第五十一話 再会と際会
好き嫌い分れるかな~、今回。
――これは、一体何なのだろう?
エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムは思う。
「アンタね! 一年も何してたのよ!」
「いってぇーな! ポンポンポンポン人の頭殴るなよ! バカになったらどう責任取ってくれるんだよ!」
「アンタはこれ以上バカになりませーん!」
「んだと? お前な、あんまり俺の事バカにするのもいい加減にしろよ、この仔狸!」
「あー! 言っちゃいけない事言った! 人が気にしてる事言ったらダメなのに! 大体、アンタだって人の容姿にとやかく言えるほど優れた容姿をしてるんですかって話ですー!」
目の前で。
「ったくアンタは! いっつもいっつも!」
「なんだよ、いっつもいっつもって!」
「そうじゃん! ほら、一年目の七月! 支店旅行の時!」
「おま、一年目の七月って! よく覚えてんな、そんな昔の事! つうかアレはお前の方が悪いだろう!」
「何よ! よく覚えてるって言う割には自分だって覚えてるじゃん!」
怒鳴りあいながら。
「っていうかな? 『俺』が転勤する時だって!」
「なによ? あ! まさかアンタまだ、あの時の事言ってるの? うわ、男の癖にみみっちい!」
でも。
「なんだよ!」
「なによ!」
――それ、でも。
「本当に……相変わらずだな、『お前』は」
――屈託、なく。
『俺』と、自らを呼び。
『お前』と、相手を呼び。
敬語を使う訳でもなく、遜って喋るわけでもなく、相手の顔色を窺う訳でも、相手に合わせる訳でも、笑みを――
「……あ」
そこで初めて、エリカは気付く。
「……あ……あ……ああ……」
笑顔は。
『コータ』に浮かぶ、笑顔は。
――今まで、見てきた。
張り付いたような、ニヒルな笑み、では、なく。
「……と、そうじゃない」
「そうじゃないって何よ?」
「ちょっとお前は黙ってろ……エリカさん」
振り返り。
――自分に向けられた、その『笑顔』は。
「――失礼しました、エリカ――エリカ、さん?」
辞めてくれ、と。
お願いだから、と。
「こ……た?」
――その張り付いた様な、笑みを。
「エリカさん? どうしました? 顔色が悪いですが?」
「……本当に」
「――え?」
目の前にいる、この男と。
「エリカさん?」
先ほどまで、あんなに楽しそうに燥いでいた、この男が。
「本当に」
どうしても、一致しない。
「貴方、本当に」
だから、彼女は問いかけた。
「――『コータ』、よね?」
この男は――一体『誰』、なのか、と。
◇◆◇◆◇◆
「……エミリさん」
「なんですか、コータさま」
「いや、その……何ですか、この御馳走の山は」
テラで最も立派な建物であるフレイム公爵の屋敷、その食堂。
立派なテーブルの上には、所狭しと湯気を立てた料理が並ぶ。まるで何かのパーティーでも開かれるかと思う程のその料理達に生唾の前に冷や汗が出る。
「……いや、シオンさん?」
「なんだ? 料理はまず、視覚で楽しむタイプだぞ、私は」
「そんな事は誰も聞いていませんし、何よりも貴方は本当に残念ですね。取りあえず、涎を拭いて下さい」
ジト目でシオンを見やり、浩太はその視線をエミリに戻す。
「なんでしょう?」
その視線に小首を傾げて答えるエミリに、こんな事を聞いても良いのか悩みながら……それでも、勇気を振り絞って浩太は言葉を放つ。
「……どれくらい、お金かかってます? これ」
「……最初に料理を見て出てくる感想がそれですか、コータさま」
「あ、いえ! 凄い料理だな、とか、美味しそうだなとか当然思いましたよ!」
シオンを見る浩太の様な……まあ、残念な子を見やる視線で浩太を見るエミリに、慌てて浩太も首を左右に振る。
「……今日は、コータさまがテラに帰って来て下さった日です。私に出来ることは多くはないので、料理くらいは腕を振るってみたのですが」
『ダメですか? ねえ、ダメですかぁ?』と言わんばかり。
もしも犬だったら尻尾と耳が『しゅん』と垂れた様になっているだろう、そんなエミリの仕草に浩太は首よもげよとばかりに、先ほどよりも勢いよく首を左右に振る。
「そ、そんな事ありません! いえ、私の為にそこまでして下さるなんて、感謝感激ですよ!」
「……本当、ですか?」
「はい! ありがとうございます、エミリさん。美味しく頂かせて貰いますね?」
……くどい様ではあるが。
もしもエミリが犬か、もしくは浩太に『そっち』の才能があれば、嬉しすぎて尻尾を千切れんばかりに振るエミリの姿が幻視されただろう。
「……ちょっと。貴方たち、いつまでそこでコントをしているの? 早く席に付かないと料理がさめちゃうでしょ。ほら、早く食べるわよ!」
そんなエミリと浩太のちょっとだけ良い雰囲気をまるで邪魔するかの如く、『私、不機嫌です』と顔全体に書いてある様なエリカの突っ込みが飛んだ。
「……何ですか、エリカさま」
「……何よ? 私、間違った事言ってるかしら?」
「……いいえ、間違った事は仰っていませんが」
「『いませんが』? 何、その含んだ言い方?」
「……いえ。ただ、ですね?」
エミリにしては珍しく、少しだけエリカを見下した様なそんな視線を向け。
「自らの手料理を振舞えなかったからと言って、メイドに当たるのはどうかと思いますが?」
「べ、別に当たってなんか無いわよ! そ、その、私は料理は暖かい方が美味しいって言ってるだけで!」
「……嫉妬は見苦しいですよ、エリカさま」
「だ、誰が嫉妬してるですって!」
「確か、エリカさまも料理のお勉強をされておられましたよね? それで、どうですか? 『コータが帰ってきたら手料理を振舞う!』なんて息巻いておられましたが……どうなったのでしょうか?」
「そ、それ、今言う必要があるの! 結果なんてわかってる癖に!」
「ああ、そうでしたね。もし、あの料理が食卓に並んでいたら、きっとコータさまはラルキアに帰ってしまわれますね」
「そこまで言うかなぁ! 私だって料理、頑張ったもん!」
「料理? アレは食材に対する冒涜です」
「あ、貴方ねぇ! 仕える主に言う言葉なの、それ!」
「『気を使わなくていいわ、エミリ! バシバシ鍛えて!』と仰られたのエリカさまだったと記憶していますが?」
「本当に職務に忠実なメイドで私は幸せよ! 大体、貴方だって貴族の娘の癖に何でこんな美味しい料理が作れるのよ!」
「淑女の嗜みです」
「じゃあ、料理一つ作れない私は淑女じゃないって事かしら!」
「『ばか! ばかばかばかばかばか!』」
「なっ!」
「もう、だめかとおもったんだからぁ~、こーたに、すてられるとおもったんだからぁ~……ダメとは言いませんが、淑女なら淑女らしい甘え方をして頂きたいものです」
「あ、貴方また見てたわね!」
「何度も言う様ですか、エリカ様? 見られたくないのならドアを」
「閉めておけって言うんでしょ! 悪かったわよ、見せたくないもの見せて!」
「いえ、今回はきちんと閉まっておりましたが、私が開けさせて頂きました」
「前言撤回! 返して! 私の謝罪を返してよ!」
「主の成長をみま――」
「興味本位よね! それ、絶対興味本位よね!」
「……あの~……料理がさめてしまうと思うのですが……」
二人して視線にバチバチと火花を飛ばしあうエリカとエミリの主従コンビに遠慮がちに浩太は声をかけるも、遠慮がち程度の声量では今の二人に届く筈もなく。
「コータさま、コータさま。あーん、です」
そんな、自らの無力さを嘆く浩太にかかった声は、膝の上から。
「ソニアさ――あむ!」
開きかけた浩太の口の中に何かが高速で押し込まれる。前後の文脈と、スパイスの良く効いた味と香りが口内を満たしていく事で、口の中に入れられたのが料理だと認識。火傷しそうな熱さのソレを必死で咀嚼する浩太。
「どうです? 美味しいですか?」
「あぐうぐ……ぐ、は、はい、美味しいです。美味しいですが……えっと、え?」
「『あーん』ですわ!」
「……はい?」
「仲の良い男女が、お互いに料理を食べさせ合う事によって料理はより美味しく感じられると本で読みました! ですのでわたくし、実践してみたのですが」
如何でしたか、と上目遣いで不安と――それ以上の期待で瞳をきらきらさせるソニアに。
「……ええ、とても美味しく感じられましたよ」
空気を読むことに定評がある浩太、こう返答するしか無い。気分は『サンタクロースって本当に居るよね!』と問われ、『ああ、きっとソニアが良い子にしてたらプレゼントを持ってきてくれるよ』と答えるお父さんである。きっと、浩太は良いパパになるだろう。
「それではコータさま! はい、あーん」
「へ?」
「ですから! 先ほどわたくしがコータさまに『あーん』をしたので、今度はコータさまが私に『あーん』をする番ですわ!」
そう言ってその小さな口を精一杯、大きく開けて見せるソニア。その瞳には先ほど以上の期待が浮かんでおり、もう眩しくて見れないほどにキラキラと輝いていた。
「コータさま」
「そ、ソニアさん? え? 私もやるんですか?」
「勿論ですわ。はやく……はやく、下さいませ」
手に持ったスプーンを持ったまま固まる浩太。浩太の二十七年の人生の中で、恥ずかしながら『あーん』は初体験である。
「おい、コータ」
「なんですか?」
「幼女がその小さな口を精一杯開けて『おねだり』してるんだぞ?」
「……シオンさん」
「その暖かいモノで、涎を垂らさんばかりに物欲しそうにしている彼女の口腔を満たしてやれ」
「言い方! 何だかその言い方は激しく誤解を招きそうです!」
しかも、全力で斜め下にである。
「うん? 何かおかしいか?」
「それが本当に分らないんだったら貴方は本当に残念な人ですよ! 恥ずかしい人ですよ! 恥の多い人生を送りすぎですよ!」
「そこまで言うか、おい」
「言います――」
「あーーーーー!」
「今度は何ですか!」
「ソニア! 貴方、またコータの膝の上に乗って! しかも料理! なんで勝手に食べてるのよ!」
「そうですソニアさま。なんとうらやま――ではなく、お行儀の悪い」
「あら? お二人が楽しそうにじゃれていらっしゃるので、料理がさめるまえに初めた方が宜しいかと思ったのですが?」
違いましたか? などと、しれっと悪びれる事もなくそういうソニア。エリカとエミリのこの視線にさらされながらもそう言い切れる所は、流石王女の貫録である。まあ、どうせならこんな所ではなくもっと別の所で発揮して欲しいものではあるが。
「……分ったわ。エミリ、取りあえず一時休戦よ。ソニア、貴方は膝の上から降りなさい」
「ですが、わた――」
「良いから! 行儀悪いでしょ!」
「……はい」
ぷくーっと拗ねたように頬を膨らませながら、ソニアは渋々浩太の膝の上から降り、トテトテとエリカの隣である自分の席に腰を降ろす。
「……それと、エミリ。今日は貴方も席について。一緒に食事をしましょう?」
「……宜しいのですか?」
「折角コータが帰ってきてくれた日ですもの。貴方だけ後ろで立ってる、なんてイヤよ、私」
少しだけ、照れた様にそっぽを向きながらそんな事を言うエリカ。自身がちょっと恥ずかしい事を言ってることは十分理解しているが、気にしない。『コータだけか? 私の歓迎会とか、もうちょっと気を使ってくれても罰は当たらないと思うぞ? せめて形だけでも!』なんて雑音が聞こえて来ても、気にしない。
「……そうですか」
そんなエリカの言葉に、ほんのり頬を染め、それでも嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべエミリもまた腰を降ろした。
「……ちょっと、エミリ? なんで其処に座るの?」
浩太の、膝の上に。
「……」
「え、えっと……エミリ、さん?」
「……」
「……」
「…………あう」
「照れるぐらいなら最初からやらないでよね!」
浩太の膝の上で、耳まで真っ赤に染めて俯くエミリに、エリカの絶叫が飛ぶ。
「そ、その、せ、折角だからこう、やってみようかと思ったのですが……こ、これ、結構、『クル』ものがありまして」
「そう言いながらおずおずとコータの首に手を回そうとするの止めなさいよ!」
うるんだ瞳のまま、浩太の首に手を回しおずおずと、だがしっかり『ぎゅっ』と抱き着くエミリ。浩太? 口をパクパクさせて固まってる。
「……おい、コータ」
「……」
「おい!」
「……はっ! し、シオンさん? な、何でしょう?」
「いや、お前が固まって居たようだから現実に戻してやったんだ。感謝しろ」
「……ありがとうございます」
「モテる男は辛いな?」
「茶化さないで下さい」
「別に茶化してるつもりは無いが」
しかし、なんだな、と。
「シオンさん?」
「いや、何だろうな? こう、お前が美女と美幼女に囲まれてる姿を見ると、だな」
自らの、胸の当たりを抑えて。
「……何だか、胸の奥が苦しいんだ」
「え?」
「こう、甘酸っぱい様な、胸が詰まるような、不快な気持ちになる。イライラするし、落ち着かない。こんな事は初めてだ。なあ、コータ」
この『感じ』は……何なんだろう、な? と。
少しだけ、瞳を潤ませて上目遣いに浩太を見やるシオンに。
「――シオン、さん」
浩太は。
「それは……『胸やけ』です」
事実を告げる。
「胸……やけ?」
「当たり前でしょう! っていうか何考えてるんですか、貴方! 一人でどれだけ食べてるんですか!」
シオンの目の前には平らげられた空皿が山の様にうず高く積まれていた。良くもまあこの細い体に入るモノだと、浩太も呆れを通り越して最早感動すら覚える。
「胸やけ……だと?」
「え? なんでそんなシリアス風味なんですか?」
「私がこの程度の食料消費で胸やけなどする筈がないのだが」
「年を取ったからでしょう。私も最近、焼き肉に行っても肉より野菜の方を良く食べますし」
「コータと一緒にするな!」
「いや待ってください同い年!」
「もう! 何時まで二人でコントしてるのよ! さっさっと食べましょう!」
「いや、エリカさん? 貴方には言われたく無いのですが!」
「そうです。さあ、冷めないうちに……あ、あーん……」
「エミリさん、貴方はそろそろ私の膝の上から――ああ、分りました! 良いです! 居てくれて良いですからその涙目で左右に首をフルフルと振るのを辞めて下さい!」
いつもの――でも、いつもより少しだけ、賑やかな食卓。
こんな時間が、何時までも続くと、そう思える、そんな幸せな時間が、食堂に流れていた。
◇◆◇◆◇◆
その日は、朝から忙しかった。
「エリカさん?」
「なに?」
「その……良いんですか? 私も同席して」
ラルキア側から使者が来る、その当日。いつもピカピカだが、一段と気合を入れて掃除された応接室の上座に並んで座りながら、金髪に良く映える青のローブ・デ・コルテを清楚に着こなしたエリカは傍らの……こちらは冴えないスーツ姿の浩太を見やる。
「……ラルキア側からの依頼なのよ。『ロンド・デ・テラを発展させた高名なるコータ・マツシロ氏に是非一度お逢いしたい』ってね」
溜息一つ。
「まあ、ある程度『策略』でしょうけど」
「策略?」
「講和会議の日にちは明後日よ? 二日前に前入りして、わざわざ挨拶に来るなんて……ね?」
「……ああ、なるほど。少しでも『有利』な条件で、と言う事ですね?」
「勘ぐるようでアレだけど、それしか考えられないでしょう?」
テーブルの上に置いてある紅茶を一口。カップをおいて、もう一度溜息。
「講和の仲介者がどちらかに肩入れするのはあまり得策とは思えませんが?」
「本気で言ってるの?」
「まあ……『建前上』は」
講和の仲介者は何も世界平和を念じて講和の仲介に立つわけでは無い。今回のライム・ラルキアの戦争では表向き『オルケナ大陸に平和を』であるが、当然自国の利益の為に講和の労を取るのである。となれば当然、『自国に都合の良い』講和の条件を結ばせようと画策するのが道理である。敵の敵は味方、ではないが、そうなるとどちらかに『偏った』条件になる事は往々にしてある。
「それにしたって『講和会議の前々日に一方の使者と逢いました』というのはあまり宜しくないでしょう? 主に、風聞として」
「表向きは非公式」
「バレるでしょう、普通」
「バレても構わないんでしょ。特に今回はライム側の方が講和を欲している。ラルキアがどんな条件を出してくるか、それ次第って所。逆にライムとしても有難いって思ってるんじゃないかしら?」
「有難い、ですか?」
「どこまで要求するつもりか知らないけど、あまり無茶苦茶な条件を出されても困る。事前に私達仲介者と逢うのであれば、ある程度『常識的』な範囲に落ち着くようにすり合わせをしてくれる、って考えても不思議では無いでしょう?」
「まあ……それはそうですね」
仲介者は仲介を壊すことが目的ではない。成立させることが目的である以上、あまりに過大な要求なら『ちょっと』と横槍を入れるのも仲介者の仕事である。
「ちなみに、どれくらいの講和条件で落ち着くとお考えですか?」
「全然わからないわ。取りあえず、今日会談して見てからね」
そこまで喋り、じとっとした目をエリカは浩太に向ける。いきなりのその視線の変化に、思わず浩太もたじろいだ。
「……ねえ」
「な、なんです? 怖い顔して」
「今日の会談、ラルキア王国側からは宰相と『ラルキアの聖女』っていう女性が来るのよ」
「宰相と聖女様、ですか」
なんでエリカがこんな怖い顔をしているのか、心底分らない。そんな表情を浮かべながら、問いかける浩太に、言い難そうにしながらも、エリカは言葉を発す。
「貴方……まさか、『ラルキアの聖女』に……その、気に入られてたりしないわよね?」
『手を出した』とか『コナかけた』、或いは『ちょっかいかけた』と言わないあたり、エリカの育ちの良さが伺われるが……まあ、言ってることは一緒である。
「そ、そんな訳無いでしょう! 何言ってるんですか、エリカさん!」
「だって貴方、どっか行く度に違う女性を連れて帰ってくるんですもの! 王都ラルキアに行ったつもりが、実はラルキア王国に行っていました~なんて事になってても全然驚かない自信があるわよ!」
「どんなうっかりさんですか、私は!」
「貴方の事は信用してるけど、女性関係については一切信用していないわ、私!」
「堂々と言い切った! いえ、エリカさん? 流石に私はそんなに節操がないつもりは無いのですが?」
酷い冤罪である。
「だって……ラルキアの聖女はジェシカ殿下に似た絶世の美女って噂も流れてるぐらいよ? そんな美女ならコータ、絶対声かけてるもん」
「……私のイメージ、悪すぎませんか?」
すっかり肩を落とす浩太。少しだけエリカも『言い過ぎたかな?』と思い、浩太に声をかけようとして。
「……エリカ様」
コンコンコン、と三度。
扉をノックする音と共に、エミリの声が部屋の外から聞こえてくる。その声に、居住まいを正すエリカに、浩太も落としていた肩を上げる。
「どうしましたか?」
「ラルキア王国からの使者の方々をお連れ致しました」
「ありがとう。どうぞ、入って頂いて下さい」
すっかり余所行きの声と雰囲気を出しながら、小声で『いい? 私が挨拶したら貴方も挨拶するのよ!』と注意を一つ。
「失礼します」
エミリの声と同時、左右に開く扉から、一人の男性と一人の女性が入室してきた。
「突然の訪問にお答え頂き、ご尊顔を拝する機会を得られましたこと感謝に堪えません。申し遅れましたが私、ラルキア王国にて宰相を務めとおりますルドルフ・ゲーリッヒと申します。以後、お見知りおきを」
「よくぞおいで下さいました、ルドルフ宰相。フレイム王国国王、エリザベート・オーレンフェルト・フレイムよりこのロンド・デ・テラの地を預かる、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムと申します。この様な小さな領土であり、大した饗応は出来ませんがどうぞゆるりと滞在して下さい」
そう言って優雅に挨拶をし、一礼。続けて、浩太が挨拶を始め――
「……?」
始め、ない。
隣で無言を続ける浩太に、訝しんだ表情を向けかけて。
「…………え?」
その表情が、固まる。
「……え……あ……え?」
「……うん、その反応を見る限り、私が心配した『実は別人でした説』は覆された様ね。いや、良かったわ」
「……え? あ、いや、その……え? ちょ、ちょっと――」
『ちょっと、待ってくれ』、と。
「……え?」
浩太の口から漏れた言葉に、エリカが思わず声を漏らす。
「ちょっと……待って『くれ』?」
――誰が?
浩太が。
――待って『くれ』?
そう。
――待って『下さい』じゃなく?
――――そう。
「……逢ったら、何から言おうか迷ってたんだ」
――心配、してたんだぞ、とか。
――逢いたかったよ、このバカ、とか。
――元気にしてた? とか。
「……もうね、いっぱいいっぱい、悩んだよ。頭がパンクするぐらい、悩んで……さ」
「……あ……」
でも、ね? と。
「……久しぶり、『浩太』」
「あ……」
浩太の目から、一筋。
――涙が、零れた。
「綾乃!」
「浩太!」
いきなり走り出したから、か。
足をもつれさせ、転びそうになりながら、それでも入ってきたドアの方に向かって全力で駆ける浩太。『あ』と小さく漏れたエリカの声も、伸ばした手も届かない勢いで、走る。さして遠くない距離。あっという間に辿り着き、そうして浩太がその腕の中に少女を納めようとして――
「……ったい」
「綾乃!」
「一体アンタは一年間も何してたのよ、このアンポンタン!」
ラルキアの聖女の拳骨が、イイカンジで浩太の頭にヒットした。勢いをつけて飛び込んだ分、浩太の頭の痛みも半端ない。思わず頭を抱えて蹲る浩太に、尚も言い募ろうとして……自らの突き出した拳も痛すぎて、彼女は半分涙目になりながらふーふーと拳に息を吹きかけた。
「いってーな! 何すんだよ、お前!」
「うっさい! 私だって痛かったわよ! 謝んなさいよね!」
「理不尽すぎるだろうが! お前な、何でもかんでも拳骨で解決しようとする癖直せよ!」
「治らないから癖って言うのよ! 大体アンタ、殴られる度に嬉しそうな顔してたじゃない!」
「まさかのドM疑惑だと! んな訳あるか!」
「嘘よ! だって私の記憶の中ではアンタ幸せそうな顔してるもん!」
「どんだけ都合の良い脳ミソしてんだよ!」
「仕方ないでしょ!」
「何が!」
だって! っと。
「……一年、逢ってないんだよ?」
瞳に。
「……私の記憶だって、都合よく改変されるわよ……」
瞳に浮かぶ、涙に、思わず浩太の勢いも止まる。
「……もう逢えないって思ったんだよ? 浩太はどっかに行っちゃって、もう二度と逢えなくなるって、本当にそう思ったんだよ? 寂しかったんだよ? 辛かったんだよ? 苦しかったんだよ?」
涙が一筋、零れる。
「……綾乃」
「……バカ。勝手にどっか行って、人に心配かけて……本当に……ばかぁ」
「その……悪い」
「……ふん!」
グシグシと涙を拭い、真っ赤になった眼はそのままソッポを向く聖女――大川綾乃に、苦笑を浮かべながら、それでもおずおずと手を伸ばして抱きしめようとして。
「辞めてよ、この変態!」
もう一度、頭を殴られる。
「いってーな! 何だよ、変態って!」
「アンタ今、何しようとしたよ? 私の事抱きしめようとかしてたでしょ? セクハラで訴えるわよ? そして勝つわよ!」
「お、お前と言うやつは……いや、こういう時はアレだろ? 感動の再会的な感じで、こう抱きしめられておくモンだろうが!」
「ば、バカじゃないの? そんなアメリカンな風習は私には無いわ!」
「お前、帰国子女だろうが!」
「帰国子女が何でもかんでもアメリカ文化に馴染んでると思わないでよね! 私は清く正しい大和撫子なの! そ、その、こんな公衆の面前で抱きしめられるなんて……あ、後で二人っきりの時に、こう、ぎゅって……」
顔を真っ赤にしながら、モジモジと。
潤んだ瞳のまま、その仕草をし――やがてきっと視線を上げて。
「……イイツンデレ頂きました、とか思うなぁ!」
「思ってねーよ! っていうかお前、たまに訳分んないんだけど!」
「う、煩いわよ! だ、大体アンタね! 一年も何してたのよ!」
「だ・か・ら……いってーんだよ! ポンポンポンポン人の頭殴るなよ! バカになったらどう責任取ってくれるんだよ!」
「アンタはこれ以上バカになりませーん!」
「んだと? お前な、あんまり俺の事バカにするのもいい加減にしろよ、この仔狸!」
「あー! 言っちゃいけない事言った! 人が気にしてる事言ったらダメなのに! 大体、アンタだって人の容姿にとやかく言えるほど優れた容姿をしてるんですかって話ですー!」
――これは、何なのだろうと、エリカは思う。
目の前で。
「ったくアンタは! いっつもいっつも!」
「なんだよ、いっつもいっつもって!」
「そうじゃん! ほら、一年目の七月! 支店旅行の時!」
「おま、一年目の七月って! よく覚えてんな、そんな昔の事! つうかアレはお前の方が悪いだろう!」
「何よ! よく覚えてるって言う割には自分だって覚えてるじゃん!」
怒鳴りあいながら。
「っていうかな? 『俺』が転勤する時だって!」
「なによ? あ! まさかアンタまだ、あの時の事言ってるの? うわ、男の癖にみみっちい!」
でも。
「なんだよ!」
「なによ!」
――それ、でも。
「本当に……相変わらずだな、『お前』は」
――屈託、なく。
『俺』と、自らを呼び。
『お前』と、相手を呼び。
敬語を使う訳でもなく、遜って喋るわけでもなく、相手の顔色を窺う訳でも、相手に合わせる訳でも、笑みを――
「……あ」
そこで初めて、エリカは気付く。
「……あ……あ……ああ……」
笑顔は。
『コータ』に浮かぶ、笑顔は。
――今まで、見てきた。
張り付いたような、ニヒルな笑み、では、なく。
「……と、そうじゃない」
「そうじゃないって何よ?」
「ちょっとお前は黙ってろ……エリカさん」
振り返り。
――自分に向けられた、その『笑顔』は。
「――失礼しました、エリカ――エリカ、さん?」
辞めてくれ、と。
お願いだから、と。
「こ……た?」
……今までなら、気付かなかった。
心の底から、笑顔を浮かべていたと、そう思っていた。
――でも。
あの笑顔を、あの屈託の無い笑顔を見たら。
「エリカさん? 大丈夫ですか?」
もう、その笑顔は偽物にしか、見えない。
「……あ」
――その張り付いた様な、笑みを、どうか、やめて下さい、と。
「エリカさん? どうしました? 顔色が悪いですが?」
「……本当に」
「――え?」
目の前で、こんな『笑顔』を向けている、この男と。
「エリカさん?」
先ほどまで、あんなに楽しそうに燥いでいた、この男が。
「本当に」
どうしても、一致しない。
「貴方、本当に」
だから、彼女は問いかけた。
「――『コータ』、よね?」
この男は――貴方は、一体『誰』、なのか、と。




