第六十六話 格好悪い男
某国民的アニメのガキ大将が、大長編の時だけ綺麗な心を持つ現象を『劇場版現象』と言うらしいですね。今回はシオンさんが『劇場版現象中』です。綺麗なシオンさんです。いや、ヒロインの一人がわざわざ『綺麗な』って枕詞を付けられるってどうよ? というのもありますが……まあ、そんな感じです。
それと、済みません。多分来週は更新難しいです。ええ、年度末デスので。再来週は大丈夫だと思いますので、再来週までお待ち頂ければ幸いです。
「そんな所で何時まで寝てるつもりだ?」
どれぐらい、そうしていたのか。
エリカと別れ、中庭で寝転がっていた浩太に、天頂から聞こえる声。その声に導かれる様、浩太は閉じていた瞳をゆっくりと開く。相変わらずの快い草の香りと涼やかな風と共に聞こえてくるその声の主に目を向け、体を起こした。
「シオンさん」
「エリカ嬢から聞いた」
それだけ喋ると浩太の隣にどかりと腰を降ろすシオン。艶めかしく伸びた足で胡坐を組むと、白衣のポケットから煙草を取り出し火を付けて、美味そうに燻らして見せた。
「あまり、勝手な事をしてくれるな」
「……済みません」
「こう見えて、私は一応お前の『御目付役』だ。私の仕事はコータ、君をこのテラまで送り届け、無事にラルキアに返す事にある。それを……ラルキアはラルキアでも、ラルキア王国に行く? バカも休み休み言え。我儘な奴だ」
「貴方にだけは我儘とか、絶対に言われたくないのですが……まあ、仰る通りです。勝手な事をして申し訳御座いませんでした」
「ふん」
そう言って、煙草を大きく吸い込む。肺の中を循環した煙は大きく開けた口からその紫煙を立ち昇らせていた。
「シオンさんは、何時から煙草を吸ってらっしゃるんですか?」
立ち昇る紫煙を見るとは無しに見つめていた浩太が口を開く。そんな浩太をチラリと横目で眺め、もう一度『ふん』とシオンは鼻を鳴らした。
「質問が唐突だな。なんだ? 禅問答でもするつもりか?」
「そういう訳では無いですよ。純粋に興味です」
「フレイム王国の法で決まっているのでな。煙草は二十歳になってから、だ。少なくとも、公式にはそう答える事にしている」
「公式って。そうなんですか? それは日本……ええっと、私の住んでいた国と一緒ですね」
「アレックス帝が定めた法だから、当然と言えば当然だな。曰く、喫煙は人体の成長を著しく阻害するらしい」
「正解ですよ、それ」
「非喫煙者のエリカ嬢の体と私の体、見比べてから同じ事が言えるか?」
「……答えにくい質問ですので、解答を拒否します」
「その解答が正解だ」
喉奥をクックと鳴らし、もう一口。
「――私が煙草を吸いだしたのは大学を卒業してからだな。当時は色々あって……まあ、色々あった。父は喫煙者だったし、純粋に喫煙に対する抵抗も少なかった。だから……そうだな、私に取っては煙草の香りは『父』の香りだ」
そう言って、煙の先にある雲を遠い目で見つめるシオン。その仕草に、思わず浩太も顔に渋面を作った。
「その……シオンさん、聞き難いのですが……お父上は」
「うん? ラルキア大学で今でも教鞭を取っているぞ?」
シオンの言葉に、思わず居住まいを正した浩太ががくりとその肩を落とす。
「シオンさん……」
「故人だとでも思ったか?」
「そういう雰囲気の喋り方ですよ、今の」
「私の両親はラルキア王立大学の教員だ。身内の口から言うのは憚られるが……両方とも優秀な人間でな。そこそこ忙しい身ではあったし、物心ついてからこっち、両親との思い出は少ない。アリアが生まれてからはより顕著だ。知っているか? 生きているのに逢えない方が辛いぞ? なんせ、『我慢』しなければならないからな」
「……ああ、なるほど。シオンさんの性格が壊滅的なのは、幼少期の人格形成に問題があったからですね? 両親の愛を十分に受けれなかったから、『我慢』ばかりさせられたから、それだけひねた性格になった、と」
「失礼な事を言うな。私だって十分、両親の愛情を受けて育ったさ。だからこんな良い子に育ったんだ」
「どの口で言いますか、それを」
ジト目で見やる浩太を面白そうに見やり、シオンは白衣のポケットから携帯灰皿を取り出し、咥えていた煙草を押し付けた。
「人様の評価がどうかまでは知らんが、少なくとも私はこの自身の性格を随分気に入ってはいる。特にコータ、お前やエリカ嬢の様に『回り道』をしなくて済むからな」
「……」
「不器用な生き方だよ、お前らは」
そこまで喋り、黙ったままじっとシオンは浩太を見つめる。理知的な、切れ長の瞳に射抜かれた浩太は居た堪れなくなりその視線を外すも、シオンはその追撃を止めない。
「エリカ嬢にも言ったが、そこまで我慢が必要なのか私には疑問だ。やりたい事もやらない、出来る事も出来ない、そうしてやっている事は『やりたくない事』ばかり。我慢、我慢、我慢で、一体何が楽しくて生きているのか、皆目見当もつかん」
「……大人ですから、私達は」
「男性は何時でも少年の心を持つのではないのか?」
「それは理想論ですよ。現実は何時だって甘くは無いし、貴方が愛する世界とやらは決して優しくない。我慢しなければいけない事も、穏便に済まさなければならない物も、やりたくない事だってやらなければならないんですよ。だから――」
これが……皆が、『幸福』になる、最善の方法なんですよ、と。
「……ふむ」
「現実問題、今ここで私がテラに残れば必ず後々の火種になる。そうなれば、困るのはエリカさんやエミリさん達だ。そして、王都に帰った所で厄介者扱いだ。だから、私は――」
「『自らを必要としてくれる』ラルキア王国に行く、と?」
「――っ! い、いけませんか!」
「いいや、別に」
心底つまらなそうにそう言って、シオンは白衣のポケットを弄り、そこに目当てのモノがない事に気付き、ちっと舌打ち一つ。その視線を浩太に向けた。
「ただ……まあ、あれだ。お前のその判断は、アヤノもエリカ嬢もコータ、お前自身も含めて、誰も幸福にならない、そんな判断だと思っただけだ」
「な! そ、そんな事は――」
「本当にそう思っているのなら、私はコータ・マツシロを見誤っていたとしか言い様がないが。これは随分、私の人を見る目も衰えたモノだ」
「……」
「エリカ嬢はお前と居たいのに、お前はエリカ嬢の下を離れようとしている。これは、確実に『エリカ嬢』に取って不幸な事だ」
「それは……でも!」
「アヤノはどうだろうか? コータ、君がラルキア王国に行くとすれば、アヤノは君を手に入れた事になる。なるほど、確かに一面では『勝者』だろう。だがな? それは果たしてアヤノを『望んだ』と言えるのか? こう見えても私も女だ。アヤノがどう考えるか知らんが、少なくとも私は消去法で自分を選んだ男など、欲しくもなんともない」
「……」
「それではコータ、君はどうだ? 望んでいた訳でも無いラルキア王国に行くことに、何の痛痒も無いと? そんな面白くも無い冗談、誰も聞きたくは無いぞ?」
「……それでも、テラ領は――テラ領には、私は居ない方が良いんですよ!」
まるで絞り出すかの様にそう叫ぶ浩太を、手で制し。
「私はエリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム公爵閣下の話をしているつもりは無い。一人の女性としての『エリカ嬢』の話をしているんだ」
一刀両断。シオンはその口を閉じる事無く言葉を放つ。
「同様に、『ラルキアの聖女』の話をしているつもりも、『ロンド・デ・テラの魔王』の話をしているつもりも無い。アヤノという、コータという一人の人間の話をしている」
「……」
「私には君たち為政者側の立場は分からん。私は政治家ではなく、学者だからな」
「……関係あるんですか、それ」
「数式に気を使って黒を白と言っていたら、解き明かせるモノも解き明かせんだろう」
「そういう話をしている訳では無いのですが」
「そういう話だよ。皆が皆、お互いに気を使い過ぎて空回りする。どうだ? 滑稽だと思わんか?」
「滑稽?」
「ああ、君の事じゃない。いや、君の事では無いというと語弊があるな。君も含めて、全員滑稽だが……誰よりも、エリカ嬢が滑稽だと思わないか?」
「エリカさんが、誰よりも?」
「考えても見ろ? エリカ嬢は、君の為を思って身を引くんだ。テラ領の為じゃない。君の、コータ・マツシロの身の安全を想い、その為に身を引くんだぞ?」
「そんなことは――」
「無い、と思うか? ふん、甘いな。私はロッテ翁の身内、彼の一種独特の『苛烈さ』も良く知っている。あの御仁は敵を徹底的に叩き潰すタイプでは無い。真綿で首を絞める様に、じわじわと追い詰める人だ。コータ、きっと君がテラに居続ければ確実にロッテ翁に潰される。それも、考え得る最悪な形でな」
そして、そんなロッテ翁の苛烈さを、エリカ嬢は知っている、と。
「エリカ嬢が生まれた時からロッテ翁は王城内に居る。知らない筈が無いさ。だからコータ、エリカ嬢は君を放出するんだ。ロッテ翁の眼から逸らす為に」
そう言って、嘲笑を。
「――なあ、滑稽だろ?」
見下す様な眼を、シオンは浩太に向ける。
「分かるか? エリカ嬢は君の、君だけの幸せを願い、憂い、叶えるために自ら身を引くんだ。そうやって、悩み、身を引いた先に、君はアヤノとの幸せな生活が待っているんだぞ? なあ、滑稽だろ? まるで、悲劇のヒロインだ。なあ、コータ? 滑稽だろ? なあ、コータ、滑稽だと――まるで、バカみたいだと、そうは思わないかっ!」
「――っ!」
「これが本当に『皆が幸せになる』方法か? はん! そんな訳ないよな? これは誰も幸せにならない方法だよ。皆が皆、ただただ不幸になる方法だ。敢えてそれを選択したんだ、お前は」
「そ……んな事は」
「無い、とでも言うつもりか?」
「……さい」
「何度でも言おう、コータ。お前は滑稽だ」
「……るさい」
「下手な考え休むに似たり、だな。最低な方法を選択したんだよ、お前は。なあ、コータ? 本当に滑稽だ、おま――」
「――うるせぇよっ!」
浩太の声が、中庭に響いた。
「じゃあ、どうすれば良かったんだよ!」
立ち上がり、まるで親の仇を見る様な瞳でシオンを睨みつける。その視線を受け、シオンはふんと一つ鼻を鳴らした。
「――やれば出来るんじゃないか、そんな眼も」
「なあ、どうすれば良かったんだよ? 子供みたいにごねれば良かったのか? 拗ねて、いじけて、この場で立ち止まれば良かったのか? そんな事、出来る訳ねえだろうが! もういい大人なんだよ、俺は! 意に沿わない事だって、納得が行かない事だって、理解できない不条理な事だって受け入れなきゃいけねえんだよ! 誰もが皆『幸せ』になる? そんな方法があるのかよっ! そんな方法、ある訳――」
「なぜ、そんなに簡単に決めつける?」
「――ない……決めつける、だと?」
「そうだ。何故、そんな方法が無いと思う? 何故、もっといい方法が無いだろうかと探さない? 何故、お前はそんなに簡単に――」
『諦めて』しまうのか、と。
「それはっ!」
「お前がよく言う、『自分は凡人だから』か? なるほど、お前一人ではそんな方法を見つけられないかも知れないな。だがな?」
舐めるな、と。
「一人で見つけられないなら何故、人に『助けて下さい』とお願いしない?」
ふざけるな、と。
「確かに、私は所謂『天才』ではない。コータ、お前と同じで私は凡人だ。きっと、私にはお前を納得させられる程の理論構築は出来ないだろう。確かに、相談するに値しない人間かも知れんな。だから、お前が思う気持ちも分かるさ」
――何でも自分で出来る、と。
「――調子に乗るな、凡人。お前は『出来ない』んだ。テラの魔王と言われ、経済を発展させ、エリカ嬢に信頼され、エミリ嬢に信用され、ソニア姫に慕われ、アヤノに愛され、何でも一人で出来る様な気になって居るのかもしれないがな? 本当のお前はピンチに弱く、こんな事であっぷあっぷする様な、卑小な人間だ。なあ、残念か? 何でも自分で出来ると、そう思っている『魔王様』?」
「そんな事……そんな事思ってねーよ! 何でも自分で出来るなんて、そんな――」
「じゃあ何故私に頼らない!」
浩太の言葉に、被さるように。
「お前は何時だってそうだ! 『自分では出来ません』なんて言いながら、それでも何とかしようと頑張るんだろう? 何度でも言ってやる! お前は凡人だ、コータ! 凡人なら凡人らしく、人に頼れ! 頭を垂れ、教えを乞え! 何でもかんでも一人で出来るような気になるな! 人を――」
私を、頼れ、と。
座ったまま、今度はシオンが浩太を睨みつける。その射抜かれる視線に負けたかの様、浩太はすとんとその場に腰を降ろした。
「……言い過ぎた。済まない」
「……いえ。シオンさんの仰る通りです」
座った体勢から、そのままもう一度地面に肢体を投げる。草の香りが、もう一度浩太の鼻孔を擽った。
「……少しだけ、良いですか?」
――どれぐらい、そうしていたか。
何度目かの風が浩太の髪を撫でた頃、おもむろに浩太が口を開いた。
「遠慮するな、ドンと来い」
自分の胸を叩き、力加減を誤ったその意外な拳の強さに思わずシオンがケホッと咽る。その仕草を苦笑交じりの笑顔で眺め。
「……私は――」
いや、と。
「――『俺』、さ。多分、『格好つけたがり』なんだよ」
浩太の口から、言葉が漏れる。
「本当は泣き喚きたいんだよ。何で俺ばっかりって、そうも言いたいんだよ。もっと格好良く、もっとスマートに生きたいって、ずっと思ってるんだよ」
「まあ、当たり前だな。格好悪いよりは格好良く生きたいさ」
「本当は、すげー気持ちよかったんだよな。だって、『魔王』だぜ? ただの凡人の俺が、この世界では『魔王』だ」
「魔王愛好家か? それとも魔王愛護協会の熱烈なシンパか?」
「何系の発想だよ、魔王愛護って。そうじゃなくて……ほら、『魔王』とか『勇者』って、特別な感じがするだろ?」
「勇者はともかく……魔王はどうだろうな? まあお前が納得しているなら良いが」
「ん。そう思っていてくれ。まあとにかく……俺的には『格好良かった』んだよな。エリカさんとか、エミリさんとか、ソニアさんとか、皆が俺を頼ってくれてさ。嬉しくて、嬉しくて……本当に嬉しかったんだよ」
「……」
「……そんで、調子に乗ってたら、ソルバニアで大コケだ。あの時は焦ったよ。もう要らないって、もう使えないって……そう言われるって、覚悟もしてたんだよ」
そう言って――そんな言葉とは裏腹、嬉しそうな笑顔を浮べて。
「……エリカさんがさ、言ってくれたんだ。『私を頼って』って。『貴方だけじゃない』って。『皆で、このテラを良くしよう』って」
「折角のエリカ嬢の気持ちが全く活かされて無い様だが?」
本当だよな、と苦笑して。
「――やっぱり、『恰好つけたがり』何だよ、俺。いい年して、それでも……ああ、違うか。だからこそ、かな? 小さい時から『凡人』だと思ってたから、余計に」
――憧れる、と。
「特撮番組で怪人を倒す、ヒーローに。推理映画で名推理を披露する、名探偵に。格闘漫画で大ピンチから逆転する、英雄に。世界を救い、お姫様を助ける、勇者に。全ての創作物に必ず登場する、自らの力だけで、どんな困難な状況も突破し、制覇する、そんな『特別』に」
この身を焦がれる程、憧れる、と。
「……あーあ。すげー格好悪いよな、今の俺」
「まあ、否定はせんがな。今のコータを見て『流石、魔王!』という人間は居ないだろう」
だが、と。
「――その方が人間らしくて、私は好きだぞ?」
ふんわりと、春風の様な、優しい笑み。
「……なに? 愛の告白?」
そんな何時にないシオンの表情に、少しだけドキリとした浩太は茶化す事で応える。そんな浩太の茶化しを受け流し、シオンは言葉を継いだ。
「残念ながら私は世界に売約済みだ。尤も、『今のコータ』を私だけに見せてくれるのであれば、コロッと転ぶのも吝かでないが?」
「貞操観念って言葉、知ってる?」
「綺麗な体だよ、この身は」
そう言って、シオンは面白そうに喉奥をクツクツと鳴らす。
「気持ちは分からんでもないさ。どんな難題もスパッと解決する人は純粋に格好良いし、憧れもする。私だってそうだ。自分がそうで無い癖に、なまじ能力が高いから余計にな」
「自分で言うか? 能力が高いって」
「行き過ぎた謙遜は逆に不快だからな。私は天才ではないが、限りなく天才に近い凡人だとは思っている。もう少し、あと少しで手が届きそうで、だから逆にその手が絶対に届かない事に腹が立つ。絶対に届かない事を分かってしまう事にも腹が立つ。当り散らす。そして、諦めるんだよ。私も――きっと、コータ、お前もな」
「……正解」
「だから、私達『凡人』は助け合うんだ。乗り越えられない壁なら、肩車でもして越えれば良いんだ。一人より二人の方が、乗り越えれる可能性は高いだろう?」
「理屈は分かるけど、納得できないかもな」
「どの辺りが?」
「人に『肩車をして下さい』って頼むのが、『格好悪い』ところ」
そんな浩太の言葉に、思わずシオンが噴き出す。肩を震わせて目尻に涙を溜め、その視線のまま面白そうに浩太を眺めた。
「……難儀な奴だな、お前も。いや、頑固と言った方が良いか」
「知ってるよ、自分の事だから」
「正確には頼み方が下手糞なのだろうがな。ちなみに後学の為に聞いておくか?」
「何を?」
「『いいから黙ってさっさと肩車をしろ』と傲岸不遜で言い切ると、あまり格好悪くない」
「それはリスクが大きい。嫌われる可能性が高いだろ?」
「リスクを取らない人間は大成しないぞ?」
「基本的にビビりなんだよ、銀行員は。減点主義だからな」
そう言って、寝転がっていた体を起こしてうーんと大きく伸びを一つ。両の手で頬をパチンと、心持強めに叩き。
「――ありがとうございました、シオンさん。随分、気が楽になりました」
にこりと微笑むその姿は、いつも通りの『コータ』の姿。そんな浩太に少しだけ残念そうな表情をシオンは浮かべた。
「……なんだ、もう終わりか? まだ慌てる時間じゃないぞ?」
「十分ですよ。言いたい事を言わせて頂きました」
「それは残念。折角、他の娘と差を広げて置こうと思ったのだがな?」
茶目っ気たっぷり、ニヤニヤとした笑みを浮かべて見せるシオンに、浩太は対照的に苦笑を浮べる事で応えた。
「何ですか? 勘違いしますよ?」
「勘違いして貰っても構わんぞ?」
「何でも色恋に結び付けるのはどうでしょうか?」
「前言を翻すようだが、それこそ勘違いするな。別に色恋で言ってる訳ではない」
「では、どういう意味で?」
「さっきお前は言ったな? 『これが最善の方法だ』と」
「ええ。確かに」
「お前の言ってることも分かる。テラ領は救われる、コータの寿命も延びる、アヤノは幸せ。表面だけをなぞれば、確かに一理はある。コータの言葉を借りるのであれば、確かに大人の対応だろう」
だが、私は気に喰わん、と。
「別に私は博愛主義者では無い。だから『皆が笑って暮らせる』なんて殊勝な事も、『皆が幸せになれる世界』なんて言うつもりもさらさらない。ただ私が望むのは『私の眼の届く範囲の人』の幸せだけだ。究極を言えば、眼の届く人が幸せなら、誰がどうなっても知った事でないさ」
「過激な意見な上に、我儘です」
「シオン・バウムガルデンだからな、私は。我儘は私のアイデンティティだ」
「嫌なアイデンティティですよ、それ」
「学者で良かっただろう? 王様なら過激な専制君主になっていたな、私は。だから、お前のその選択が私は気に入らんのだよ。お前だって私の『目の届く範囲』の内だ。そして、私の眼の届く範囲であるのであれば、コータ、お前は」
『幸せ』であれ、と。
「それがお前の『義務』だ」
「本当に我儘ですよね、シオンさん。ですが……ありがとうございます」
「礼は良い。我儘だからな、これは。それで、どうする? 私の我儘を聞いた上で、お前は一体どういう判断を下す?」
「そう、ですね」
そんなシオンの視線に、いつもの様に苦笑を。
「……やはり、私はラルキア王国に行きますよ」
とても、とても綺麗な苦笑を浮べて。
「そうか」
「正直に言えば、テラでの生活は楽しかった。シオンさんの言っている事も分かります。もしかしたら、それが正しいのかも知れません。きっと、私は我慢もしているのでしょう。泣き、喚き、縋り、助けて欲しいと言えばいいのかも知れません。でも」
――私は、『恰好つけたがり』なので。
「それに……ラルキア王国には綾乃もいますし」
「同情か?」
「いいえ。これも本心です。テラでの楽しかった生活も捨てがたいですが……それと同じ様に、綾乃と暮らす生活も楽しいでしょう」
「先程の言葉をそっくりそのまま返そう。貞操観念という言葉を知っているか?」
「ええ、残念ながら知っています。そして、結構最低な事を言ってる自覚もありますが……困った事に、どちらも本心なのですよ」
「まあ、英雄色を好むと言うからな。それはそれで構わんだろう」
「英雄では無いのですが?」
「魔王だって色は好むさ。まあそれもそれでアリだろうが」
「一応、言っておきますが別に色恋沙汰の話だけをしている訳ではありませんよ? 綾乃とは同期のよしみもありますし、純粋に――」
「ああ、分かった分かった。もうそれで良い」
そう言って、もう一度真剣な表情で浩太を見やり。
「――後悔、しないのか?」
そんなシオンの言葉に、もう一度。
「――するに、決まってますよ。多分、何を選んでも」
少しだけ吹っ切れた様な、それでも困った様な、呆れた様な、諦めた様な……そんな、色々な感情を乗せた苦笑を浮べる。
「……随分、長居してしまいました。荷造りがありますのでこの辺りで失礼します」
「引き止めたな。済まない」
「いいえ、ありがとうございました」
深く頭を下げて、浩太は背を向ける。やがてその背が見えなくなるまで見送って、シオンはその身を先ほどの浩太の様に地面に投げた。
「難儀な奴だな、本当に」
青臭い、そんな草の空気を吸い込み。
「私に出来るのは此処までか? ふむ、そう思うと何だかそこはかとなく悔しい気もするが――まあ、良いさ。それは私の役割ではないし……第一、柄じゃないからな」
やがて、肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出して。
「――さあ、後は『お前ら』の仕事だぞ? あのバカで頑固で難儀で格好つけの癖に格好悪い、飛びっきり面倒臭い凡人に、世界はとっても『楽しい』と教えてやってくれ」
頼んだぞ、『ヒロイン』と。
煙草を吸おうとポケットをあさり、切らしていた事に気付いて舌打ちをしかけ――まあ、たまにはそれも良いかと思い直し、煙の代わりにシオンはもう一度、草の香りを胸一杯に吸い込んだ。




