第七十五話 ホテル・ラルキアでの再会
報告が三つあります。
①フレイム王国興亡記二巻 七月二十五日発売です。
⇒詳細はまた活動報告にて。
②ゆーげん先生、コミックマーケットの表紙をご担当!
⇒さっすが!
③御免、来週ゴルフだ。
⇒更新、難しいかも。
そういう訳で七十五話です。今回はあのカップル再登場です。
「……痛い」
「大丈夫ですか……と聞くのもアレですけど、大丈夫ですか?」
「『アレ』? アレとは何だ! 誰のせいでこうなったと思ってるんだ!」
ラルキア王城から北へ一直線に伸びる大通り。ホテル・ラルキアへ続く道を歩く浩太は、隣で後頭部を押さえながらブツブツ呪詛の言葉を漏らす女性――赤毛を高い位置で結ったポニーテール姿のシオンをジト目で見やりながら、思わぬ反撃に一瞬たじろぎ、その後溜息を吐いて見せる。
「誰のせいって……間違いなく、人の後をつけて来たシオンさんのせいでしょう?」
浩太と綾乃のデート翌日、浩太はシオンと連れ立って街を歩いていた。
王城内に宛がわれた部屋で読書に勤しんでいた浩太に、『さあ、行くぞ!』と声をかけて来たのはシオンだ。『何を悠長に本など読んでいるんだ! 時間がないんだろう!』と、半ば強引に街に連れ出された上に、やれ頭が痛いだのやれ腰が痛いだのと言われれば、流石の浩太もいい加減うんざりしてくるというモノだ。その上。
「まあ、少しぐらいは同情しますけど」
何せ、自らの『デート』をストーキングされていたのだ。その上で、ソニアに落された頭が痛いと言われても、浩太としても中々同情はし難い。むしろ『少し』でも同情する浩太はどちらかと言えば人が好い、と言っても良い。
「お前らが私達をまかなければこんな事にはならなかった!」
「本気で言ってるんだったら一周回って尊敬するんですけど、その理論」
先程よりも視線の『ジト目』度合を強める浩太。そんな視線にふんっと鼻を一つシオンは鳴らして見せる。
「本気の訳が無かろう。だが、もう少し同情してくれても罰は当たらんと思うぞ」
「もっと同情しろと?」
「有体に言えばそうだ」
「……どの口が言うんですか、貴方」
相変わらずのシオンの『シオンっぷり』に思わず溜息も出る。
「……大体、そんなに頭が痛いならゆっくり休んでいれば宜しいじゃないですか、いいですよ、今日じゃなくても」
「そういう訳にも行くまい。先日の話では時間もあまりないしな。ある程度、話を付けて置かないと後々不味い事になっても困ろう」
何でもない様にそういうシオン。相変わらず後頭部は押さえたまま『あー痛い』なんてブツブツ言いながら歩くその姿を見やり……少しだけ、意外そうな声が浩太の口から漏れた。
「……どうしたんです、シオンさん? 頭でも打ち――ああ、打ったんでしたよね? だ、大丈夫ですか? え? ちゃんとお医者さんに診て貰いましたか?」
「……どういう意味だ、ソレは」
心底心配した様子を見せる浩太に、ジトっとした目を見せるシオン。
「え? だってシオンさんですよ? 天上天下唯我独尊を地で行くのがシオンさんじゃないですか」
「失礼な奴だな! 私の事を何だと思っているんだ!」
「我儘な人だと思ってますが?」
「……本当に失礼だな、お前は」
長々と溜息を吐き、シオンは先程よりも胡乱な目を浩太に向けて見せた。
「まあ、お前の言っている事も分からんでも無いが。私は基本、自らのしたくない事はしない。自らが学びたいという欲求のまま、自らに都合の良い環境に自らを置き続けて来たからな。我儘は我儘だ」
「羨ましい話ですよ、本当に」
「生まれた環境も良かったな。仮に私が魚屋の娘であれば、勉強をしたいと思っても『そんな事をする暇があるのなら店を手伝え!』と叱られていただろうしな。まあ、それはどうでも良い。とにかく、私は自らのしたい事を自由にし続けて来た。だが、その代り自らのした事に『責任』は取りたいと思ってはいる」
「責任?」
「お前を『召喚』した事、後悔はしていないと言ったのを覚えているか?」
「……ええ」
「実際私はコータ、君を召喚した事を微塵も後悔はしていない。後悔するぐらいなら最初からしないさ。私はお前を召喚し、その咎を一生背負い続ける覚悟を持って召喚を行った。嘲りも、罵りも、恨み辛みも、侮蔑も、その全てを受け入れる覚悟でな」
だが、実際はどうだ、と笑って。
「そんな私の我儘にも拘わらず、お前は笑って許してくれた。ならば、その恩義には応えなければ行けないだろうし、召喚したお前を『不幸』になどせず、『幸福』にする義務が私にはあり、お前には『幸福』になる権利がある」
「……」
「自らが召喚しておいてどの口が、と思うだろうが……コップから零れた水は、再びコップに戻す事は出来ん。ならばせめて、零れた水を綺麗に拭く為のハンカチと、再びそのコップを満たすだけの水を持ってくるのは私の責任だろう?」
「コップを自ら零しておいて?」
「コップを自ら零したから、だがな」
そう言って、もう一度綺麗な笑みを見せてその足を止めた。
「アヤノはこう言っていた。『私は、浩太の味方であり続ける』と。そう言った意味ではコータ、私もアヤノと一緒だ。この世界で誰が敵に回ろうが、私はお前の味方であり続けるさ。それが私の義務であり、贖罪であり――」
そして、『我儘』だ、と。
「……まあ、難しい話はいい。とにかく、私がしたくて勝手にやっている事だ。何時でもシオン・バウムガルデンは平常運転、頭が痛かろうが腰が痛かろうが、そんなのお前が気にする必要は無い。私の我儘だからな」
「……ありがとう、ございます」
「お礼を言われる事では無いさ」
そう言ってパン、と両の掌を打ち鳴らすシオン。この話はこれでお終いと言わんばかりににこやかに笑んで見せて。
「さあ、コータ? 行こうか?」
「ええ」
目の前にそびえるソレ――『ホテル・ラルキア 本館』を見つめ、もう一度二人で笑い合い、建物内に足を踏み入れた。
◇◆◇◆◇
「「――出張?」」
そうやって勢い込んでやって来たホテル・ラルキア本館。
『久しぶりですね、コータさん! ……と、シオン』なんて一幕がありながら通された総支配人執務室で、異口同音、図らずも声がハモる二人を眼の前に、ホテル・ラルキア本館総支配人にして、ホテル・ラルキア三百年の歴史で初めて、二十代で経営会議のメンバーに名を連ねるクラウス・ブルクハルトは執務室の隅にある応接セットに腰をかけたまま、苦笑を浮かべて頭を下げた。
「ええ。アドルフ会長は現在、ダニエリ分館に行っております。戦後慰問という事で」
「役員督励、ですか。それにしても、会長自ら足を運ぶのですか?」
「『決まった仕事の無い、暇な私が行くのが一番良い』と言っておりました。決裁頂く書類は山の様にあるのですが……まあ、純粋に心配なんですよ。従業員が」
困ったものです、と言いながら、それでも言葉の端々に誇らしげなモノを見せるクラウス。一従業員の安否を心配し、戦争は終わったと言ってもまだまだ何があるか分からない危険な場所に自ら足を運ぶ事を厭わないアドルフ・ブルクハルトという、自身の目指す男のその生き様を誇らしく思う気持ちをクラウスから感じ取り、浩太の顔も少しだけ綻ぶ。
「そうですか。こういう言い方は失礼かも知れませんが、ご立派です」
「本当に。敵わないぐらい、立派ですよ」
苦笑をし、それでも誇らしげな色を失くさないクラウスに苦笑をしかけ。
「……ご無沙汰しております、コータ様」
不意に背後からかかる声。そちらの方向に視線をやると、浩太の見知った顔がシルバーに乗せたカップを手に持って立っていた。
「お久しぶりです、エリーゼさん」
どういう手入をすればそうなるのか、まるで宝石の様にキラキラと輝く黒髪と、オルケナでは珍しい、黒曜石の様な漆黒の瞳を持つ美少女にして……若干、残念臭のする美少女、エリーゼ・ブルクハルトだ。
「紅茶ですか? わざわざ済みません」
「コータ様とシオン様が来られたとお聞きしましたので、とって置きを出させて頂きました」
冷めない内にどうぞ、とソーサーとカップを置き、紅茶をソレに注ぐ。芳醇な香りがさして広くない部屋を満たす。その香りを楽しむ様、眼を閉じた浩太の耳に、『うん?』というシオンの言葉が耳に入った。
「……おい、コータ」
「何ですか?」
「何を似合わない事をしている。そんな事よりおい、見て見ろ」
「……自分でも思いましたけど。いいじゃないですか、偶には紅茶の香りに浸ってみても」
「そんな事はどうでも良い。それより、見ろ」
「見ろって……何が?」
「相変わらず鈍いな、お前は。エルだ」
「エリーゼさん?」
「そう。エルの左手だ」
「左手って……あれ?」
言われるがまま、浩太がエリーゼの、その左手に視線を飛ばし気付く。左手の薬指に光る物体――指輪の存在に。
「えっと……あれ? もしかして?」
説明を求める様に、視線をクラウスに向ける。エルに向けない辺り、浩太も良く『分かっている』と言っていいが……それはともかく、視線を向けられたクラウスは少しだけ照れくさそうに頬を掻く。良く見れば、その左手の薬指にもエル同様キラリと光る指輪が納まっていた。
「ええっと……まあ、はい。実は……婚約、しまして」
照れくさそうにそう言うクラウスに、浩太の顔も綻んだ。
「そうですか! おめでとうございます!」
「あ、ありがとうございます。少し照れくさいのですが……まあ、はい」
困った様な、それでいて嬉しそうに笑うクラウスに、浩太もますます相好を崩す。アドルフに逢えなかったのは残念ではあるが、これはこれで嬉しいモノだ。
「戦争も終わりましたし、もう少し落ち着いたら式を行う予定です」
「そうですか! いや、本当にめでたい!」
「本当だな。それにしてもクラウス……いや、エルか? 水臭いぞ、エル。内緒にしているなんて」
口で言うほど恨んではなさそうに、それでも少しだけ非難がましくシオンはエルを見やる。そんなシオンの視線にさらされながら、それでも向けられたエルはつとめて冷静に言葉を返した。
「内緒にしていた訳では御座いません。ご報告に伺ったのですが、出張に行っているとお伺い致しましたので」
「そうなのか?」
「ええ。クラウスおに――いえ、『クラウス』のみならず私にも大恩あるお二人ですので。何を差し置いてもご挨拶には伺いますよ」
「そ、そうか。それは……何とも照れくさいな」
「ええ。まあ、ちなみにベロア様にはご報告するつもりはありませんが」
「……してやれよ、あいつにも」
「冗談です。流石にクラウスの親友ですので、報告はします。尤も、報告しない方が『おいしい』とか言い出しそうですが、ベロア様は」
「いや、流石にベロアも親友の結婚を知らなかったら喜ぶより先に拗ねると思うぞ」
「そうですね。拗ねられるのも面倒臭さそうですので、ご報告はします」
「……扱いが酷過ぎるだろう、流石に」
そう言って、ベロアをこき下ろす二人を横目に見ながら浩太は自身の鼻先を指差しながら、クラウスの方に向き直った。
「シオンさんはともかく……私に何か『大恩』があるんですか?」
「エルとの結婚が認められたのも、先日のユナ・ラルキアホテルの功績が認められて、の事です。尤もホテル名は『ラルキーナ』に変わりましたが……それでも、あの『業績』自体がコータさんのお力のお陰です」
「そんな事は無いでしょう。アレはクラウスさんと……そうですね、ベロアさんのお陰ですよ」
「無論、ベロアには感謝していますし、自身の力を不当に過小評価するつもりはありません。ですが……それでもやはりコータさんのお陰ですよ」
「そ、そこまで褒められると恥ずかしいのですが……まあ、私は私に出来る事をしただけです。それほど大した事はしていませんよ」
クラウスがした様、今度は浩太が恥ずかしそうに頬を掻く。その仕草を少しだけ眩しそうに見つめ、クラウスが言葉を継いだ。
「……エルはホテル・ラルキアの一人娘です。その一人娘を娶る、と言う事は多分に政治的な意味を持ちます。ああ、勘違いしないでくださいね? 私も……そして、きっとエルも、お互いに愛し合っていると信じていますが……それでも、『結婚式』自体は次期後継者としての私の『お披露目』も兼ねたモノになるでしょう」
「そうでしょうね」
「それとは別に、ごくごく『身内』での結婚式も行いたいと思います。エルの友人、私の友人、そういった身近な人間が集まる、そんな小さな披露宴を行いたいと思っております。ですから、コータさん」
貴方も、参加して頂けますか? と。
「……宜しいのですか? 私が参加しても。御友人だけの結婚式では?」
「私が貴方の事を『得難い友人』と思っているのは、もしかしたら非礼ですか?」
そう言って、苦笑交じりに笑んで見せるクラウス。
「……」
「ダメ、ですかね?」
少しだけ、困った様なクラウスのその態度。それが何だか可笑しくて、浩太も苦笑を返し。
「……結婚式には、どんなお祝いをお持ちしたら喜んで頂けますか?」
瞬間、嬉しそうに破顔するクラウスに、浩太の胸の奥が少しだけ暖かくなる。
「コータさんのセンスにお任せしますよ」
「あまり自信が無いですね、それは」
「変なモノで構いませんよ? 存分に笑って、新婚生活の潤いにさせて頂きますので」
「酷い話だ」
「友人なら、当然でしょ? ベロアにだったらそうしますから、私は」
苦笑の中に、喜びを。
『一番の親友』と同じ扱いをするというクラウスのその言葉に、喜びを噛みしめながら。
「でしたら唸る程の逸品を見繕いましょう。私に一生、頭が上がらない様なモノを」
「ええ、楽しみにしておりますよ」
そう言って、もう一度二人で笑い合う。その後、思い出したかの様にクラウスが口を開きかけて。
「しかし……意外だな、エル。念願のクラウスとの結婚だぞ? お前の事だ。もうちょっとこう『あわあわ』するかと思っていたのだが」
「既に『ソレ』は経験しましたので」
「そうなのか?」
「ええ。三日ほど休暇を頂きました。ああ、言っておきますが別に嬉しすぎて失神したりしたわけではありませんよ? ただ、戻らなくなったので」
「戻らなくなった、とは?」
「顔が。油断すると頬がだるんだるんになってしまいます。今は、意思の力で何とかなっていますが……正直に言いましょう、自分でも『頭がおかしいのか』と思うほど、気持ち悪い笑顔でした。あの冷静なお父様が、思わずドン引きする程に」
「それは……ああ、でも何となく分かる気がするな」
「でしょう? それもこれも、クラウスおに――クラウスが悪いんです」
「クラウスが悪い?」
「ええ。格好良過ぎるんですよ、クラウスが。『エル、お前を一生離さない』って、なんですか、アレ。反則です。もう、思い出しただけで……えへへ……えへへへへへへへへへへへへへへへへへ!」
「……帰ってこい、エル。そして涎を拭け」
「……」
「……えっと……見なかった事にしましょうか?」
「……ええ。そうして頂けると助かります」
肩を落とし、大きな大きな溜息を吐いて――それでも、優しい視線で愛でる様なクラウスを見やり、『これはこれで幸せなのか』と『苦労しそうだな』という両方の感情を胸中に宿し、浩太は苦笑を浮かべた。
◇◆◇◆◇◆
「……それで、本日はどうされたのですか? 会長に何か用事でも?」
エルが『あっち』の世界から帰って来るのに数十分を有し、ようやく落ち着いてすっかり冷めた紅茶を淹れかえた後。
「用事、というか……まあ、お願い事、ですかね?」
温かい紅茶に口を付けてその味を堪能した後、カップをソーサに置きながらクラウスの質問に浩太は応える。その答えに敏感に反応し、クラウスが片眉を上げた。
「ホテル・ラルキアの会長、アドルフ・ブルクハルトに、ですか。差し支え無ければ……ああ、なるほど。私には喋れない事ですか」
訪問の意図を尋ねかけて、浩太の顔が困った様に変化するのをみとめたクラウスが黙って手を振り、言外に今の質問はなし、という仕草をして見せる。そんなクラウスの優しさに浩太は頭を下げる事で応えた。
「申し訳ございません」
「いえ、きっと『お仕事』の事でしょう。今の私に、それを知る権限が無いのならば『友人だから』と無理に聞き出そうとはしませんよ」
無論、言いたくなったら聞きますが、と付け加えるクラウス。少しだけ躊躇いがちに、それでもそんなクラウスに甘える様に、浩太はおずおずと口を開いた。
「その……アドルフ会長にも勿論なのですが、実はクラウスさんにもお願いがあって本日訪問したのです」
「そうなんですか?」
少しだけ驚き、そして少しだけ嬉しそうにクラウスが表情を笑みに形作る。
「何でも言って下さい。私に出来る事であれば、という注釈は付きますが……お手伝い出来る事は何でもさせて頂きたいと思います」
そう言って、相変わらずのにこやかな笑み。その笑みに力を貰った訳では無いが、浩太は言葉を続ける。
「……『九人委員会』と呼ばれる組織をご存知で?」
「仮にも私もホテル・ラルキアの人間です。勿論、存じ上げておりますが……それが?」
紅茶のカップを持ったまま、質問の意図を測りかねて首を傾げるクラウス。そんなクラウスの目の前に、浩太はポケットに折り畳んだ紙を差し出した。
「これは……ああ、九人委員会のメンバーの名前ですか。これが?」
「今回、私は九人委員会にある『お願い』をしようと思っております。ですが、私が空手で『お願い』に上がっても何だこの小僧と追い返されるのが関の山です。ですから」
どうか、お願いしますクラウスさん、と。
「――この方達の『弱み』を。ホテル・ラルキアの、総支配人である貴方だからこそ知り得る『秘密』を……どうか、ご教授願えませんか?」
そう言って頭を下げる浩太の頭上で、エルとクラウスが息を呑む。一人、平常運転のままで紅茶を啜るシオンが、紅茶のカップをソーサーの上に置いた。カチャっという音が合図、まるで止まっていた時間が動き出したかの様にクラウスが口を開く。
「いやはや……何と言うか、相変わらず想像の斜め上を行かれますね、コータさん」
「そうでしょうか?」
「『九人委員会』はフレイム王国のみならず、オルケナの政財界を動かす人達ですよ? そんな人間の……そんな人間を『脅す』為の弱みを教えろと言われるとは思いませんでしたよ」
シオンに倣う様、クラウスも手に持ったカップをソーサーに戻し、その視線を浩太に向ける。目の中にある光に『心配』の色を認め、浩太はクラウスの言葉を待った。
「オルケナの政財界を動かす、という事は数多くの利権が絡むと言う事です。そして、利権の傍には必ず『闇』があります。コータさん、オルケナ大陸は平和な平和な楽園だと思っておられますか? このラルキアだって、一歩裏道に進めば何があるか、分かりませんよ?」
「勿論、必ずしも無事であると過信している訳ではありません。ありませんがしかし、それでもやる必要がある事です」
浩太とクラウスの視線が絡む。その視線の鋭さに負けたか、クラウスは目の前の紙に視線を落とす。
「――そうですか。貴方のお気持ちは分かりました。分かりましたが……申し訳ございません、私にはお役に立つのが難しそうだ」
「教えて頂けない、と?」
「いえ、そうではありません。そうですね……例えばこの方」
そう言って、クラウスは紙の一番上に書かれた名前を指差した。
「ロドリゲス・ライツ氏。王都ラルキア最大の小麦の取扱高を誇るライツ穀物商会の会長です。御年七十六歳、曾孫まで居ながら先日、十六歳のご婦人を娶られました」
「……年の差六十歳差、ですか。なんというか……とんでもないですね、ソレ」
それを考えれば、ソニアと浩太の十六歳差なんて大した事ないかも知れない。浩太の心の端っこで狂喜乱舞するソニアをやんわりと押しのけ、浩太は言葉を続けた。
「それはつまり……『色』に関する弱みがあるという解釈で間違いありませんか?」
期待を込めた浩太の言葉に、クラウスは微笑を浮かべたまま首を振った。
「……え?」
横に。
「老いて尚盛ん、を地で行っている様な人です。流した浮名の数も両手ではとても足りませんし、私が知っているだけでも正妻やお妾さん以外のお子様も随分おられます」
「隠し子、というやつですか?」
「アレだけ大っぴらにしておいて果たして『隠し』ているか疑問に思いますが、有体に言えばそうですね」
「それは――」
「弱みには成り得ません、勿論」
浩太を遮る様に、クラウスは言葉を続ける。
「無論、本来であれば隠し子の存在は禁忌中の禁忌と言っても良いです。少なくとも、表沙汰になれば……そうですね、私なら確実に失脚するでしょうが――エル? 私には隠し子なんて居ないから、そんな怖い目で睨まないでくれるかな?」
むすっとした表情を浮かべて睨むエルに苦笑を返し、クラウスは咳払いを一つ。
「『九人委員会』に選ばれる様な人々は王都のみならず、フレイム王国……いえ、オルケナ大陸でもビッグネームばかりです。そんな彼らには、一般的に『弱み』と考えられる様な弱みは無いと言って良いです。どれ程の醜聞が出ようが関係ありません。『隠し子? だからどうした』ぐらいのモノなんですよ」
「……」
「それだけ『九人委員会』の力は絶大です。多少の醜聞で揺るぐような木っ端が選ばれている訳はありません。ですから……大変申し訳御座いませんがコータさん、貴方がホテル・ラルキアで見せて下さった様な方法は使えないかと」
お役に立たず申し訳無い、と、頭を下げるクラウス。その姿に唖然としたのは一瞬、慌てて浩太はクラウスの肩を掴んで頭を上げさせた。
「あ、頭を上げてくださいクラウスさん! いえ、こちらがご無理をお願いしたんです。クラウスさんのせいではありませんよ!」
「そう言って頂けると少しは救われますが……」
上げた後の顔に『心配』の色を張り付けるクラウスに、浩太は無理やりに笑みを作って見せる。少し以上の期待を乗せた浩太に取って見れば残念以外の何物でもないが、流石にソレをクラウスに言う訳には行かない。そんな痛々しい表情を見せる浩太を見るに見かねて、シオンが口を開いた。
「おい、クラウス。何か無いのか?」
「いや、シオン? 何かと言われても……」
「ホテル・ラルキアはオルケナ大陸のみならず、世界でも指折りのホテルだ。そんなホテル・ラルキアだから分かる、とっておきの情報が無いのか?」
「ホテル・ラルキアを何だと思ってるのさ。ある訳ないだろう、そんなの」
そう言って、溜息一つ。
「……それに……仮にあったとしても、流石にソレを喋る訳には行かないよ。例えコータさんがどれ程悩んで、どれ程苦しんでおられても……顧客の情報を流す様な真似は出来ない」
「『友人』でもか?」
「ああ」
「……」
「……」
シオンの厳しい視線がクラウスを射貫く。そんなシオンの視線を逸らす事無く、クラウスは平然と受け止め、そして受け流す。
「……エルもか?」
「コータ様には感謝をしております。私とクラウスの仲を間接的に取り持って頂いたと言っても過言ではない、大恩人だと認識しておりますし……勝手ながら、私も得難い『友人』だと思っております。思っておりますが……それとこれとは話が別です」
「恩義を感じ、『友』と呼んだコータが困っているのに、手を差し伸べないと?」
「……申し訳ございませんが」
そう言って頭を下げるエル。その姿に尚も追い打ちをかける様にシオンが口を開きかけ、その行動を浩太の右手が遮った。
「シオンさん、当然です」
「だが!」
「――そもそも、無理を言っていたんですよ、私が。個人情報は何よりも優先されるべきです。ホテル業界は『生活』の場を提供している以上、他の業界よりも顧客の個人情報を掴みやすい。特に『九人委員会』ともなれば宿泊するホテルは当然、ホテル・ラルキアでしょう。情報が洩れれば即、疑われるのはホテル・ラルキアです。そんなもの、軽々と喋れる訳が無い」
成功者が『失脚』する理由はそれこそ成功者の数だけあるであろうが、大別すると概ね二つに分けられる。即ち、『金』と『異性』だ。金銭トラブルに端を発すスキャンダルは枚挙に暇が無いし、女性スキャンダルだって週刊誌の格好のネタだ。
「ロドリゲス氏はともかく、他の方で誰にも知られたくない『性癖』を持った方だっておられるかも知れない。九人委員会のメンバーともなれば、流石に安宿で娼婦と、なんてそれこそ出来る訳無いでしょうし」
でしょ? と問い掛ける様な浩太の仕草に、クラウスは苦笑を浮べて見せる。
「九人委員会程の大物はともかく……そうですね、一定の成功者の方々の中には『そういう』人も居ないとは言いませんよ。そして、そういった方々が当ホテル・ラルキアを『そういう』目的で使っているのも」
「ふん。何がホテル・ラルキアの品位だ。場末の連れ込み宿と変わらないじゃないか、それでは」
「それを言われると苦笑しかないんだけど……でもね、シオン? そう言った人々の『安心』を担保するのもホテル・ラルキアの役目だから」
「詭弁、此処に極まれりだな」
面白くなさそうに鼻を鳴らすシオンに、クラウスの苦笑が一層強まる。そんなクラウスを見やり、無理を言った上にこんな顔をさせた事に浩太の胃が若干痛くなる。
「本当に申し訳ない、クラウスさん。こんなつもりでは無かったのですが」
「どうぞお気になさらず。シオンは何時だってこんな感じですし」
そんな浩太とは裏腹、涼しい顔のクラウス。胃を痛くするのが阿呆らしいほどの清々しい表情に、何とも言えない表情の浩太が言葉を継いだ。
「……何と言うか、すごいですね」
「失礼ながらコータさん、貴方とは年季が違いますから」
嫌味の無い、一種聖人の様な諦観の笑みを浮かべるクラウスに、いっそ尊敬すら覚える浩太。別に痺れたり憧れたりはしないが。
「それで……あまりお役に立てなかった上でこういう事をお聞きするのはアレなのですが……一体、何があったのですか?」
いきなり訪ねて来て『九人委員会の弱みを教えてくれ』、だ。クラウスでなくとも気になるのは道理である。
「ふん。役に立たない上に詮索か? 下世話な事だ」
そんなシオンの嘲笑に、慌ててフォローに入ったのは、浩太。
「シオンさん!」
「なんだ? 事実じゃないか」
「……怒りますよ?」
「……ふん!」
拗ねた様にそっぽを向くシオンに、もう一度溜息。深くなる苦笑そのまま浩太はクラウスに視線を向けた。
「……済みません、クラウスさん」
「構いませんよ。ですがお願い事と言うのは……ああ、無論、『どういう』という内容まで聞くつもりはありませんが……『交渉』、ですか?」
「……ええ、そうです、交渉です。どうしても呑んで頂きたい案があり、その為に……まあ、下劣と知りながら少し『小細工』を弄しようと思っていたんですよ」
「ふむ」
「軽蔑しますか?」
「まさか。むしろ尊敬していますよ? 貴方のその、『使えるモノは躊躇なく使う』という姿勢は」
「遠慮しなくてもいいですよ?」
「綺麗事だけで世の中は渡って行けませんからね。特に経営者は」
そう言って、浩太の持って来た紙をもう一度隅々まで見渡し。
「……なるほど、『お願い』ですか」
――そして、口の端をつり上げる。そんなクラウスの微妙な表情の変化を敏感に感じ取った浩太が訝しげな表情を浮かべた。
「クラウスさん?」
「コータさん、確認させて頂いても?」
「え、ええ。それは構いませんが」
「結局の所、コータさんは交渉を有利に進めたいと、そう言う事ですよね? 別に『弱み』が知りたい訳では無く、単に交渉に有利なカードがあればそれで良いと、そう言う事ですよね?」
「まあ……そうですね。極論、『お願いします』『はい』となるのであれば、別段弱みが握りたい訳では無いです」
「そうですか……」
そこまで喋るとクラウスは腕を組んでしばし中空に視線を飛ばす。それも数瞬、にっこりと微笑みながらクラウスは浩太に視線を戻した。
「――それでしたら、お手伝い出来るかも知れませんね」
クラウスの微笑みにつられた様、同じように浩太も顔を笑みに形作り。
「そうですか。それ――って、え?」
そこで、開きかけた口を閉じる。
「『弱み』を握るのは難しいですが、コータさん、貴方達には『強み』があります。そうですね、言ってみれば『ジョーカー』の様な、そんな切り札が」
「き、切り札? そんなもの、あるんですか!」
「ええ……と、言うかシオン? 何で君は知らないんだ? 仮にも『バウムガルデン』だろ? あの宰相、ロッテ氏の一族だろう?」
不意に言葉を振られたシオンがきょとんとした顔をクラウスに向ける。その顔に向けて尚も言葉を続けかけ、直ぐに何かに気付いたかの様に『……あー』という表情を浮かべてクラウスは溜息を吐いた。
「……気付く訳ないか。そうだね、シオンだし」
「おい、同期の桜。なんだ、その言い草は? バカにしているのか?」
「いや、別にバカにしている訳じゃなくて。まあ、シオンはあんまり興味無いだろう?」
「興味?」
「社交界だよ」
そこまで喋り、視線をもう一度浩太に戻す。
「明日、ラルキア王城でパーティーが開かれるのはご存知で?」
「ええ」
「そのパーティーには私と、このエルも参加します」
「……そうなんです?」
「ええ。先程申した通り、当ホテル・ラルキアの会長は出張中でパーティーに参加は出来ません。ですが、仮にも王城主催のパーティーです。九人委員会の方々が参加するのに、ホテル・ラルキアだけが不参加、という訳には行きませんよ。名代としてエルと――まあ、その『お守り』で私が」
「『お守り』は失礼です」
ぷくっと頬を膨らませて抗議の声を上げるエルの頭を二、三度ポンポンと撫でてクラウスは言葉を継ぐ。
「詳細についてはその時にでもお話しましょう。折角訪ねて来てくださったのです、本来ならもう少しお話したいのですが……済みません、少々予定が――」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「――立て込んで……申し訳ない、どうしても外せない用事でして……愛想が無いのは百も承知なのですが」
「いや、そちらではなくて! その、えっと……え? じょ、ジョーカーって……?」
頭に疑問符を浮かべるコータ。その姿を面白そうに眺めて。
「コータさんはヤメートご出身と言う事ですので、あまりご存知ないかも知れませんが……オルケナ社交界では有名なのですよ? まあ、シオンの様にあまり社交界に参加しない人間は詳しく知らないのでしょうが」
この男にしては珍しく、茶目っ気たっぷりの表情を浮べて。
「『美人主従』と呼ばれ、社交界の華であったエリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム閣下と、エミリ・ノーツフィルト様には――特に、『ノーツフィルトの可憐なる一輪の花』には」
随分と『ご執心の男』が居るという事はね、と。
ウインク一つ、そう言ってクラウスは笑って見せた。




