第六十八話 それぞれの『アイ』のカタチ
①スキヤキパーティーに行ってきました!!
……『小説家になろう』の話ですけど。
先日、足軽三郎様の『緑と青は平行線 -大人の二人のなろう荘』に疎陀、ゲスト出演させて頂きました。フレイム王国興亡記は銀行モノですが、色々と書ききれない……というか、お話の本質に合わなくて書いていない所の銀行知識が書いてあって面白いですのでそちらも是非! まあ、私はあんなにイケメンではないですがw
②ようやく一区切り!
さて、銀行モノと言っておきながら殆ど金融話も何にも無かったこの段落でしたが、ようやく此処で一区切りです! 別段そういう訳方ではないのですが、『第二章・完』みたいな感じです。私も疲れましたが読者の皆様も『もやもや』していたのでは無いかと。此処までお読み頂き感謝! ええ、この恩は今後の展開で返して行きたいと思います。『この段落はやっぱり必要だった!』と言って貰える様になっている……筈! 頑張ります。
③来週の更新はお休みです!
次回は一巻発売後になるかと。色々勘案すると、どうしても一週『余る』計算になりますので区切りの良い此処で。ちょっと休みすぎですが、ご容赦願えれば。
その間に設定資料でも作ろうかと思っておりますので、可能であればアップをしようかと思っております。ええ、可能であれば、ですが……
馬車を降りると同時、草原に強く吹く風に乱れる髪を押さえつけて綾乃は視線を進行方向とは逆、つまりテラの方で――松代浩太が走る方角に向ける。運動不足がたたってか、もつれる様に走る浩太の姿はあまりにも不様で格好悪く、苦笑を浮べながらその姿を見つめる。
「……百年の恋も覚めるわよ、アレじゃ」
独り言の、つもり。
「なんだ? 覚めるのか?」
そう呟いた綾乃は返答のあった事に少しだけ驚き、目線だけをそちらに向けて肩を竦めて見せる。
「まさか。言ってみただけよ。世界まで跨いだ恋心よ? 覚める訳ないじゃん、シオンさん」
「その割には随分あっさりしたものだな? 愛しの愛しのコータが遠くに行ってしまうぞ?」
「なに? 足元に縋り付いて『行かないで!』と泣けば良かった?」
あの公爵のお嬢ちゃんみたいに、と指差す先には口元を両手で押さえて涙を零すエリカの姿。その姿を視界の端におさめ、シオンは綾乃同様に肩を竦めて見せた。
「そこまでは言わんさ」
「まあ、私のキャラじゃないわよ。足元に縋り付いて泣くなんて。そういう可愛らしい仕事は『お姫様』のお仕事よ」
「ふむ。ならば聞こう。アヤノ、君の仕事は?」
「勇者を照らし、導くのが『聖女』の役目でしょ?」
「あいつは『魔王』だぞ? 正義の味方とは随分違うが?」
「それは見方の問題。魔王の国から見たら最強の勇者で、英雄で、ヒーローでしょ、魔王って」
そう言って、うーんと背伸びを一つ。その後、妙齢の女性には似つかわしく無く左右に首を振ってポキポキと骨を鳴らして見せる。
「ま、そんな事はどーでも良いわよ。私個人として、あんな浩太は見たくなかった。楽しそうじゃない、あーんな辛そうに笑う浩太なんてこっちから願い下げよ」
「ふむ」
「何時だって浩太に笑っていて欲しい。辛い顔を見るのも、悲しい顔を見るのも、泣きそうな顔だって見たくないの。私はただ、バカみたいに浩太に笑っていて欲しいだけ。だから、あいつの――って、シオンさん? 何で笑うのよ?」
口元を押さえ、喉奥をくっくと鳴らして笑うシオンに綾乃がジト目を向ける。その視線に『失礼』と返し、シオンは白衣のポケットから煙草を取り出して火をつけ、巧そうに紫煙を肺にくぐらせた。
「色々言っているが……結局アヤノ、君は我慢しているだけだろう?」
「我慢? 何が――ああ、浩太の態度が我慢ならないって言うのなら――」
「違う」
そうじゃない、と口に煙草を咥えたまま右手を左右に振って見せて。
「アヤノ、君は一言も『あんな浩太とは一緒に居たくない』とは言ってないだろう?」
「……それが?」
「誤魔化すか?」
絡み合う視線。その視線をそっと逸らす綾乃に、シオンは畳みかける。
「辛そうな、泣きそうな、悲しそうなコータは見たくない、か。なるほど、自分の感情を押し殺しても人の幸せを願う所など本当によく似ているな、お前らは。異世界がそういう所なのか、それとも『銀行』という所がそうなのか?」
「『大人』は皆、こんな物でしょ?」
「私は我儘だからな。自分が楽しくない事は……『私が我慢してもコータが幸せなら私も幸せ』みたいな結末は気に喰わんさ」
「イイ性格してるわよ、貴方」
「褒め言葉と受け取って置こう」
もう一度くっくと喉を鳴らすシオンに、綾乃は呆れ顔を浮かべて溜息一つ。
「皆が皆、貴方みたいな『おめでたい性格』はしていないわよ」
「我慢も大事、と?」
「私は『可愛げが無い』から。良く知ってるのよ、私。自分に求められる役割も、自分がなすべき役割も」
「コータよりも厄介そうだな」
「なんだかんだで、浩太は単純だから」
さあ行きましょう、と促す綾乃。馬車に乗り込もうとタラップに足をかけ、その場を微動だにしないシオンに訝しげな視線を向ける。
「何してんのよ? さっさと戻りなさいよ。あんまり遅くなるとルドルフさんが怒るわ――わっぷ! ちょ、ちょっとシオンさん! なにするのよ!」
喋りかける綾乃の顔に、シオンは大きく吸った紫煙を吐き掛ける。開けたままの口から入ったそれに綾乃は大きく咳き込んだ。
「ケホっ! ちょっと! 何考えてんのよ、貴方! 私、非喫煙者よ! うわ、髪に匂いがついたじゃない! もう、最悪!」
「ああ、済まん済まん。わざとじゃないんだ」
「どの口が言うのよ!」
「いやはや、非常に申し訳ない。お詫びと言っては何だが、私のこの豊満な胸でも貸そうか?」
「はぁ? 意味が分んないですけど!」
「非喫煙者は煙草の煙に慣れていないだろ? 私も初めて吸った時はそうなったさ」
「だから!」
「先から上がる煙がこう、目に染みてな。思わず涙目になったものだ」
だから。
「どうだ? アヤノ、『涙』が出てこないか?」
右手の人差し指と中指で挟んだ煙草を左右にちらちらと振って見せ。
「……泣き顔が恥ずかしいなら、胸くらいは貸してやるが?」
その言葉に。
「……はあ? アンタ、何格好つけてんのよ?」
言葉とは、裏腹。
タラップにかけた足を降ろし、綾乃はシオンの元に歩みを進める。勢いそのまま、胸元に顔をポフンと埋めた。
「……有難く、使わせて貰う」
「そうしろ」
「……これは、煙草の煙が目に染みただけなんだからね」
「ああ、それは知っているぞ? 『つんでれ』という奴だろ?」
「違うわよ」
「ん? 『別に何々じゃないんだからね!』というのは『つんでれ』では無いのか? 浩太に聞いたが?」
「あのバカ、何教えてんのよ」
「……」
「……」
「……好き、だったのよ」
ポツリ、と。
「……ふむ」
「大好きだったのよ。今までも、今も、これからも、ずっとずっと大好き『なの』よ」
「そうか」
「いいのよ、別に。格好悪くても、情けなくても、どんなに不様でも」
ただ、傍に。
「……好き、なのよ。だいすき……なのよぉ……」
肩を震わせ。
「ずっと……ずっと、傍に居たかったよぉ……」
「……本当にお前らは面倒臭い奴らだよ」
「……ひっく……こうたぁ……こうたぁ……」
小さかった嗚咽は徐々に大きく、そして高くなる。風に舞い、草原中に静かに、そして確実に流れるその声と自身の胸元を伝わる涙に肩を竦め、シオンは手に持った煙草を咥えた。
「と……まあ、件の聖女様はこう言っているが、実際どうするのが得策だと思う、ルドルフ閣下?」
振り返ることなく、煙草を咥えたままのその姿勢で言葉だけを自らの後方に投げかける。『ルドルフ』という単語に敏感に反応した綾乃は、表情に驚きを乗せてシオンの胸元から顔を上げ。
「正直、困りましたな」
困惑――というより、少しだけ呆れた様な苦笑を浮べるルドルフの姿を見た。口をパクパクと開けて言葉もない綾乃をチラリと見やり、シオンは言葉を続けた。
「私の記憶が確かなら、『相互発展の為の人材派遣』というのは条約の外、いわば覚書の範囲の中であったと記憶しているが?」
「そうですな。その記憶に相違ありません」
「では、今コータがエリカ嬢の元に駆けて行っているこの現状は重大な『条約違反』ではない、という認識で問題ないか?」
「……まあ、条約違反ではありませんな。ただ、国賓待遇で迎え入れようとしていた我が国の面子の問題もありますぞ? 『来る』と言っておきながら来ないのは、外交儀礼としてどうかとも思いますがな」
「話は変わるが、コータはああ見えて体の弱い所があってな」
「ふむ?」
「どうやら体調不良らしい。いきなり水の違うラルキア王国に行くのはコータの体調に宜しくない、ああ、非常に宜しくない。何、ルドルフ閣下、心配なさるな。行かないとは言っていない。体調が良くなったら必ず向かうさ。それとも……何か? ラルキア王国は『体調の悪い』コータの首に縄でも付けてラルキアに連れて行くおつもりか? その方が外交儀礼としてどうかと思うが?」
「……年は取りたくない物ですな。私の目には元気に駆けているマツシロ殿の姿が見えるのですが?」
「幻覚だろう、ルドルフ閣下。どうしても体調不良が嫌なら……そうだな、情緒不安定でもいいが?」
「少しは誤魔化す努力をしてくれませんかな?」
「私は学者だからな。そんな七面倒臭い腹芸は好かん」
「良く仰います。ロッテ・バウムガルデンのご身内が」
「ロッテ翁は関係ないさ。私はフレイム王国王立学術院主任研究員、シオン・バウムガルデンとして話をしているんだよ、ルドルフ宰相閣下?」
絡み合う、視線。逸らす事なくシオンは言葉を続ける。
「本国に照会を取って貰っても構わないが、私はコータ・マツシロの召喚についての責任者であり、現在は身元引受人でもある」
「……今更、それを申しますかな?」
「コータの意思でラルキア王国に行くならそれも尊重しようと思ったさ。だが、事情が変わった。フレイム王国としてはコータ・マツシロのラルキア行きを認める訳には行かないな」
なんせ、『体調不良』だからな、と肩を竦めて見せて。
「その権限が私にあるかないか、貴方なら分かるだろう?」
「……」
「なに、この『借り』は返すさ。主任研究員の権限がどれ程のものか、こちらも貴方なら十分分かるだろう、ルドルフ閣下?」
「仕方ありませんな」
呆れた様に、溜息一つ。
「ラルキア本国には私の方から話を通しておきましょう。その代り」
「分かっている。学術院でも将来有望な研究者を数人、ラルキアに派遣しよう。人材交流ならこれで十分だろう?」
「是非」
一礼し、話は終わりとばかりに自らの乗って来た馬車に戻ろうとするルドルフ。
「閣下」
そのルドルフの足を、シオンの言葉が止める。訝しげに振り返ってルドルフに、咥えた煙草をポケット灰皿に押し付けシオンはじっとルドルフを見やった。
「こちらから人材を派遣するんだ。そちらからも人材を派遣して貰おうか」
「……我が国にはフレイム王国に派遣できる程の人材は居ませんぞ? それでなくとも戦争で人材は枯渇しております。覚書にもそう書いておりますが?」
「復興に必要な人材を派遣しろ、とは言わんさ。だが要るだろう? 復興に必要がなく、『魔王』と釣り合う程の重要な人材が」
そう言って、話の流れにいまいち付いて行けず、ポカンと口を開ける綾乃を見やり。
「この、『聖女』様を、フレイム王国にはけ――」
そこまで喋り、言葉を止める。
「………………タヌキ?」
「ブッ飛ばす」
涙で化粧が取れ、目の周りを真っ黒に染める綾乃に思わずシオンの本音が漏れる。その言葉に今までが嘘の様、敏感に反応して拳を握りしめる綾乃。
「あ、いや、済まん! つ、つい言葉が漏れた」
「うん、分かった。私に喧嘩売ってんのね? 結構シリアスな感じだったよ、今。なに? ボケなきゃ死ぬ病気にでもかかってんの、アンタ?」
「いや、ボケた訳ではなくてだな。こう、本当にタヌ――」
「それ以上言うな。本当にブッ飛ばすわよ?」
慌てて首を左右に振り、否定の意を示しコホンと咳払いを一つ。
「……それで誤魔化されると思っておられるのですかな?」
「誤魔化されてくれ、頼むから。とにかく、だ。戦争終結に必要な『神輿』の役目はもう終わっただろう?」
「言い方が悪いですな」
「本当の事だ。そちらに利用価値が無いのなら、こちらで引き取りたいと思ったまでだ。感情が先行した戦争だ。『利』や『理』だけで納得できない部分を、『聖女』という超常的な存在で解決したが、そんな金メッキは直ぐに剥がれるぞ?」
「ふむ。では逆に聞きましょうか、シオン殿。その『利用価値』の無い『聖女』を何故貴方は引き取ろうと思ったのですかな?」
「どういう意味だ?」
「貴方はコータ・マツシロ召喚の責任者だ。ならば、召喚をされた――『魔王』や『聖女』にはまだ『利用価値』があると――」
そう思っても不思議では無いのですが、と。
値踏みする様なルドルフのそんな視線に、シオンはふんっと鼻を鳴らして。
「私が、そう『したい』からだ」
「…………は?」
「アヤノの利用価値? そんなモノは無い。どころか、わざわざトラブルの種を抱え込むようなモノだ」
「……では、なぜ?」
「アヤノはコータの側に居たいと言ったからな。コータにしたって、折角出逢った知り合いと離れ離れになるより、近くに居た方が良いだろう」
尤も、コータの『心労』は絶えないだろうが、と悪戯っ子の様に笑って見せ。
「出来れば私はそんな二人――いいや、エリカ嬢やエミリ嬢、ソニア様を含めて、皆が笑って過ごしている光景が見てみたい。だから……そうだな。言ってみればこれは」
私の我儘だ、と。
「……くっ……クックック……はーはっははは! いや、失礼……クックク……『我儘』と来ましたか」
言い切ったシオンに、堪え切れない様にルドルフは爆笑しだす。いつも飄々としていた彼からは想像も出来ないその『爆笑』に、目を丸くする綾乃。目尻に浮かぶ涙を拭いてルドルフは視線をシオンに向けた。
「いや、こんなに笑ったのは久しぶりですな」
「我儘は私のアイデンティティだからな」
「前言を撤回しましょう。貴方は間違いなくロッテ閣下のご身内だ」
「ロッテ翁と一緒にされると釈然としない物があるが。それに、直接的に血が繋がっている訳ではない」
「ならばバウムガルデンの家風ですかな。とにかく、そう言い切られると私としても何も言えませんよ」
そう言って、視線を綾乃に向けて。
「――聖女様」
「……はい」
「先日も申しましたが、ラルキア王国にお戻り頂ければ可能な限りの待遇を約束します。家も、土地も、食べ物も、望めば爵位だって用意します。一生不自由のない生活を保障致します」
「……ありがとうございます」
でも、と。
「……もし、我儘が言えるのであれば……私は、テラに……浩太の所に行きたいです」
「……」
「家も、土地も、爵位も要りません。豪華な食べ物も、綺麗な宝石も、何もいりません。ただ――ただ、私は」
――浩太と一緒に居たいです。
「……シオン殿、一つだけ訂正を」
「聞こう」
「私共は『聖女』様にご助力願いましたが、決して『利用価値』があるから大事にしていた訳では御座いません。彼女の人柄、彼女の気高さ、彼女の優しさ、彼女の強さ、その全てをひっくるめて……そうですな、憚りながら『親』の様な気持ちで見ておりました」
だから、どうか、と。
「――『アヤノ』を、宜しくお願いします。どうか、彼女に」
『幸せ』を、と。
深く、深く頭を下げる。
「……シオン・バウムガルデンが確かに承った――と、言いたい所だが」
『幸せ』を掴むかどうかは本人次第だな、と、挑戦的な視線を綾乃に向けるシオン。その視線を受け、にっこりと――瞳に涙を浮べ、それでもにっこりと微笑み。
「――ありがとう、ルドルフさん。大丈夫! 私、『幸せ』になるから!」
下げた頭を上げ、泣き笑いの、それでも飛びっきり綺麗な笑みを浮かべる綾乃をルドルフは優しく、そして暖かく見守った。
◇◆◇◆◇
後ろを振り返るのが怖かった。
『エリカぁあああーーーーーーーーーーーーーー!』
聞こえて来た叫び。そんな筈はないと、これは自身が『望む』幻聴だとそう思い、エリカは耳を塞ごうと両手を耳元に持ち上げ、その動きを止める。
――もしかしたら。
幻聴では無く、本当に浩太が叫んでいるのかも知れない。もしかしたら、浩太が追いかけてくれているのかも知れない。もしかしたら――
自らの後ろに、浩太がいるかも知れない。
ショックを受けない様、大きく深呼吸。おそるおそる、それでも大胆にエリカは後ろ振り返って。
視線の先に浩太の――愛しい人の姿を見た。
「――――っ!」
声にならない声が、両手を当てた口元から漏れる。こちらに走って来る浩太が涙で滲んで見え、まるでその滲んだ光景が幻覚を見せているのかも知れないと思い、慌てて口元に当てた手で涙を拭い。
間違いなく、こちらに走ってくる浩太の姿があった。
「――コータっ!」
声と同時、エリカの体がひとりでに駆ける。自らの考えるスピードと、自らの動く足の遅さが巧く噛みあわず、まるで雲の上を走っているかの様な浮遊感を覚える。
もっと軽やかに。
そう思う心とは裏腹、体は思う様に進まない。焦る足は空回り、早く、速く、と願う心に付いて行かず、エリカの足は地面を捉えそこないその身を大地に投げる。
「……っ!」
盛大に音を立てて転ぶ。うつぶせのまま顔を上げて自らの靴のヒールが折れている事を確認し、両方の靴とも脱ぎ捨てる。膝小僧はすりむき、顔には泥の後が一筋付いているも気にせずエリカは駆ける。
もっと――速く。
「コータぁーーーーー!」
◇◆◇◆◇
「宜しかったのですか?」
「『何』がで御座いましょうか?」
「エリカ様に『譲った』事ですわ」
浩太に向かって駆けるエリカに視線を固定したまま、ソニアはエミリにそう問いかける。そんなソニア同様、視線をエリカに固定したままエミリは口を開いた。
「劇的なら良い、という訳では御座いませんが……私ならばあそこで『こけて見せる』などという芸当は不可能ですので。コータ様より早く駆けてしまうのは流石に可愛げにかけるでしょう?」
「……エリカ様も別にこけたくてこけた訳では無いと思いますが」
「だから、でございます。何も考えず、何も思わず、ただ心のままコータ様を欲するエリカ様の方がこの場面にはぴったりで御座いましょう。私はただ、エリカ様がコータ様をテラに連れ戻して下さるのを此処で待たせて頂きますよ」
そこまで喋って口を閉じ、視線をソニアに向ける。
「ソニア様こそ、宜しかったので?」
「わたくしにはまだまだ逆転の芽がありますから。今回はエリカ様にお譲りしますわ。ああでもしないと走り出す事など一生ないでしょうから、エリカ様」
「お優しい事で」
「余裕ですから、わたくし」
ふんす、と鼻から息を抜き腰に手を当てて前方を見つめるソニア。年齢に似つかわしくないその慈母の様な笑みに、エミリも相好を崩した。
「……それでは帰りましょうか、ソニア様」
「あら? 最後まで見ませんの? これからが見せ場ですわよ?」
「流石に主の蕩けきった姿を見るのは余りにも不敬に当たると思いますので」
「そんなものですか?」
「出来るメイドはそっと陰から見守るモノに御座います」
それに、と。
「――自らの想い人が他の女性を抱きしめる姿など、見たくもありません」
「……賛成ですわね、それは」
「そこはかとなく腹が立つものに御座いましょう?」
「そこはかとなくではなく、がっつり、ですが」
「ならば尚の事です」
もう一度、優しい表情でエリカの方を見て。
「――さあ、それでは帰りましょう。今日は私が腕によりをかけて御馳走を作ろうと思います。コータ様のお好きなモノを作りましょうか」
「御馳走ですか? それはたのし――って、エミリさん? 貴方、もしかしてポイントアップ狙っています?」
「…………はて、何の事やら? 私には分かりかねますね」
「ず、ズルいですわよ、エミリさん! 『うわ、凄い御馳走ですね、エミリさん』『ええ、コータ様の為に腕によりをかけて作りました』『エミリさん』『コータ様』なんて、ハートマークを飛ばした甘い雰囲気を作るつもりですわね!」
「よくそこまで想像が働きますね? まあ……あながち間違いでは御座いませんが。稼げる所でポイントを稼がせて頂きましょう」
「腹黒っ!」
「領分に御座いますので」
「え、エミリさん! わ、わたくし! わたくしも手伝いますわ!」
「『コータ様、このサラダ! わたくしが作りました!』と言って頭を撫でて貰おうという算段に御座いますね? 流石ソニア様、あざといです」
「専売特許です!」
「構いませんが……盛り付けただけで『作りました!』なんて言わせませんよ?」
「ぐぅ! そ、そこを何とか……」
少しだけ潤んだ瞳で上目遣いを見せるソニアに苦笑を一つ。ゆっくりとその頭を撫で、『分かりました』とソニアの肩を押して屋敷に戻りかけて。
「……エリカ様」
立ち止まり、視線だけを後方に向けて。
「――頑張って! に、御座います」
◇◆◇◆◇◆
「――エリカっ!」
靴を後方に残し、投げ出す様に五体を大地に横たわらせる少女の身を案じる様、浩太の口から声が漏れる。届く筈も無いその声、それでもエリカは立ち上がり自らに向けて駆けてくれる。
――その事が、堪らなく、嬉しい。
「―――――っ!!!」
声にならない叫びをあげ、浩太がその足のスピードを増す。まるで体から力が湧きだす様、ぐんぐんと速度を上げ、軽やかにエリカの元に駆ける。
――なんて、そんな『奇跡』は、無い。
松代浩太は普通の人間だ。
チート能力も、天才的な才能も、天性のセンスも、召喚特権も、火事場の馬鹿力ですらもっていない、安物の奇跡すら起こせない、不様で、哀れで、格好悪くて、情けない『魔王』は、だからこそただ、駆ける。つんのめり、転びそうになる体勢を立て直し、ただただ走る。掴める未来を掴み取る為だけ、ただただ走る。
――やがて、彼我の距離は零へ。
「コータ――きゃ!」
「エリカ!」
最後の最後、ようやっと辿り着いたエリカがバランスを崩す。何とか受け止めようと浩太が差し伸べた手に捕まり――殆ど押し倒す様、エリカが浩太の胸元に飛び込む。結構な距離を全力で走り切ったのだ。運動能力に優れている訳でも無い浩太、既に足腰はすっかり疲労しきっている。当然、格好良く受け止める事など出来ず、その勢いに負けて二人揃って地面にその身を投げた。
「――っ! ――っ! ――っっ!!」
声にならない声。泣きじゃくり、エリカは浩太の胸元に顔を埋める。自らのモノだと言わんばかりに、匂い付けをする猫の様、胸元に自分の顔を強く、強く。
「――エリカ」
しばし、されるがままになっていた浩太がゆっくりとエリカの顔を胸元から引き上げる。涙に濡れる頬と泥を拭うよう、右頬に人差し指をそっと宛がった。その動きに合わせる様、幼子の様に右目を閉じるエリカが堪らなく愛しい。
「……俺、さ。本当に『何も』無いんだよ。格好悪くて、みっともなくて、情けなくて……今だってそうだろう? ドラマや漫画――ええっと、演劇とかだったらエリカを格好よく抱き留める所なのにさ? エリカに押し倒されてんだぜ?」
「……」
「大した知識も、才能も無い。出来る事はただ努力するだけで、でも、それですら絶対無理って思ったら簡単に諦めるんだよ。すげーダセーの、俺」
「……」
「辞める動機と、逃げる理由、諦める切っ掛けだけは見つけるのが得意でさ。続ける意思も、成し遂げる気力も、眼を見張る才能なんてものも無いんだよ。頑張っているのだって、前向きな理由なんかじゃ全然ない。ただ、周りから遅れない様に必死に付いて行ってるだけで――」
――だから、と。
「――本当に、俺は大した人間じゃないんだ。『勇者』として召喚されても、『魔王』なんて呼ばれても、そんな事全然ない、普通の、本当に普通の人間で」
――でも、と。
「――なあ、エリカ。そんな俺だけど……」
――俺を『必要』と、言ってくれるか、と。
「――違う、違う、こうじゃないんだ。これじゃ何にも変わってない。何にも成長してない」
自らの言葉を否定するよう、首を左右に振って何時もの。
――何時もの、呆れた様な苦笑と、肩を竦めて見せて。
「――なあエリカ、俺はさ」
お前の『必要』になりたいんだ。
「『される』んじゃない、『なる』んだ。周りに流されるんじゃなくて、ただ――俺の心の底から、お前の傍に居たい」
「――っ!」
「ダメ、かな?」
返答は、無い。涙で滲む視界のまま、エリカは浩太の手を振り払う様にもう一度胸元に顔を埋める。『ダメじゃない』と、そう主張する様に浩太の胸元で左右に首を振りながら。
「――そっか。ダメじゃないか。ははは、良かった」
「……だめ、じゃない」
「傍に居てもいいか?」
「……いい。というか、いて欲しい」
「そっか」
「そう」
「……」
「……」
「――俺さ、頑張るから」
「……」
「何を、とか、どうやって、とか、具体的な話は何にも出来ないし、物凄くふわっとした事言ってる自覚はあるんだけど」
でも。
それでも。
「――俺、頑張るから」
そう告げる、浩太に。
「――うん」
胸元から顔を上げ、流れる涙を両手でグシグシと拭って、エリカが顔を上げる。
「……ずっと」
「……」
「……ずっと、私達の傍に居て」
「……ああ」
「格好悪くても良い、情けなくても良い、大した知識も、凄い才能なんて言うのも要らない。ただ、私の――私達の傍に居て」
そんな、エリカの言葉に。
「――え?」
浩太は黙って首を横に振る。その仕草に慌てた様な表情を浮べ、瞳に涙を浮かべるエリカの頬をそっと拭い、笑顔を浮かべて。
「格好悪いのは嫌だ。情けないのも嫌だ。才能は……こればっかりは生まれ持ったモノだから仕方ないけど、知識はこれからだって付けて行く事が出来る。だから、このままこの場所で留まり続けるのは嫌だよ」
それは、結局『受け身』だから、と。
「だから、俺は今以上に頑張る」
見とけよ、と、今までエリカが見た事の無い、悪戯っ子の様な笑みを浮かべそう言う浩太。
「……ばか」
「バカだよな?」
「コータのいい恰好したがり」
「まあな。否定はしないよ」
「ふん、だ。折角楽させて上げようと思ったのに」
「それも中々魅力的な提案だけど」
残念ながら、と。
「銀行員は――松代浩太は、『努力家』なんですよ? こう見えても」
「――ホント、ばか」
ポフン、と音を立てエリカは再び浩太の胸に顔を埋める。ドクン、ドクンと鳴る鼓動が気持ちよく、それでいて気恥ずかしく、でも離れがたいから。
「――『甘える』のは、『女の子』の特権よね?」
「何か言ったか?」
「なに――」
なにも言ってないわ、と言い掛けて。
「――もっと強く抱きしめなさい、って言ったのよ」
「……了解、お姫様」
「頼んだわよ、浩太……いいえ、『コータ』」
沈みかけの太陽が照らす二人の影が草原に長く伸びやがて一つになるまで、二人はそうして抱き合っていた。




