第五十九話 松代浩太 Ⅴ
もっと詳しく書こうかと思い、同じ事二回書くのもどうかと思い、気が付けば中途半端。何かの機会で加筆するかも知れません。
松代浩太は、所謂『普通』の人間である。人よりも努力の量こそ多く、それがプラスに働くことこそありこそすれ、極々平均の範疇から外れる事の無い、普通の人間である。
だが勘違いしないで欲しい。松代浩太は、決して普通である事を『望んだ』人間では無い。彼がしたのは普通の人間である事を『受け入れた』だけで……もっと言うと、普通では無い、選ばれた人間である事を『諦め』た人間だ。
ぶら下がっていたニンジンを目の前で取り上げられたら誰だって怒るだろうが、事、松代浩太という人間はその事で怒る事は無い。異常に思われるかも知れないが、松代浩太の二十六年の人生の多くの時間は『手に入らない』事が普通であり、望んだものが手に入った事など、片手で数える位しかない。綾乃が称する通り、良くも悪くも『諦め』る事に慣れた浩太は、この事態を受け入れ――そして、諦める。
――結局、自らの望んだものがそんなに簡単に手に入る事はないのだ、と。
『勇者さまでは……ないのですか?』
目の前の美少女にそう言われ、殆ど癖になっている苦笑を浮かべ『自分は普通の人間です』と、そう答えながら――『諦め』た浩太の心は逆に、少しだけ高揚する。
松代浩太は、極々『普通』の人間である。
コーヒーはカフェオレが好きで、格好つけてブラックを飲むが実はブラックを飲んだ後は苦い顔をし、毎週月曜日はコンビニで漫画雑誌を買って読むのが楽しみで、テレビで闘病生活なんかのドキュメンタリー見たらすぐ泣くような感受性の豊かな人間で、ゲームはRPGが好きで、食玩の『世界の車』シリーズを集めていて、掃除のおばちゃんにゴミと間違われて捨てられて涙目になり、目は悪くない癖に、パソコン見るときは目を細めてるから何だか睨んでる様に見え、休みの日は特に目的もなくブラブラ出歩くのが好きで、カラオケに行ったらポップスも歌うけど、シメは絶対演歌を歌い、誘われれば飲み会にも行くし、飲めと言われればお酒も飲むけど、別にそんなにお酒が好きな訳でも強い訳でもなくて、旅行好きで、ぶらりと一人旅とかにも行っており、しっかりしている様に見えるけど、実は全然しっかりしていなくて、よく時刻表とか見間違えて駅で数時間待ちぼうけするような人間で。
そして『人に必要とされる』事を望む、普通の人間である。
浩太の知る『召喚』は、ゲームや漫画、或いはアニメの世界の『特別』な『選ばれた』人間がされるモノだ。『ああ、俺は必要とされている』とそう思っても、折角巧く行くと思った成果を目の前で取り上げられながら――それでも浩太の心が少しだけ高揚したとしても、それを持って浩太を不義理だと、綾乃の事はどうでも良いのかと、そう責めるのは少しだけ酷だ。目の前で希望を取り上げられ、その上で新たな希望を提示され、それがあまりにも甘美な果実であるのならば、それを選んでしまっても不思議では無いだろう。追い詰められたら悪魔とでも契約する、というのも頷ける。
――もしかしたら、自分は選ばれた人間かも知れない。
――もしかしたら、自分は特別な人間かも知れない。
――もしかしたら……自分は、この世界で『必要』とされる人間かも知れない。
『……本当に、申し訳ございません……』
だからといって、『そんな幸運』にただただ酔い、『自分は特別なんだ!』と思い込めるほど、松代浩太は単純では無い。そうであるからこそ、『何の意味もありません』と言われても落ち込まないし、『学術的な興味本位です』と言われてもめげないし、『帰る方法はありません』と言われても拗ねないし――『出て行け』と言われても、怒らないのだ。
ロッテの話を聞き、浩太は自分がこの国に不必要であると言われても、極々当たり前にその話を受け入れた。別段、腹が立つ事なんて無い。この国の最高権力者である女王と宰相の言葉、というのも効いた。銀行に限った話では無いだろうが、とかく監督官庁には……『親方日の丸』には頭を下げるのが日本のサラリーマンだ。それを差し引いても、右も左もわからない異世界で駄々をこねて拗ねる必要も、その意味も浩太には無い。元の世界に帰れない以上、王都だろうが何処だろうが一緒の事だし、『勝手に召喚して返す方法が無い? ふざけるな!』と感情的に怒鳴っても、結局それは自分の立場を不利にする事こそあれ、有利にする訳が無いのは自明の理、下手すれば厄介者として処分される可能性だってある。ならば『仕方ありませんね、貴方達の言う通りにします』と、素直に言う事を聞いておいた方が後々の為に有利であろうという計算も働いたし……そもそも、銀行員は人事に文句は言わないのだ。流されるままロンド・デ・テラ『勤務』を受け入れ、赴任先に赴いて。
『貴方が……松代浩太?』
エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムに出逢う。
◇◆◇◆◇◆
浩太が辿り着いたロンド・デ・テラという領地は、一言でいえば『酷い有様』だった。王都からの道程は遠く、目立った産業も、観光地も無い。主要産業の農業は立派な斜陽産業であり、どう考えてもこの領地が発展する様には見えなかった。
『その、魅力の無い街を魅力的にしようとは思わないのですか? 仮にも、『領主』が』
だが、この領地にはオン・バランスの資源もオフ・バランスの資産もあった。前者は絵画や美術品、調度品などの換金可能な資源であり、後者は『国王の姉』という、人的資産では恐らくこの国でも一、二を争う程、有用な資産が。売れば良い資産は売ってしまえば良く、国王の姉という権力は最大限に利用するべき、野菜も育たない様な腐った大地に必死に種を捲く必要など何処にも無い。
――このままなら日陰の生活を送る事になる。それならば、ダメで元々、少しだけ『キツイ事』を言ってみようか。
綾乃の言った『浩太が新規先によくやる事』という言葉は実は結構、的を射ている。だってこれが、偽らざる浩太の本音であるのだから。テラを発展させようとも、自身の待遇を良くしようとも、エリカが美少女だからなんて理由もさらさら無い。強いて言うならば『与えられた環境で最高の結果を出す』というのがポリシーだから、だ。当たり前と言えば当たり前だが、今日初めてあったエリカの為に身を粉にして尽くす様な高尚な精神など浩太は持ち合わせていない。出来そうな資源があり、出来そうな環境があり、自身にそれが実行可能な能力が備わっているのならば、全力を尽くす。別にエリカの為では無く、あくまで自分の為――言い方は悪いが、自分の『矜持』の為、だ。それで結果としてテラが発展するのであれば良し、WIN-WINの関係であろう。
この言葉が挑発的な言葉である自覚は勿論、浩太にもあった。あったがしかし、初っ端から何処の馬の骨とも分らない浩太に頭を下げて見せたエリカが、王都から『客人』待遇で来た人間を軽々と害すように見えなかった事もある。言わば一つの賭けであり――およそ、普段の浩太からは想像が付かない程の綱渡りでもあった。冷静に見えながら、それでもある程度自暴自棄な気持ちもあったのかも知れない。考えが甘い、という点においては。
『……それじゃ宜しくね、『勇者様』』
そう言って手を差し伸べるエリカの手を取り、浩太は自身が賭けに勝った事を悟る。ベットしたのは己の命で、自身の矜持を満たす事と、『退屈』からの脱却。三食昼寝付の生活というのも中々に魅力的な提案ではあるが、『努力』をライフワークにして来た浩太に取ってみれば、その自堕落で『退屈』な生活は些か以上に苦行でもある。
『こちらこそ、宜しくお願いします、エリカさん』
そう言って、浩太はその手を笑顔で握った。
◇◆◇◆◇
『支店は会社を守れ。本部は銀行を守れ』という言葉が銀行には理想として、ある。どんなに綺麗事を並べたとしても銀行は所詮『金貸し』に過ぎず、金貸しは貸した金が返って来てはじめて意味を為す。株式会社である以上、株主の利益を優先するのが当然であり返ってこない金を貸して株主に損害を与えるような事は絶対にしてはならない。だからこそ本部は融資審査に過剰なまでの反応を示し、『返ってこない事』を前提に審査をするのだ。
その点、支店は違う。『返ってくる事』を前提に稟議書という協議資料を回し、本部からの質問事項に答え、融資を勝ち取る。融資を出したい支店と、融資を出したくない本部、何処の銀行でも日夜この戦争は繰り広げられており、当たり前だが戦争を戦うには武器が必要だ。支店担当者は足繁くその会社に通い、日々『武器』となるモノを探して回るのだ。他行に置いてある定期預金だったり、担保に入って無い土地や建物であったりの有形資産から、売り上げの見通し、新商品の開発や完成見込み、社長の人脈や、人柄に至るまでの無形の資産までをかき集め、本部と戦うのである。支店と本部、どちらが良い、悪いの話では無い。立場の違いである。
情報をかき集める中で、担当者はその会社と親密になる。特に、胸襟を開いて資料の全てを見せてくれる会社には『何とかしなければ』という感情も湧くものである。情実融資、というのとは少し違うが担当者も人間、何も教えないけど金は出せという会社に比べれば、本気度は段違いであり――ここで初めて最初の言葉に戻る。
『支店は会社を守れ』の真の意味は、『担当者は本気でその会社に向き合い、資料の全てを提示して貰える程の信頼関係を築き、その会社を全力でサポートしろ』という意味だ。会社の誰よりもその会社に詳しくなるほど全力で取り組めという事であり、真の意味で『理想論』である事は容易に想像が付く。
会社が銀行の相手だけをしているので無いのと同様、銀行員だって一社だけを相手にしている訳では無い。人数の少ない店では何十社、何百社の取引先を一人の行員が担当するなんて事はザラである。その全てに全力で取り組む事など、常識的に考えて到底不可能だ。
加えて、浩太が担当した春風堂の様に、端から銀行の言う事なんて聞かない会社もある。『銀行に何が分る』という自負もあるし、『巧い事言って結局銀行だけが美味しい思いをするんでしょう』という考えもあるだろう。何処まで行っても銀行員は『他人』であり、どれ程頑張ったとしても、所詮は余所者なのだ。
『コータ~』
『はい? どうしました、エリカさん』
『あのさ、コレなんだけど……どう思う?』
『……ああ、これですか。これはですね……』
『ああ、そっか! ありがとう、コータ!』
ロンド・デ・テラが発展していく様子を自身の眼で、耳で、肌でダイレクトに感じる生活は、浩太が思っていた以上に充実し、そして楽しく、何より新鮮であった。
『何処まで行っても余所者』であった自分が、今は『ロンド・デ・テラ』という『会社』の情報を、財務を、強みを、弱みを、その全てを把握し、施策が打てる。トップであるエリカは自身の考えに共感し、決定を委ねてくれ。
――そして、『必要』としてくれる。
これが、どれ程浩太に取って嬉しかった事か。縁も所縁もない異世界において、自身が生きる場所と、その術を与えられる。浩太はがむしゃらに働いた。
浩太に『魔王』という渾名がついたのはそんな時だ。
少しだけ鼻白み、『勇者』として召喚された筈が気が付けば魔王にすり替わっている事実に呆れるも、それでも浩太はこの呼称を素直に受け入れた。勇者だって魔王だって、『特別』な呼称に変わりはない。平凡な人間であった筈の自分が特別である、という事実は浩太の人生の中でこれ以上ない程、彼の心を浮かれさせて。
『逃げ道を探しーや。頭も下げーや。『どうかお願いですから、ソルバニアの引渡証書を流通させないで下さい』と……泣いて、縋りつきや』
そうして呼ばれたソルバニアで、自身が浮かれ過ぎていた事に気付く。
◇◆◇◆◇◆
『誠実? ええ、確かにそれ自体は素晴らしいでしょう。純情? ええ、確かにそれ自体は可愛らしくも映るでしょう。一途? ええ、確かにそれ自体は女の身として生まれた以上、何よりも男性に望みたい一事であるでしょう。ですが……あまりに、『退屈』な男』
ソルバニア王都で、ソニアから聞いた『カトレア姫の強欲』の御伽話が浩太の胸に突き刺さる。
『……聡明な少女であったカトレアに、ただ誠実で、ただ純情で、ただ一途な真面目なだけが取り柄の男など、さぞ退屈な男だったでしょう』
『……『浮気された方にも問題があった』と? 個人的にはあまり好きな理論ではありませんが』
辞めてくれ、と、浩太の心は悲鳴を上げる。
『真面目なだけが取り柄』の『退屈な男』
――正に自分の事ではないか、と。
ソルバニアで、証書の流通を仄めかされ、それを半ば強引に飲まされた、圧倒的な敗北。エリカやエミリが期待していた『何でも出来る魔王』の役目を演じ切る事が出来なかった。
――では、自分に何が残る?
今まで培ってきた『努力』のみで、インプットした知識を吐き出して来たに過ぎない浩太が、そのインプットした知識でも役に立たないとしたら。
……何も、残らないじゃないか。
背筋に、冷たい汗が流れる。ソニアだって、今はこう言っている。『貴方は退屈では無い』と、そう言ってくれているが……だが、『本当の浩太』を知ったらどうなるだろうか。カトレアを神に召し上げられた幼馴染と同じ、『退屈』な人間と知られたら。
――松代浩太は、『普通』の人間に逆戻りする。
その事実は、結構な恐怖だった。手に入るはずが無いと思っていた、『特別』が、図らずも自身の手元に転がり込んで来たら、今度はそれを失くすのが惜しくなった。惜しくて惜しくて堪らなくて。
『……申し訳ありませんでした。この様な事は言えた義理で無い事は重々承知しています。承知していますが……エリカさん。もう一度、私に『チャンス』を下さい』
だから、浩太は頭を下げる。
今度は、巧くやって見せるから。
ソルバニアに負けない様に、テラを強くするから。
『魔王』の役目を、きちんと演じて見せるから、だから。
――お願いだから、『もういらない』と、言わないでくれ、と。
『……けるな』
『……エリカさん?』
『……ふざけるな!』
『え、エリカさん?』
『何が『私のせいです』よ! 何が『もう一度チャンスを下さい』よ!』
慌ててあげた視線の先に、エリカの。
瞳一杯に涙を溜めた、エリカの姿があった。
『貴方何様のつもりよ! 何? 失敗したら、全部自分のせいだとでも思ってるの! 此処が『テラ』じゃなければ、ソルバニアはそんな態度を取らなかったのよ! そうよ! 此処がラルキアだったら! 此処がローラだったら! 此処がチタンだったら、ソルバニアはそんな態度を取らなかった! 『此処』が『テラ』だから! ソルバニアが、テラを、この領地は馬鹿にしても大丈夫だと思ったから! だから!』
怒声が響く。さして広くない執務室一杯に。
『証書なんか、好きなだけ流通すればいいじゃないって言えた! そもそも、ソルバニアが戦おうなんて思わなかった! じゃあ、なんで? 何でソルバニアは、テラを『舐める』の!』
『……それは』
『はっきり言って!』
『……テラが、『弱い』からです』
『ええ、その通りよ! テラが『弱い』から! テラが『怖くない』から! テラなんて、どれだけ吠えても全然脅威じゃ無いから! だから、ソルバニアはテラの真似をして、引渡証書の流通なんてしようと思うのよ! それは……それは、貴方のせいじゃないでしょ!貴方は何も悪くない! テラを、この貧弱な、国からも、国王からも、各領主からも――当の、『領主自身』も、皆が見捨てたこの領地を、ここまで発展させてくれた! 此処まで大きくしてくれた! テラの発展は、全て貴方の……コータ・マツシロ、貴方の功績なのよ!』
『そんなことは――』
『あるの! 全部、全部貴方のおかげ! この領地が発展したのは、全て貴方のおかげなの! だから……だから、貴方は何にも悪くないのよ! ……悪いのは、『私』よ! 貴方に、これだけテラを発展させてくれた貴方に、何の武器も与えずソルバニアに向かわして、下げたく無い頭を下げさせて、薄氷を踏む様な交渉をさせて、貴方の誇りに、貴方の想いに、貴方の夢に、貴方が為してくれた、その全てを踏みにじって、泥をかぶせたのは、全部『私』のせいなのよ!』
『それは違います! エリカさんのせいでは――』
『私のせいなの! 私は『ロンド・デ・テラ公爵』なの! 『エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム』なの! この領地は、ロンド・デ・テラは、私の領地なのよ! ……だから!』
エリカの瞳から、涙が零れ落ちる。
『テラが『舐められ』たのは、私のせいなの! だから、お願いコータ! どうか……私の責任を奪わないで! お願いだから、私を足手まといだと思わないで! お願いだから、私を役に立たないと思わないで! 私は頼りにならないかも知れない! でも、お願いだから少しだけでも私を頼って! 貴方の背中で、震えて守って貰うだけのお姫様じゃないの! 貴方の隣で、貴方の横で、貴方の、その一番近くで貴方と『戦い』たいの!』
そう言って、頭を下げて。
『……ごめん、なさい……此処までテラを導いてくれた貴方に、コータに……そんな……惨めな思いをさせて……本当に……』
――嬉し、かった。
『……その……すみません、エリカさん』
『――だから!』
『そうではなく……貴方の責任を奪った事に対する、謝罪ではなく……私は調子に乗っていたかもしれません。『政治は男子一生の仕事である』という意味合いの言葉が私の国にありますが……自分の施策が、自分の考えが、自分の想いがテラに浸透し、そして花開く事がとても『楽しく』、とても『嬉しかった』から……』
エリカがどう言おうと、浩太はこの『失策』を自分の失敗だと思っている。背後関係や経緯はどうあれ、結局は自身が交渉に赴き、自身が納得し、自身が飲んできた案件だ。
『貴方の仕事を、貴方の想いを、貴方の願いを……何より、貴方の誇りを蔑ろにしていたのかも知れません。エリカさんの仰る通り、何でもかんでも自分で出来る気になっていたのかも知れません。ですが……決して、貴方の事を『頼り無い』と、『足手まとい』だと、そう思った事は神に誓って一度もありません』
『……ホント?』
『ええ』
『じゃあ……なんで、私には何にも教えてくれないのよ!』
痛い所を突く。そう思い、浩太は渋面を作って言葉を継いだ。
『別段、秘密にしていたり、頼りがいが無いと思っていた訳ではなくてですね……その……申し訳ありません。私はどうも『人に頼る』というのが苦手な様でして……なんと言えば良いのか……例えば、『これをお願いします』って私が言うと、エリカさんにしてもエミリさんにしてもお手伝いをして下さるでしょう? そうすると、お二人の本来のお仕事の邪魔になるかと思ってですね』
エリカの視線の温度が一気に低くなる。その視線に苦笑を浮かべ、浩太は肩を竦めて見せた。
『……その冷たい視線、止めて貰えません? 自分でも悪い癖だと思ってるんですよ? あちらの世界の同僚にも良く言われていました。『浩太は何でもかんでも自分で抱え込みすぎ。少しは人に仕事振れば良いのに』と。そう言われても、どうも人に自分の仕事を手伝って貰うのは気が引けるんですよ』
自らの仕事を人に振るのを良しとしない。浩太の美徳でもあり……綾乃がいつも、心配していた事だ。
『……ばか。貴方の仕事じゃ無いわよ、これは。『私の仕事』よ? だから、『私が手伝う』訳ではないの! 私が『する』のよ』
仰る通り、反論を持たない浩太は素直に頭を下げる。
『……申し開きもありません』
『……じゃあ……何かしら? 纏めると、貴方は別に私達が頼り無いと思っていた訳ではなく、純粋に人に自分の仕事を手伝って貰うのが苦手だった、と。だから何でもかんでも自分で背負って、自分で回して、自分で責任を取っていた、と……そう言う事かしら?』
的確なその指摘に、浩太は素直に頷き頭をもう一度下げた。
『……概ね、そうです』
『……ナルシストね、貴方』
『そう言う訳ではありませんが……』
『そうでしょ? 結局、『誰の助けが無くても自分一人で何でも出来る』って、自分の能力に自信があるから出来るんでしょ? ……まあ実際、貴方一人で何でもかんでも回して来た訳だからあながち間違いでは無いのでしょうけど……でも……私はイヤよ。貴方一人を矢面に立たして、後ろで安穏としているなんてそんなの御免よ。私は『お姫様』じゃないの。ロンド・デ・テラ公爵、『エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム』なのよ。ここは私の領地で、私はその領主なの。分かった? 貴方一人で何でもかんでもするのはもう辞めて。お願いだから……一生懸命、頑張るから……少しだけでも良いから』
――私を頼って。
『――っ!』
瞬間、弾かれた様に浩太はその顔を上げ、泣き笑いの表情を浮かべるエリカを視界におさめた。
――頼られた事は、ある。
――あてにされた事も、ある。
――無論、助けて貰った事だって、数えきれないぐらい、ある。
でも、頼った事は――対等の立場で、お互いがお互いを補完する様な関係は……浩太の経験では、無い。
『善処します』
『善処じゃなくて、約束よ』
『……はい』
今まで築き上げた関係では有り得なかった、その一事。果たして自分に出来るだろうか、という不安と。
『……そうですね。すいませんでした、エリカさん。貴方の仰る通り、これからはまず貴方にご相談させて頂きます……一緒に、この『テラ』を良くして行きましょう。私だけではなく、エリカさんだけではなく、二人で、皆で……テラを、良くして行きましょう』
それ以上の――『一人では無い』という、その喜びを、胸に抱いて。
浩太は、笑った。
◇◆◇◆◇◆
『……』
汗ばんだ自らの手を見つめ、浩太は今後の方策を考え……そして、何も浮かばない自身の頭を恨めしく思う。
ライム・ラルキア戦争。想像すらしていなかったこの事態に、浩太の頭の中はパニックになる。良かれと思って集めた商会が、今ではテラの喉元に匕首を突きつけていた。
浩太は基本、アウトプットの出来る秀才ではあるが、クリエイティブな天才ではない。今までテラ、或いはソルバニアで彼が見せて来た数々の施策は、自らが持っている知識の焼き直しに過ぎない。日本で、銀行でインプットした知識をアウトプットして来ただけの話である。そして、彼は決して無限の知識を持つ訳ではない。当たり前の話だが、自らがインプットして来ていない知識は腐るほどあり、今回の事例は正に浩太がインプットしていない知識である。
繰り言になるが、浩太は極々平均的な人間であり、それ以上に平均的な『日本人』なのである。戦争なんて経験も、戦争状態になるその危機感も薄い、本当に平均的な日本人なのだ。まして自らの住んでいる街がいきなり敵味方に分かれて戦争一歩手前の緊張状態になるなんて、想定どころか想像すらしていなかった。甘いと言えば甘いのかも知れないが、そこまで浩太に求めるのは余りにも酷であろう。
『……コータ様』
苦悩の表情を浮かべる浩太の手に、そっとエミリが手を重ねる。その心配そうな瞳に、自らが苦悩の色をありありと浮かべていた事を知り、無理矢理笑顔を浮かべようとして。
『その……一体、どの様なお考えがあるのでしょうか?』
瞳に期待の色を浮かべるエミリの表情に、浩太の笑顔が固まった。
『……え?』
掠れる声で、そう呟く。
『そ、そうよ! コータ! 何かあるんでしょ? この状態を打開する、そんな施策が!』
エミリの言葉に同意するように、エリカがその瞳を輝かせコータに詰め寄り。
『そうですね。コータさま、どの様な方法があるのですか?』
ソニアの、あって当然とも言うべき言葉と。
『……せやな~。コータはん、どんな方法があるんや?』
お手並み拝見、とばかりのマリアの態度。
『そ、その……』
四対八つの瞳が浩太を射ぬく。全員が全員、期待を浮かべたその視線に、居た堪れなくなり浩太は眼を逸らした。
『なに? コータ、また隠し事? 私、言ったでしょ? そういうのは辞めてって!』
エリカの残酷なまでの信頼が、浩太を貫く。
『方法、と言われても……』
そんなもの、無い。
『コータ様。私達ではコータ様のお考えを全て理解する事は叶いません。ですが、今はテラの一大事。出来る事は少ないかも知れませんが……私にも、どうかお手伝いをさせて下さい』
そう言って、頭を下げるエミリに、浩太の心に痛みが走る。
『そうです、コータ様。わたくしはソルバニアに籍を置く身ですが、この度はお手伝いをさせて頂きたいです。そ、その……す、少しでもコータ様のお役に立ちたいので……』
頬を朱に染め、殊勝な事を言うソニアに、浩太の精神が悲鳴を上げる。
……辞めてくれ、と。
……何の方法も無いんだ、と。
……そんな。
そんな期待の籠った瞳を向けないでくれ……と。
『……申し訳ありません。私には……何の方法もありません』
振り絞る様に。
自分には、何の力も無いと、そう言って頭を垂れて謝罪をする浩太に。
『またそうやって自分一人で何でもかんでもする気? もう! コータが凄いのは分かってるんだから、きちんと私達にも手伝わせてよね!』
何時もなら……『諦める事』に慣れた浩太なら、笑って流せた筈だった。『ああ、やっぱりそうですね』と、笑えた筈なのに。
『だから……何の方法も無いって言ってるでしょう!』
バーン、と。
力強く、眼の前の机を感情のままに叩く。
『どんな案件でも即座に解決できる訳じゃないんですよ!』
――頼っても良いって、言ったじゃないか。
『私は――』
二人で……皆で考えるって言ったら、頷いたじゃないか。
『自分に出来る事しか出来ませんよ!』
なんで――なんで、俺ばっかりにと、そんな言葉が喉元まで出かけて。
怯えと――少しの失望が籠った瞳が自身に向けられている事に気付く。
『も、申し訳ありません! す、少し冷静さを欠いてしまいました! ほ、方法ですね? え、ええ! その、こ、これから考えますので少々お待ち下さい!』
怒って、拗ねて、怒りに任せてモノに当たる。考え得る限り、最悪の失態であり……浩太自身、何故自分がこれほど感情的に怒るか理解できなかった。いつも通り、苦笑して『諦め』れば良い。『頼る』事が出来なくても、それはそれで良いと思えば良いのに、それが出来ずに――そして、それが『出来ない』事が、怖かった。
『……女王陛下からの召喚状です』
自分の感情を、自分で律する事が出来なかった。その事実が怖く、恐ろしくて。
『松代浩太殿、どうぞ、王都ラルキアにお向かい下さい』
だから、その言葉に縋り――逃げ出した。




