たるものがあったりします?」

「現状ではあまり、ですね。むしろ、小さい頃からチヤホヤされなれていない分、マシな方でしょう、私は。それに、『尺度』にもなりますし」

「尺度?」

「現状、今の自分はどの程度の『位置』にいるか。このフレイム社交界での正確な立ち位置を図るには格好の機会ですよ、これは」

 泰然とした態度ではっきりそう言い切るクラウスに少しだけ驚いた様な視線を向けた後、浩太はゆっくりとグラスに口を付けた。

「なるほど。そういう考え方もありますか」

「後ろ向きに考えるよりは楽しい考え方と自画自賛していますが」

「仰る通りですね」

 でしょう? と笑って見せて、クラウスはテーブルの上に置かれたローストビーフの様な食べ物に手を伸ばす。

「……うん、美味しいです。コータさんもどうですか?」

「頂いていますよ。ただ……あまりに高級品ばかりで、正直胃が受け付けません」

 情けない顔でそんな可哀想な程小市民な事をのたまう浩太。

「少しは慣れないと厳しいですよ? 今後……そうですね。九人委員会と丁々発止で渡り合おうと考えているのであれば。料理はともかく、この夜会の様な『雰囲気』は必ず付きまといます。コータさんに言うのは少々憚られますが……交渉事はノまれた方が負けですよ?」

「善処します。まあ、出来るかどうかは微妙ですが」

 いつに無く弱気な台詞を吐く浩太のそんな姿に、少しだけクラウスが驚いた様な視線を向ける。その視線に敏感に気付いた浩太が苦笑交りに口を開いた。

「意外、ですか?」

「ええ。それこそ、ホテル・ラルキアで見事な『演説』を披露して下さった貴方が、失礼ながらこの雰囲気にのまれるとは少し、想像が付き難いのですが……」

 尤もと言えば、尤も。そんなクラウスの言葉に、浩太は少しだけ遠い目をして見せて。

「笑いません?」

「笑いますよ」

「そうですか。それでは――え? わ、笑う?」

「面白い話なんでしょう? 推測するに、あの『魔王』の失敗談だ。きっと、とても面白いでしょう。そりゃ、笑いますよ?」

「……普通、そういう時は嘘でも『笑いません』って言いません?」

「赤の他人なら気を使いますが、『友人』には気を使いませんので。それに私も散々、恥ずかしい過去をお話したじゃないですか」

「……やっぱり、貴方はシオンさんの御友人ですね。そういう所、よく似ていると思いますよ?」

「類は友を呼ぶのでしょう」

 そう言って、暗に早く話せと言わんばかりのクラウスの視線に、溜息一つ。諦めた様に浩太は口を開いた。

「昔……ええっと、私がヤメートに居た時です。当時の上司の付添いで、とあるパーティーに参加したんです。お取引先様の周年祝賀会で……確か、百二十年記念、でしたか? その祝賀会に呼ばれたのですよ」

「それで?」

「まあ、そのお取引様はヤメートでも結構大きな取引様だったんですよね。ヤメートの政界の実力者達も参加する様なパーティーでして、こう、上司から脅された訳ですよ。『いいか、松代。絶対、粗相するんじゃないぞ? お前だけじゃない。俺達皆の首が飛ぶ』って」

「……それは」

「まあ、とんでもなく緊張した訳ですよ。今回みたいな立食形式でしたのでテーブルマナーはさほど重視していませんでしたが……そもそも、そんな『雲の上』のお偉方とお話する機会なんてこれっぽちも無かった二十代前半の若僧です。まあ、緊張して緊張して」

「……」

「……話は変わりますが、私は決してお酒が強い訳では無いです。そんな私が、極度の緊張の中、それを紛らわす様にお酒を飲み続けたら……どうなると思いますか?」

 浩太の言葉に、ゴクリと、クラウスが唾を飲む。

「……どうなったんです?」

「取りあえず、上司は一週間程私と目を合わせてくれませんでしたね。私自身、『ああ、これは終わった』と思いました。正直、クビが繋がったのが奇蹟に近いです」

「……そんなに、ですか」

「何が怖いって、あんまり記憶が無いんですよね。ただ、断片的に覚えているのは」

「……覚えているのは?」

「頭髪の薄い方の頭をペシペシ叩いていた様な気がするんです」

「……」

「恐らく気のせいだとは思いますが、なんとなく首相……ええっと、ヤメートの宰相に似ていた様な気がするんですよ」

「……お酒、やめときますか?」

「今日は大丈夫ですよ。自制していますし。それに、私も強くなったんでしょうか? 最近は記憶がなくなるまで飲む事も無いですし」

 この場にエミリが居たら『なにを言っているのですか、コータ様!』と突っ込んでいただろうが、生憎エミリは不在である。

「まあそういう訳で……一種、苦手意識があるんですよ、こういうパーティー的なモノに」

 松代浩太は基本、失敗から学ぶタイプの人間である。トライ&エラーを繰り返してモノにして行く人間であり、初めから何でもかんでも巧くこなせるタイプの人間では無い。実地で失敗したからこそ身に付くと云う事もあるので一概にこれが悪いとは言わないが、それでもそれは前提条件として『失敗してももう一度挑戦できる』という環境が必要だ。生憎、浩太は二度とこういう『お偉方』が参加するパーティーに呼ばれる事はなく、結局失敗のまま時だけが過ぎてしまい、言ってみれば『トラウマ』になってしまっているのだ。

「……済みません、何だか笑えない話なのですが」

 面白かったら笑う、と言っていたクラウスだが、色々と思う所があるのだろう。何処か神妙な、それでいて生暖かい視線を浩太に向けた。

「……それにしても大変なのですね、お菓子屋さんも」

「お菓子屋さん?」

「ええ。だってコータさんのご実家、お菓子屋さんなんでしょう? ヤメートでも結構歴史のある」

 何を言っているんですが、と口を開きかけ、その口を閉じる。

「え、ええ。そうなんです。結構大変なんですよ、お菓子屋さんも!」

「きっと修行とも大変なのでしょうね。『上司』と言う方は、先輩の職人か何かですか? 普通、中々後継者には厳しい事を言えないモノですが、『首が飛ぶからきちんとしろ!』と言えるとは、出来た従業員さんが――」

「そ、その話はもういいでしょう! そ、そんな事より……こういう言い方はアレでしょうが随分、お金かかっているでしょうね、コレ」

 これ以上話したらボロが出る。そう判断し、『何時か必ず打ち明けますから』と心の中で手を合わせ、強引に話題の方向転換を図る浩太。

「お金とは……夜会の事、ですか?」

 無事、方向転換に成功。

「ええ。詳細については分かりかねますが、料理もサービスも一流でしょう?」

「ランプを灯す油もそうですしね。まあ、そういう事に気を使っていては夜会などはとても出来ませんから。ちなみに、一つ自慢させて頂いても?」

「どうぞ」

「この料理、ホテル・ラルキアの料理人が作っています」

「……流石、名門ホテル。王族御用達は違いますね」

「まあ、全部が全部という訳ではありませんが。王城にも当然料理人が居りますし。ただ、こういう大規模の夜会になるとどうしても王城の料理人だけでは手が足りず、それでも質を落とさない料理を作ろうと思うと」

「ホテル・ラルキアからヘルプが出る、と」

「ヤらしい話、金額も良いんです。王城は値切りませんし」

 そう言って、『なんなら人材派遣業に転換しましょうか』なんて茶目っ気を含めた笑みを浮かべるクラウスに、浩太は肩を竦める事で応えて見せる。

「それもアリかも知れませんね。どうせならこの場に居るメイドの方々もホテル・ラルキアで派遣を為されたらどうですか?」

「そうしたいのは山々ですが……残念ながら、王城に居るメイドの方々は優秀な方が多くて。貴族の子女が行儀見習いを兼ねて出仕されておられますので、ホテル・ラルキアから派遣、は少し難しいですね」

「冗談ですよ?」

「分かっています。まあ、そういう訳で――」



「――この、バカ野郎! それじゃねーって言っただろうが!」

「ふ、ふぐぅ! で、でもフローラ!」

「でもじゃねーよ! どうすんだよ、これ!」

「ま、任せて下さい! こんな事もあろうかと、予備も用意しています」

「ああ、そうか。それじゃ――って、なんだよそれ!」

「へ? これはアレです! 絨毯です!」

「絨毯で代用できると思ってんのかよ!」

「敷けばいいんですから、いいんじゃないですか?」

「適当すぎんだよ! このバカノエ――」



「……」

「……」

「……優秀?」

 会場の隅っこの方で怒鳴るメイドと、何故か絨毯を広げて得意満面な笑みを見せるメイドから視線と意識を逸らしながら、浩太は眼前のクラウスに視線を投げる。心持、引き攣った様な笑みを見せるクラウスはそんな視線に晒されながら何とか言葉を継いだ。

「ま、まあ……概ね、優秀です」

 無理やり捻りだしたかの様なクラウスの言葉に、浩太も曖昧な頷きを返す。メイドが優秀だろうがそうで無かろうが、まあ浩太の知った事では無いし。

「それで――」



「――居た!」



 喋りかける浩太を遮る様、野太い大音声が浩太の後ろから大広間に響き渡る。一瞬、広間の空気が止まり何事かと音源に視線を飛ばした参加者達だが、その音源を特定すると何事も無かった様に談笑に戻って行った。

「……またですか」

 額に手をやり、はーっと大きな溜息を吐いて見せるクラウスに首を捻りつつ、浩太も音の出所を探ろうと視線を後ろに飛ばして。


「――お前が、コータ・マツシロだな!」



 熊が、居た。



◇◆◇◆◇


 熊がいる、と浩太は思った。しかし、この王都ラルキア、それも夜会のど真ん中に熊などがいるはずが無い。つまりそれは熊の様な体型をした人間、という事だ。

「おうおう! 逢いたかったぜ、コータ!」

 しかし、熊にしか見えない。加えて言えば、結構年を――どころか、老人と称して可笑しくない年齢の割には、無駄にエネルギッシュな熊人間が。

「あ、コータって呼ばして貰うからよ! イイだろう? な!」

 疑問を投げかけながら、返事も聞かずに承認。或いはただの確認、熊はのしのしと擬音が付きそうな歩き方をしながら浩太の肩を叩いた。

「――っーーーー!」

 力強く。

 あまりの激痛に思わず肩を抑えて蹲る浩太に『あれ?』という顔を浮かべ、その後頭を掻いて見せる熊。

「いや~、わりーわりー。力加減、誤まっちまった。大丈夫か、コータ?」

 痛みで声にならない声を上げる浩太の肩をむんずと掴み、立ち上がらせる。その力強い握力に、先程の痛みとの相乗効果を浩太は味わった。壊滅的に痛い。

「――っつ!」

「にしても……軟弱だな。お前、もうちょっと鍛えろよな?」

 眼光鋭い視線に、浩太は思う。



『喰われる』と。



 別に衆道的な意味合いではなく、純粋に『食事』にされると、掛け値なしでそう思い、助けを求める様に視線を隣のクラウスに向ける浩太。正直、ちょっとだけ涙目だ。

「……閣下。そろそろコータさんを放して差し上げて下さい」

 呆れ果てた様な声をあげるクラウスに、比喩抜きで後光が差して見えた。

「ん? ……おお! クラウス! クラウスじゃねーか! 元気にしてたか?」

「貴方ほどじゃありませんが。そんな事より」

「ああ、わりーわりー」

 掴んでいた肩を離す熊。あまりの痛さに、もう一度肩を抑えて蹲る浩太に、クラウスが背中を撫でながら優しく声を掛けた。

「大丈夫ですか?」

「だ、だいじょばないです!」

「だ、だいじょばないですか。ああ……そ、そうですね。最初っからカール閣下の顔と声は怖かったでしょうね」

 ただでさえ緊張を強いられるこの会場で『熊』に遭遇、だ。幼児退行したかの如く、こくこくと首を上下に振る『珍しい』浩太にクラウスも苦笑を浮かべるしかない。

「えっと……ご紹介、させて頂きますね。こちらの一見、熊にしか見えない大男の方はカール・ローザン侯爵閣下。王都ラルキアの西方、ローザン地方を領す貴族で……非常に残念なことに、現在の近衛騎士団長を務めておられます」

「おい! 何が残念だって!」

「良いんですよ、そこはどうでも。それで……えっと、閣下? コータさんの事はご存知で?」

「あったりまえだ! 俺はな! コータのせいで『判子を押す簡単なお仕事』を延々やらされたんだからな!」

「……はい?」

「まあ、そんな事はどうでも良いんだよ。それよりもコータ、ようやく逢えたな! うし! ちょっとツラ貸せや!」

「……へ? つ、ツラ貸せ? ちょ、え、ええ!」

「か、閣下! 何ですか、いきなり!」

「うっせーな、クラウス。なに、別に乱暴な事をしてーわけじゃねえだよ。ちょっと話がしたいだけだから、お前は黙ってろ」

「黙ってろって! いや、閣下! それは」

 クラウスの制止を振り切り、カールはもう一度浩太の肩をガシリと掴む。そのまま、浩太を引きずって行こうとし。



「――あら。随分、ご無沙汰してましたわね、ローザン侯爵様?」



 不意に聞こえた、鈴の鳴る様な音。その声に、進めていた歩みを止めてカールは振り返り。

「……驚いた。馬子にも衣装ってのはこの事だな、コータ」

「……それが貴方の遺言ね、カール?」

 感嘆の声で小馬鹿にした様な事をのたまうカールに、声を掛けた本人――エリカの視線が冷たいモノに変わった。そんな変化を気にも留めず、カールは口を開いた。

「いや、本気でびっくりしたんだって。前見た時はこーんな――」

「いや、おかしいから。その大きさだったら、私、小人だから」

「こーんな小さな娘っ子だったのに、大きく――」

 そこまで喋り、カールはエリカの胸元に視線を止めて。


「――大きくなって!」


「……ねえ、カール? コータじゃなくて私と話し合いましょうか? 大丈夫、痛いのは最初だけだから」

「おお、すげー! 普通ならちょっと色っぽく聞こえるのに、全然そうは聞こえねーな!」

「ちょ、何処見て言ってるのよ!」

「ん? 胸」

「――なっ! は、はっきり言い過ぎよ! 大体、失礼でしょ! 人の……そ、その、む、胸を! 胸をそんなにじっと見るなんて!」

「もうちょっと観賞に値する大きさになってから言えよな、そんな一丁前な台詞は」

「な、なんですってー! か、カール!」

「ははは、わりーわりー。でも、お前だってそう思うよな、コータ?」

「そうなの、コータ!」

「って、え? わ、私? いや、私は別に、その、大きさに拘っては……」

「おいおい、嘘はダメだぞ、嘘は。誰だって小さな肉より大きな肉がイイに決まってるよな? それと一緒だ。小さな胸より、大きな胸。これ、真理だろう?」

「い、いえ、それは少し無理が……ある?」

「今、疑問形だった! おい、聞いたか、エリカの嬢ちゃん! こいつ、巨乳好きだってよ!」

「ちょ、な、なんでそうなるんですか!」

「そうなの、コータ!」

「え、エリカさんまで! ちょ、人の話を聞いて下さい!」

 カオス。此処が夜会の会場であるとか、周りの好奇な視線に晒されているとか、そういうのをお構いなしに騒ぎ続ける三人に、クラウスは今日一番の盛大な溜息を吐いて見せた。


◇◆◇◆◇


「……それで? 何の用よ?」

 大広間から抜ける事が出来る中庭。空には満天の星が輝きを落す中で、エリカは連れ立ってやって来た熊――カールに、鋭い視線を向ける。

「でもな……コータだって好きだろ? 巨乳」

「あ、いえ……それは……べ、別に嫌いではないですが」

「……最後には怒るわよ、私も?」

 そんなエリカを無視するかの様に話を続ける二人に、額に青筋を浮かべる。関係ないが浩太にはエリカの後ろに『夜叉』が見えた様な気がしたとか、しないとか。

「もう怒ってる人間が言う台詞じゃ――わかった、わかった。俺が悪かった。だから、まあ、そんなに怒るなって」

 尚も軽口を叩こうとしたカールが、エリカの表情を見て両手を挙げて降参の意を示す。まあ、あれである。基本、美少女のエリカがしちゃダメな表情であったとだけ言っておこう。そんなエリカの表情に溜息を一つ吐いて見せ、カールは口を開いた。

「……まあ、用って程大した用じゃないけどな」

「それじゃさっさと帰りなさいよ」

「手厳しいな、おい! いや、それでも全然用が無いって訳じゃないんだよ。いやな」

 そこまで喋り、視線を浩太に向けて。


「――ホレ、『召喚』された勇者様、つうのをちょっと見てみようかな、と思っただけだ」


 何でも無い様にそういうカールに、思わずエリカが息をのんだ。

「……貴方。知って――」

「俺は一応『近衛騎士団長』だからな。そりゃ知ってるさ」

 驚きで目を見開くエリカに肩を一つ、竦めて見せて。

「『勇者召喚』なんて絵空事、実行しただけで大したモンだ。シオンもまあ、よくやったとは思うよ。でもな? 『勇者召喚』だぞ、『勇者召喚』? 一体、どんなバケモノが召喚されたか、気になるに決まってんだろうが」

「……」

「近衛は陛下の剣であり、盾だ。件の勇者様ってやつが、陛下に、国家に仇なす輩なら、それを斬って捨てるのも俺の仕事だからな。まあ、そんな訳で俺は一目お前を……コータ・マツシロを見てみようと思ったんだよ。自分の目で確かめて、斬るか斬らないか、それを判断しようと思ったんだが」

 不意に、表情を情けないソレに変えるカール。一人百面相の様で少しだけ面白い。

「そう思って王城訪ねたらよ? 行き違いになって、ロッテに仕事押し付けられた。あのクソジジイ、『どうせお前は暇だろう?』とか言いやがって……」

「それは……ご愁傷様、と言っておきましょうか」

 言葉を引き継ぐよう、そう言って浩太は慰めの言葉をカールに掛ける。その後、表情を引き締めてカールに視線を送った。

「……それで?」

「それで、って?」

「私は此処で『斬って捨てられる』のでしょうか?」

「今の段階ではそんな事はしねーよ。大体、一遍、逢ったぐらいで全部分かる程俺は人物眼に優れてるわけじゃねーしな」

「……では、私にその事を言うメリットは?」

「メリット?」

「ええ。もし、私がフレイム王国に『仇』を為す存在であれば貴方は私を斬って捨てるのでしょう? ならば、それを私に喋れば警戒もします。そうすれば、貴方の『仕事』がやりにくくなるのでは?」

 浩太のその言葉に、きょとんとした表情を浮かべるカール。その顔に、徐々に、だが確実にある表情が浮かぶ。

「――っく……くくく……はははは! あーっはははは!」

 笑み。

 愉悦に、楽しそうに歪んだその顔を抑える様、右手で顔を覆い隠し。



「――舐めるな、小僧」



 その指の隙間から覗く瞳に込められた明確な殺気に、浩太の背中に冷たい汗が流れる。が、それも一瞬。カールの目からその殺気は消え失せ、先程同様ののんびりとした表情を浮かべる。

「コータがどう思っても、どんな防衛手段を講じても関係ねーんだよ。国家の、陛下の害となるモノはどんなモノであろうが排除する。『近衛』っていうのはそういう組織だ。表立って敵対していなくても、泣いて助けを求めて来ても関係ねーぞ? 俺らが『敵』と認識すればそれは即ち『国家の敵』だ。それがどういう事か……分かってるよな、エリカの嬢ちゃん?」

「……そうね。『近衛』はそういう組織ですもの」

 カールの言葉に、エリカが肩を竦めて見せる。その仕草と言葉に満足した様に頷き、尚も言葉を発しかけて。

「でもね?」

「……うん?」

「近衛の頂点に立つ貴方の前で言う事じゃないんでしょうけど……でもね、コータ」

 カールの言葉を押し留めたまま、エリカは笑みを。

 とてもとても綺麗な笑みを、コータに向けて見せる。

「安心しなさい、コータ。貴方を守る為であるなら、私はどんな卑怯な手も、どんな卑劣な手も、どんな汚名を被る手段であろうと確実にそれを選び、実行するから。例え――近衛を敵に回したとしても、絶対」

 エリカの言葉に、カールの眉がピクリと動く。口の端を醜く歪め、エリカをまるで睨みつける様に視線を向けた。

「……近衛の団長の前で言う事じゃねーぞ?」

「そうでしょうね」

「なんだ? 惚れたか?」

 そんな視線を意にも介さず、先程よりも極上の笑みを浮かべ。


「そうね……少なくとも、『近衛を敵に回してでも守りたい』って思うほどには、大事よ?」


 威厳すら見せてそう言うエリカの言葉に溜息一つ。カールは肩を竦めて見せた。

「近衛を敵に回しても守りたい、ね。そりゃお前、フレイム王国を敵に回すってのと同じだぞ? ったくどんだけベタ惚れなんだよ」

「ご想像にお任せするわ」

「そういう色気のある話は、もうちょっと胸が出てから言えよな」

「む、胸は関係ないでしょ!」

 先程までの威厳は何処へやら、一気に『いつも通り』に戻るエリカに、先程よりも長い溜息を吐いて、カールは浩太を見やった。

「おい、幸せ者。そう言う事らしいけど……ま、その心配はねーよ」

「心配はない?」

「ロッテに頼まれたんだよ。『お前の、その無駄にでかい体で陛下と――それに、松代殿を守ってくれ』ってな」

「ロッテさんがですか?」

「ああ。一体、どんな面倒事に巻き込まれてるか知らんが……あのロッテが、頭を下げたんだ。天上天下唯我独尊、王府のヒラの下っ端だった頃から上司にすら頭を下げた事が無いロッテが、だぞ? 俺に『頼む』ってな。幻覚見る様になったら団長も引退かな、なんて思っていたが……残念ながら、幻覚じゃなかったようだ」

「……」

「詳しい事は俺も知らん。ロッテは元々、あんまり自分の事を語る奴じゃねーしな。だが、そのロッテがわざわざ俺に……多分、初めて頭を下げたんだ。ロッテには散々我儘聞いて貰ったが、ロッテが俺に頼み事するなんてまずねー。そら、聞いてやろうか、とも思うだろ?」

「……護衛、ですか」

「まあ、そうは言っても四六時中俺らが張り付いて居られるわけじゃねえ。近衛が陛下以外を守るなんて前代未聞、その上、それが何処の素寒貧かもわかんねーお前じゃ逆に『重要人物に付き、狙って下さい』って言ってるようなモンだしな。あくまで遠目から、つう体裁になる。俺に肩掴まれたぐらいで音をあげている様じゃ話になんねーぞ?」

「御忠告、痛み入ります」

「おう。痛みいっとけ、痛みいっとけ。ま、そういう事だから……そうだな。気が向いたら近衛の詰所でも訪ねてこい。護身術のさわりぐらいは教えてやれるだろうからな」

 喋るだけ喋り、じゃあなと背を向けて室内に――パーティー会場である大広間に向けて歩いて行くカール。その去りゆく背に向けて。

「カール侯爵閣下」

「カールで良いぞ~。侯爵閣下なんて痒くなる」

「では、カールさん」

「ん~?」

 立ち止まる、カールに向けて。


「貴方は『ロッテ・バウムガルデン』という人を、どう見ていますか?」


「……」

「私では測りかねる、ロッテ・バウムガルデンという人間を、カールさんはどう見ていますか?」

 聞いてみたかったのだ。一体、この王国近衛騎士団長は、『ロッテ・バウムガルデン』というフレイム王国の『鵺』に対して、どの様な評価を持っているか、を。

「ロッテがどんな奴か、ね」

 振り返り、うーんとばかりに視線を中空に向けるカール。そんなカールを視界におさめ、浩太は言葉の続きを待った。

「……俺はな? ロッテと四十年以上の付き合いになる」

「はい」

「そして、俺はロッテと出逢った時からずっと『近衛』だ。国家と陛下に害為す人間を討つ、『近衛』で在り続けている」

「……」

「まあ正直何考えてるかわかんねーところもあるし、色々、誤解されやすい奴ではある。やり方だって褒められた方法ではねーし……巧くいえねーんだけど……まあ、そうだな」


 ――恐らく、『この国』の事を一番真摯に考えているのはロッテ・バウムガルデンだと思うぞ、と。


「ま、そんなに悪い奴じゃねーさ。一応、俺のツレでもあるし、お前もあんまり嫌わないでくれたら嬉しいかな?」


 今度こそ終いとばかり、ヒラヒラと手を振るカールを、浩太は黙って見送った。



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