第六十五話 晴れ、会談後、中庭にて
日の光が差し込む、中庭。
様々な種類の花が咲き乱れ庭園を賑やかに彩るその中において、その色を憂色に染めた花が、一本。
「エリカさん」
声を掛けられた少女はその憂顔に喜色を浮かべるも、一瞬。直ぐにその顔を元に戻し静かに振り返った。
「貴方の言う通りに、動いた。貴方の望む通りに、動いた。望み、描き、これが正しい形と信じて踊って見せたわ」
でも、と。
「……ねえ、本当にこれが正しい『カタチ』なの? これで、テラは良くなるの? これで」
――ねえ、コータ。
「私は――私達は、幸せになれるの?」
その声に、辛そうに眼を伏せて。
「――私が居れば、このテラは確実に不幸になる。それは間違いありません。ですから」
――お別れです、エリカさん、と。
ボロボロの笑顔を見せる浩太に、そっと目を閉じたエリカの瞳から一筋の涙が零れ落ちる。その姿を見つめ、浩太の脳裏に二日前の夜の光景が蘇った。
◆◇◆◇◆◇
「貴方の存在はこのロンド・デ・テラを不幸にするものですよ、『魔王』様」
正面に腰を掛けたこの老宰相――と言うには幾分年若い男の言葉に、浩太は目だけで続きを促す。その仕草に得心行ったかの様、ルドルフは言葉を続けた。
「貴方の為した手柄は大きいでしょう。テラ経済は飛躍的に発展を遂げ、今ではオルケナ中の商会が……それも、各地で大手と称される商会が続々と支店を出している。オルケナ千年の歴史を考えても、これは異常な事態です」
「お褒めに預かり光栄です、と言えば宜しいでしょうか?」
「ええ。これに関して、私は本当に手放しで称賛しています。田舎の一農村に過ぎなかったテラを此処まで発展させたその手腕は正に『魔王』に相応しい。どの様な魔法を使えばこうなるのか、私には皆目見当もつきません」
「魔法なんて――」
「ですが、やり過ぎです」
ルドルフのその言葉に、浩太は言葉を止める。
「話は変わりますがマツシロ殿。ウェストリア王国という国家をご存知ですか?」
「フレイム王国の西隣に位置する国、ですか?」
「そうです。伝統的にフレイム王国とは『交戦中』の国です。史実を紐解けば、帝国時代から度を越える要求を続けた……まあ、言わば仇敵ですな。フレイム王国は常にこの『仮想敵国』を意識した財政政策を強いられており、これが結構バカにならない金額です」
その言葉に浩太は一つ頷く。
戦後の日本の舵取りを担った人物の一人に、吉田茂という総理大臣が居る。大日本帝国憲法下最後の組閣大命により総理の任に就いた人物であり、日本国憲法下最初の首相は片山哲に譲るも、戦後の日本を支えた一人である事に議論の余地は無く、その逸話の多さにも事欠かない人物である。良いか悪いかは別として、エネルギッシュな人物ではあったのであろう。そんな彼が防衛大学校の卒業式で述べた祝辞にこういうものがある。
『君たちが『日陰者』であるときの方が、国民や日本は幸せなのだ』
軍事費の概念の基本は『日陰』である。極論を言ってしまえば、戦争が無ければ軍事費などは不要であり、しかし、だからと言って戦時に慌てて予算編成できるモノでは無い。『いつ起こるか分らない』戦争の為に、結構な金額を予算に計上しなければならない、言ってみれば保険みたいなモノだ。
「仮想敵国があるのならば、軍事費は相当な額に昇るのは容易に想像が付きますね」
「そうでしょう? ほぼ確実に起こる戦争の為に、フレイム王国は毎年多額の予算を軍事費に計上している。我々ラルキアも今回の戦争では随分と出費を強いられましたが、それでも我々は士気の高さで何とか最低限に留めている」
毎年これだけ予算がかかると考えると、ぞっとしませんなと笑って。
「さて、それだけ財政に占める軍事費の割合の高いフレイム王国です。財政事情は決して良いとは言えない。加えてあの国は古く、為に沢山の『しがらみ』がある。一国の王であると言っても国王に強大な権力は無く、ドラスティックな財政改革など起こしようが無い」
「ロッテ閣下の事を言っていますか?」
「まさか。ロッテ閣下は『国王側』です。それ以外にもあの国には色々と闇があるのですよ……と、これはどうでも良い事ですな。とにかく、フレイム王国は常に財政が悲鳴を上げている状態です。正直に言いましょう、あの国はロッテ閣下の手腕で持っていると言っても良い。嘘だと思いますか?」
「嘘、とまでは思いませんが……」
「あの方は恐ろしい方です。実家であるバウムガルデン商会の財力と人脈、フレイム女王陛下からの絶大なる信頼。彼個人の頭のキレと判断力、それに振るうべき所でその力を振える決断力もある。平民でありながらフレイム王国の宰相に登り詰めただけはある。同じ宰相でも私など、ロッテ閣下に比べれば小僧程度ですよ」
「随分持ち上げますね、ロッテ閣下を。言っておきましょうか、私の口から『ルドルフ閣下がロッテ閣下を褒めていましたよ』とでも」
「是非にお願いしたいですな。少しでも彼の歓心が買えるのであれば」
皮肉のつもりで言った浩太の言葉に、ノータイムで打ち返すルドルフに思わず浩太も目を丸くする。その仕草を面白そうにルドルフは眺めて言葉を継いだ。
「このオルケナ大陸で私が敵に回したくないのは二人だけ。親愛なる我らがラルキア国王陛下と、ロッテ宰相だけです。前者は精神的に、後者は物理的に。さて、それでは本題に入りましょう、マツシロ殿。貴方が為したのは――」
ロッテ閣下に『敵対』する事に外なりません、と。
「……それは既にロッテ閣下に言われましたよ」
「ほう。あのロッテ閣下が?」
「ええ。テラの経済を発展させた――領民を幸せにする『勇者』は要らない、と」
『どうぞ舞台からの御退場を、『勇者』殿』
ロッテの言葉が、浩太の頭に響く。
「だから、ルドルフ閣下。貴方が仰っている事も――」
「ああ、それは違いますね、マツシロ殿」
「――違う?」
「ええ。ロッテ閣下が仰っているのはマツシロ殿、『貴方が』不幸になる話です。いや、正にロッテ閣下らしい話し方でもあるかも知れませんが……ですが、私が言っていたのはそう言う事ではありません」
「どういう……事ですか?」
「マツシロ殿、確かに貴方の為した業績は素晴らしいです。テラの経済を発展させたその手腕は目を見張るものがあります。ですが、マツシロ殿? 何かお考え違いをしておりませんか?」
「考え違い、ですか?」
「ええ。果たして、貴方が為した業績は『貴方の』モノですか? それとも」
ロンド・デ・テラ公爵の『業績』ですか? と。
「それ、は」
「質問しておいてなんですが答えは結構、後者に決まっていますから。テラの発展の業績のその全ては、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムに帰するのです。テラ内部ではいざ知らず、『対外的』にはエリカ公爵閣下の功であり、手柄なんですよ。さあ、それではここで最初の話に戻りましょう。フレイム王国は万年金欠国家です。経済情勢は決して楽ではない。商人達も農民も、口には出さなくとも皆不満があるでしょう。楽にはならない生活、上昇しない景気、解決しない外交。可能であれば現状を打破したいと、誰だってそう思うでしょう。では、その現状を打破するには、一体どうすれば良いか?」
分りますよね、と浩太に問いかけ。
「トップを変えれば宜しい」
質問に浩太が答える前、自らその答えを出す。
「私の家は、父祖を遡ればラルキア王家に行きつく貴族です。そして、ラルキア王家はフレイム王家の分家ですので、私自身にも建国帝アレックスの血が流れていると言う事になります」
ですが、と。
「エリカ公爵閣下は違う。私の様に、父祖を何代も遡らなければフレイム王家に行きつかない様な、傍系も良い所の貴族ではない。前国王の長子であり、現国王の王姉にあたる、正真正銘の、混じりっ気のない、フレイム帝国から連綿と続くアレックスの後継者なのですぞ? エリカ閣下が『女王陛下』であっても、何にもおかしくないでしょう? そして、その正真正銘の王族が、現国王よりも『優秀』であったなら? 皆、叫ぶでしょう。『陛下の退位を』と、『新国王にエリカ様を』と」
「……」
「私がロッテ閣下なら思います。『目障りだ』と、『厄介だ』と。後々の火種になるのならば、今の内に潰しておこう、と、そう思いますぞ?」
「で、ですが! 別に反乱など起こそうと思ってはいません!」
たまらず叫ぶ浩太に、ルドルフは涼しい声で応える。
「そうでしょうな。ですが、問題はそこでは有りません。反乱が『起こるかもしれない』というところが問題なのです。今はまだ良い。そうは言ってもフレイム王国は平和であり、陛下の退位を迫る様な差し迫った事態が起きている訳では無い。ですが――」
それは、これからも『起こらない』と、保障されていますかな? と。
「起こった後で対処する云々よりも、起こる前に芽を摘む方が早いし、楽です。そして、ロッテ閣下は状況証拠さえ揃えば何の躊躇も、良心の呵責もなくそれを行える人だ」
そこまで喋り、笑顔を引っ込め少しだけ考え込む様にルドルフは首を捻る。
「……むしろ、何故ロッテ閣下が未だに『それ』を行わないのかが不思議なぐらいです」
「罰せられる理由がありませんから」
「後付けも、こじ付けも、でっちあげも何でも有りな御仁ですぞ。親愛なる女王陛下のたった一人の身内という事で遠慮……する様な人でもありませんしな」
まあ、ロッテ閣下のお考えなど分りませんがと、肩を竦めて見せて。
「結局、私の言いたい事はそう言う事です。エリカ閣下は何時、どんな理由でロッテ閣下に罰せられてもおかしくない。優秀な王族など不要どころか、邪魔者でしかないですからな。そして、マツシロ殿。貴方は、言ってみればエリカ公爵閣下を『邪魔者』にしている急先鋒です」
そう言って、一つ溜息。
「無論、別にどちらが悪いとも言いません。貴方はテラを良くしようと頑張り、ロッテ閣下はフレイム王国の安定を求めている。どちらが勇者でも魔王でも、どちらが正義の味方でどちらが悪の使者であるという話でも無い。ただ、正義の見方の問題であるだけで、だからこそ厄介です」
押し黙る浩太をじっと見やり、ルドルフはにっこりと微笑む。
「今回の講和会議で、我がラルキア王国はライム都市国家と包括的な同盟を結ぼうと思っております。賠償金は頂きますが、領土の割譲までは求めるつもりはありません」
「随分、平和的な条件ですね。都市の一つでも寄越せと言うかと思いましたが」
「王制と相容れない政体を布く国の都市など、貰っても反乱の種になるだけです。それなら金で解決し、恩を売って置いた方が良い。それに、同盟関係を結ぶ以上はあまり恨みを買うのも得策ではないですしな」
「……ルドルフさん」
「何ですかな?」
「先程、包括的な同盟と仰られましたが……その、『同盟』は当然に軍事同盟も含みますよね?」
「ええ。軍事同盟も含みます」
「その軍事同盟は第三国から攻め込まれた場合、同盟参加国が戦闘行為に参加する、という解釈で宜しいですか?」
浩太のその言葉に、ルドルフは口の端をニヤリと歪める。
「当然ですな。その為の軍事同盟ですから。我らラルキア王国は同盟締結国の不利益に対し立ち上がる義務を誠実に履行して見せましょう」
国だけとは限りませんがな、と嗤うルドルフに。
「……なるほど。講和条約の概要については理解しました」
「それはけ――ああ、もう一つ。これは講和条約自体に盛り込むつもりはありませんが、もう一つ会議の席で付け加えようと思っております」
「もう一つ?」
「人材派遣の協定です。同盟参加国の間で相互に人材を派遣し合う事により、同盟国間の絆はより一層深まるでしょう。誰だって、同じ釜の飯を食った人間と敵対するのは避けたいものですしな」
「結構な事です。ですが、それが?」
「我がラルキア王国に参りませんか?」
明日の天気を予想する様。
「誰、が?」
「勿論、マツシロ殿です」
何でもない事の様に、ルドルフはそう言った。
「……理由を」
「大まかに分けて理由は四つ。まず、一つ。マツシロ殿、貴方はこのロンド・デ・テラに取っての不幸の種でしか無い。エリカ公爵閣下がどれだけ恭順の意思を示したとしても、ロッテ閣下は常に貴方の存在を疎ましく思うでしょう」
「……私は、テラに留まるつもりはありません。この講和会議が終われば王都ラルキアに戻る所存です」
「二つ目ですな。貴方がラルキアに戻ったとしてもロッテ閣下は貴方の扱いに困るでしょう。さっさと殺してしまえば簡単ですが……今までそれをしていない事を考えるに、何か『殺せない』理由がある可能性が随分、高い」
「殺すほどの価値も無いのでしょう、私には」
「……まあ、良いでしょう。と、すればロッテ閣下は手元に常に厄介なカードを持ち続けていると言う事になる。獅子身中の虫、出来るなら無い方が良い。では、その厄介なカードをこちらで引き取ると言えば? 先程も申しましたが、ロッテ閣下の歓心は、『売れる恩』は売っておきたいのですよ」
「恩と感じなければ?」
「その時はさっさと手放せば宜しい。或いはどうしても『手放せない事情』あるのであるならば、その際はロッテ閣下に引き渡しても良いですが……三つ目です。ラルキア王国は小国、テラの様に万年貧乏国家だ。テラの大改造を為し得た貴方なら、我がラルキア王国の『改革』に力をお貸し願えるのでは無いのか、という事もあります。つまり、純粋に貴方の力が必要だという事です」
「綾乃が……聖女様がいらっしゃるでは無いですか。彼女は私以上に優秀な人材です。私がやった方法ではない、もっと巧い方法でラルキア王国を改革してくれますよ」
自嘲気味に笑う浩太を静かに見つめ。
「その『聖女様』が一番欲しいと、傍に居たいと、傍に居て欲しいと願うのが『魔王』だとしたら?」
これが四つ目ですな、と笑う。
「……アヤノ様には随分、私達の為にご尽力頂きました。恩には恩で返すが、ラルキアの流儀です。そして、どれだけの財宝も、地位も、名誉も、貴方と暮らす生活には代えがたいのでしょう」
それだけ愛されるというのは、何とも羨ましい話ですと肩を竦めるルドルフ。
「我らの招聘に応じて頂けるのであれば、生活の保障は致します。わずかばかりではありますが、王国直轄地から領地と、爵位もご用意させて頂きます。必要とあれば、貴方の為の研究機関や学術機関を創立する事も視野に入れております」
「それは……なんというか、随分好待遇ですね? 他国の領主の食客に破格ではないですか?」
「無論、これには『聖女様』の功績も含まれております。領地も爵位も、形的にはアヤノ様に下賜される事になるでしょう。貴方はその配偶者、という立場ですな」
「奥方の功績で暮らす、ですか。男子の理想の一つですね」
「ヒモ生活を送って頂いても構いませんが、その辺りはアヤノ様とご相談して下さい。個人的には是非、我がラルキアの為にそのお力を貸して頂きたいですがな。さて、話が横に逸れました。纏めると、貴方は私達に付いて来る事で、自らの身の安全と公爵領の安堵を手に入れられる。我々は貴方の『知識』を手に入れる事が出来る。ロッテ閣下は邪魔なカードを私達に押し付ける事が出来る。アヤノ様は愛しの魔王様と暮らす事が出来る」
ほら、誰も損をしないでしょう? と。
「それではマツシロ殿?」
どうぞ、ご決断を、と。
そうやっていつも通り、ルドルフはにこやかに笑んで見せた。
◆◇◆◇◆◇
「……貴方はその話を聞いて、その足で私の所に来た。私に、この条件を呑ませる為に」
「そうです」
「なんで?」
責める訳ではなく、純粋に問いかけるエリカのその言葉に浩太は静かに目を伏せる。
「力を持つ王族が現国王に疎まれ、誅される。別段、珍しい話ではありません。いつの時代も、どこの世界でも十分有り得る話です」
「リズはそんな事をしないわ」
「陛下がするとは言いません。ロッテ閣下がどうこうでも無いです。ただ、時代がそうするでしょう。正確には、そうする可能性がある、です」
伏せていた目を、あげて。
「――今後、このテラ領は今以上に難しい立場に置かれます。私の口から言うのは憚られますが、正直『やり過ぎた』のでしょう。どんな些細な事で難癖を付けられてもおかしくない。そんなの、歴史が証明してくれていますよ」
ソルバニアに行った時に気付くべきでしたがと、自嘲気味に笑い。
「……今回結んだ同盟は、何時か必ずテラ領に利する時が来る。どこまで信用しても良いかは不明ですが、少なくとも『お守り』ぐらいにはなるでしょう。加えて、私がこのテラ領を出て行けば、今後難癖を付けられる事も無くなる――とは言いませんが、少なくはなる。エリカさん、戦争は終わりました。今後は、テラ領の発展に尽力し――」
「そう言うの、もう良いのよ」
喋りかけた浩太を、手で制し。
「分かっているのよ。確かに、私達はやり過ぎたって。ソルバニアには目を付けられるし、リズやロッテにだって不信感を抱かせたかも知れない。戦争は終わった。平和になった。反目しあっていたライムとラルキアですもの。『さあ、戦争は終わりました。それじゃ仲良く手を取り合って』なんて、行くはずが無い。私は領主として、巧く両者の仲を取り持たなきゃいけない。そんな事も分かってる」
「エリカさ――」
「テラの経済は停滞した。港の工事は遅々として進んでいない。これから、それを進めて行かなくちゃいけない。一度進んでしまった時間を戻す訳には行かない。止める訳にも行かない。歩き、走り、駆け続けなきゃいけない」
「……」
「今、私達のする事はこのテラの発展に尽力する事。そんな事、百も承知。分かってる、分かってるのよ」
――でも、と。
「……その手助けを、貴方は……コータは、してくれないの?」
其処まで喋り。
「……ダメだな~、私」
そう言って、自らを嘲るように笑って見せて。
「シオンに言われたのにね」
「エリカさん? 一体、なにを――」
「ねえ、コータ」
――貴方は、私達の傍に居てくれないの、と。
「貴方が言っている事は、領主としては理解できる。間違いの少ない、最良の判断だと嘘じゃなくそう思う。そこまでこのテラ領の事を考えてくれているのは純粋に嬉しいし、有難いとも思うわ。でも」
そんな事一切関係なく、ただ『私達』の傍に居るつもりは、無いのか? と。
「……私は、貴方に。コータに、傍に居て欲しいと思ってる」
一瞬の、沈黙。
「……なーんてね。ごめん、コータ、忘れて」
苦笑を浮べ、そう言葉を継ぐ。
「シオンみたいに『ただ、我儘に!』なんて、簡単に割り切る事は出来ないわね。申し訳なかったわ、コータ。今のは忘れて頂戴」
「エリカさ――」
「明日の講和会議の調印後、直ぐにラルキア王国行きの馬車を用意させるわ。貴方はそれに乗ってこのテラを出立しなさい」
スカートの端をちょんと摘まみ。
「このロンド・デ・テラの発展に尽力頂いた事に――」
優雅に、一礼。
「――ロンド・デ・テラ領主として、深い敬意と感謝を。コータ・マツシロ殿」
上げた顔に、笑みを浮かべて。
「……ラルキアが嫌になったら、何時でも帰って来なさい。大丈夫、貴方が居なくてもテラはますます発展していくから!」
茶目っ気たっぷりの、笑顔を。
「……そうですか」
「ええ、そうよ! そうなったら……そうね、今度は賓客として迎えてあげるわ! 美味しい食事も用意してあげるから。だから」
――どうか、元気で。
「……エリカさんも」
「ええ、お互いに息災で」
もう一度深々とお辞儀をして見せ、『それじゃ私は仕事が残っているから』と、中庭を去るエリカの姿が、廊下を曲がって見えなくなるまで見送って。
「……ふぅー」
浩太は、この男にしては珍しく地面に大の字になって寝転がった。草花の蒼い香りが浩太の鼻孔を擽り、その若々しい香りを胸いっぱいに吸い込む。
「……ははは」
おかしくも無いのに、胸中から零れだす感情に思わず笑いが漏れる。
「……ああ、違うか。可笑しいんだな、俺は」
間違った事はしていないのに。
正しい事をした筈なのに。
このテラの事を考えて行動し、そして、それがテラの為になると、信じているのに。
「止めて欲しかった、なんて……どれだけ女々しいんだろうな、俺」
それでも『必要とされたかった』と望む自身の心と折り合いを付けれぬまま、浩太はもう一度、草花のその青臭い空気を胸一杯に吸い込んだ。




