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第三十九話 銀行員は見た!

タイトル通りの回でしょう。うん、これは酷い。

「改めて……初めまして。私は当ホテル・ラルキア本館の総支配人を務めております、クラウス・ブルクハルトと申します。以後、お見知りおきを」

 丁寧な仕草で腰を折り、柔和な笑みを浮かべるクラウスに、浩太も同様に腰を折りながら挨拶を交わす。

「ご丁寧にどうもありがとうございます。私はコータ・マツシロ。テラで……」

 そこまで喋り、黙る。今の浩太には役職などは無く、言ってみればニートだ。

「……まあ、色々あってラルキアに居ます。どうぞよろしく」

「ははは。テラのコータ・マツシロと言えば有名人ですからね。言えない理由もあるでしょう」

「は……ははは」

 好意的な解釈をしてくれるクラウスに、引き攣った笑みを浮かべる浩太。人の良さそうな笑みを崩さぬまま、『こんな所ではなんですから』と、クラウスは浩太達を執務室に案内する。フロントの奥にある小さな扉をくぐり、少し歩いた先に他の扉とは少しだけ趣の違う、決して豪華では無いも小奇麗な扉が浩太の眼に入った。

「さあどうぞ。あまり綺麗にしていないので、お恥ずかしいのですが」

 その扉を押しあけクラウスがどうぞ、と浩太達を部屋の中に通した。言葉とは裏腹、広過ぎず狭過ぎない丁度良い大きさの部屋は綺麗に整頓されていた。

「立ったままではアレですので、どうぞお掛け下さい。ほら、シオンもベロアも座って」

「ほな遠慮なく……うわ、何やこのソファ! めっちゃフカフカやん! 流石、ホテル・ラルキア! ええソファ使ってはるな~」

 言葉通り遠慮なくソファにポーンと座ってその座り心地を確かめるベロアに、シオンが眉をひそませる。

「おい、行儀が悪いぞベロア。すまんな、クラウス」

「いいさ。何時もの事だよ」

 そう言ってにっこり笑い、『少し着替えを』と断ってクラウスが更に奥に続く扉に消えた。どうやら奥には私的な部屋があるようである。

「はー……ほんまこのソファ、座り心地がええわ~。後はお茶でも出てきたら完璧なんやけどな~」

「……それは私に言ってるのですが、ベロア様?」

「ん~? 別にそういうつもりやないで? ホイでもな? 俺、ゲスト。エル、ホスト。ほな、誰がお茶出すか分かるよな~」

「……イラッとしますのでその顔を辞めて頂けますか?」

「ほらほら! お客さんをもてなさんと! ホテル・ラルキアは客に茶もださへんって皆に言うて回るで~!」

 無表情の中に、少しだけ怒りの表情を浮かべてエルがクラウスの消えた扉を押しあける。中からは『うわ! ノック! ノックをして下さい!』なんてクラウスの慌てた声が聞こえて来た。どうやら、着替え中であったようだ。

「……随分、仲が宜しいのですね?」

 だらしなくソファに寝そべりだしたベロアに、疑問点を素直に口に出す浩太。その疑問に答えたのはシオンであった。

「私とベロア、それにクラウスは大学が一緒だったからな。良く三人で遊びにも言ったし、エルとも旧知で……まあ、妹みたいなものだな」

「大学の同窓、ですか……って、え? ベロアさんも?」

「せやで~」

 完全にだらけ切り、寝転がったまま答えるベロア。そちらに視線をちらりと移し、浩太は言葉を継ぐ。

「シオンさんはラルキア大学出身ですよね? サーチ商会は、ソルバニアの商会だったと記憶していたんですが……留学ですか?」

「ん?」

 浩太の言葉に頭に疑問符を浮かべた後、ああ、とシオンが手を打つ。

「ラルキア大学には、入学に必要なフィルターは二つしか無い。『知識』と『やる気』だけだ。探求するに足る基礎学力と、探求したいという欲求。この二つがあれば、ラルキア大学は門戸を開く。出身も、性別も、国籍も、思想も、年齢すら関係ない」

「ラルキア大学は、一応ラルキア『王国』大学やから、何となくフレイム王国の人間ばっかやと勘違いされがちやねんけど、ホンマはちゃうねん。半分ぐらいは他国の人間やで」

 シオンの言葉を引き継ぎ、ベロアが答える。

「フレイムが帝国だった頃からの名残ですよ。『オルケナの若人よ、唯学べ』が学是ですからね」

 ドアを押しあけて姿を見せたクラウスが、更にその言葉を引き継いだ。白のシャツに黒いネクタイを締め、黒のスラックスを穿き、シャツの袖には銀のカフスボタンが光っていた。

「おお、何やえらいパリッとした姿してんな~。よ! ホテル・ラルキア本館総支配人!」

「茶化さないでくれよ」

「いやいや。ぱっと見、仕立ても上等やん。カフスもチェーン付きのエエやつやし……しかもそのシャツ、新品やな?」

 ニヤニヤ笑いながら、クラウスの服装を矢継ぎ早に指摘するベロアに、クラウスも苦笑を浮かべながら両手を上げる。

「流石、サーチ商会の御曹司。私達ホテルマンも服装には五月蠅い方だけど、君には負けるよ」

「金と名誉が付いてくると、後は皆助平心で服に金かけとうなるもんや。そういう人間と付き合おうと思うとある程度眼は肥えて来るもんやけど……」

 そう言って、マジマジとクラウスの服、特にシャツを見つめて。

「……新品着る程気合入れなあかんの?」

「久々の旧友との再会と、ホテル・ラルキアの未来を託す出逢いになるかもしれないからね。気合を入れて新品を……と、言いたい所なんだけど」

 そう言って、溜息。

「……シャツ、失くしちゃった」

「……またかいな。つうか、どういう状況やったらそんな事になるんや? シャツ失くすってたいがいやで?」

「さあ?」

 ジト目で見やるベロア。その視線を逸らし、苦笑しながらクラウスは頬をかいた

「どういう意味ですか?」

「クラウスは、何と言うか……よく物を失くすんだ。学生時代もペンやノートをよく失くしていた」

「……大丈夫なんですか、それ」

「あまり大丈夫とは言えないだろうが……まあ、そうは言っても本当に大事なモノは失くさないからな。問題無かろう」

「そういう問題ですかね?」

 何となく釈然としないものを覚えながら、浩太がクラウスを見やる。その視線に気付いたか、クラウスが笑顔で浩太に話しかけた。

「大変お待たせしました、コータさん」

「いえ、そうでもありません。お気になさらず」

「それではお言葉に甘えます。それで――」


「なんや、エル。茶、持って来たんかい?」

「ええ。お持ちしましたよ。どうぞ」

「あっつ! おい! お前、『ドン』って音が鳴る程力強くコップ叩きつけるアホがおるかいな! もっとそっと……って、なんやコレ?」

「お茶ですが?」


「――……」

「……」


「お茶ちゃう! これ、ただの白湯やん! お茶! 俺が要求したんはお茶や!」

「……え?」

「『え?』って何やねん! おま――」

「これは失礼しました。しかし、ベロア様? これは『女にだらしない、性根の腐った人間』には白湯に見えるお茶なのです。これが白湯に見えるとは、さてはベロア様……」

「――えはほんま、ええお茶淹れるな~。うん、この芳醇な香り、やっぱりええ茶葉使って――」

「まあ嘘ですが」

「――はるな~って、わかっとるわい! どっからどう見てもこれは白湯や!」

「貴方には白湯で十分です」


「……」

「……」


「なんやと! お前、俺は客やぞ! もてなさんかい!」

「誰が貴方などもてなしますか。さっさとその白湯を飲んでお帰り下さい」

「かっちーーん! おい、エル! 今日という今日はお前と決着つけてやるわ! 表出ろや、ボケ!」

「こんなか弱い、九つも下の女性に暴力を振るうのですか? 流石、ベロア様。性根が腐っているだけありますね」

「言っとくけどな! 俺とお前の対戦成績は俺の負け越しやからな! つうか、武術全般極めといて、どの口でか弱いとか言うねん、厚かましい!」

「全く自慢になりませんが」

「言ってて俺も泣きそうになったわ! でも泣かない! ベロアは強い子!」


「……えっと……」

「……申し訳ございません、コータさん。あの二人はいつも『ああ』何ですよ。仲が良いのは良いことなのですが……まったく、コータさんもいらっしゃってるというのに……」

 呆れた様に――事実、呆れているのであろうが、とにかく嘆息してクラウスは二人に向き直った。

「……二人とも? その、そろそろ真面目な話をしたいのですが?」

「クラウス! お前も見てたやろ! このアマ、白湯出しやがったんやで! 客人にするか、フツー!」

「総支配人も知っておられるでしょう? ベロア様はどうせ、総支配人の客分扱いで無料で宿泊するつもりです。つまり、お客様では無いのです。でしたらお茶など出す必要はありません」

「なんやと!」

「なんですか?」

 そう言って二人で睨みあう。今日一番、深い溜息がクラウスの口から漏れた。

「……エリーゼお嬢様」

「総支配人。ここでは貴方の方が職位は上です。『お嬢様』は辞めて頂けますか?」

「……エリーゼ。ベロアは客人だし、私の大事な友人だ。そんな態度は辞めてくれ」

「……ですが」

「エリーゼ。どれ程金払いが悪く、どれ程女癖が悪くても、どれ程性根が腐っていようとも――」

「おい、親友」

「――こう見えても、一応ベロアはお客様だ」

「こう見えてもって何!? なんや今のが一番傷ついたんやけど!」

「……はい」

 不承不承、エルは頭を下げる。

「大体、エリーゼ。君はいつも真面目に接客をしているというのに、どうしてベロアにだけそんな態度何だい?」

「それは……」

 無表情はそのまま、少しだけ顔を逸らすエル。そんなエルの姿にクラウスは苦笑を一つして。


「……老婆心ながら一言。もう少し『素直』にならないと、嫌われますよ? ベロアに」


 爆弾を、投下。


「な、何を仰っているのかよく、分かりませんが?」

「私には分かっていますよ、エリーゼ『お嬢様』」

「わわわわわわかっていませんよ! そ、総支配人、あ、あ、貴方は何を仰っているんですか!」

 表情こそ無表情――否、少しだけ焦った様に眼を見開き、頬を真っ赤にして両手を胸の前でブンブン振るエル。

「……何ですか、アレ」

「何時もの事だ」

「何時もの事って……」

「……まあ、アレだ。好きな人の前では中々素直になれない、微妙なオトメゴコロというか……」

「……」

「……」


「なーんや、エル。実は俺の事、好きやったん?」

「そそそそそそそんな訳ないでしょう! 何を言っているのですか、貴方は!」

「照れんでもええやーん」

 ニヤニヤと、本当に楽しそうに笑うベロア。

「そ、そんな顔で笑わないで下さい!」

「なんや? イヤよイヤよも好きのウチ、言うやつか?」

「そんな訳無いでしょう!」

「だから、照れんでもええ――ぶごふ!?」


 尚も言い募ろうとしたベロアの顎に、まるで世界を狙えそうな程の綺麗な右ストレートが決まった。


「ベベベベベベベロア様の事なんか、す、好きじゃないんですから! ほ、本当です! 本当ですよ!」


 勢い良く吹っ飛んだベロアに眼もくれず、脱兎の如く部屋を飛び出すエル。その姿を呆然と見送り、浩太は視線をシオンに向けてた。

「……」

「……」

「……オトメゴコロ、ですか?」

「……いや、言いたい事は分かる。オトメゴコロをこじらせるとああなる、という、一種の悪い見本の様だが……うん、言いたい事はよく分かる」

 困った様にそういうシオンの姿に、浩太の脳裏に一つの単語が浮かんで消えた。

「……ツンデレ、ですか」

「ツンデレ?」

「表面上はツンツンして、敵対的な行動をとるんですが、ふとした拍子にデレ……ええっと、甘えると言いますか、素直になると言いますか……」

「……ふむ」

 しばし、黙り。

「……アレの、何処が甘えているんだ?」

「……今後に期待、でしょうか?」

「……無理だろうがな、アレでは」

 エルの消えた扉を見つめ、シオンは大きく溜息をついた。



◆◇◆◇◆◇


「……いつつ……エルの奴、本気で殴りやがって……跡残ったらどないすんねん」

 殴られた顎を押さえながら、恨みがましくエルの消えたドアを睨みつけるベロアに、シオンが呆れた様に溜息を一つついた。

「アレはお前が悪い、ベロア。エルをあまりからかうな」

「そうだぞ、ベロア。エリーゼお嬢様は繊細なんだからな?」

「二人して俺を悪者にしてからに……なあ、どう思う、コータはん? 俺、めっちゃ可哀そうな子やと思わへん?」

「……そう……ですかね?」

 浩太的にはどっちもどっちである。双方に非があるのなら、心情的には美少女に味方をしたい。だって、男の子だし。

「あー、もう! 皆してからエルの味方ばっかや! 悲しい! 俺は悲しいで、同期! 泣くで? 二十七歳の男が恥も外聞もかなぐり捨てて泣き散らかすで!」

「ベロア、五月蠅い。少し黙れ」

「……お前、俺やったら何言うても傷つかへんと思ってへんか?」

 そんな事もないんやで? と捨てられた子犬の様な目をしてみせるベロア。その表情に、うんざりしたようにシオンが言葉を吐き出した。

「……おい、クラウス。ベロアを放り出せ」

「なんでや!」

「二十七にもなって気持ちの悪い表情をするな。しゃんとしろ、しゃんと」

「ひど! マジで酷いで、シオン!」

「……二人とも。喧嘩は余所でやってくれ。エリーゼお嬢様とベロアだけで十分だから」

 溜息がデフォルトか、というぐらい、今日何度目かの溜息を吐くクラウスに、何だか浩太も親近感を覚える。この人は『苦労人』だ、と。

「……大変お待たせしました、コータさん」

「ああ、いえ。その……元気出して下さいね?」

「……ありがとうございます」

 ニコリと微笑み、その後直ぐに表情を真剣なモノに変える。

「早速ですが、本題に入りましょう。シオンからお話は伺っているかと思いますが、現在このホテル・ラルキアは正直、業況が芳しくありません」

「ええ。伺っております」

「幾つかの……特に、ライムとラルキア王国にある分館は閉館も視野に入れなくてはいけない程に」

 そこで、言葉を区切り。

「……ですが、結論から言えばホテル・ラルキアはその不採算部門の閉館をする事が出来ません」

「何故?」

「憚りながら、『ホテル・ラルキア』は王室御用達の名門ホテルです。王室の方々が外遊為される際は必ず当ホテルを御贔屓にして頂いています」

「ええ」

「今後、ライムやラルキアと一切の国交を断絶するのであれば良いですが……そういう訳にも行かないでしょう。そうなると、王室の外遊時に宿泊する施設は絶対に残さなければいけない。そして、それは必然的にホテル・ラルキアであるべきなのです」

「政治的に?」

「政治的にと、後は伝統でしょうか? 無論、安全保障の面もありますが」

 クラウスの言葉に、浩太は腕を組んで瞑目しインプットして来た知識を引きずり出す作業に専念。

「……王室からの資金援助は叶わないのでしょうか?」

「と、言うと?」

「ホテル・ラルキアが無くなって困るのは王室、引いて言えばフレイム王国です。であるのならば、ある程度資金援助による助力が願えるのでは無いのでしょうか?」

 公的資金の注入、である。

「……王室から資金援助、ですか……」

 そう言って、しばし考え込む様に宙を見つめるクラウス。

「無理やな」

 その思考を遮ったのは、よく通るベロアの声だった。

「フレイム王国の財政かて、そないにエエ訳やない。どれくらいの金が必要になるかしらへんけど……ほいでも、白金貨百枚や二百枚の話やないやろ?」

 寝転がっていた体を起こし、ベロアがクラウスを見やる。

「それに、今は何処の商会も皆ひぃひぃ言ってるんやで? 皆言う筈や、『何でホテル・ラルキアばっかりやねん!』ってな」

 そこまで喋ってベロアは視線を鋭くし、クラウスを……今度は、睨みつける。

「……ほいでも、エエんかクラウス? 俺を誰か忘れてへんか?」

「どういう意味だい?」

「サーチ商会の次期跡取り、ベロア・サーチやで? 自分ところの経営難やこ、拷問されても口を割ったらあかんやろ?」


 その視線を、蛇の様に。


 眼の前にある、美味しい餌を狙う様な目付を見せて。


「……その情報、俺が売ってもええんか?」

 ニヤリ、と、笑って見せ。

「……ああ、そういう事かい」

「情報は金や、クラウス。そないに簡単に自分所の懐を曝け出すな。油断して、腸晒してたら、商会は喰いつくんやで? 今の情報かて他のホテル業者が聞いたら大喜びする様な情報やで? ええか? クラウス、お前も自分の――」

「だって、しないだろう?」

「――立場を考え……なんやて?」

「ベロアはそんな事、しないだろう?」

「……分からへんやろ、そないな事。俺かて商人や。それが金になると思ったら、躊躇なくするわ」

「しないね、ベロアは」

「せやから――」


「だって、親友だろう?」


 何でも無い様に。

 気負う事なく、そういってにっこり微笑んで見せるクラウスに、ベロアがポカンと大口を開ける事で答えて。


「……は、恥ずかしい奴やな! あ、アホやないか?」

「本当に、するの?」

「せーへんわ!」

「ほら」

「あ……ち、違うねん! い、いや、違わへんねんけど! いいや、違うねん! 違うんやって!」

 面白い程に慌てるベロアと、相変わらずの柔和の表情を浮かべるクラウス。そんな姿を見つめていたシオンがポン、と一つ手を打った。

「ふむ。分かったぞ、コータ」

「何がです?」

「これが、『ツンデレ』というやつだな?」

「……ええ、まあ……ツンデレと言えばツンデレなんですが」

「しかし、アレだな。エルがやった時は可愛く映ったが、ベロアがやると……そこはかとなく気持ち悪いな」

 思わず頷きかけ、理性でそれを押しとめる浩太。男のツンデレはちょっと……である。ちょっとではあるが。

「……酷いですね、シオンさん」

 表現がストレート過ぎる。

「いいんだ、ベロアだし。あいつも怒らんさ」

 腐れ縁だからな、と肩を竦めて見せる。

「仲が宜しいんですね」

「まあ、否定はせん。大学時代からだから……そうだな、およそ十年弱の付き合いだ。ベロアが何かを思いついて行動し、クラウスが苦笑しながらその後始末をするのが何時ものパターンだな」

「……見ても無いのに簡単に想像がつくんですが」

「クラウスは見ての通り、温和で誰にでも優しいからな。才能自体は私同様凡才だが、人望はあった。対してベロアは才能はあるが、その才能が迸り過ぎて暴走するタイプだったからな。適材適所、だろう?」

「クラウスさんが不憫すぎるんですが」

「その辺りはクラウスに聞いてみないと分からないが……まあ、それでも納得してるんだろう。ベロアがあれ程懐くのはクラウスぐらいだからな」

「聞こえてるで、シオン! 誰が懐いてんねん! 別に懐いてる訳やないわ!」

「ほう。良く言うな、お前も。散々クラウスに迷惑をかけていて」

「お前にだけは言われたくないわ! 言うとくけどな! クラウスに迷惑をかけた回数はお前の方が多いんやからな!」

「そんな筈は無い。ベロア、お前の方が多いさ」

「アホか! お前、忘れたんかいな! 『ラルキア講堂爆破事件』! アレ、犯人お前やろうが! あんな所で実験するアホが何処におんねん! お前のおとんとおかん、顔真っ青やったやないか!」

「あ、アレは仕方ないだろう! 私だって悪気があった訳ではない! それに、それを言うならお前だってそうだろうが! 『イエール公女誘拐事件』! クラウスが間に入ってくれなかったら国際問題だぞ!」

「あ、アレこそ俺のせいやないわ! 勝手にあのお姫さんが付いてきただけや!」

「ラルキア大学七大事件の四つはベロアのせいだろう!」

「残り三つはお前のせいやん! それに、十大事件まで拡大したら後の三つは全部お前のせいや!」

 喧々諤々、唾を飛ばして言い争う二人。結論から言えばどっちもどっちである。

「……クラウスさん」

「……何ですか?」

「私も結構苦労人だと思っていましたが……貴方には負けます」

 畏敬の念すら込めた浩太の視線に、クラウスはただ苦笑で答えた。不憫過ぎる。


◆◇◆◇◆◇


 ベロア対シオン、怪獣(行動的な意味で)大決戦の決着はそれから三十分ほど続き、『……いい加減にしてくれないと、そろそろ私も怒るよ?』というクラウスの一言で幕を閉じた。『い、いやだなクラウス。私達は仲良しだ』『せ、せやで! な、仲良しさんやねん!』なんて怯える二人の姿に力関係を把握、浩太の畏敬の念がますます強くなる一幕もあったりした。余談ではあるが。

「……話を戻します、コータさん。貴方の仰る資金援助は無理ですね」

「財政的に、ですか?」

「それもありますが……」

 そう言って、困った様な表情を浮かべて。

「ホテル・ラルキアは『王様よりも王様らしく』と呼ばれる程、過剰なサービスを行います。賛否両論ありますが、根底にあるのはお客様に気持ち良く滞在して貰い、気持ちよくお帰り頂く事です。それは王族だろうが貴族だろうが平民だろうが関係ありません。お客様は等しくお客様です」

「素晴らしい理念ですね。皮肉ではなく、純粋にそう思いますよ」

「ありがとうございます。ですので、ホテル・ラルキアではお客様に対して一切の差別も、区別も致しません。王族でも貴族でも、大手商会の会長であろうとも、少し贅沢をする為に来て頂いた市民の方でも、誰でも平等に、均等に接客をさせて頂いていると自負しておりますし……それこそが、ホテル・ラルキアの『誇り』でもあります」

「……」

「ホテル・ラルキアは完全予約制です。有り難い事に、別館はともかく本館は一年先まで予約で一杯です。裏を返せば、どれ程高貴な方でも一年先まで当ホテルをご利用いただく事は出来ないという事です」

「王族でも?」

「無論。私どもはお客様に序列をつけません。唯一序列をつけるのであれば、それは予約の順番だけ。例え陛下より『今すぐ部屋を用意しろ』との命を受けても、丁重にお断りします。双方の合意があれば別ですが……横入りも、順番飛ばしも、一切認めていません」

「……なるほど、正に『王様並』の待遇ですね」

「まあ、フレイム王家を始めとして何処の王家の方もそんな無粋な事は致しませんがね」

「泊る方にも品位が要るのですね、ホテル・ラルキアは」

「そんな大したモノではありませんが……そうですね、どれ程お支払いが良くても、他のお客様にご迷惑をかける方はご遠慮願っています」

 ですが、と。

「フレイム王家から援助を受けてしまえば、その伝統と誇りを汚す事になるかも知れません」

「……」

「援助頂いている身では、王家からの急な予約にもどうしても対応しなければいけなくなってしまう。突き詰めればそれは、他のお客様に対する非礼に当たります。どのお客様にも平等に、均等にサービスをするという、ホテル・ラルキアの伝統と誇りを失わせます。それは、つまり」


 ホテル・ラルキアが、ホテル・ラルキアでなくなる、と。


「……『誇り』では、お腹が膨れないと言っても?」

「……」

「……『伝統』では、従業員を養っていけないと、そう言ってもですか?」

 浩太の言葉に、一瞬眼を見開き、その後悲しそうな笑顔を浮かべるクラウス。

「……私は会長の実子ではありません、コータさん」

「……」

「現会長の遠縁に当たり、小さい頃から可愛がって頂いていますが……所詮『余所者』です。そして、そんな『余所者』を後継者として指名を頂いた以上、私にはこのホテル・ラルキアの伝統と誇りを汚す訳には行かないのです」

 悲痛なまでのクラウスの声に、浩太も思わず二の句が継げずに押し黙る。純粋な後継者では無く、異分子だからこそ感じる苦悩。現状を何とかしたくとも、それをする事が出来ない、若き経営者の悩みの声。

「そないに悩む事や無いと思うけどな」

「……お前には分からないよ、ベロア」

「……ま、せやろうな。俺には分からへんかも知れんわ」

 よっと、ソファから立ち上がりベロアはひらひらと手を振って見せる。

「小難しい話は抜きにして、折角ラルキアに来たんや。どっか美味しいモン食べれる所でも連れてってくれへんか?」

「ああ……って、ベロア? 宿は?」

「もしかしたらキャンセルあるかもって思ったけど、無いようやしな。どっかの安宿にでも泊るわ」

「そうか。それでは……そうだな。日が落ちたらロビーに来てくれないか?」

「わかった。ほな、また後でな~」

 背中越しに挨拶し、ベロアはドアを押しあけ部屋を後にした。その姿を見送った後、クラウスは相も変わらずな柔和の表情を浮かべ、浩太とシオンに向き直り。

「……ベロアもああ言っていますし、小難しい話はまたにして……どうです? ホテル・ラルキア本館をご案内致しましょうか? 自画自賛で気が引けるようですが……ちょっとしたものですよ?」

 少しだけ誇らしげにそう胸を張るクラウスに、浩太は首肯で返した。



◆◇◆◇◆◇



 ホテル・ラルキア本館は建築年数三百年を数える老舗ホテルだ。その歴史と伝統が裏付ける様に、このホテルでは幾つもの歴史的イベントが行われ、それをそのままの形で残している稀有な建物である。クラウスの言う通り、観光スポットとしてもちょっとしたモノなのだ。


「……迷いました」


 そんなホテル・ラルキアの地下にて浩太は一人呟いていた。言葉通り、迷ったのだ。

「……困りましたね」

 ホテル・ラルキアの地下には地下大浴場があり、浩太は純日本人である。足を伸ばして広々としたお風呂に入りたい、という浩太の和風な願いごとにマッチする大浴場。つい、ふらふら~っとそちらに視線がいってしまっても浩太を責める事は……出来るかも知れないが、まあ弁解の余地はある。

「……それにしても、一体どちらに行けばいいのでしょうか?」

 来た方向に向かえば取りあえず、元いた部屋に戻る事は出来るのではあるが、勝手知らない、それも宿泊客でも何でも無い自分が我が物顔で歩き回っても良いものか? という小市民的な考えが浩太にはある。迷った時には探し回るのではなく、その場所で待っていた方が良いというセオリーも。

「……そう考えると、勝手に動き回るより此処でじっとしていた方がぶな――ん?」

 諦めて、救出を待とうと考えた浩太の視界の先の廊下に見知った顔が見える。

「……エリーゼさん?」

 先程見事な右ストレートを叩きこんだ黒髪美少女、エリーゼである。心なしか挙動不審、左右を伺う様な形できょろきょろしながら、一つの部屋の扉を開けてその中に身を滑り込ませた。

「……どうしたんでしょうか?」

 頭を捻りながら、それでも浩太はエリーゼの後を追う形でその部屋の前まで足を進め、ドアをノックする。

「……返答、なしですか」

 もう一度、少しだけ強めにノック。

「……」

 しばし、考え込む。ノックを二度、それでも返答なしである。今の今、眼の前でエリーゼの姿を見たのだ。まさか某あやとりと射撃の得意な少年並の素早さで眠りに落ちている訳でもあるまいに、返答無しは些か不可解ではある。

「……もしくは、ここは部屋ではない、とかですかね?」

 扉で仕切ってあるからそこが部屋、とは限らない。通路の可能性だってあるのだ。

「……」

 もう一度、浩太は考え込む。何時までも迷ったまま此処で一人で立ち尽くすのもアレだし……下品な話だが、トイレにも行きたい。全然知らない所で一人ぼっち、というのも精神的に辛いものもある。

「……失礼します」

 最後に、もう一回だけ力強くノック。返答が無い事を確認し、意を決して浩太は扉を開けて。




「クラウスお兄さま! クラウスお兄さま! クラウスお兄さま! クラウスお兄さまぁぁあああわぁああああああああああああああああああああああ!!! あぁああああ……ああ……あっあっー! あぁああああああ!!! クラウスお兄さまクラウスお兄さまクラウスお兄さまぁああぁわぁああああ!!!


 ……クンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! お兄さまの匂いぃ……いい……匂いですぅ……」




 ――開けてはいけない扉を開けた事を、浩太は悟る。




「酷いです、酷いです、酷いですぅぅぅうううう! エルは、エルはこんなにクラウスお兄さまが大好きなのにぃぃぃ!!! なのに『ベロアに嫌われちゃうよ』って!!!! いいんですぅ!!!! ベロア様なんか嫌われてもぉ!!! むしろ嫌われたいですぅうう!!! お兄さまを風俗なんかに連れて行こうとするあんな男、大っ嫌いなんですからぁぁあああ!!! エルは、エルはクラウスお兄さまさえいればそれでいいんですぅううう!!!!」



 ――あの、凛とした表情を浮かべていた少女は何処に行ったのだろうか。


 頬を上気させ、眼をトロンと潤ませたまま、手元にある白い物体……恐らく、シャツであろう。シャツに顔の下半分を埋めて恍惚の表情を浮かべている。



「クラウスお兄さまクラウスお兄さまクラウスお兄さまぁあああああ!!!! これだけエルがアピールしてるのに何で気付いてくれないんですかぁああああ!!! 優秀なお兄さまがあんなに色んな物を失くす訳ないじゃないですかぁああああ!!! 犯人はエルですぅ!!!! エルがお兄さまの私物を勝手に盗っていたんですぅうう!!! 『もう、駄目だぞ、エル?』なんて優しく叱って下さいぃいいい!!!! でもでも!!!! お兄さまだってエルの心を奪ったんだから同罪ですぅぅぅううう!!!! もう!!!! ばかばかぁ!!!! お兄さまのばかぁ!!!! そんなに鈍感だとエル、お兄さまの事嫌いになっちゃうぞぉ!!!!」



 ――はっきり言おう。ドン引きである。



「ああああああ!!!! 嘘!!!! 嘘ですぅ、お兄さまぁあああああ!!!! エル、お兄さまの事嫌いになんかなれません!!! 大好き! 大好きですぅ、お兄さまぁああああ!!! エルの気持ちに気付いて下さい!!!! ああ、嘘ですぅ!!! やっぱり気付かないでください!!!! ああああああでも!!!! でもでも!!! やっぱり大好きだもん!!!! 気付いて下さ――」



 トロンとしていた表情に、生気が戻る。真っ赤だった顔は、一気に血の気が引いたかの様に青く染まり、先程まで潤んでいた瞳も、今ではその色を取り戻して――



「……ノックは……したんですよ?」



 ――その瞳は、しっかり浩太を捕えていた。



「……」

「……」

「……あ、あの……」

「………………たな……」

「え?」




 本当に……美少女は、何処に行ってしまったのだろうか。




「みーーーーーーーたーーーーーーーーなーーーーーーー!!!!!!!」

「うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」




 悪鬼羅刹も裸足で逃げ出す様な、憤怒の表情を浮かべるエルに、浩太は声の限りの絶叫を上げた。



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