第六十三話 その夜は、眠れない ~大人か、子供か~
活動報告で『今日は無理かも』とか言っていましたが何とか投稿、どうも疎陀です。『もう知ってるよ!』と仰られる方もおられるでしょうが、一応こちらでも。フレイム王国興亡記、書籍化します。皆様のお蔭です、いや、マジで。
まあそれはともかく(ともかくでも無いのですが)第六十三話です。ようやくエミリさんパニックまで追いつきました。あとちょっとです。
「ソニア様?」
「エミリさん?」
さして広くない屋敷である。他国からの客人も招いている事だし夜の見回りがてら、エミリが戸締り確認などを行っていると、丁度中庭付近でソニアとばったり出会った。金色に輝く髪に月の光が栄える一種幻想的な光景に瞳を奪われ――今の時間を思い出し、その奪われた瞳を少しだけ、つり上げる。
「ソニア様、もう夜も随分更けております。そろそろ寝所に向かわれてはどうですか?」
深夜、と評しても可笑しくない時間帯。言外に『十歳児はそろそろ寝て下さい』という意味を込めた言葉にソニアはクスリと笑い、そのソニアの笑みにエミリはつり上げた目に訝しげな色を浮かべた。
「……何でしょうか?」
「いえ、何だかお母様……は失礼ですね。お姉様みたいだ、と、そう思いまして」
まさかフレイム王国に来て、寝る時間の指図を受けるとは思いませんでしたわ、と可笑しそうに笑う。その仕草に、エミリは少しだけ目尻を下げて頭を下げて見せた。
「大変失礼しました、ソニア姫殿下。一介のメイドの身で、出過ぎた真似を」
「あら、そんな悲しい事を言わないでくださいませ。『仲良くなれた』と、個人的には思っているのですから」
仮にも一国の姫君に『早く寝ろ!』なんて、普通はメイドが言っていいセリフでは無い。その意味を含めて頭を下げて見せるエミリに、柔和な笑みでソニアは返す。
「そうですか。それでは遠慮なく……明日の朝、起きれなくても知りませんよ、ソニア様?」
「ぶぅー、ですわ。わたくしを子供扱いするの、辞めて下さいませんか?」
子供らしく、ほっぺたを膨らませて睨んで見せるソニアに、今度はエミリが苦笑を浮かべる番。わざとらしく謝って見せるのも、拗ねて見せるのも、言ってみれば『お約束』だ。
「……冗談はともかく、ソニア様。夜も遅いですし、そろそろお部屋に戻られてはいかがですか?」
「そうですわね。明日の朝、エミリさんのお手を煩わせるのも本意ではありませんし」
そう言ってエミリに固定していた視線を少しだけ逸らし、上空を見つめる。ソニアのその視線につられる様に視線を上げたエミリの瞳に、輝く玉響の月が映った。
「少しだけお聞きしても宜しいですか、エミリさん?」
どれぐらい、そうして居たのだろうが。
「何でしょうか?」
少しだけ言い淀む様、おずおずとソニアが口を開く。
「貴方は何故、『普通』なのです?」
ソニアの口から零れたその言葉に、エミリは視線をソニアに移す。そこには相変わらず天頂を見つめたままのソニアの姿があった。
「仰っている意味が分りかねます。普通、とは?」
「コータ様が、このロンド・デ・テラから出て行かれた時から思っていたのですよ」
「何をでしょうか?」
「エミリさん、貴方はずっと『普通』でした。コータ様が出て行かれ、エリカさんが傷つき、私が部屋でずっと泣いていてばかりだったのに貴方は……貴方だけは、黙々と、淡々と政務を取っておられました」
「そうでしょうか?」
「今回にしてもそうです。アヤノ様のお言葉を借りるのであれば、コータ様は我々を『偽って』いた。信じ、信頼していた人が見せていた姿が、実は真っ赤な偽物だった。常人であれば、取り乱し、泣き叫んでも可笑しくない。その筈なのに」
なのに、貴方はいつも通り。
「どちらかと言えば、泣いて取り乱すのかと思っておりました」
「そんなに『弱い』女に見えておりましたか?」
「依存している様には見えておりました」
失礼ですか? と問いかけるソニアに、エミリは小さく首を振って見せる。
「……逆にお聞きしますが、私が部屋で寝込んでいた方が宜しかったでしょうか?」
「まさか。ただ単純に、どういう心境であり、またあったのか。個人的に興味があるだけです。ご教授願えればと思いまして」
そこまで喋って、初めてソニアは視線をエミリに向ける。スカイブルーの瞳が、エミリを射抜いた。
「どうでしょう? 貴方は……エミリ・ノーツフィルトは、コータ様をお慕いしていないのでしょうか?」
居なくなっても良い、と。
何とも思っていない、と。
「どうなんでしょうか、エミリさん?」
「私は、それをソニア様に喋る意味も意義もありませんが?」
そう言って、エミリも月の光に触れて黒く光る瞳でソニアを貫く。青と黒が、金色の光を落す月明かりの下で絡まり合った。
「……第一、ソニア様にしても同じ事でしょう。コータ様は我々に本心を隠して接しておられた。それについてはどう思われているので?」
ソニア自身がどう思っていたかは――まあ、別にして、端から見たら兄に甘える妹の様に微笑ましい姿は見せていたのだ。当然、ソニアに浩太を慕う気持ちはあったであろうし、そんな浩太のある種『裏切り』とも言える行為に、ソニアこそ思う気持ちは無いのか。その意味を込めたエミリの言葉に、ソニアは小首を傾げて顎に人差し指を置いて。
「それが、何か?」
擬音で表すなら、ポカン。浩太絡み以外では冷静なメイドのその姿に、思わず年の差も忘れて微笑ましいモノを見たような笑みを見せ、ソニアは言葉を継いだ。
「わたくしは十一子と言えどもソルバニア王家の、それも直系の人間です。他国の殿下や爵位の高い臣下、城付のメイドから、わたくしを利用しようとする人間には事欠きませんわ。いえ、他人だけではありません。私の父にしたってそう。あの方は確かに私を可愛いと思っていたでしょうが、それ以上に『利用価値』があると思っているでしょう。利用価値がある人間には甘言も言いますわ」
たとえ本心を『偽って』も、と。
「それは……まあ、そうでしょうね」
「そういう人間に囲まれて育てば、ある程度耐性はつきます。所詮、と言ってしまうとアレですが……全ての人が、自分の全てをさらけ出している訳ではありません。分かり合おうと努力をして、触れ合おうと努力をしても、その人自身にしか……もしかしたら、その人にすら分らないモノです。『本当の自分』とは」
「……何とも夢の無い話ですね」
「子供の口からは聞きたくありませんか?」
「非礼を承知で敢えて言えば」
歯に衣着せぬそんなエミリの言葉に、ソニアはクスリと笑い口元を弛ませる。
「それに、それはわたくしも同じですわ」
「同じ、とは?」
「わたくしはソルバニア王の命でコータ様の下に嫁ぎ――嫁いだとは言い切れませんが、とにかく父の命令でコータ様にくっついて来た身です。純粋に思慕だけでコータ様を慕うのは立場的にも……心情的にも許されません。わたくしは『ソニア』であると同時、『ソルバニア王第十一子ソニア・ソルバニア』であるのですから。コータ様に言えない事だってあります。見せない自分だってあります。隠している心だって、当然ありますわ。そんなわたくしが、全てをさらけ出してくれなかったと、なんて不義理だとどの口が言えましょう。コータ様を罵るのはそれこそ心情的に許せませんわ。誰より、わたくし自身が」
胸すら張って堂々とそう言い切るソニアに、呆れた様にエミリが溜息を吐く。
「……流石、王族ですね。自らをしっかり持っていらっしゃる」
私とは違いますね、と小さく呟く。耳聡くその言葉を捉えて、ソニアは食い下がった。
「あら? エミリさんは許せないのですが?」
「そうでは無いのですが……ソニア様、夜も遅いです。そろそろ――」
「私は、隠し事をしないと決めました。エミリさん、貴方はどうされますか?」
ゆっくりと、逸らす瞳を捉える様。
「……全てをさらけ出してくれなかったと、コータ様を詰るのですか?」
逸らした視線を意に介さず間合いを詰め、まるで問い詰める語調に、諦めた様にエミリは少しだけ自嘲気味に笑って、首を左右に振った。
「いいえ。コータ様を責めるつもりは毛頭御座いません。ソニア様の仰る通り、誰だって隠している自分というのは御座います。それは……確かに、コータ様が胸襟を開いて接してくれなかった事に対して、思う所が全くないかと言えば、嘘になります。なりますが……」
少しだけ、言い淀み。
「覚えておられますか、ソニア様?」
誰かに、聞いて欲しいという思いも、確かにあった。
「質問が曖昧過ぎますわ」
「パルセナに行った日の事ですよ」
そう言って、心情を吐露する事への気恥ずかしさと、それ以上の情けなさを誤魔化す様に天空を見つめ。
「知っていた筈なんですよ」
「知っていた、ですか?」
「コータ様が悩んでいた事も、コータ様が私達が期待を寄せる程、何でも万能に出来る訳で無い事も、コータ様自身が、自らの能力にさほど期待していなかったのも」
『私は人間として非情に『薄い』ので』
「知っていた、筈だったんですよ」
『私は人に誇れる程魅力的なモノは何もありません。先日はエリカさんと一緒にカジノに行きましたがボロ負け。スポーツも……まあ、ソニアさんの件で分かる通り、私は運動神経もそんなに良くないです』
「あの方が、コータ様が……『無理』をして、魔王を演じられていたであろう事も」
『私の同期だけで考えても、私の職場には私程度の能力を持つモノは掃いて捨てる程います。それこそ、私がしたよりももっと上手に立ち回れる人間が』
「……それを、その事実を知っていた癖に、私はコータ様に何もして差し上げられなかった。貴方を支えると、貴方と共に踊って見せると、そう言っていたのに」
思い返す言葉。
『可愛すぎるだろう、お前』
そのたった、一言。
浩太が囁いた言葉がエミリに重く圧し掛かる。エリカでも、ソニアでもなく、ただエミリにだけ見せた、たった一つの『浩太』の欠片。泥酔し、前後不覚に陥ったからこそ出た、その言葉。
それを、確かに聞いていた筈なのに。
「……そんな私に、コータ様を責める資格などありません」
隠し、隠し続け、隠し通していた『コータ』の『浩太』の部分。誰に対しても笑みを浮かべ、そうやってテラを生き続けた魔王が見せた唯一の本音。
「酒に酔わないと見せて頂けないなど、情けない話だと……そう、思いますが」
そう言って、笑んで見せる。儚く、それでも飛びっきり綺麗で。
――酒に酔うまで隠し続ける事を強いた、自分たちに向けた嘲笑とも取れる笑みを。
「ですから、私が腹を立て、憤り、怒鳴り散らしたいと思うのはコータ様では御座いません。コータ様の弱みを見せて頂きながら、何も手を打つことも無く、あの方の優しさに、甘さに、まるでぬるま湯の様な心地よいこの環境に、自らを置き続けた」
自分自身に対してです、と。
「だから、私は『普通』であります。コータ様が居られなくとも、辛くとも、寂しくとも、悲しくとも、泣きたくとも、叫びたくとも、ただ『普通』であり続けます」
「贖罪ですか?」
「贖罪では――ああ、そうかも知れませんね。あのお方の心苦しさを癒して差し上げる立場にありながら、それを為してあげれなかった。確かに、それは私の罪です。ならばその罪を犯した私は、皆様の様に泣く訳には行きません。だって、そうでしょう? 私は、それを止めて差し上げられたのだから」
視線をソニアに固定したまま、まるで懺悔の様に告げるエミリ。絡んだソニアとの視線の間に冷たい風が一つ、吹き抜けた。
「……何と言いますか」
その視線に晒されながら、呆れた様にソニアは肩を竦めて見せて、一言。
「真面目ですわね、エミリさんは」
「そうでしょうか?」
「そうですわ。正直に申せば、コータ様が唯一『弱み』を見せたという一点においては羨ましいとも腹立たしいとも、何とも言えない感情がありますが……ですが、エミリさん? お話を伺う限り、別にコータ様が『助けて下さい!』とエミリさんに頼んだ訳ではないのでしょう?」
「それは……まあ、そうですが」
「そんな事にまで責任を感じる必要がエミリさんにありますか? わたくしは無いと思いますわ。仮に……仮に、ですよ? コータ様が『何故気付いてくれなかったのですか!』とエミリさんを詰るのであれば、わたくしがコータ様を叱って差し上げますわ!」
可愛らしく右の握り拳を握って見せ、その拳にはーっと息を吹きかける仕草をして見せる。ごちん、ですわ! なんてフリを付けて見せるその仕草は、容姿と相俟って愛らしくエミリの眼には映った。
「叱る、ですか?」
「ある程度特殊な環境である事を差し引いて頂いても……先程、ソルバニア王家の話をしたでしょう? 血が繋がった親と子でも分かり合えないモノですよ? 同じ国どころか、同じ世界ですらないコータ様と、どうして分かり合えましょうか」
「……」
「分って欲しいなら、口に出すのです。こうして欲しいと、ああして欲しいと、そう思っているのなら口に出さなければなりません。視線だけで、態度だけで分って貰おうなんて、そんな甘っちょろい事を考えては駄目ですわ。その為に、『言語』というツールがあるのですから」
まあ、それは翻って私達にも言える事でしょうが、と、そう言って。
「ですから、私はコータ様に憤る資格はありません。私は『本当のコータ様をお見せ下さい』とお願いしておりません。ですので、コータ様が本当の御自分を隠されていたとしても、仕方のない事ですわ」
そう言って、ビシッとエミリを指差し。
「ですから……エミリさんはそんな責任感を持つ必要はありませんわ! 無論、頑張るのを辞めろという訳では有りません。ですが、頑張る理由は贖罪ではなく、そうですね……『よく頑張りましたね、エミリさん』と言って貰う! あわよくば頭を撫でて貰う! この為に頑張るべきですわ! 無論、ご褒美の『おねだり』は言葉に出して、ですわ!」
吹く風に靡くハニーゴールドの髪を左手で優しく抑え、ソニアは微笑む。年齢よりも少しだけ大人びたその笑みに、エミリは少しだけ息を飲む。
「……どちらが年上か分りかねますね」
「蛇の娘ですから、わたくしは。年の割には小賢しいですわよ?」
そう言って、にっこり。言ってることは結構酷いのに、邪気の無いその笑みに、エミリも相好を崩す。
「ですが……それを認めて下さらなかったらどうしますか?」
「認めない、とは?」
「口だけでなく態度で分かれと、そう仰られたらです」
だから、ちょっとだけの意地悪と軽口のつもり。
「コータ様が『何で分かってくれなかったのですか!』とソニア様を詰ったならば、ソニア様はその可愛らしい拳骨をコータ様の頭に落し、それで終わりですか?」
「その方がエミリさんには都合が良さそうですわね?」
「否定はしません。ライバルは少ない方が都合が良いですから」
「……腹黒いですわね」
「古来より、継母と魔女とメイドは腹黒いと相場が決まっておりますので」
そう言って、申し訳ありません、腹黒メイドでと仰々しく腰を負って見せるエミリに、ふんっと一つ、鼻を鳴らして見せて。
「その考えは少々甘いのではありませんか?」
「なにがでしょうか?」
「継母と魔女とメイドは腹黒いのは認めますが……ですが」
そう言って。
くるりと、その場でターン。フレアのついたスカートがふわりと風を孕んで膨らみ、一回転したソニアは両手の人差し指を両の頬に当て、左に首を傾げ、にっこり。孕んだ風を吐き出したスカートがゆったりと元の位置に戻ると同時。
「そにあ、じゅっさい! むずかしいこと、わかんな~い!」
時間が、止まった。
「――腹黒いのは継母と魔女とメイドの領分でしょうが、『あざとい』のは幼女の専売特許ですわ。まあ……自分で『幼女』というのは幾ばくかの抵抗がありますが」
ペロっと下を出して見せ、悪戯っ子の笑みを見せるソニア。その姿に呆気に取られたように固まっていたエミリは、やがて動き出した時間を確かめる様にゆるゆると体の緊張を解き、同時に溜息を洩らした。
「どの口で言いますか、それを」
「あら? 嘘は言っておりませんわよ? 人の気持ちなど分りかねますもの。十歳だろうが三十歳だろうが、分らないモノは分りませんわ」
「嘘よりも性質が悪いです」
「使えるモノは何でも使え、というのはコータ様の好みだと思いますわ。それに、『蛇』の流儀でもありますわね。これが皆様方に勝っている私の利点ですから。使わないのは嘘でしょう?」
悪びれる事なくそう言うソニアに、肩を落してもう一度大きく、長い溜息を吐いて見せるエミリ。
「……本当に、どちらが年上なのでしょうか」
「年齢詐称はしておりませんわよ? 正真正銘、私は『若い』ですから」
『若い』の部分に若干のアクセント。先程の『利点』と絡んだその意味を正しく理解し、エミリの額に青筋が浮かんだ。
「……そうですね、ソニア様はお若いですから。なんせ、幼女様ですものね。ですから、仕方ありませんね」
「……エミリさん? 何故、わたくしの胸を見てそんな事を仰られるのですか?」
「いえ………………ぷっ」
「あ、今、鼻で笑われた気がするのですが? なんですか? 身体的特徴を弄ぶのは、人としてどうかと思いますが?」
「いえ、そういうつもりではありません。ご心配なく、ソニア様。まだまだソニア様は成長期ですから。私など、どんどん衰えて行くばかりですから。羨ましいですね、ソニア様のその幼女っぷりが」
「あらあらあらあら? 勝利者宣言ですか? わたくし、ちょっとだけ『かちーん』と来ましたわよ? 一つ言っておきますが、わたくしのお母様はその豊満な胸でお父様を落したと評判なのですよ? 血筋って、あると思いませんか?」
「大事なのは未来ではありません。『今』ですので」
「さっきと言っている事が正反対なのですが! なんですか! ちょっと自分がスタイル良いからって! た、垂れればいいのですわ、エミリさんなんて!」
「申し訳ありませんが、既に『予防』をしておりますので。後十年ぐらいは今のままのスタイルを維持できると自負しております」
「な、何ですかソレ! ずるいです! ……え、えっと、エミリさん? それは……アレですか? フレイム千年の歴史に伝わる秘術だったりします? その、一子相伝の秘伝とかだったりしないのであれば、こ、こっそりわたくしにも教えて頂けません?」
「そんな心配は肩が凝るぐらいに胸部が成長してからにして下さいませ」
「は、恥を承知で聞いたのに! 酷いです、エミリさん!」
まるで猫科の猛獣――と言いたい所だが、精々が仔猫。そんな不敬な印象を覚えながら、それでも優しく笑んで見せ、ソニアの頭にそっと手を置く。
「エミリさん?」
「済みません、ソニア様」
姉が、妹にする様に。
優しくその頭を撫でるエミリに、最初こそ訝しげな表情を浮かべていたソニアだが、やがて気持ちよさそうに目を細める。その姿は、まるっきり仔猫。
「……先程のソニア様は何処に行かれたのでしょうか」
「何か仰いましたか?」
「いいえ、何でも。それと――」
胸中で、『ありがとうございます』と。
「それと? それとの後が聞こえなかったのですが?」
「何でもありませんよ」
――私の心を軽くして……そして、コータ様と向き合う、向き合っても良いと、そう言って頂いて、と。
「……何だか、すごく失敗した感じがするのですが? あれ? わたくし、何処かで間違ったでしょうか? 眠っていた獅子を起こした様な身震いがするのですが」
「そんな事はありませんよ?」
そう言って、最後にソニアの頭を一撫で。
「さあ、ソニア様。それでは、『若さ』を保つ飛びっきりの秘術をお教えしましょう」
本当ですか! と、瞳を輝かせるソニアに視線を合わせる様に腰を屈め、人差し指を口の前で立て、左目を瞑って見せ。
「早く寝る事ですよ、ソニア様?」
がく、っとソニアの体がコケる。王族に、そもそも淑女にあるまじきそんな体勢をするソニアを優しく受け止めたエミリに、ありがとうございますとお礼を言いながら、不満げに頬を膨らませてソニアはエミリを睨んだ。
「な、何ですかソレ! そんなもの、秘術でも何でもありませんわ!」
「そんな事ありません。美味しい食事と、適度な運動、それに睡眠こそが美容と健康の秘訣です」
「そ、そうでしょうけど……で、でも! そう言うのではなく!」
「さあ、ソニア様。そろそろ寝所に行きましょうか」
「なんではぐらかすんですかぁ! 後生です! 教えて下さいよぉ!」
不満そうに頬を膨らませる『十歳の子供』らしいソニアをあやしながら、エミリはソニアの部屋までの道程にゆっくりと歩みを進めた。




