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第百二話 暗躍、暗躍、また暗躍

先日、確定申告を済ませました、どうも疎陀です。職業柄、申告書を『見る』事はあっても『作る』のは初めてでしたのでいい勉強になりました。一応昔、作り方も勉強したんですが……あれですね。やっぱり本番に優る練習は無いです。本気度が違いますから。

さて、百二話です。タイトルの割にはあんまり暗躍していない……事もない気もしない様な気がしたりしなかったりしていますが、楽しんで頂ければ。


「結局……マリー様には最初からすべてバレていた、と……そういう事に御座いましょうか?」

「そういう事に御座いますよ、ソニア」

 聖女と陛下と商人の必死の小芝居――まあ、茶番とも言うが、すっかり『茶番』がバレている事に綾乃、カルロス一世、それにマリアが絶叫して少し。『仲間外れは可哀想ですので』というマリーの言葉を受けたマリアがソニアを連れて『トカゲの頭亭』を訪れたのはそれからもう少し。

「……色々と言いたい事も御座いますが……まあ、それはともかく」

 食後の紅茶を優雅に啜るマリーに向けていた視線を切り、ソニアがジト目を。

「……なぜ、お父様は涙を流しながらステーキを食べているのですか?」

 三枚目のステーキ肉に齧り付くカルロス一世にその視線を向けた。

「ふひなほひは、ふひなほひ! ははほはんほ――」

「食べてから喋って下さいまし! ああ、もう! テーブルが汚れます!」

 ソニアの胸に浮かぶ『恥ずかしい』の感情。いい年をした――具体的には五十を越えたおっさんが子供の様に食いカスを飛ばしているという姿に頭を抱えながら、ソニアは備え付けの台拭きで丁寧に机を拭いた。ちなみに、この男、こう見えて国王陛下である。

「そもそも! なんで一人で三枚もステーキを食べているのですか! お父様ぐらいのお年なら、一枚でも苦しいのではないのですか!」

「んぐ……ふ! 甘いで、ソニア! このカルロス・ソルバニアをそこらの五十台と一緒にして貰うたら困る! 俺の胃袋に限界はないで! 少年の胃袋や!」

「言動の全てが少年みたいなモノじゃないですか!」

「んな! し、失礼な事を言うたらあかん! 俺の何処が子供やねん! 何時でも冷静沈着なソルバニアの名君とは俺の事やで!」

「この事態は一体どなたの軽率な行動が招いた事か一度きっちりと話し合いましょうか、お父様!」

 ソニアの言葉に、カルロス一世も言葉に詰まりながら視線を明後日の方向に向けて見せる。口撃の手を緩める事なく、尚もいい募ろうとソニアが唇を上げて。

「――くす。やはり仲が宜しいですね、ソルバニア王家は」

 鈴を転がしたかの様なマリーの笑い声と言葉に、上げた唇と上った血を同時に降ろす。只でさえ恥を掻きっぱなし、この上で親子喧嘩なんて恥の上塗り以外の何物でもない。そう思い、ソニアは慌てて頭を下げた。

「も、申し訳ございません、マリー様!」

「謝ることはありませんよ、ソニア。『仲の良い親子』を見せて貰うのは私自身の心も豊かにしますので」

 なんでもない様にそう言ってマリーはもう一口、紅茶のカップに口を付ける。別段気にした風もない様子を見せるマリーに心の中で胸を撫で下ろしながら。

「その……マリー様?」

ソニアはもう一つの懸案事項を切り出した。

「なんでしょうか?」

「マリー様は最初から、『カルロ=ヘイカ』という商人がソルバニア王カルロス一世である事に気付いていた。この認識で間違いは御座いませんか?」

「ええ。サーチ商会の軒先で声を掛けられた時から気付いておりましたが」

「それでは、その……」

 迷いは少しだけ。やがて、意を決した様にソニアがその桜色の唇を開く。

「わたくしは、マリー様? 『ご婚約おめでとうございます』と、申し上げて宜しいのでしょうか?」

 何故、マリーはカルロス一世を『デート』に誘う様な真似をしたか。マリッジバケーション中、そうでなくても男尊女卑甚だしいウェストリアの姫君が、軽挙を起こす以上は何か理由があるはず。そう思い、疑惑をオブラートに包んだソニアの問い掛けに、マリーは薄く笑んで見せる事で答えた。

「ありがとうございます、とお答えしておきましょう。少なくともソニア? 貴方が思うほど『不幸な少女』を演じるつもりはありませんよ?」

「では……なぜ?」

「答えが必要でしょうか?」

「頂けるのであれば。主に、わたくしの精神的安定と――オルケナ大陸の平和の為に」

 ソニアとマリーの視線が絡まる。沈黙は一瞬、マリーは少しだけ呆れた様に口を開いて見せた。

「聡いソニアなら気付きそうなモノですが。あの場に陛下が居て、私が居たのです。何を思って、何故この様な行動を起こしたか、貴方なら分かるでしょう?」

「生憎と非才の身ですので」

「あまり自分を低く見せるモノではありませんよ、ソニア? それでは……陛下? 可愛い愛娘に『解答』を与えてあげて下さいますか?」

 そんなマリーの言葉に、ソニア、綾乃、マリアの三対六個の瞳がカルロス一世に注がれる。少しだけ気後れした様な素振りを見せ、それでも堂々とカルロス一世は口を開いた。

「……相変わらず賢いな、マリーは。ローレントのボンにやるのは勿体ないわ。どや? ウチの所の次男坊にでも嫁に――」

「お父様!」

「――なんや、ソニア。怖い顔してから。冗談やって、冗談。そんな事したらホンマに戦争になってまうで? 流石に俺もそんな事、よーできへんわ」

「そうではなく! 口の周り! ステーキの油がついてギトギトです! みっともない!」

 ソニアの指摘に慌てて袖回りで口元を拭うカルロス一世。お陰で口周りは綺麗になったが、袖口がギトギトになり『あー! やってもうた!』なんて言ってるこの男、くどい様であるが国王陛下である。

「……コホン。ま、まあ、ともかく! マリーが俺をデートに誘った理由なんて一つしかないやろ?」

「……一つ、ですか?」

「せや」

 そう言って、カルロス一世はぐるりと視線を回し。


「それは――俺が、男前やったからや!」


「「「……」」」

 部屋の温度が二度程下がった。どの様な解答が飛び出すか、期待を込めた瞳に失望と憐憫と嘲笑を浮かべた六個の瞳に射抜かれるカルロス一世。最後にもう一度だけ、この男、一応これでも名君である。

「ああ、それも理由の一つですわ。カルロス一世陛下はとても魅力的ですもの」

 それでもフォローを忘れないマリー。オルケナ大陸には珍しく、出来た王族である。

「…………これが、ですか?」

「そ、ソニア? 自分の父親を『これ』なんて言ってはいけませんわよ?」

「良い病院をご紹介致しましょうか、マリー様?」

 主に、頭の、と付け加えない辺りソニアもまだ一線を越えてはいない。

「失礼な事言うな! ちょっと場を和まそうとしただけやん! ホンマにソニアは冗談の通じへん子やで。俺の娘やろ?」

「時と場合を考えて下さいまし!」

「頭固いな~、ソニアは。まあエエわ。ほな解答……ちゅうほど俺にも分かってる訳やないから、想像やけど」

 それでもエエか? 問いかけるカルロス一世にマリーは首肯をもって応える。その姿にうんと一つ頷き、カルロス一世は口を開いた。


「簡単に言えば『オルケナ大陸の平和』の為やろ?」


「……え? お、オルケナ大陸の平和? お父様とデートする事が?」

 カルロス一世の言葉に、ソニアの疑問の声が挟まった。それでもマリーからの訂正が無いことを確認し、カルロス一世は言葉を続ける。

「ラルキア、ライム、そしてこのテラの二か国と一領地で同盟が結ばれたのはオルケナ中の誰もが知っている事や。その同盟の中に、我がソルバニア王国が入ったら? オルケナ七国家の内の三つの国が結ぶ同盟やで? テラは一領地と言えど、フレイム王国の王姉が治める地や。実質的にはオルケナ大陸の四つの国家が結んだ同盟、と言えるん違う? ほんで、そんな大きな同盟が出来たらどうなると思う?」

「……それは」

「我がウェストリア王国、そして嫁ぎ先であるローレント王国としては喉元に刃物を突き付けられたのと変わりません。特に、ウェストリアとしては、ですわね。なんせフレイム王国とは『仇敵』、仲良く喧嘩をする仲ですから」

 口籠るソニアの代わりに返答してみせたのはマリー。

「ですが、マリー様! 今回の同盟は『テラ』が単独で結んだ事に御座いますわ!」

「『今』はそうでしょう。ですが、それが未来永劫続くとは限りません。特に、エリカ様は女王陛下の姉君に当たられる方ですわ」

 お二人の仲の良さは有名ですからね、と言葉を継いで紅茶で口内を湿らせる。

「唯でさえウェストリアの中ではテラのこの『同盟』を危険視する声もあるのです。この上でソルバニア王国にまで参加をされれば、それこそ戦争になります。やられる前に、フレイム王国に一当て当てよう、と」

「……そんな」

「私も王族の身です。ソルバニア王国の国王陛下がお忍びでテラ来訪を見届けた以上、本国への報告の義務がありますわ。ですが……」

 そう言って、チラリと困ったように視線をカルロス一世に向けるマリー。

「ま、そんな報告が入ったら外交関係に問題出るわな。ウェストリアは疑心暗鬼を感じるし、悪いことしてへんのに疑われる俺らかて気持ちのエエもんちゃう。ライムやラルキアだって浮足立つやろうし……まあ、ええことなんて一つもない」

「そうですわ」

「期せずして『弱み』を握ってしもうた。ほいでもその『弱み』はオルケナに火種となりかねない『弱み』や。処理に困ったマリーは『弱み』を『弱み』で相殺、つまり」

「『マリッジ・バケーション中に不貞行為を働いた』という処でチャラにしてしまいしょう、という事ですわ。お互いに『弱み』を握り合って置きましょうじゃありませんか、陛下?」

 にっこりと微笑みを浮かべるマリーに、肩を竦める事でカルロス一世は返答とし、それだけでは不十分と感じたか言葉を継いだ。

「最後まで黙っておく、という選択肢もあったんちゃう?」

「もう少し巧く誤魔化して頂ければその選択肢もあったのですが……流石に『アレ』では騙された方が馬鹿者扱いされてしまいます。流石にそれは私も許容できませんでしたので」

「……そんなに?」

「酷いモノでしたわ。ですがまあ……陛下がお嫌いなタマゴを召し上がっておられたのでそれでチャラにさせて頂きましょう」

「ひっどい話やな。泣きそうになったんやで、俺」

「ですから陛下のご所望のステーキを頼んでおいたでしょう? 口直しに」

「……降参。女は怖いな、ホンマ」

 やれやれ、と肩を竦めて見せるカルロス一世に苦笑を浮かべて見せるマリー。

「それと……実際に聞いて置きたかった、というのもあります」

 続ける言葉と視線に、少しだけ困ったようにカルロス一世は右手をヒラヒラと振って見せた。

「心配せんでもエエ。同盟結ぶつもりやったらもっと巧くやるわ。第一、マリー? 密談に来た国王陛下が商人の真似事なんてすると思うか?」

「貴方は『蛇』ですから」

「では、信じてくれ、やな。ソルバニア国王、カルロス一世陛下の言葉として」

 トカゲの頭亭に沈黙が落ちる。見つめあうカルロス一世とマリーの視線が宙を舞い、板張りの地面に落ちた。

「……信じましょう」

 数瞬とも、永遠とも取れる沈黙の後、マリーがぽつりと言葉を漏らす。

「これからどうなるかは別の話やで?」

「構いません。現状、『陛下はお忍びで娘に逢いに来た』という所で納得しておきます」

「おおきに」

「ええ。何かでお返し下さいませ」

 そう言ってマリーは小さく微笑んで見せた。


◇◆◇◆◇


「この度は……本当に、本っ当にご迷惑をお掛けしました」

 マリーの対面、心持大きめの椅子に腰かけたソニアが深々と頭を下げる。その姿を珍しそうに、そして微笑ましそうに見守って、マリーは少しだけ口角を上げて見せた。

「構いませんよ、ソニア。私も楽しませて頂きましたし」

「そう言って頂けると有り難いのですが……」

「それより、悪いと思っているのでしたらその様に恐縮ばかりされても困ります。異国の地で逢うことは無いと思っておりました貴方と再び逢い見える事が出来たのです。さあ、ソニア? お話ししましょう? 昔は貴方も『マリーお姉ちゃん』と慕っていてくれたではありませんか? ほら! 貴方がウェストリアに来て『おねしょ』をした時だって――」

「い、幾つの時のお話ですか、マリー様! その……わ、わたくしももう十歳ですし……」

 恐縮しきりのソニアだったが、マリーの言葉に頬を赤らめて恥ずかしそうに両手をワタワタと振って見せる。その姿が可笑しかった、マリーは鈴の音の様な笑い声を立てた。

「久しぶりに貴方と二人でお話をしたいと思って、皆様にはお帰り願ったのですよ? 今のままではお話も出来ません。さあ、その様に固くなられず」

「……そうですね。はい、わかりました」

 マリーの日向ぼっこの様な暖かい微笑に、ソニアの顔も緩む。その姿をもう一度優しい瞳で見守ってマリーは紅茶のカップに口を付けた。

「それにしても久しぶりですね、ソニア。最後に逢ったのは……」

「アンネお姉さまの結婚式、ですわね」

「ああ、そうでした。ジェシカ様やリズ様、それにエリカ様もお出ででしたわね」

「ええ。わたくしは皆様の後をちょこちょこと付いて回っていた気がします。その節は……その節も、ですわね。誠にご迷惑をお掛けしました」

「ジェシカ様もリズ様も、そして私も妹は居ませんでしたので、私共の後ろを必死に付いて来て下さる『小さなソニア』はとても可愛かったですわ。でも、と言うことは……もう、三年ですか?」

「四年になります。アンネお姉さまにも子供が生まれましたから」

「あら? それではソニア、貴方は『叔母ちゃん』ですわね?」

「……マリー様。まあ、確かにアンネお姉さまのお子は可愛いですが……その、『叔母さん』は少し……」

「いいではありませんか。私だって貴方の年には『叔母さん』でしたから。しかも、甥っ子・姪っ子、併せて五人は居ましたわよ?」

 茶目っ気たっぷりにそう言って見せるマリーに、先ほどのカルロス一世同様に降参の意を示すソニア。その姿にもう一度可笑しそうにマリーは笑って見せた。

「あの時はアンネ様のご結婚でしたが、今度は私自身の結婚ですからね。時の流れとは早いモノです」

 そう言ってしみじみと窓の外を見つめる。何だかその姿が少しだけ儚げに見えて、ソニアは知らず知らずの内に眉根を寄せていた。

「……その……マリー様?」

「はい?」

「この度はご成婚なりました事、誠におめでとうございます。ソニア・ソルバニア、謹んでお喜び申し上げます」

「お喜びを申し上げている割には、何だか微妙な顔をしておりますわね?」

「そ、それは……その……」

「……まあ、何を言わんとしているかは分からないではありませんが。確かに政略結婚、本当におめでたいと言っていいかどうか、ソニアの立場では迷う所ではあるでしょう」 

 ソニア・ソルバニアはカルロス一世の第十一子であり、その聡明さをカルロス一世に愛された子である。王太子であるアロンソは勿論だが、カルロス一世はこの末の子をも各国との社交界に連れまわしたのである。

「それだけ私の事を思って下さるのは有り難い事です、ソニア」

 陰謀渦巻く、とまでは言わないがそれでも社交界は『大人の世界』だ。子供は子供のコミュニティーがあり、その中で最年少者であったソニアはマリーやリズ、それにラルキア王国のジェシカによく可愛がって貰っており、特に年の一番近かったマリーには随分と良くして貰っていた。

「……まだまだ子供です、わたくし」

 政略結婚など王族の常。しかも第二王子とは言え、殆ど世子とも言える王子に嫁ぐのだ。本来であれば良縁、諸手を挙げて喜んでしかるべし良縁である。マリーの『気持ち』を考えなければ、であるが。

「そんな顔をしないで下さい、ソニア。私は別段、悲観しているつもりはありませんよ?」

「では、マリー様は満足されている、と?」

「満足、という言い方は正確ではありませんが……」

 少しだけ困ったように。

「ただ……私は王族です。王族の婚姻とは本来、国家同士のメリットがある事が前提です。友好関係、支配関係、経済的援助の期待、そういった諸々を検討した上で行われるモノです。王族同士の婚姻により子供が産まれ、『血』による結びつきが生まれます。そして、その血の結び付きが、ウェストリア千年の繁栄の礎になるかもしれません」

「……」

「自由がない、と嘆くつもりはありません。『自由』の代わりに私は『裕福』でありましたから。着るモノも、食べるモノも、住む家も、何一つ不自由をした記憶がありません。満足の行く生活をさせて頂いたと、そう思っております。籠の中の鳥と言うのであれば、私の籠は人様よりもずっと広く、恵まれておりました。これから嫁ぐローレントにしても私を決して粗略に扱うことは無いでしょう。なんと言っても『友好』の使者ですから」

「ですが……それは」

「無論、『愛が無い』結婚ではあるでしょう。ですが、『愛』が無いことが即不幸だと私は思いません。仮に愛が全てであるのであれば、恋愛をして結ばれた二人が別れる事などあり得ないと思いませんか?」

 まあ逆説的ですが、と笑ってマリーは言葉を続ける。

「総合的に視て、私の婚姻は良縁です。婚姻の道具、子供を産むための道具という見方もあるでしょうが……考え方を変えれば宜しいではないですか」

「考え方、にございますか?」

「子供を産むための道具として行くのではなく、両国の懸け橋になる子を産むと考えれば、そう悲観する事もありません」

「……前向き、ですわね」

「後ろ向きに考えても結論は一緒ですから」

 そういって、もう一度笑い――そして、困ったように眉根を寄せる。


「――と、言うのがまあ建前じゃな」


「……マリー様」

「ソニアの言う通り、ウチだって恋愛をしてみたい。ただ好いた男に、ただ惚れた男に付いて行きたい。地位も名誉も身分も、そんなものは関係ない、ただ二人で笑いあい、時に喧嘩し、時に涙し、時に寄り添う様な関係を築いてみたいというのも……まあ、あるにはあるんじゃ」

「……」

「ほいじゃけど、それは所詮ないモノねだりじゃけんの。好む好まざるに関わらず、ウチはローレントに嫁に行くんじゃ。そこにウチの意思は関係ないけんの。ほいじゃったら、ウチは少しでも前向きに物事を捉えた方が……そうじゃな、『面白い』と思うとんじゃ」

「……言葉もありません。マリー様は……お強いです」

「弱いけん、せめて楽しくしようと思うとるだけじゃけどの。そういう意味ではソニアの方が強いと思うで?」

「わたくし、ですか?」

「評判じゃで? 『蛇の娘が魔王に嫁いだ』って」

 ソニアの顔に朱が走る。その表情の変化を面白そうに、でもとっても優しく――そして、羨ましそうに見つめるマリー。

「……マリー様のお話の後では、自身の『勝手さ』が恥ずかしくなります」

「そうでも無かろう? チャンスがあり、そのチャンスを活かす環境にあり、そのチャンスを掴んだんじゃったら、別に誰に遠慮する必要もないで。ウチにもチャンスがあれば、そのチャンスを活かすために必死で足掻いたじゃろうし」

 いや、と。

「……ホンマは多分、自分でも気付いてない『チャンス』があったんじゃろうの。自らの望む生き方を、望む生活を手に入れる、そんなチャンスが。それを掴み損ねた、自分の蒔いたタネなんじゃろうな、これは」

 表情に、寂寥を浮かべ。


「――欲しいの~、もう一遍。もう一遍だけでエエけん……『チャンス』が」


 浮かべたのは、一瞬。

「ま、そういう事じゃけんソニアは気にせんでエエんじゃ。むしろ、その『魔王様』ってどんな男なんじゃ? ちょっと興味があるけん、教えてやソニア!」

 そこには快活に笑うマリーの姿しか無かった。


◇◆◇◆◇


 街灯なんて便利なモノはオルケナ大陸にはない。

 だからと言って日が落ちたら真っ暗闇、という訳でもない。仕事の憂さと明日への活力を得るために足を運ぶ人間の為に酒場はその扉を開けているし、家族との団欒が行われる家々の明かりだってある。

「――はあ! はあぁ!」

 だが、それは精々大通り沿いに限った話。路地を一本入ればそこには頼りない、足元を照らす程度の月明かりしかない闇が口を大きく開けて待っているのだ。

「――はあ……はあ……」

 そんな暗闇の路地を一人の少年が走っていた。額に浮かぶ珠の様な汗から、この少年が全力で、そして長い距離を走っていたことが容易に想像出来る。

「――っ! しまっ――!」

 闇夜の中での全力疾走、しかも狭い路地である。幾ら王都とは言え……否、人口の多い王都だからこそ。

「っつうっーーー!」

 障害物の多い路地、視界の悪い夜、そして全力疾走。導き出される答えは一つ、すなわち転倒である。

「――鬼ごっこはもう終わりじゃな~」

 積んであった木箱や樽を巻き込んで盛大にクラッシュした少年の後ろからかかる声。その声に慌てて後ろを振り返った少年は、月明かりの逆光にも関わらず楽しそうに大きく笑った口元と。

「ほんじゃあ、これで『終い』じゃ」

 振り上げられた右手に握られた、鈍く輝く刃を見た。まるでスローモーションの様、ゆっくりと振り下ろされる様に見えるソレに少年はぎゅっと瞳を閉じて。


「――はーい、今日もエリックの負け~。このローナ様に勝とうなんて百年早いんじゃ~」


 ぴゅぽん、と情けない音が出る刃物が少年――エリックの脳天に突き刺さる。飛び出し式のその『刃物のおもちゃ』の柄の部分がエリックの頭に当たり、ドゴンという鈍い音が暗い路地裏に響き渡った。

「――って、いてーよ! そのナイフ、刃が引っ込むからって力一杯打ちつけんなよな! 柄の部分は金属だから普通にいてーんだよ、この馬鹿力が! ゴリラか、てめ――すみません、ローナさん。言い過ぎました。言い過ぎましたから本物のナイフを出すな! 目! 目がやべーよ!」

「こーんなか弱い乙女を捕まえてゴリラなんて単語が出てくるもんじゃろうか、普通?」

「か弱い乙女はこんな暗闇を全力疾走して息も切らさねーとか有り得ねえから! 化け物か、てめーは……分かった! 俺が悪かったから!」

 再び本物のナイフを振りかぶろうとするローナに慌てて頭を下げるエリック。その姿をジトッとした目で見つめた後、ローナは振りかぶったナイフをゆっくり降ろした。

「格好悪ぅ」

「うるせーよ。命を大事にだ」

「ん……まあ、エエ。こんなしょーもないところで死んだら勿体ないからな」

「……こんなしょーもないことで一々ナイフを振り上げんなよ」

「ん? なんか言うたかいの? 具体的には今日もローナはステキで綺麗、とか」

「言ってねーよ! なんだよ、その自分に都合の良い耳!」

「雑音は塞ぐに限るけんの。自分に都合の良いことだけ聞ければ、世界は平和じゃと思わんか?」

「……平和か、それ?」

「悪口が聞こえんかったら、怒ることも少なくなるけんの」

 倒れているエリックに手を差し伸べるローナ。少しだけ躊躇した後、エリックはその手を握って立ち上がるとパンパンと服についた埃を手で払った。

「……なあ」

「言いたいことは分かる。毎晩毎晩、孤児院抜け出しては真夜中の鬼ごっこ。これに何の意味があるんか、ちゅうことじゃろ?」

 遮る様なローナの言葉に、エリックが小さく首を縦に振り言葉を紡ぐ。

「ローナ、言ったよな? 『ウチに付いてくるんじゃったら、誰が悪いか教えてやる』って。なあ、そろそろ教えてくれよ? 俺は一体、誰に復讐すればいいんだ? 俺は一体、何をすればいいんだ? 俺は――俺は一体、どんな事をしたら」


 ジェシーの――ジェシカ姫の、仇を取れるのか、と。


「……」

「……」

「……ん~。聞きたいかいの?」

「当たり前だ! 俺は一体、何の為にこんな事をしてるんだよ! それが分かんなきゃ、何の意味があって――」

「ええんかいの?」

「――え?」

「ホンマにええんかいの? 聞いてしもうたら、もう後戻りは出来んで? 今じゃったら、ぜーんぶ無かった事にも出来る。ウチはただ、エリックの体を鍛えただけじゃ、ちゅう事にも出来る。ほいでも」

 聞いてしもうたら、もう後戻りは出来んで、と。

 夜の帳同様、沈黙が落ちる。聞こえてくるのは一本表の大通りから聞こえる、ドアの開く音と、酔っ払いの声のみ。

「……いいぜ」

 そんな沈黙を、エリックが破る。

「……」

「もう、覚悟は出来てるんだ。言ってくれ、ローナ。俺は、一体、誰に、どんな『復讐』をすればいいんだ?」

 意思の強い、エリックの瞳。その瞳をじっと見つめ、ローナが口を開く。

「――エリックが『復讐』する相手は、たった一人。それは――」



「親方がなんだー! 俺は……俺は独立するぞぉーー! 独立して、愛しのアイリに告白するんだぁー! 結婚してくれー、アイリぃーー!」

「ちょ、バカ! 飲みすぎだ、おめーは! 夜中だぞ! 近所迷惑だろうが!」



 表通りから聞こえる、酔っ払いの声。強かに痛飲したのであろう、酔っ払って息巻くその声は、対峙する二人の路地裏にまで響き。

「――え? ちょ……ろ、ローナ?」

「なんじゃ、エリック? 相手を聞いたら怖気づいたんかいの?」

「そ、そうじゃねえ! そ、そうじゃねえけど……」

 響いても、関係ない。するべき相手と、為すべき事。その二つを教えられたエリックは、寒くもないのにぶるっと一つ身震いをしてみせる。

「……本気、かよ」

 声は掠れていた。

「本気じゃ。本気で、本気で、大本気じゃ。『そのお方』を害せば、お前の復讐はなる。そうじゃろ?」

「それは……」

 確かに。エリックが『成功』すれば、エリックの復讐はなる。なるが、しかし。

「……戦争に、なるぞ?」

「じゃろうな。戦争になるじゃろ。しかも、こないだみたいな『みみっちい』戦争じゃない。オルケナ全土を巻き込む、ほんまもんの大戦争じゃ」

「……」

「怖気づいたかいの?」

 少しだけ、楽しそうに。

 まるでからかう様なローナの言葉に、エリックは小さく首を縦に振る。

「……ああ。正直、ビビってる。怖くて怖くて仕方ねー」

「ほうか。ほいじゃけど――」

「でも」

「――ん?」

「……でも、やる。それで……ジェシー姉ちゃんの弔いになるんだったら」

「……」

「……」

「……損な生き方じゃの~、エリック」

「言ってろ。このまま死んだように生きるよりはマシだ」

「ほうか。それじゃ、それでエエ。ほいじゃエリック?」

 ペチン、と、自身の頬を小さく両手で叩く。

「――そろそろ帰ろうで、エリック。はよ帰らんと、院長先生が心配するさかい」

 ウェストリア語から、ソルバニア語へ。言語だけではなく、表情も、纏う雰囲気も変えたローナに内心で舌を巻きつつ。

「なあ、ローナ?」

「ん? なんや、エリック。どないしてん?」

「なんで……お前らは『こんな事』をしようとするんだ?」

 エリックは疑問をぶつける。そんなエリックの姿に、茶目っ気たっぷりに微笑んで。

「チャンスをご所望、やからやな」

「チャンスをご所望? 誰が?」

 首を捻るエリックに。



「――ウチの所の、『お姫様』が、やで?」



 そう言ってローナは、片目を瞑ってウインクをして見せた。


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