第七十話 英雄の条件
今回、ちょっと理屈っぽいかも知れません、どうも疎陀です。まあ、説明回ですのでご容赦願えれば……
「ようこそお出で下さいました、松代殿」
「ご無沙汰しています、ロッテさん。そして、遅くなって申し訳ございません」
ラルキア王城内にある、宰相執務室。ラルキアに帰ってすぐ自身の部屋を訪れた浩太にロッテは笑顔を浮べ――その眉根を寄せた。
「どうしたのですか、松代殿?」
「なにがでしょうか?」
「ロッテ『さん』? 『閣下』では無かったかと思いましてな? それに、表情も随分良い。先日ラルキアに来た時は殆ど死にそうな……有体に言えば、『酷い』顔をしておられましたぞ?」
少しだけ意地悪そうな笑みを見せるロッテに、浩太は肩を竦める事で応える。
「『閣下』に戻しましょうか?」
「お好きな方で。テラで、何か心境の変化でもありましたかな?」
「ええ、少しばかりね。興味がありますか?」
「いいえ、全く興味はありませんな」
一刀両断。切り捨てるロッテに、少しだけ浩太が鼻白んだ。
「興味が無いのなら『心境の変化でもあったか?』などと聞かなければ宜しいのに」
「社交辞令ですよ」
どうぞ、と執務室中央の机を示すロッテに頭を一つ下げて浩太が椅子にその身を沈める。その姿を見届け、ロッテも浩太同様に対面の椅子に腰かけた。
「どうもシオンがお世話になったようですな。『世話係』として付けた筈だったのですが」
「おや? 御目付役だとお聞きしましたが?」
「似た様なモノですよ。とにかく、その点についてはお詫びします。どうも、申し訳ない」
そう言って頭を下げるロッテに、少しだけ意地悪をしてやろうと浩太が首を縦に振り掛けて。
「――どうしてもと言うのなら、もっとキツイお仕置きをしますが」
「イイです! もう、あれ以上のお仕置は要らないですから!」
大慌てでその首を左右に振った。イイ大人が泣きながら『ごべんなざーい! もうしません! もうしませんからゆるじでくだざい!』と謝り続ける姿を見るのも……見せるのも、忍びないだろう。浩太も鬼では無い。
「そうですか? それは残念です。少々、物足りなかったのですが」
「……アレだけ『お仕置』しておいて、まだ足りないとかどの口が言いますか? それは……確かにシオンさんは残念な所もある人ですけど、それでも『ロッテおじいちゃん! 許して! 許して!』と子供の様に泣きじゃくる様な人では無かった筈ですが」
「シオンは何時もそうです。泣けば許されると思っている所がある。少し、教育が悪かったですな。あの様な我儘娘に育ってしまって……私も含め、甘やかし過ぎたのでしょう」
「……え? アレだけやっておいてまだ甘やかしてるって言います? だって――」
「まあ、シオンの話は結構。そんな話をする為に松代殿にわざわざ御足労願ったわけでは無いのですよ」
そう言って、喋り続けようとする浩太を手でやんわりと制し、座った椅子から腰を上げる。老体であるロッテ、腰をトントンと二、三度叩いて自らの机まで歩き引き出しの中から『ソレ』を取り出し握り締める。
「……さて、松代殿。貴方は当然フレイム白金貨は見たことがありましょう?」
「ええ、勿論」
「雄々しいアレックス帝の横顔の書かれたフレイム白金貨。意匠に関してはオルケナ一だと思っておるのですが」
一つだけ気に喰わない事があるんですよ、と、もう一度浩太の対面に座ったロッテは手の中の『ソレ』を――握り締められた数枚の白金貨を開いて見せて。
「これを作っているのが……『王府』ではなく、商業連盟だと言う事が、気に喰わないのですよ、私は」
「……王都商業連盟、ですか?」
「ええ」
机の上に置かれたフレイム白金貨を手遊びしながら、ロッテは視線を浩太に向ける。手の中でちゃらちゃらと鳴る白金貨を一枚、また一枚と机の上に置いた。
「王都、と名がついておりますが実際は王都ラルキアだけではなく、このフレイム王国に存在する多くの商会が加入する……一種の互助組合ですな。情報の共有や仕入・販売などの相互扶助を行いながら適切なフレイム経済の行く末を担う、とまあお題目は立派ですが、やってる事は殆ど経済の極道です」
「随分と辛辣な言い方ですね」
「事実ですからな。そして、この商業連盟が尤も力を持つ理由が」
そう言って机の上に置いた白金貨を一枚、浩太の目の前に掲げて見せる。
「――フレイム硬貨の鋳造権です」
「……」
「白金貨だけではなく、金貨も銀貨も銅貨も。現在、フレイム王国並びにラルキア王国で流通する『貨幣』はこの王都ラルキアにある『王都商業連盟』が鋳造し、その流通を担っています。商人の集まりである『連盟』が、大陸に広く流通する貨幣を製造し、流通に乗せているのですよ」
意外ですかな? と問うロッテに浩太は少しだけ考えて首を横に振った。
「いいえ。別段、珍しい話でもないですから。『私の居た世界』では」
――日本銀行、という組織がある。
『銀行の銀行』、『政府の銀行』或いは『最後の貸し手』と呼ばれる中央銀行であり本邦唯一の発券銀行だ。日本銀行は極めて公的機関に近い認可法人ではあるも、純粋な意味での政府機関では無い。意外かも知れないが株式――正確には出資証券を東京証券取引所に上場する『企業』である。証券コードは8301、望めば一個人でも日本銀行の『オーナーの一人』になる事は出来るのだ。
尤も日本銀行の『オーナー』になっても通常の株式会社の様な議決権、つまり『もっとお金をじゃんじゃん刷ろうぜ!』や『金利、もっとあげよう!』なんて発言する権利はない。日銀の出資証券を得る事によるメリットは雀の涙程の配当金と、『日本銀行の出資者』という一種の自己満足程度である。
「まあ、私の世界の話はどうでもいいでしょう」
「非常に興味深い話ではありますがまたの機会でしょうな、それは。話を戻しましょう。建国帝アレックス以来、通貨発行権は王都商業連盟が持っております。何処までアレックス帝が考えて行われたか不明点は残りますが……建国の功労者である商聖ユメリアに対する恩として通貨発行権を与えたのが正解でしょうな」
そう言って、珍しく『見当外れ』な答えを出すロッテに浩太は胸中で苦笑を浮べた。
「皇帝アレックスは金融や財政は苦手だったのかも知れませんよ? 『後はユメリア、巧くやって!』ぐらいの感覚だったのかも知れませんし」
召喚された高校生、『高津真』にして見れば金融や財政などの小難しい知識は無かっただろう。適材適所、という意味で金庫番たるユメリアに全権を委任――もっとざっくり言えば『丸投げ』しても不思議ではない。
「アレックスがですか? 有り得ないでしょうなそれは」
鼻で笑って見せるロッテにそうですか、と曖昧な返答をする事で浩太はこの話題を打ち切る。どの道、真相は闇の中だ。
「ともかく、アレックス帝が王都商業連盟に与えた通貨発行権は大きな『チカラ』を彼らに与えています。他の同様の商工の組合よりも一段も二段も高い程のチカラがあり――」
――そして、有り過ぎる、と。
「……私はね、松代殿。この商業連盟から取り上げたいんですよ」
「取り上げる? 『チカラ』をですか?」
そんな浩太の質問に、ゆっくりと首を左右に振って見せて。
「通貨発行権を――商業連盟を『特別』にしている、『ソレ』を」
そうして、引き摺り下ろしたいのですよ。
「商業連盟を、ただの『組合』にまで、ね?」
好々爺の笑みを見せて、ロッテは嗤った。
◇◆◇◆◇
時間が止まった様に、執務室に重い空気が流れる。黙って見つめ合う二人のそんな均衡を崩したのはロッテだった。
「……王都商業連盟が通貨の発行権を持つことで、フレイム経済を『巧く』回しているのは事実なのですよ。彼らは所謂『無茶』をしない。幾ら自らが通貨を発行しているからと言って、純度の低い通貨を発行するような不様な真似はしないのですよ。商人は『利』に聡い。通貨の発行による『旨み』と、無駄に通貨を発行する事による『旨み』、一体どちらが得をするか、良く分かってくれている。悪貨が良貨を駆逐してしまえば、最終的には自らの首を絞める事になるのを良く知っている。商業『連盟』というのもいい塩梅に働いてくれていますしな」
「一商人なら無茶をしても、『連盟』という形が抑止力になっている、と?」
「そうです」
「では、今のままで宜しいのでは? 無理に王都商業連盟から通貨発行権を『取り上げる』様な真似をしなくとも宜しいでしょう」
中央銀行の独立性、という言葉がある。
各国の中央銀行は発券銀行――日本であれば円、アメリカであればドル――としての側面を持つ。『発券』とは文字通り、紙幣を刷って市中に放出する役目の事だ、と思って貰えれば大筋は間違っていない。そして、往々にしてこの『中央銀行』は程度の差こそありこそすれ、政府から『独立』した機関である事が多いのである。
一例を上げよう。とある国の経済が不況になって、モノが売れないとする。モノが売れない以上、価格を下げざるを得ず、価格を下げると言う事は当然企業の業績は下がり、従業員の給料は下がる。給料が下がると当然、消費はもっと冷え込み、冷え込むと価格を――と以下エンドレスの不況に陥ったと考えて欲しい。
オルケナ大陸の各都市の様に『モノが売れようが売れまいが、税金は一律』であっても、テラの様に『利益から利益に応じた税金を徴収』であっても、この現象が起これば税収が減る事は予想できると思う。前者は倒産や滞納、後者は純粋に減少だ。
政府は考えるだろう。冷え切った景気を、どうすれば再生出来るか。税金を下げ、商会に利益を留保できる事も出来るだろうし、買い物をする人に補助金を出す事も出来るだろう。だが、基本的にそれは『後ろ向き』の政策になりがちで、抜本的な解決には成り得ない。では、どうするか。
商会の売り上げを上げるのが一番、早いのである。
政府のお金で無駄な小麦を、無駄な宝石を、無駄な美術品を買い集めればいいのだ。商会は売り上げが上がり、売り上げが上がれば給料を増やす事ができ、そうすれば個人の買い物も増える。個人の買い物で更に商会の売り上げは上がり、もっと給料を増やす事ができて――以下、エンドレス。最終的には使ったお金よりも多くの『お金』が市中を駆けめぐるこの現象を、乗数効果と呼ぶ。細かい数式は省くが、文字通り掛け算式に景気が回復していくのである。
あくまで理論上はではあるが、一見素晴らしい政策に見える。だが、これには大きな問題が一つあるのだ。あらかた想像が付くであろうが、乗数の最初の部分、つまり政府が『お金』を持っていないと走り出す事すら出来ない。ゼロには何を掛けてもゼロにしかならないのだ。
仮に、発券銀行である中央銀行が政府に隷属する機関であったとしよう。手持ちのお金が無い政府は中央銀行に命じてじゃんじゃんお金を刷って行き、市中にそのお金を流して行くのだ。景気は確かに回復するだろう。商会の売り上げは上がり、従業員の給料は増え、イイ事尽くめの様だが……これにも問題がある。物価が上がるのだ。
余程の篤志家でも無い限り、五百円で買いたいという人がいる本を、敢えて百円で売ろうとは思わないだろう。値段が下がるのは売れないから下がるのであり、売れる以上は高い値段で売るのが通例、五百円と言わず千円でも! という人が居ればその人に売るであろう。この現象をインフレと呼び、このインフレが加速度的に膨れ上がった現象を『バブル』と呼ぶのだ。
「王都商業連盟が王府と一定の距離を保つことによって、この国の経済が回っていると思いますが?」
「否定はしませんな」
前述の『中央銀行の独立性』に話を戻す。政府から『お金、もっと刷ってよ』と言われても、中央銀行が政府に隷属していなければ『ヤだよ。今お金刷ったらバブルになるじゃん。我慢、我慢』とも言えるのだ。裏を返せば、景気を回復させたい政府と、バブルを引き起こしたくない中央銀行の火花を散らす戦いがあるから、『経済』は綺麗に回るのである。慣れ合いだけではダメなのだ。
余談ではあるが、この『インフレ』を殆ど親の敵並に憎む国がドイツである。少し古いタイプの金融関係者は『DM』と言うとダイレクト・メールではなくドイツ・マルクを思い出すというが、このドイツ・マルク、第一次世界大戦後に記録的なハイパーインフレを起こした。『薪を買うよりマルク紙幣を燃やした方が安い』や『コーヒーを飲むのにトランク一杯分の紙幣が必要だったのに、飲み終わって会計をする時にはトランク二杯分が必要だった』なんて、冗談みたいな話が現実にあったのだ。この話だけでも過度のインフレは正当な経済活動を阻害するのがお分かり頂けると思うが、ドイツはこの教訓から殆ど病的なまでにインフレを嫌い、『ドイツ色』の濃いユーロ圏の中央銀行である欧州中央銀行もこの傾向が比較的、強い。
「王都商業連盟が『睨み』を効かしている事で、王府は野放図な経済政策を取らない……『取れない』が正確ですな。取れないのです。それは私も重々に承知しています」
「では、何故? 何故、商業連盟から通貨発行権を『取り上げる』のですか?」
浩太の疑問に、ロッテはゆっくりと机の上の白金貨を一枚取り上げて見せて。
「この硬貨一枚、発行するのに幾らかかると思いますか?」
「一枚の発行額、ですか? それは……」
「材料費、加工費、人件費。これを含めて概ねフレイム銀貨で四枚かかるか、かからないか、です。つまり、商業連盟はフレイム白金貨を一枚発行する度、フレイム銀貨で六枚の『利益』を上げているのです」
国家の『事業』である筈の『通貨』の発行で、と付け加えて、手の中のフレイム白金貨を握りこむ。
「……フレイム王国の財政は決して楽では無いし、景気は決して良くは無い。債務は右肩上がりに増えて行き、税収は右肩下がりで減っています。はっきり言いましょう、楽ではないどころか、火の車です。今後、税収の爆発的な増加も到底、望めない。このままではジリ貧、新たな収入源を持たない我が国はやがて滅亡するでしょう。ならば」
「通貨発行『益』による財政再建、ですか」
「話が早くて助かりますな。その通りです」
ロッテの視線と浩太の視線が机の中央で交わる。どれくらいそうしていたか、ロッテに視線を固定したまま浩太は口を開いた。
「通貨発行を無尽蔵で行う事など出来ませんよ。それとも、引渡証書でも発行しますか?」
「引渡証書は正直『巧い』発想でしょう。ですが、白金貨をかき集めて発行する『証書』は、結局の所『債務』です。それでは意味が無いのですよ、松代殿」
「では、どうすると?」
「鋳造する前の白金貨、これを担保に……つまり、鉱物を担保のまま、発行します。王府発行のフレイム白金貨……いえ、『フレイム白金貨紙幣』の発行。これが最終的な私の狙いですよ、松代殿。そして」
貴方にはその『片棒』を担いで貰いたいのですよ、と明日の天気を話す様に、さらっと、何でもない事の様に。
「硬貨であるフレイム白金貨よりも安価で、手軽に製造が行える。ありがとうございます、松代殿。貴方の考えた偽造防止の技術が役に立つ。発行額には考慮する必要があるでしょうが、それでも利便性を考えれば十分役に立つでしょう。ですから――」
「少しお待ちください」
「――なんですかな?」
嬉々として、今後の展望を語るロッテを睨みつける。そんな浩太の仕草に心底不思議そうに首を捻るロッテに。
「誰が、お手伝いをすると言いましたか?」
言葉自体は静かに、だが、叩き付ける様に。
「……お手伝い、頂けないと?」
「手伝う義理がありませんので」
「……困りましたな、それは」
知った事か、と胸中で呟く。浩太にしては珍しく頭に血が昇ったまま、ロッテを睨みつけて。
「それでは……『テラ』を見逃す訳には行きませんな」
昇った血が、足元まで下がる。
「……なんですって?」
「貴方が私の『仕事』を手伝ってくださるのであれば、テラの発展も『見逃して』差し上げましょう、とそう言っているのですよ。ばかりか、テラに利益を『供給』しても良い。そうですな……紙幣の製造をする工場をテラに建設しても良いでしょう。無論、テラに対して土地の賃借料はお支払します。それでも十分に利益は上がる」
だから、手伝って下さい、と。
「いいえ。『手伝え』です。貴方に選択権は……正確にはありますが、貴方はそちらを選ばないでしょう?」
再びの、沈黙。
「……なぜ?」
やがて、絞り出す様に振り絞った浩太の声がロッテの耳朶を打つ。その声に少しだけ不思議そうにロッテは首を捻って見せた。
「なぜ、とは?」
「なぜ、私に手伝わそうと?」
握った手に、汗がじっとり滲む。そんな浩太の顔をしげしげと眺め、ロッテは口を開いた。
「理由は二つです」
「ご教授を」
「まず、一つ。貴方にはテラで引渡証書の流通を実際に行った実績がある。適材適所ではありませんが、未経験のモノを使うより貴方に『お願い』する方が効率が良い」
「お願い、ですか。どの口が言いますか」
「この口ですな。二点目です。王府による紙幣発行は色々問題が多い」
「ですから――」
「ああ、そうではないです。経済的な問題ではなくて」
言い掛けた浩太を遮り。
「――恨まれるのですよ。王都商業連盟から、ね」
「……」
「王府紙幣による経済的なデメリット以上に、商業連盟から既得権益を『取り上げる』方が問題は多い。一度握った、それも千年も続く権益を商業連盟が簡単に手放すと思いますか?」
「抵抗は必至、でしょうね」
「その矢面にフレイム王国の宰相が立つ。これはちょっとした恐怖です。先程恨まれると言いましたが、恨みぐらいはどうと言う事は無い。問題は商業連盟がヘソを曲げて――『王国』と『連盟』が対立してしまう事態になれば、フレイム経済は大混乱だ」
「私に恨まれる役をやれ、と?」
「有体に言えば、そうです。憎まれ役はぴったりでしょう、『魔王』様?」
そう言って少しだけ可笑しそうにロッテは笑って。
「……昔から考えていたのです。どうしたら、商業連盟の力を削げるか。どうしたら、フレイム王国の財政を改善できるか。幾つもの案を出しましたが、どれも一長一短です。正確には『それ』を行う演者が居なかった。だが、ようやく今、その役者が揃ったんですよ」
「……それで、私に?」
「ええ」
「ですが、それで本当に宜しいのですか?」
「何が?」
「貴方は私に言いましたよね? 『この国に英雄は必要ない』と。『英雄になりそうな人間は、もう何もするな』と。良いのですか? この案は――商業連盟を相手取って、『フレイム王国』の枠組みを変えるなんて、そんな壮大な国家的事業は私を――松代浩太を、『英雄』にしますよ?」
王国の、その千年の歴史の中で培われた土壌を破壊し、再生する。『魔王』の所業とも、『英雄』の所業とも……少なくとも、『特別』なその仕事を、任していいのか? と。
「論法が破綻していませんか?」
そう問いかける浩太にロッテは可笑しそうに笑って見せて。
「前提条件が違いますよ、松代殿」
「前提条件?」
「ええ。それでは……三点目をだしましょうか」
ねえ、松代殿と。
「貴方は……もう、『怖くない』んですよ。私に取って」
「――怖く、ない?」
「昔、私は貴方に言った。『貴方は間違いなく勇者』だ、と。『貴方は怖い人だ』と。ああ、『諦めの良い、頭の良い人だ』とも言いましたな」
「それが?」
「勇者の一番の素質は、『英雄の条件』は何だと思いますか?」
「……知りませんね」
「英雄の一番の条件は、『人を顧みない事』なんですよ」
「……」
「だって、そうでしょう? 勇者は何のために魔王を倒すのですか? お姫様を救う為ですか? 世界の平和を守る為ですか? それとも、自らの栄誉を求めてですか?」
「それは……そうでしょう。悪い魔王から、悪の帝国から、人々を守る為に――」
「そして、勇者はその過程で多くの人を『切り捨てる』んです」
「――切り捨てる? 世界を救う勇者が……沢山の人を救う勇者が人を切り捨てる、ですか?」
「救われるお姫様は良いでしょう。救われる世界も良いでしょう。でも、勇者の両親はどうでしょうか? 自らの息子が、或いは娘が、命の危険を賭してまで魔王の元に向かう事を本当に喜ぶでしょうか?」
「それは……ですが、世界の平和を守るために、笑顔で見送って――」
「勇者の友人は? 幼馴染は? 恋人は? そういう人達の『行かないで欲しい』という気持ちを踏みにじって、勇者は魔王討伐の旅に出るのですよ。無邪気に、笑顔で。『心配しないで、きっと帰って来るから』などと、何の根拠も無い言葉を、『大丈夫、お前の為に戦ってくるから』と、人の心に楔を残してね。残された人も笑顔で見送りますよ、それは。当たり前でしょう? 世界を救う旅に出る人間に、『どうかお願いだから行かないで』と足元に縋り付いて泣くのですか? 『心配しないなんて無理に決まってるだろう!』と怒鳴るのですか? 『きっと、他の誰かがやってくれるから! だから、傍に居て欲しい』と抱きしめるのですか? これから命を懸けて戦う人間に、後ろ髪を引かせる様な事をさせるのですか?」
「……」
「『勇者』とは、『英雄』とはそういう人種なのですよ。自分勝手に『世界の平和』というお題目を掲げて本当に大事な人間を切り捨てて、向かうのですよ。『本当に大事な一人』ではなく、『どうでもいい大多数』を救うために、何も見ず――見なかった事にして」
いいや、と、首を左右に振って見せて。
「本当はそうでは無いのかも知れません。『英雄』に取って、本当の意味で大事な人など誰も居ないのかも知れませんな。自らを産み育ててくれた両親も、共に泣き、笑った友人も、思慕を寄せてくれる幼馴染も、大陸の端に住む出逢った事の無い人間も同列なのでしょう。博愛主義、と言えば聞こえは良いのでしょうが、人を区別しない人間など『欠陥品』ですよ」
「……」
「私見ですが、人は人を差別し、区別するものだと私は思います。オルケナの端っこで何千人死ぬよりも、自らの大事なたった一人が死ぬ方が辛く、悲しくあるべきだと私は思います」
だから、そんな当たり前が出来ない『英雄』が嫌いなのです、とそう付け足して。
「私は貴方にその『英雄』の素質を感じた。『数字』だけしか見ず、人の心の上っ面をなぞる、そんな『英雄』だと思ったのですよ。人に頼る事をせず、人に頼られても自分を見せず、このオルケナ大陸に、『大事な人』など居ないと、そう思ったのですよ」
だが、どうしょうか? と。
「私が『テラを見逃さない』と言った時の貴方の顔」
「そんなに酷い顔をしていましたか?」
「『大事な場所を壊さないで欲しい』とありありと出ていましたな。そう、まるで『市井の一般人』の様に」
こちらとしては好都合ですが、と笑うロッテ。
「有難いですよ、松代殿。貴方は弱くなった」
「……弱くなった訳ではありませんよ」
「そうですかな? 現に貴方は今、私のこの『案』を呑もうと思っている。政治的にも、財政的にも決して良案とは言えない……言い難い案を呑んで下さろうとしている。それは、何故ですかな? エリカ様やエミリ、その他テラで暮らす人々の為ではありませんか? 頭の良い『英雄』は諦めるのですよ。『此処は、テラの皆に泣いて貰おう』と。少ないテラの人間ではなく、『大多数』を取るのですよ。だから」
――『英雄』は厄介なのです、と。
「守るべき大事な人が出来ると、判断が鈍るのです。そして、そんな人間は英雄でも何でも無い。であれば、貴方は人より賢しいただの人です。ただの人であるのならば」
「御しやすい、ですか?」
「ええ。もう、怖くありません」
「……」
「……」
沈黙。執務室に、今日何度目かの沈黙が落ちる。どれくらいそうして居たか?
「今、私が何を考えているか分かりますか?」
不意に浩太がその硬い表情をふっと弛めて笑んで見せた。
「気でも触れましたか?」
「いいえ、違います。違いますが……相変わらず、失礼ですね」
「シオンと一緒に居たのなら分かるでしょう。血筋ですよ」
「随分な血筋ですね、それは。業が深い」
「貴方も大概失礼ですな。それで? 一体、貴方は何を考えたのですか?」
そう言うロッテに、笑みを苦笑に変えて。
「『これ、内緒でこっそりやったら絶対エリカさんに怒られるな』」
「……」
「貴方の言う様に、私は『数字』しか見ていなかったのかも知れません。何でも一人で出来ると――出来ると勘違いして、出来ない事から目を背け、壁があれば乗り越えるのを諦めていたのかも知れません」
本当は違うのですがね、と自嘲気味に笑い。
「頼る人が居ると、乗り越えられない壁を乗り越える為の手助けを人にして貰えると、人が壁にぶつかった時、それの手助けを出来ると……それを『弱い』と評するのであれば、私は貴方の言う『弱い人間』で構いません」
「ふむ」
「誤解を恐れず敢えて言えば、私はフレイム王国の人の幸せも、オルケナ大陸の平和も、関係ありません。私はただエリカさんやエミリさん、ソニアさんや綾乃さん、それにマリアさん達と楽しく過ごせればそれで構いませんよ。英雄じゃなくても、魔王じゃなくても、ただ、皆と楽しく暮らせれば」
「ウチのシオンは?」
「……ああ、遠慮をしておきましょう」
「酷いですな」
「勿論、冗談ですよ?」
苦笑を、もう一度笑みの形に――少しだけ茶目っ気を含めた笑みに変える。
「――分かりました。『お手伝い』させて頂きます」
笑みのままそう言い切る浩太に、少しだけロッテが眉の形を変えた。
「ふむ。もう少しごねるかと思いましたがな」
「ごねませんよ。私が頑張れば、テラが『幸せ』になる――皆で楽しく暮らせるのですから」
「……本当に変わりましたな、松代殿」
「『使い易い』でしょう?」
「ええ。精々、『使われて』下さい」
「分かりました。ただ、『利益』は還元して貰いますよ?」
「存分に」
そう言って、二人でニヤリと笑い合う。それも一瞬、ロッテは表情を戻す。
「王府による紙幣の発行自体は別段、商業連盟の許可を取る必要はありません。ただ」
「取っておいた方がスムーズに進む、と言う事ですね?」
浩太の言葉に軽く頷き、ロッテは席を立って執務机に向かって歩く。二段目の引き出しを開け、一枚の紙を取り出すと机の上に置いた。
「王都商業連盟には多くの商会や商人が参加していますが、意思決定を委ねられるのは互選によって選ばれた九人です」
「九人?」
「ええ。王都商業連盟政策会議、通称『九人委員会』です。九人の地位は完全に同列で、議長や副議長などは置きません。議決権を持つ『委員』の三分の二以上の出席で成立し、決議事項は完全多数決。同数の場合のみ『宰相決議』という名目で採択をする事が可能です。ですが」
「今まで一度もそんな事は無い、と」
「宰相決議のみならず、欠席者すら出た事がありませんな。委員が奇数、というのもありますので同数になる事もまずありません。『宰相などに決めさせない』という自負もあるのでしょうし」
厄介な事ですが、と肩を竦めて見せた後、指でトントンとテーブルの上の紙を叩く。
「ここに書いてあるのが現在の『九人委員会』のメンバーです。現状、私が『落とせそうな』人間は二人。私の甥っ子に当たるバウムガルデン商会の人間と、このリッツ商業組合の組合長です」
「過半数を取るためには、私は少なくとも後三人は『落とさなければ』ならない、と? 面識のない相手にですか?」
「三日後、夜会を開こうと思っております。フレイム王家主催の大々的な夜会を。無論、九人委員会の人間も来ますのでその時にでも顔繋ぎをして頂きたい。テラに商会を出している人間もいますので、話を『巧く』転がして下さい」
「……何とも『ふわっ』とした話ですね」
「それについては申し訳ない、とは思っております。ですが私としても表立って動けないのですよ。理由は言わずもがな、でしょうが」
「まあそうでしょうね」
「ああ、ちなみに」
「ロッテさんが関わっている、というのは他言無用でしょう? ですが」
「エリカ様やエミリ、ウチのシオンや件の聖女様……あまり宜しくないですが、ソニア様まではお話頂いても構いません。無論、その方達が他言しないのが条件ですが」
「綾乃や、ソニアさんも宜しいので?」
「世界に冠たる海上帝国の姫、ですからな。それによってもしかしたら巧く転ぶかも知れない、という希望的観測もあります」
「綾乃に関しては?」
「松代殿、聖女様を『仲間外れ』に出来るのですか?」
問われ、浩太は想像し――そして、首を左右に振る。
「無理、ですね」
『なーんで私が仲間外れなのよ! ブッ飛ばす!』とイイ笑顔で拳を握り締める綾乃の姿が脳裏に浮かんで、消えた。
「……分かりました。善処しましょう」
「もう少し、力強い言葉が欲しい所ですが?」
「『前向きに検討します』よりはよほど、力強いですよ」
そう言って肩を竦め、浩太は机の上の紙を掴んで席を立つ。
「お帰りで?」
「ええ。これから初めての人に逢い、その上で仲良くなり、こちらの要求を呑んで貰うんです。これを考えると六十日『しか』ありません。時間が惜しいですのでこれで失礼させて頂きます。皆さんにも相談しないと行けませんし」
「そうですか。それでは三日後、宜しく――」
「いえ」
「――おねが……なんですかな?」
「その三日も惜しい。拝見する限り、どうやら『知り合い』もいる様ですし……お逢いできるかどうか分かりませんが、少しお邪魔して見ようと思います」
紙の一番下に書かれた行を示しながら。
「――ホテル・ラルキア会長、アドルフ・ブルクハルト氏に」
そう言って、浩太は笑んで見せた。




