第七十四話 大好きな人の為に、出来る事
みんな大好き『のじゃー』さん、登場です。
ラルキア王国宰相ルドルフは、ラルキア王都を部下であるフローラ・ロートリゲンと連れ立って歩いていた。
「閣下」
「うん?」
「本日の日程につきましてはほぼ終了しました。後は王城に帰るだけですが……」
言外にどうしますか? と問うフローラの言葉に溜息交じりの微苦笑をして見せてルドルフは歩き出す。戦争終結からこっち、ルドルフの行動パターンの一つにフローラは疑問を感じる事をせずにその背に続いた。
「帰っても良いのだぞ、フローラ」
『戦勝国』となったラルキア王国だが、それでも戦後の処理は残った。当然と言えば当然、『ハイ、条約を締結しました。それでは明日から普通の生活に戻って下さい!』なんて事になるわけはない。侵攻戦争であった事が幸いし、国土の被害自体は少ないモノの、それでも止まっていた経済や被害状況のすり合せは必須。大手の商会の代表者や組合、その他の組織との会合は連日連夜続いた。
「誰よりも精力的に働いておられる閣下を置いて、どうして私一人が家で惰眠が貪れましょうか。どうかご自愛下さいませ」
「それを言うなら君もだよ、フローラ。年頃の、しかも嫁入り前の娘さんを連れ回す訳にはいかないから」
「奥方に怒られますか?」
「それもあるな」
そう言って笑って見せるルドルフに、フローラはにこやかな笑みを返す。
「私は、奥方と『争う』ぐらいの気概はありますが?」
「……さっきご自愛して下さいと言って無かったか? 私が心労で死ぬ」
「さっさと私を召し上げて下されば宜しいのです。閣下程の地位にある方であれば、側室の一人ぐらい居てもおかしくないでしょう?」
「流石に息子よりも年下の妻を貰う気はない」
「貴方が魅力的なのが悪いのですよ、閣下」
そう言って小悪魔然とした笑みを見せるフローラ。ロートリゲン伯爵家の末娘で二十歳には見えない程可愛らしい所もあり、貴族の娘にしては珍しく一人で何でも出来る気立てのよい娘だ。唯一の欠点――欠点と言うかは人にも寄るが――は、年の割には男の好みが『渋すぎる』ところにある。
「……まあ良い。それでは行くか」
「もう! そうやって貴方は何時も誤魔化します!」
肩を竦め、止めていた歩みを再開。頬を可愛らしくぷくっと膨らませ、それでもフローラはルドルフの後に続く。ラルキア王都の大通りを抜け、しばし、件の建物の前に着いたルドルフとフローラを、玄関口の花壇に水やりをしていた女性が気付いた。
「まあ、閣下! それにフローラ様も。今日もいらして下さったのですか?」
白髪を湛えて、それでも柔和に品のある様子で微笑む女性。慈母の様なその表情にルドルフの頬も緩む。
「済まないね、院長。今日も紅茶を頂けないかと思ってついついお邪魔してしまった」
「そうですか。それでは閣下、フローラ様。どうぞ中にお入りください」
エプロンで手を拭きながら、ドアを押し開ける院長と呼ばれた女性は『どうぞ』と二人を促し部屋の中に足を踏み入れる。豪華では無いも、綺麗に整頓された部屋の椅子に腰かけた二人に院長は湯気の立つ紅茶を出す。かぐわかしい香りがさして広くない部屋に充満する。香りを楽しむ様に紅茶のカップを上げて二、三度。その後ゆっくりと紅茶に口を付けてほうっと長い息をついた。
「如何ですか?」
「流石ですな。美味しいです」
「ありがとうございます」
上品にほんのり微笑む院長。その姿に同様ににこりと微笑んだ後、ルドルフはゆっくり頭を下げた。
「……申し上げございません、院長」
「……頭をお上げください。ですが……では」
「私の力が足りませんでした」
比較的早期に決着をしたといっても『戦争』なのだ。戦争である以上、人は必ず死ぬ。特にラルキア王都のほぼ中心部に位置するこの地域では沢山の大人たちが戦争に参加し――そして、最前線に立った。プランを食べたいと、そう願ったジェシカの命を絶たせたのはもしかしたら自分たちかも知れない、という罪悪感もあったのだろう。勇敢に戦った彼らはダニエリ攻防戦で多くの命を散らせた。
「……閣下、お気になさらず」
大人たちはそれでいい。綾乃が言った通り『死ぬことによって報われる』想いもある。
だが、残された子供達は?
「ですが……それではこの孤児院の運営が」
ジェシカの愛したこの孤児院の収容人数は一気に増えた。戦争で散っていた大人たちの子供達――いわゆる『戦争孤児』を一気に収容したから、だけではない。無論、それも原因の一つとしてあるにはある。人が増えたからと言って『孤児院』としてのハード、つまりハコには限りがあるし、孤児たちを時に叱り、時に褒め、温かくそして優しく導く指導員の、つまりソフトにも限りがある。特に戦後すぐの今、皆自分の生活に手一杯なのだ。大事な伴侶を、恋人を、父を、兄を亡くした人なんてゴロゴロいる。幾らラルキアの人々が優しいとはいえ、他者に優しくできるのは自らにある程度の『余裕』がないと難しいものだ。
「……この孤児院は残したかった」
その問題とは別に、純粋に『お金』も無かった。収容する人数は増えても、収入は増えない。善意と、王家からの寄付金で成り立っていた孤児院の経営は一気に窮乏していった。
ルドルフは説いた。
孤児院が、これからのラルキア王国を担う人材を育成する場である事を。
孤児院は、ジェシカが愛し、慈しんだ大事な場所である事を。
孤児院を無くすことで、多くの孤児が路上生活者になり、ラルキア王都の治安が悪化する可能性がある事を。
存続の為にはどんな手段も使った。時に脅し、時に賺し、時に宥め、時に煽てて各利害関係者を説いて、説いて、説き続けて。
「……私の政治力が足りませんでした」
ルドルフは負けた。負けた、という表現は的確では無いかも知れないが、とにかくルドルフは孤児院に対する財政援助を取り付ける事は出来なかったのだ。
「わかります、閣下。ラルキアの人々、皆が苦しいのです。私達が、私達だけが優遇される訳には行きませんから」
肩を落とすルドルフにそっと院長が手を触れる。慈母を思わせる柔和な笑顔を浮かべる院長に少しだけルドルフも安堵の息を漏らしかけ。
「それに……閣下、お喜びください」
「……お喜び」
その息を途中で引っ込めて、訝しげに院長を見やる。相変わらず慈母の微笑みを浮かべる院長の、その笑みに形作った口から静かに、だが確実に言葉が漏れた。
「――この孤児院は、存続出来ます」
喜色の漏れるその院長の言葉に、ルドルフの思考回路は追いつかない。非常に失礼な話だが、院長だって決して若くない。心労が遂に頭に回ったかと本気で心配しかけ、ルドルフが口を開こうとして。
「篤志家の方が現れたのです」
「……篤志家?」
「ええ! この孤児院がジェシカ姫の遺志を継ぐものだと知っておられる方が援助を申し出て下さったのです!」
此処に至り、完全にルドルフは院長の頭の心配をした。
「……院長、貴方はお疲れなのでしょう」
そんなルドルフの表情の変化を敏感に感じ取ったか、院長は可笑しそうにコロコロと喉を鳴らす。頭の心配をされても怒らない辺り、彼女自身の人柄の良さと……経験が垣間見える。
「あら、閣下? 私が幻想を見たとでも思っておられますか?」
「失礼ながら。国家ですら……言い方は悪いですが、『見捨てた』この孤児院をただ情だけで援助する様な奇特な人間が、今のこのラルキアに――」
「ラルキア王国の方では御座いません」
「――居るはずが……なんですと?」
「ラルキアの方ではありません。そのお方は――」
「いんちょーーー! たすけ――へぶっ!」
「っ! ~~っ!」
バーン、と良い音と、ゴン! という鈍い音をさせてドアが開き、閉まった。何事か、とルドルフが音の方向を振り返り。
「……何をしているんだ、フローラ?」
後頭部を押さえて蹲るフローラの姿を見た。
「い……ったーーーいです! たんこぶ! たんこぶが出来きました!」
涙目で見上げるフローラに、本当に何があったか分からない表情で首を捻るルドルフ。その姿を見て、いつもの柔和な笑顔の中に苦笑を交えて院長が口を開いた。
「……ローナさん? ダメでしょう、ドアは静かに開けないと。後、ノックはしっかりして下さいな」
「……そういう問題でしょうか? と、いうか……ローナ?」
その声に反応した訳では無いだろうが、ドアが今度は静かに音を立てて開く。
「……いつつ……いや、ほんますいまへん、院長……と、どちらさまです?」
肩まで伸ばした茶色のショートカットに、クリクリとした大きな愛らしい瞳。恐らく先程の『へぶっ!』の際にぶつけたのだろう、高い鼻の頭は赤くなっている。『美人』と評するよりは『可愛らしい』と評した方が正しいだろうその女性は、涙目上目遣いで睨むフローラに若干引きながらもそう問う。
「……人の頭にドアをぶつけておいて、誰ですか? は失礼じゃないでしょうか?」
「……へ? あ、ああ! えらいすいまへん! いや、まさかドア前に人が居るとはおもわへんで、思いっきり開けてしもうたんです! ほんま、ごめんなさい!」
慌てた様に思いっきり良い勢いで頭を下げる少女。彼女が下げた頭の先には、涙目上目遣いで見上げるローナがおり、そしてドア前という狭いスペースであるそこで、そんな勢いで頭を下げれば必然。
「――って、いったーーーーー!」
「~~~っーーーーー!」
頭突きの要領である。思いっきり振り下ろされた頭はフローラのそれと綺麗にごっちんこ。頭を抱えて転がりまわる美女と美少女という、ある意味では地獄絵図がルドルフの眼前で繰り広げられていた。
「……院長」
「ローナ・オリアンさん。分かると思いますが、ソルバニアのご出身で先ほどの『篤志家』の方です」
そう言って、涙目で転がりまわるローナの傍に腰を降ろすと、頭を撫でながら『痛いの痛いのとんでけ~』なんて頭を撫でる院長。その姿を愕然と見つめて。
「……閣下」
「……どうした、フローラ?」
「あれ、私にもやって下さいません? こう、『痛かったね~フローラ』みたいな感じで」
頭を押さえながら、それでもキラキラとした瞳で見上げるフローラに溜息一つ。ローナが回復するのを待って、ルドルフは声を件の彼女に声をかけた。
「ローナさん、と申しましたか?」
「いつつ……へ? あ、はい!」
「初めまして。私は当ラルキア王国で宰相の職についておりま――」
「さ、宰相! 宰相って、宰相閣下ですか!」
「――す、ルドルフ……え、ええ」
「うわ、うわ! どないしよ、院長! めっちゃ大物やん! え? なんで宰相閣下がこんな潰れかけの孤児院に足を運ぶん? 院長、もしかして結構大物なん?」
少しばかり挙動不審気味にわたわたと両手を振って慌てるローナ。その姿を少しだけ奇異なモノを見る様にルドルフは見つめた後、相変わらず苦笑を浮べる院長に視線を飛ばした。
「ローナさん。ルドルフ宰相閣下はこの孤児院に頻繁に足を運んで下さるのですよ。私が大物だとか、そういう話ではなく……ここは、ジェシカ姫の愛した孤児院ですから」
「あ……そ、そう言う事。いやーウチ、勘違いしてもうたわ」
そう言って、はははと笑って頬をポリポリと掻いた後、ローナは居住まいを正した。
「……お見苦しい所をお見せしました。ウチ、ローナ・オリアン言います。ソルバニア王港都市、エムザで商いをさせてもろうてるオリアン商会ちゅうケチな商会の跡取り娘ですわ」
「オリアン商会……ですか?」
「ああ、聞いた事ないでしょう? ウチの商会はエムザでもほんまに大きな商会やないんです。せやからラルキア王国にまではそんなに名前が響いてないと思いますわ」
「失礼。勉強不足でした」
「構いませんわ」
「それで……失礼ついでに、もう一つお聞きします。先程院長からこの孤児院への資金援助を申し出て頂いたと聞いておりますが?」
「そうです。この孤児院はジェシカ姫の愛した孤児院、このまま潰して仕舞うのは申し訳ない思いまして、当オリアン商会が全面的に資金援助をさせて頂きたいと、そう思うております」
そう言って、苦笑を一つ。
「……って、言えたら格好ええんですけど、ほんまは違うんです」
「違う、とは?」
「ウチの所はただの『窓口』。ほんまに資金援助してくれてはるのはもっと大きな商会なんですわ」
「……ほう」
「閣下やったら分かると思うんですけど……ほら、ソルバニアも色々あるんです。孤児院に資金援助、しかも他国の! なんてなったら、ややこしい事になるんですわ。なんで自分の国の孤児院に援助せーへんねん! って」
「仰る通りですな」
「ほいでもその『大きな商会』の会長はん、なんやジェシカ姫に『多大な恩』があるとかで、この孤児院を潰しとうはないらしいんです。苦肉の策で」
「窓口としてオリアン商会さんを立てた、と」
「そう言う事ですわ」
「……その商会の名前を教えて頂く訳には?」
「それだけは絶対厳禁! 言われてますんで……勘弁して下さい」
両手を合わせて『すみません!』と頭を下げるローナ。その姿にどうか頭を上げてくださいと声をかけ、ルドルフは溜息を吐いた。
「……大変有難い話ですが、お礼を言えないというのは心苦しいですな」
「それはウチの方から必ず伝えて置きますんで」
「宜しくお願いします」
「ええ。それに……閣下はそないきにせーへんでもエエですよ? そこの会長はんも純粋に自分がしたいからしてるだけですし、ウチらかて安うない手数料を頂戴してますわ。孤児院も助かるし、ラルキア王国も助かる」
ほら、誰も損してへん! と、にこやかに笑んで見せるローナに、ルドルフの顔にも笑みが浮かぶ。
「……分かりました。それでは、お言葉に甘えさせて頂きましょう」
「ええ、そうしておいてくださ――」
その言葉に、にこやかに微笑みかけて。
「エリック、おえん!」
その言葉とは別の叫びがローナの口から飛び出した。
「――閣下、動かないで!」
その声に敏感に反応したフローラ。急な大声に体を動かさず……動かせず、その場に固まるルドルフの目の前を白い『ソレ』が通り過ぎ、次いでバキ、という音が響いた。
「大丈夫ですか、閣下!」
ふんわりと舞うスカート――ルドルフに向かって投げられた『卵』を回し蹴りで蹴り落としたフローラが、慌ててルドルフに駆け寄った。
「……うら若い乙女が、男性の前で回し蹴りは如何なモノかと思うが? 素足を見せるな、はしたない」
「言っている場合ですか! お怪我は!」
「ああ、大丈夫だ。それと……ありがとう」
ルドルフの言葉にほっとした様に息を吐き、その後きっとした視線を院長に向けた。
「院長!」
「も、申し訳ございません!」
「申し訳ないで済むとお思いですか!」
「フローラ」
「閣下は黙って居て頂きたい! 御身はただ、一人のモノではありません! それに――」
「離せ! 離せよ!」
「離す訳ないやろ、このアホエリック! 自分が何したか、分かってんのか!」
フローラの言葉を遮る様、一人の男の子を羽交い絞めしたローナが部屋に戻って来た。何時部屋を出たかも分からない様なその『早業』に、内心でフローラは舌を巻きつつ、それでもきつい視線でエリックと呼ばれた男の子を睨みつけた。
「貴様! 何を以ってルドルフ閣下を害そうとした!」
「え、えらいすんません! エリックにはウチからよう言って聞かせますんで、なんとかご勘弁を!」
「貴方は黙っていて頂こう! 良く言って聞かせる? ラルキア王国の宰相閣下を害そうとして、言って聞かせるで済むと思うか!」
「そ、そうですけど……ほ、ほいでも――」
「お前のせいだ!」
「――って、エリック! 黙り!」
「お前が! お前が戦争を止めさせたせいだ! 最後まで俺達は戦いたかったのに! ライムの人間をぶち殺してやりたかったのに! ジェシカ姫の――ジェシー姉ちゃんの敵を取りたかったのに! 何でだよ!」
「だから、閣下を害そうとしたと? 考え違いもいい加減にしろ!」
「うるせえ! お前に何が分かるんだ! 俺達は死ぬ覚悟なんてとっくに出来てたんだ!ジェシー姉ちゃんの敵を取れればそれで良かったんだ! なのに、何で戦争を止めるんだよ!」
視線だけで人を殺せそうな、そんな強い視線。その視線を一身に浴びながら黙るルドルフに、エリックは言葉を続けた。
「悔しくないのかよ! ジェシー姉ちゃんが、俺達の大好きだったジェシカ姫が殺されたんだぞ! 何でそんなに簡単に戦争が止めれるんだよ! 憎くないのかよ! 腹が立たないのかよ! 殺してやりたいと、そう思わないのかよ!」
「……」
「何とか言えよ! お前、宰相なんだろう! 偉い人なんだろう! なあ、何でだよ!」
「貴様! 閣下を愚弄する――」
「フローラ」
エリックに詰め寄ろうとするフローラを手で制し、ルドルフは身を屈めて視線をエリックに合わせた。
「……ジェシカ姫が、大好きだったのだな」
「そうだ! 俺は、ジェシー姉ちゃんが大好きだったんだ!」
「……私もだよ」
「だったら――」
「だから、戦争を止めたんだ」
尚も喋り続けようとしたエリックが、そのルドルフの言葉と視線に押し黙る。その姿をじっと見つめた後、屈めていた体を元に戻して院長に一礼。
「……今日の所はこれで。失礼します」
「……え? え、ええ、お、お構いも出来ず?」
身を翻し、足早に部屋を後にするルドルフ。
「か、閣下! お、お待ちください!」
慌てた様にその背を追い、部屋を出掛けたフローラも扉の前で立ち止まり院長に向けて一礼し、ドアを閉めて部屋を後にした。
◇◆◇◆◇◆
「閣下!」
前を歩くルドルフの背中にようやく追いつくと、上がる息もそのままにフローラはルドルフに詰め寄る。その視線はルドルフを心配している様にも……責めている様にも、どちらにも見えた。
「……宜しかったのですか?」
「子供のした事だ。それも、ただの『卵』だぞ? 罪に問う事はしなくても良い」
「ですが、アレが石であったなら? 当たり所が悪ければ」
「命は無かったかもしれないな」
「閣下!」
余りにも他人事の様にそう言うルドルフに、今度ははっきりと責める視線をフローラは向ける。
「……閣下一人の体では御座いません。今後、護衛の強化を。それと、あの孤児院には当分足を運ばれない様にお願いします」
「そうだな。そうしよう。あのエリックという少年の為にもその方が良いだろう」
自嘲気味にそう笑うルドルフのその姿に、フローラは胸を締め付けられる様な感覚を覚える。持て余し気味のその感覚そのまま、フローラはルドルフを背中越しに強く、強く抱きしめた。
「……先程も言っただろう? 嫁入り前の娘が――」
「私は、貴方が間違った事をしたとは思っておりません。貴方の為された決断が、政治的に正しいと、そう信じております」
「……」
「仮に、心情的に許せない人間が居たとしても、私は貴方が正しいと信じます。貴方のお陰で間違いなく、多くの命が救われたのです。ですから、だから、どうか!」
その様な、辛そうな顔をしないでください、と。
「……私が、辛いです」
消え入りそうな小さな声。背中越しにその声を聞いたルドルフは大きく、ゆるゆると溜息を吐いて見せた。
「……心配するな、フローラ。私は別段落ち込んでなどいない」
「ですが!」
「全く辛くない、と言えば嘘になる。だが、政治的な判断とはそういうモノだ。最大多数の幸福を追求する義務はあるが、全員の幸福を実現する責任は無い。無論、全員の幸福を実現できればそれが良いがな」
「……」
「私自身、思う所が無いと言えば嘘にはなる。あの戦場で死なせてやるのが……どちらかが破滅するまで戦うのが、もしかしたら本当は幸福なのかも知れないと思った事が無いと言えば、これも嘘になるさ。なるが、それでもこの判断は正しい。あのエリックという少年が生きて、今後新たな――ジェシカ姫に代わる、と言うと言い方は悪いが……そういう、生きる目標を持ってくれれば良い」
『死』は何も生まないからな、と何でもない様にそう言って、自身の腰に回されたフローラの手をゆっくりと解く。抵抗も最初だけ、されるがまま手を解かれたフローラは潤んだ瞳をルドルフに向けた。
「……悔しいです」
「何がだ?」
「ルドルフ様が、ジェシカ姫を『愛して』居たのが分かるのが」
「……そうか?」
「ラルキア王国という一国を灰燼に帰す事すら考える程、ジェシカ姫を慕っていたのでしょう? ラルキア王国の宰相というお立場の方が。そんなの……ズルいです」
「ズルいとかズルくないとか、そういう問題では無いと思うがな」
「同じ女としては、悔しいですし、羨ましいですし……嫉妬もします」
「お前は……まあ、良い。この話は堂々巡りだからな」
「もう! ルドルフ様は直ぐにそうやって!」
「お前が妻を説き伏せたなら考えてやろう」
「うっ! お、奥方様をですか? そ、それは少し……っていうかズルいです! 奥方様を出すのは反則です! 恥ずかしくないのですか、男として!」
「妻の手の上で転がされる程度の度量は男として欲しい所だな。なんなら息子の嫁に来るか?」
「絶対イヤです! 何考えてるんですか、ルドルフ様! あんなボンボン!」
「……一応、私の息子なんだがな?」
「とにかく、そんな事を言ったら絶対ダメです! ダメですから!」
「ああ、分かった分かった」
面倒臭そうに手をパタパタと振って歩き出し。
「……ルドルフ様?」
不意にその足を止めるルドルフ。訝しげにそんなルドルフを見つめるフローラに視線を向け、マジマジと彼女を見つめた。
「る、ルドルフ様? そ、そんなにマジマジと私を見つめられて……そ、その照れくさ――」
「フローラ。キミは確か、ソルバニアに留学していた事があったな?」
「――いで……え? え、ええ。三年ほど前に。そうです! ルドルフ様が行けっておっしゃるから! 私、凄く寂しかったんですか――」
「先程の言葉、ソルバニア語でしゃべってくれないか?」
「――ら……えっと、ルドルフ様? よく意味が分からないのですが……」
「少し確認だ。頼む」
「え、えっと、ルドルフ様の頼みなら……コホン」
咳払い一つ。
「『とにかく、そないな事言うたら絶対あかん! あかんからな!』……で、しょう……か?」
この確認に何の意味があるのか、そう思いながら首を捻るフローラ。少しだけ視線を上にあげて考え込む姿を見せた後、ルドルフを笑みをフローラに向けた。
「……いや、少し気になっただけだ」
「気になった? えっと……私のソルバニア語、何か変でしたか?」
不安そうなフローラに違う違うと手を振って見せ。
「ソルバニアで『ダメだ』と言う事を……『おえん』と言うのか、と、そう思ってな」
◇◆◇◆◇◆
「……何だよ」
「何だよ、じゃあらへんわ。自分、ほんまに何したか分かってんのか?」
塀に腰を掛け、拗ねた様な視線を向けるエリックに、腰に手を当ててはーっと溜息交じりにローナは見上げた後、ぐっとその体を沈めて。
「――よっ!」
そのままの勢いで跳躍。足幅程しかない塀の上にピタッと両手を開いて立ってみせた。
「……軽業師かよ、ねーちゃん」
「誰がねーちゃんや、誰が。ウチにはローナちゅう立派な名前があるんや」
そのままストンと腰を落し、エリックの隣に座る。一瞬、嫌そうに顔を顰めるも、あっという間に捕まえられた先程と、軽業師並の技を見せた今を思い出してエリックは言葉を飲み込む。
「なあ、エリック? 自分、幾つやったかな?」
「何だよ急に」
「ええから」
「……十四歳だよ」
「十四かいな。ほな、ウチよりだいぶ下やな」
「……ねーちゃん、幾――いて! 何で殴るんだよ!」
「女の子に年やこ聞いちゃあかん!」
「今の流れは絶対年齢を聞けって感じだろうが! 理不尽過ぎんだよ、ったく……」
不満そうに声を上げてねめつける様にローナを睨みつけるエリック。そんなエリックなど意に介さず、ローナは懐に入れた林檎を取り出した。
「食べるか?」
「……いらね」
「なんや、素直やないな。今日は晩御飯抜きやろ? お腹空いて――」
喋りの途中。ぐーっと言う正直すぎる腹の虫が、食物を欲して鳴いた。
「……ほら、お腹空いてるやん」
「いや、今のねーちゃんの腹からだからな! 何、人のせいにしようとしてるんだよ!」
ローナの、お腹から。
気まずそうにはははと笑い、ローナは手に持った林檎に噛り付く。
「結局自分で食べるのかよ!」
「なんや? やっぱ欲しかったんかいな?」
「そうじゃねえよ! そうじゃねえけど……ああ、もう! 調子狂う!」
頭をガシガシと掻いて、狭い塀の上で身悶えるエリック。その姿を横目で見ながら、フローラは林檎をもう一口齧り。
「……なあ、エリック」
「何だよ!」
「復讐、したいんかいな?」
何でも無いようにそう言うローナに、エリックの息が止まる。が、それも一瞬。ゆるゆると息を吐き、ローナに視線を――とても、とても冷たい視線を向けた。
「戦争が終わって……大人たちは、一様にほっとした顔をしてたんだよ」
「……ふーん」
「あれほど、『ジェシカ姫の仇を討つ』って言ってた大人達が揃いも揃ってだぜ? 戦争は終わったって、良かったって……本当、笑っちゃうよな」
自嘲気味に一つ、それでも憎そうに……裏切り者を許せないと、そう言わんばかりの、獰猛な笑みを見せる。
「……皆、言うんだよ。『戦争終わった』『復讐するなんて馬鹿な事考えるんじゃない』『ジェシカ姫は、そんな事望んでいない』ってな。誰が分かんだよ、そんな事!」
喋りの途中で興奮したのか、吐き捨てる様にそう叫ぶエリック。そんなエリックの姿を、憐憫を含めた視線でフローラは見やる。
「……可哀想な子やな、エリック」
「……ねーちゃんも言うのかよ? 復讐なんてくだらない子とするなって? はん! どうせ、そんなモンだよな? 大人達みたいに言うんだろ? もっと前向きに生きろって。言っておくけどな、俺は別に――」
「ああ、そうやないよ?」
言い掛けるエリックを、制す。言葉に詰まるエリックを見やり、林檎をもう一口。
「復讐結構やわ。腹が立つんやろ? 憎くて憎くて仕方ないんやろ? そりゃ、そうやわな? 命は命でしか償われへんもん。エリック、自分の言う事、よう分かるわ」
「ねー……ちゃん?」
「もっと前向きに生きろ? アホかいな。なー? 自分の生きる意味やこ、自分で見つけるちゅうねん。せやから、エリック。自分の言う事は正しいわ」
「え……で、でも!」
「なんや? 肯定されたら否定するんかいな? 復讐は正しくないって、そう思うんかいな?」
「そ、そうじゃない! そうじゃないけど……そ、そうだ! さっき、ねーちゃん、可哀想な子って言ったじゃねえか!」
「ウチが言ったんはそう言う意味や無いねん」
「じゃ、じゃあどういう意味だよ!」
言い募るエリックを見つめ、林檎をもう一口。芯まで齧った林檎を塀の外に落とし、そうして、嗤う。
「復讐する人間を間違えてへんかって――」
ぞっと、するほど。
「――そう思わんかって言うとるんじゃ、ウチは」
綺麗な……とても綺麗な、笑みを。
「よう考えてみいや。エリック、自分があそこで宰相を殺した所でなんも変わらんじゃろうが? 宰相がおえんのか? 違うじゃろ? 宰相は講和の話が来て、それに乗っただけじゃ。じゃけん、宰相を殺しても仕方無かろうが」
「ねー……ちゃん?」
「ほいじゃ、ライムの大統領を殺せばええんかいの? そんな事は無かろう? ライムの大統領も、宰相と同じじゃけん。結局、皆掌の上で踊っとるだけじゃけんの」
「ちょ、ねーちゃん、どうしたんだよ! その――」
「なあ、エリック? 知りとうないか?」
「――言葉……え?」
「結局、誰が一番悪いんか、お前は知りとうないかって聞いとんじゃ。掌でラルキアとライムの要人が躍ったんじゃったら、それは誰の掌か、お前は知りとうないんかって、そう聞いとんじゃ。復讐の何がおえんのじゃ? 復讐は気持ちええもんじゃけ、復讐すればええんじゃ。お前が『生きる目標』を復讐に据えても、それは構わんじゃろ? なあ、エリック? そうは思わんか?」
笑う。
楽しくて仕方なさそうに、ローナは笑い、嗤い続ける。
「ウチについてくるんじゃったらエリック、教えちゃる。誰が悪いんかも、何が悪かったんかも――」
――復讐する為の、その『技術』も……全て、と。
「……どうするかいの、エリック?」
「……」
「……」
「……ねーちゃんに」
「うん?」
「ねーちゃんに、乞えば、教えてくれるのか?」
誰が悪く。
何が悪く。
この自分の、行き場の無い感情を、どうすれば静められるか――その、方法を。
「一個だけ、約束したらの」
「何だよ?」
「ウチの事を『ねーちゃん』って呼んだらおえん。ウチは『ローナ』じゃ」
そう言って、にこやかに右手を差し出すローナに。
「……分かった、ローナ」
エリックは自身の右手を差し出し、それを握った。
これだって『のじゃー』さんだと思ってます。ええ、喋り方は。




