第四十九話 『英雄』の帰還
「月が、綺麗だよな」
都会の喧騒から少しだけ離れた、閑静な住宅街。
青年は、優しく落とす月明かりを見上げなら隣に歩く女性に声をかけた。
「なによ、急に?」
「何って、いや……こう、月が綺麗だな~って」
「月?」
言われて女性は天空を見つめ、優しく月明かりを落とす月――下限の月を、見つめる。
「……」
「……」
「……なんだよ?」
「普通満月でしょ、月が綺麗って――ああ、金之助?」
「……誰だよ、金之助って」
「名前はまだ無い人」
「は?」
「もしくは親譲りの無鉄砲で小さいころから損ばかりしてる人、かな?」
「……夏目漱石の事?」
「漱石、夏目金之助。俳号は愚陀仏ね」
「文学部だっけ?」
「法学部よ」
しれっとそう言って、冷たい視線を向ける女性。その視線に、青年は思わず言葉に詰まる。
「……なんだよ?」
「……あのさ? 今、何時だと思う?」
「い、今? えっと……午前一時?」
「ええ、午前一時ね。それで? なんで私達はこんな時間に終電逃して歩いて自宅まで帰ってると思う? ねえ、ちょっと言ってみてよ?」
「えっと……その酔いつぶれて」
「そうね? 酔いつぶれて、よね? 誰が?」
「その……俺が……」
「俺?」
「……私です」
「……あのさ」
「……はい」
「アンタが最近忙しいのも知ってるし、私もあんまり言いたくないのよ? そりゃね? 私だって『いっつも一人で抱え込まずに相談ぐらいしなさい!』って言ってたわよ? でもね? 酒飲んで人に抱きつくって何? フツウにセクハラなんですけどぉ? あまつさえ抱き着いたまんまスースー寝て終電乗り過ごしたのは一体、誰のせいですかねぇ?」
「……私です、はい」
すっかり縮こまってしまった男性に、肩を竦める女性。
「大体アンタ、彼女いなかったっけ? いいの? こんな時間まで? 一応、私も女だから言うけど、あんまり気分良くないよ? 自分のカレシが他の女といちゃいちゃしてるの」
「経験者は語る、ってやつ?」
「女子中、女子高、文一、法学部」
「……何の呪文だよ、それ」
「可愛げないらしいわよ、学歴高い女って」
「容姿については?」
「……アンタね。私だったら何言っても良いと思ってない? 小動物系って言われてるのよ、これでも」
「小動物……ああ――」
「仔狸って言ったらブッ飛ばす」
「……」
「なによ?」
「……何でもないです」
溜息、一つ。
「えっと……別れた」
「……は?」
「だ、だから! 別れたんだって!」
「意味わかんないんだけど! え? なんで? 可愛かったんじゃん、あの子!」
「いや、その……なんて言うか……こう、話が合わないっていうか、その……」
「そんなの付き合う前に大体わかるでしょ! あの子、どう見てもアンタの好みじゃないじゃん! 顔以外!」
「顔以外って! い、いや、だ、だから! そ、その、こう、告白されたら……こう、嬉しくなるだろ? その、見た目も可愛かったし、こ、こう、付き合ってみて……も……いいかな~……な、なんて……」
徐々に小さくなる男の声と比例するように、徐々に女性の目は厳しくなる。
「……」
「……」
「……」
「……サイッテー」
すっかり縮こまってしまった男性を半眼で睨みつけ、大きな溜息をつく女性。
「……まあ」
「え?」
「別に、いいんだけどね。アンタがそれで良いんならさ」
――少しだけ。
本当に少しだけ、楽しそうに腕を頭の後ろに組んで歩みを再開する女性。しばし呆然とその姿を眺めていた男性は、慌てたように彼女の後ろを追いかけた。
「ちょ、待てよ!」
「何よ?」
「何よって……だ、だから!」
不思議そうに、こちらを見つめる女性。青年は口を二、三度開閉し……意を決したように天空を見つめ。
「……月が、とても綺麗ですね」
「……どの口が言うのよ」
「お前、本当に最低の同期だよな!」
「最低はアンタなんですケド! だって、そうでしょ? いつ別れたのか知らないケド~。フツウ、そんな事今言う? しかもアンタ、ベロベロに酔っぱらってさ。何? 『遠回りして帰りたいな、きゃぴ』なんて言って欲しかった?」
「きゃぴって……ああ、もう良いよ! 帰るぞ!」
そう言って、不満そうにずんずん歩みを早め女性を追い抜く青年。その青年の後ろ姿を含み笑いを浮かべて見つめ、女性はその隣に並ぶように小走りで追いついた。
「ねえねえ」
「……んだよ」
不満そうに振り返る男性に、茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべて。
「貴方にはちょっと……『役不足』かな?」
「……」
「なに?」
「お前な? そういうの、傷口に塩を塗り込むって言うんだぞ?」
「何が?」
「だってお前、言うに事欠いて『役不足』って……そりゃな? 俺だってお前に釣り合ってねーかな? とは思うよ? 思うけど――なんだよ?」
不満そうに……というより、若干涙目になる男性に、女性はしらーっとした瞳を向けた。その視線に、男性の心はドンドン折れそうになっていく。
「……アンタってさ? たまにすげーバカだよね」
「なんだ? 泣きっ面に蹴り入れるタイプか、お前?」
「鬼か、私は」
「鬼だよ、お前は。ったく……見とけよ? 絶対、イイ男になってや――だから! 何だよ、その顔!」
「いや、日本語の乱れは此処まで来たか、と。嘆かわしいわね、本当に」
そう言って、溜息をつきながらジト目で見やり。
「アンタはそのまんまでイイの。言ったでしょ? 役不足だって」
「意味がわかんねえよ!」
「帰ってGのつく先生かYのつく先輩にでも聞きなさい! 現代っ子でしょ!」
「ちょっと待てよ同期の桜! 何だよ、それ! すげー気になるんだけど!」
◆◇◆◇◆◇
「コータ?」
「なんですか、シオンさん」
窓の外に続く長閑な田園風景を見るとは無しに見つめていた浩太は、対面に座ったシオンに目をやって、その眼を逸らす。
「おい、何故私から視線を逸らす」
「いえ、物凄く不満そうな顔をしておられたので。多分、今話を聞いても碌な事にならないだろうな~と思って目を逸らしました」
「……ほう」
「どうせ、アレでしょ? 『代わり映えのしない光景に飽きた』とか『暇だから何か話でもしろ』だとかでしょ?」
「良く分かってるじゃないか。その通り、飽きた」
何でもないように、それどころか胸すら張って見せそんな事をのたまうシオンに、浩太は隠すでもなく大きくため息を吐く。
「何回目ですか、この会話。良いですか? ラルキアを出て三日。三日の間にシオンさん、何度同じ事言ってると思ってるんですか?」
ジト目でシオンを睨みながらもう一度、浩太は大きく溜息を吐いた。
王都ラルキアを後にしたのは今から三日前。
その三日の間、馬車に乗っていればやれ田園風景ばかりで退屈だ、だのやれ座りっぱなしでお尻が痛いだの、文句ばかり。
途中で寄った街々でアレを買ってくれだの、あそこに行ってみようだの、今日は美味しい食事がしたいだのと、言われ続ければいい想像もつくし、残念ながらなれる。それはまるっきりデートじゃないか、と声が聞こえてきそうだが……コータの言を借りるのなら『チェンジで』だろう。
「……大体、なんでシオンさんがついてくるんです?」
「仕方なかろう」
「仕方なくないですよ。陛下……ではちょっと難しいでしょうが……こういう言い方は失礼ながら、私はアリアさんでもよろしかったんですよ?」
「陛下など論外だな。それに、アリアも忙しいさ。コータが壊したアレイアの遺産の修理でな」
ニヤリと笑みすら浮かべながら浩太を見やるシオンに、少しだけ気まずそうに顔を逸らして口を開いた。
「……壊した、と言われると非常に不本意なんですが。壊れたんですよ、あれは」
「そう言う事にしておこうか。まあ、どっちにしろアリアは無理だ」
「そうなんですか?」
「持ってるコマ数も多い。ああ見えて人気講師だからな、アリアは」
「ああ、そうなん――」
一息。
「……人気講師? え?」
「言ってなかったか? アリアはラルキア大学の講師の職についているぞ。まあ学術院の仕事もあるから一日一コマが限界だがな」
「一日一コマって、毎日ですか?」
「ああ」
……想像してみて欲しい。ソニアと同程度の身長しか無い『小さな』アリアが、一生懸命爪先立ちで黒板の上の方に『うーん』と手を伸ばしている姿を。少しだけ偉そうに、『良いですか? 此処! テストに出ますよ!』なんて言いながら、パンパンと手を叩き、チョークの粉にケホケホ言ってる姿を。
「……人気でるでしょうね、それ」
「断っておくが、アリアは別にマスコット的な人気を博している訳ではないぞ? 講義もきちんと行っており、解りやすいと評判だ」
「マスコット的な人気は無いと?」
「……無い訳ではない」
「そうでしょ? それは――」
そこまで言いかけて、浩太ははたと気付く。
「その……」
「……なんだ?」
「シオンさんは?」
アリア程ではないにしろ、シオンだって十五歳でラルキア大学に入学し首席で卒業、王立学術院の主任研究員の要職につく俊英だ。年齢以上に幼く見えるアリアよりも、よっぽど講師に相応しいだろうという、浩太の当然と言えば当然の疑問。対してシオンは、目を逸らす事でそれに答えた。
「……何がダメだったんだろうな」
「……やってみたんですか?」
「三日でクビになった。曰く、『君は残念すぎる』と」
想像……しなくとも良い。シオンは全力でシオンだった、という事だ。
「……まあ私の事はどうでも良い。とにかく、アリアはそういった事情で忙しい。陛下は勿論、ロッテ翁も無理。そうなると、私しかいないだろう?」
そう言って、笑んで見せて。
「コータのロンド・デ・テラ入りの『お目付け役』は」
――話は今から十日程前まで遡る。
◇◆◇◆◇◆
「ロンド・デ・テラにお帰り頂けませんかな?」
ホテル・ラルキアの一件が落ち着いて、十日程。
フレイム王国王都ラルキアにて、無駄飯を……主に、リズの『私、こんなに頑張っているんです! 甘やかして下さい!』という話を聞き流す、という今までの人生でもあまり経験をした事の無い様な、ニートの真似事をしていた浩太に話があると執務室に呼び出したのはロッテだった。
「……どういう事でしょうか、ロッテ閣下」
「おや? もう、ロッテ『さん』とは呼んで下さらないのですかな?」
ロッテの言葉に肩を竦めて見せて。
「……どういう事でしょうか、ロッテ『閣下』」
今度はロッテが肩を竦める番。
「先だって、ラルキア王国より外交特使が参られました。内容はライム・ラルキア戦争間での和平交渉、その仲介をわがフレイム王国に頼みたい、と」
「……それが?」
「今回の話は我が国から内々に話を入れていた話です。『必要なら講和の準備がある』と。その返事が返ってきたのですが……ラルキア王国側が交渉のテーブルにつく条件が『コータ・マツシロ氏の同席を求む』でしてな」
ほうっと大きく息を吐く。
ラルキア側から講和条件についての申し入れがあるであろう事は、ロッテとしても想定していた。何と言っても弔い合戦、ある程度『納得』のオトシドコロまで行くだろうと読んでいたのに、手の平を返す様な講和受諾の返答である。
そんなロッテにとって、この『講和条件』は想定の範囲外だ。金や領土、最悪大統領の命まで求められるかと思っていたのに、あちら側が求めてきたのは浩太の同席である。驚かない方が嘘だ。
「……講和の条件が私の参加、ですか?」
「正確には講和の交渉テーブルにつく条件が、ですがな。講和条件はまた別です」
「なぜ?」
「さあ。それこそ私が聞きたい所です」
そう言って、もう一度肩を竦めて見せて。
「講和条約の締結が出来れば我が国にメリットがある。これはご理解頂けますな?」
「ええ」
「ライム側にしてみれば不手際で始まった戦争、多少の不利益を蒙っても早めの和平交渉を行いたい。ラルキアにしたってそう。勢い任せで始めた戦争だ、いつまでも続けていても良い事は無いですからな」
「恩が売れる、ということでしょう?」
「その通りです。加えて、予想以上に経済が伸びない。このまま戦争を続けて貰っても不利益しかない」
戦争とはとかく金がかかるものであるが、それ以上に『人』がかかる。日用品を作る職人、酒場の店主、果ては小さな子供まで、国民皆兵の勢いでダニエリに攻め込んでいるラルキアでは当然生産能力が落ち込む。そして、そんな生産能力が落ち込んだラルキアに、無傷のフレイム王国が物資を供給する……予定であった。
「生産能力は当然落ちていますが、それ以上に消費が劇的に落ち込んでいるのですよ、今のラルキアは。国民皆、粗末な食事と壊れかけた日用品を大事に使っているようでしてな」
欲しがりません、勝つまでは、である。
「今はライム・ラルキアの二か国の戦争です。ですが、このまま続けば他国も恐らく手を出してくる。蛇……ソルバニア王国あたりは喜んで国王軍を繰り出し、ライムの背をつくでしょう。ライムに二方面作戦を展開する余裕はないですし、あっという間にソルバニアに蹂躙されるでしょうな」
「それは困るのですか?」
「危ういバランスの上に成り立っておりますからな。今のオルケナ大陸は」
突出した一か国が出現するのは都合が悪い、という訳である。
「ライムに宣戦布告、という訳には……行かないのでしょうね」
「行きません。ライムと事を構えれば虎視眈眈と我が国を狙っているファストリアに付け込ませる事になりますから」
『ライムに講和の申し入れを行っていながら、宣戦布告は不義理だから』とは言わない。外交なんてそんなものである。
「……平たく言えば、我が国として最もメリットのある行動は講和会議の開催と、講和条約の締結です。その為には貴方の力が必要なのです」
「勝手に来い、と言っておいて、今度はさっさっと帰れ、ですか。どの口が仰りますか」
「本当は私だって嫌なのですがな」
珍しく声に怒気を含ませる浩太にも、ロッテはどこ吹く風。ごくごくしれっと言い切った。
「折角、厄介な『英雄』を手の内に収めながら、それをむざむざ解き放つのですぞ? テラに戻られてもうこちらに来ない可能性もある」
「では、戻さなければ良いのでは?」
「天秤の話です。貴方を戻す事によって得られるメリットと、デメリット。一体、どちらに傾くか」
そして、戻す方に傾いた、と。
「戻す方が得られる利益が多いと」
「有体に言えばそうです」
「……私が戻らない、と言えば?」
「貴方は絶対に言わない」
堂々と。
まるで、解り切った様にそう言い切るロッテに、浩太も思わず鼻白む。
「貴方は初めて召喚された時、『私は諦めが良い』と仰った。縁も所縁も無いオルケナ大陸に召喚されたと言うのに、貴方は文句一つ言わなかった。私が、王宮から出ていけと言っても文句は出なかった。テラでの騒乱解決の、その交換条件に『何もするな』と言ってもです」
「……」
「正直に申しましょう、私は貴方が怖い。『知識』ではない。『経験』でもない。テラを、あの先祖伝来由緒正しいド田舎を発展させた『実績』でもない。ただ貴方のその『諦めの良さ』が怖いのですよ」
「怖い、ですか」
「ええ。ただ、まあ……だからこそ、『御しやすい』とは思いますな」
「……『御しやすい』と、来ましたか。随分失礼な話です」
「そして、貴方はそう言われても怒ることはしない。声を荒げて怒っても良いのに、それでも怒らない」
少しだけ面白そうに表情を歪めるロッテに、こちらは苦々しい表情を浮かべる浩太。見透かされているようで、決して気分は良くない。
「貴方は非常に頭が良い方だ」
「買いかぶりですよ」
「『諦めが良い』とは、後ろ向きにとられがちだが決してそうではない。出来ないことをただ我武者羅にやり続けようとする人間は唯のバカだ」
「……」
「貴方はそうではない。自らに出来る事を、出来る範囲の中でただ愚直なまでにこなしているだけ。それは即ち、自らに『出来る事』と『出来ない事』を十分理解していると言う事です。力量を過信せず、力量に慢心しない」
貴方にあるのは、『自信』だけ、と。
「……まさに、『英雄』ですな」
「英雄はこんなに小賢しくは無いでしょう」
「英雄は小賢しいですよ。小賢しいから、英雄は負ける相手とは戦わないのです。負ける相手と戦わないから生き残り、負けたことが無いから後世に『英雄』と称えられるのです。最初の戦闘で命を落とす様な人間は英雄と呼ばないでしょう? 英雄は過程ではありません。結果に与えられる称号ですぞ?」
「……否定はしません。ですが、英雄は強大な敵を打ち負かすのでは?」
「英雄が強大な『敵』とやらよりも、もっと力があっただけの話ですが……まあこれはどうでも良いですな。結局の所――」
貴方は、私に『勝てない』と思っている、と。
「私自身の力量か、背後にある国家の力か、そのどちらを恐れているのかまでは存じませんが。どちらにせよ、賢い貴方は決して私と『戦おう』とは思わないでしょう。負ける相手に挑むのは趣味ではないでしょうし」
そこまで喋り、ロッテはじっと浩太を見つめて。
「だから……貴方にはテラに行って貰います。これは『お願い』ではありません」
命令です、と。
見つめるロッテに、浩太は首を縦に振るしか無かった。
◇◆◇◆◇◆
「……命令です、ですか」
「どうした?」
「いいえ」
不意に過去に意識を飛ばすその様を訝しんだ表情で見やるシオンに、頭を振って苦笑することで浩太は答えた。
「私もまだまだだな、とそう思っただけですよ」
「……ロッテ翁か」
「ええ」
苦笑そのまま、少しだけ寂しそうに笑む浩太。その表情を視界に収め、シオンは斜め上に視線を飛ばした。
「その……なんだ、コータ。あまり落ち込むな」
「はい?」
「ロッテ翁は、その、アレだ」
「情報が全く増えてないんですが」
「殆ど化け物みたいな人間だ。王府でも絶大な権威と権力と権勢を誇っている。知ってるか? 昔は『魔窟』とまで呼ばれていた王府に、今は派閥が無いんだ。強いて言うなら上から下まで丸々『ロッテ派』だ」
「トンデモないですね、それ」
「だろう? 小さい頃からロッテ翁を見て育った私ですらあの御仁が一体何を考えているのか未だに分らない。だから、その……なんだ。私と同い年のコータがロッテと何かを比べるのもおこがましいというか……いや、おこがましいと言うとお前の能力を低く見ているようで失礼か。えっと、何と言うか……」
言いあぐみ、口を開閉するシオンに浩太は苦笑の色を深める。
「もしかして……シオンさん、慰めようとして下さってます?」
「う! な、慰めようとか、その、そ、そうではない……訳でもないが……その」
「どうしたんです? 何か、悪いモノでも食べました?」
「どういう意味だ、それ!」
しばし、親の仇を睨みつけるかの様に浩太をジトッとした目で見つめ――その厳しい表情をふっと緩めた。
「……クラウスは感謝していた」
「え?」
「クラウスだけじゃない。エルも、ベロアにしてもそう。お前のお蔭で、みんな笑顔になった」
無論、私もと続けて。
「自慢するわけではないが、私にしてもクラウスにしてもベロアにしても、ある程度『出来る』人間だ。大学も出ているし、そこそこに地位もある。だが、私達だけでは絶対にあんな結果は出なかっただろう」
「……」
「正直に言えば……少しだけ、悔しい気持ちもあるんだ。クラウスとは長い付き合いだ。本当だったら私が何とかしてやりたかった」
憂顔を少しだけ、見せて。
「でも……いや、だからこそ私はお前に感謝しているし、尊敬もしているんだ。あまり考えすぎて、自らを……『私が尊敬する人間』を低く見積もるのはやめてくれ」
私の『尊敬』まで安く見えるだろう? と、先ほどまでの憂顔を一転、茶目っ気のある笑顔に変える。
「……本当にどうしたんですか、シオンさん。頭でも打ったんですか?」
「打ってない! お前というやつは……人が珍しく慰めてやろうとしているのに……」
不満そうに頬を膨らませるシオンを、微笑ましそうに見つめ。
「……ありがとうござ――」
「それに、ロッテ翁は年寄りだしな。どうせ先に死ぬさ」
「――いま……って、え?」
「化け物みたいなモノ、と言ったがロッテ翁だって人間だ。そう遠くない将来に引退するさ。引退しても当分権力は握るだろうが……まあ、それにしたって彼もイイ年齢だ」
「ちょ、不謹慎でしょう!」
「不謹慎でもなんでもないさ。事実は事実だ。それとも何か? コータはロッテより先に死ぬつもりか?」
「いえ、そりゃ後先から言えば年齢が上のロッテさんが先でしょうが……ではなく!」
「結局、そういうモノさ。ロッテ翁が私達より先に生まれているから勝てない。ロッテ翁が私達より沢山色々なモノを経験しているから勝てない。だから、沢山生きたロッテ翁は先に死ぬんだ。だから……そうだなコータ、君が負けたと思っているのだったらそれでいいじゃないか。老い先短い老人に、花を持たせてやれ」
そう言って、肩を竦めるシオンに浩太はあっけにとられた顔を一瞬して見せて。
「……何と言うか……シオンさんは全力でシオンさんですね」
「どういう意味だ」
「安心した、という意味です」
その顔を笑顔に形作る。
「……柄にもなく、負けず嫌いな事を言ってしまいました。ご心配頂き、ありがとうございます」
「べ、別にコータを心配した訳じゃばいだかが!」
「……噛みすぎでしょう、ソレ」
「……コホン。別にコータを心配した訳じゃない。ロンド・デ・テラは私も初めてだからな。落ち込んでばかり居られても困る。元気になって、私を案内してくれ」
ふんと、拗ねたようにそっぽを向くシオン。その視線につられる様、浩太も視線を外に向け。
「……そうですね」
テラを出てから、二か月弱。
「街の中には美味しいお店もあります。ぜひ、ご案内いたしましょう」
眼前に広がる、すでに『懐かしい』という思いすら芽生え始めた街――テラの街並みを見つめ、浩太はそう言って笑顔を見せた。




