第九十九話 水と油と
第九十九話です。九十九話何ですが、プロローグ入れたら百話目になるんですよ。いや、まさか此処まで続くとは……これも皆様のお陰です。多謝!
……百話目がこれかよ! と思わんでも無いのですが。
「お待たせ、アヤノ。待ったかい?」
「ううん、私も今来たところよ。全然待ってないわ」
「良かった。済まないね、遅れて。ちょっと仕事が長引いてさ」
「いいわ。貴方が頑張っている姿、とても素敵ですもの」
「ははは。そう言って貰えると頑張ろうと思うよ、私も」
「でも、無理は禁物よ? それと……デートの遅刻も、ね?」
「これは一本取られたね。やっぱり待った?」
「実は……ちょっとだけ、ね? でも……」
貴方を待つ時間は、嫌いじゃないわ、と。
「……済まない」
「いいわ」
「何をしたら許してくれるかな? 私に出来る……いいや、私に出来ない事でも、して見せよう。空を飛べと言われれば飛んで見せるし、火の輪をくぐれと言われればくぐって見せようじゃないか」
「そんな事言わないわよ。それに、別にそんな事望んでいないわ。今日のデートを楽しませてくれれば、それで。でも……そうね。それじゃ」
――此処で、キスして。
「……アヤノ」
「……ヘイカ」
そうして、綾乃はそっと目を閉じる。そんな綾乃の姿を見つめて、カルロス一世も同様に瞳を閉じ、綾乃の肩に静かに、でも優しく手を置き、そのまま顔を近づけ――
「「――――って、やってられるかぁーーーー!」」
図らずも、二人の声がハモる。瞳を閉じて憂いを帯びた様な顔をしていた綾乃も今は自身の肩、カルロス一世の手が置いてあった場所をまるで親の敵かと言わんばかりにゴシゴシと力一杯拭ってるし、カルロス一世はカルロス一世で部屋の壁――公爵邸応接室の、飾りっ気も何にもない壁に手を突いて『うぉえ』なんて吐く真似なんぞしている。そんな二人を見やり、丸めた冊子を片手にキャスケット帽を被ったマリアが大きく溜息を吐いて声を張り上げた。
「カット! カットや! なんで二人してそんなんなるんですか! ちゃんと『台本』通りにやってくれへんですかね!」
ご丁寧に『監督』と書かれた腕章をした手とは逆、右手でバンバンと丸めた冊子で左手を叩くマリア。そんなマリアをジト目で見つめながら、綾乃は右手の人差し指をカルロス一世に突きつけながら異を唱えた。
「無理に決まってるでしょうが! 乙女の唇何だと思ってんのよ、アンタ! そもそも!人の肩に手を置くなんてセクハラもイイ所じゃない! なんでそんな事されなくちゃいけないのよ! 訴えるわよ! そして勝つわよ!」
「ちょっと肩に手を置かれたぐらいでゴチャゴチャ抜かすな! エエ年こいて『肩に手が~』って! 自分の年齢考えてから言えや!」
「な! 失礼な事言うな! 年齢関係なく女の子は何時まで経っても乙女なんですぅー!」
「なーにが女の『子』やねん! 面の皮の厚い事抜かすなや、ボケ!」
「はい、かっちーんと来ましたぁ~。っていうかね! 陛下こそ何よ、その喋り方と台詞。『空を飛べと言われれば飛んで見せる』? おっけー、じゃあ言って上げる。さあ、そこの窓からユー・キャン・フライ!」
「それは飛ぶんやなくて落下や!」
「大丈夫、大丈夫。二階ぐらいの高さから落ちても死にゃしな――」
そこまで喋り、綾乃はポンと手を打つ。その後、イイ笑顔を浮かべてマリアに振り返った。
「イイ事考えた! ホラ、陛下が窓から落ちて足の骨の一本でも折ればいんじゃない? その……マリー姫? には、私から言っておくわ! 『ヘイカは骨折してこの場に来られませんが、私がヘイカの彼女です』って!」
「なに笑顔で怖い事言うてんねん! 何処の世界に王様二階から突き落とそうとする人間がおんねん! アホか、お前は!」
「突き落とすんじゃないわよ、失礼ね。陛下が自分の意思で落ちるの」
「強制されるのは自分の意思とはいわへんやろ! しかも結果は一緒やし!」
「私、プロセスを大事にする女だし?」
「どの口でプロセスとか言うてんのや、お前! 流石について行けへんのですけど、その発想!? コータも含めて色々おかしいやろ、ヤメート人!」
「あによ? 良い方法じゃない? 結局『ヘイカには彼女がいます』って分かればイイんでしょ? 骨の一本でも折ってれば流石にマリー姫も連れて来いとは言わないでしょうが。後は私が歯の浮く様なくっさい台詞言って置けばいいんでしょ? 『ヘイカは私の大事な人です。どうか、私から奪わないで下さいっ!』とか? 虫唾が走るけど」
「虫唾とか言うな! ちゅうかな? お前、舌の根も乾かん内によう言えるな、そないな事! プロセスどこ行ってん!」
「……」
「……」
「……どんな事にも例外はあるわ」
ついっとそっぽを向きながら少しだけ気まずそうにそういう綾乃。そんな姿に、マリアがはーっと息を吐き……そして、隣でちょっとだけ頬を赤らめるソニアに視線を向けた。
「ソニア様? どないしたん?」
「いえ……なんでしょう。ちょっとドキドキしました、わたくし」
「……」
「実の父と、恋敵のラブロマンスって……なんだかドキドキしませんか? 何と言いますか……こう、は、背徳的で!」
「……ウチにはわからへん感情ですわ、ソレ。それと、ソニア様? お願いですからソニア様まで変な事言うの止めて貰えませんかね? 流石にウチも処理が追いつかへんのですけど?」
「へ、変では……あ、あるかも知れませんが……まあ、ともかく!」
コホン、と一つ咳払いをして強引に話題転換を図るソニア。自身でも大概な事を言っている自覚があるのか、頬を赤らめたままマリアに視線を向けて。
「そもそも……無理があったのではないですか? その」
マリアに向けた視線をついって前方――ぎゃーぎゃーと言い争う綾乃とカルロス一世に向けて。
「あの二人に『恋人同士の演技指導』をするのは」
「……」
「……マリア? 何でそっぽを向くのです?」
「……溜まってたんですよ、ウチも」
「……ああ」
――ぎゃーすかと言い合いを行う綾乃、ソニア、カルロス一世の三人を宥めすかし、すっかりヘソを曲げてしまった綾乃に『世界平和の為』という大層なお題目を掲げる事でどうにかこうにかカルロス一世との『デート』を了承させた後、マリアの行動は早かった。
『今のままやったら確実にバレてしまいます! 練習です! 練習が必要ですわ!』
と息巻き、僅か三十分程の時間でデートの素案とも呼べる『台本』を完成。『そんな事をしなくても大丈夫! 巧くやる』とごねる綾乃と『本番に優る練習はない!』と精神論第一のコーチみたいな事を言って渋るカルロス一世を『世界平和』というマジックワードで説き伏せ、応接室を練習場として練習を行った。
マリアの言も的を射てはいる。明らかに不仲である綾乃とカルロス一世、叩けば埃どころか既に全身からボロをまき散らしている様な状態で、デートなど行ったらどうなるか。子供でも分かる事であり、練習は大事だが。
「……満足しましたか?」
「逆にストレス溜まりましたわ。まあ、面白かったですけど」
マリアの心情も慮って上げて欲しい。タダでさえストレスフルな『国家元首と一緒』という数日を過ごしていたら、知人がその国家元首をブッ飛ばすポンである。多少やさぐれて、『アンタら、ウチの考えたくっそ恥ずかしい台詞でも言って悶えろや!』と思っても不思議ではない。幸か不幸か、マリアはそこそこ筆も早かったのである。
「……あかんですね、コレ。まさか此処まで出来へんとは思いませんでしたわ」
まあ、結果は見ての通りだが。ちなみに今、テイク32だったりする。
「やはりお父様がフレイム語である所に違和感があるのでは?」
「そうなんですけど……ほいでも、なんやソルバニア語で『愛してる』って凄く照れませんか? こう、フレイム語やったらすっきり書けるんですけど……」
「……まあ、そうですわね。こう、『めっちゃ好きやねん!』とかでしたらしっくり来るのですが」
「そっち方面で台詞直して見ます? ただ……ちょっと『演者』に難アリなんですけど」
「そうですわね……流石にお父様の御年で『オレ、アヤノの事めっちゃ好きやねん!』とか言っているのを聞くと……控え目に言って」
「ドン引きですね」
「ええ」
「おーーーい! 聞こえてる! お前らの言葉、全部聞こえてるからな! あんな? そうは言うても俺、国王陛下やで! ソニアに至っては実の父親やろ! もうちょっと気を使えや!」
陰口、という程隠れてもいないソニアとマリアの言葉に溜まらずカルロス一世の突っ込みが入った。そんなカルロス一世に、ニヤニヤとした笑みを浮かべて綾乃が声を掛ける。
「まあ、陛下の御年でそんなチャラ男みたいな事いったらドン引きですよね~? あれ? あれあれ? 先程私めに『年齢』のお話をされたのは誰でしたかね~?」
「分かった、アヤノ。お前は絶対性格が悪い!」
「そんな事ありませんよ~。私、こう見えてもラルキアの聖女で――」
「……むしろ、アヤノさんがその『暴力』を持ってお父様を虐げている、というのはどうでしょうか?」
「尻に敷く感じのカップル、ですか。それは……ああ、でもアヤノさんのキャラ的にはぴったりやな。ブッ飛ばすポンやし」
「でしょう? お父様も虐げられ慣れていますし、自然な演技が出来るかと」
「――って、ソニアちゃん!? マリアも何納得してんのよ! そんなの却下! 却下に決まってるでしょう!」
「はーっはは! 素晴らしい聖女様ですねぇー、ア・ヤ・ノさん!」
「うぐぅ! で、でも! 陛下だって尻に敷かれてるって言われてるんですよね! お互い様じゃない!」
「げふぅ! そ、それは言うたらアカンやろ! って、おいソニア! ウチの事情を余所様に漏らしたらアカン! 恥ずかしいやろ!」
「今更ですわ、お父様。国民、皆が知っている事ですし」
「マジかいな!」
「ま、ウチも知ってますし。有名ですやん」
「折角、凛々しい陛下のイメージが――」
「「ないです」」
「――って、おーい!」
カルロス一世の絶叫が、応接室に響いた。世界平和が掛かっているとは思えない気安さに、完全に他人事気分で綾乃は思う。真面目にやれ、と。
◇◆◇◆◇
「……げ」
「おい! 人の顔見て『げ』は無いやろ、『げ』は!」
テイク58まで行き、『もう知らへん! 後は陛下とアヤノさんで巧い事やってんか!』とマリアが匙を――もう、お腹一杯満足したとも言えるが――ともかく、匙を投げて解散となって、しばし。玉響の月が優しい光を落とすそんな中庭で、疲れを癒そうかと紅茶のカップとポットを持ってお月見と洒落込んでいた綾乃が、突然の闖入者に顔を顰め、その後失礼だと思い直したか笑みを浮かべて見せる。
「――あら、陛下? どうされたのですか、こんな夜更けに」
愛想笑いだが。そんな綾乃に、カルロス一世は顔を顰めて見せる。
「気持ち悪い敬語、使わんといてくれへん?」
そう言って、綾乃の対面にどかりと腰を降ろし、イヤそうな顔を浮かべるアヤノにちっと舌打ちを漏らした。
「……何で座るんです?」
「立ったまんまの方がエエんかいな?」
「いえ、そうじゃなくて……」
決して良好な仲では無い二人。お互いイイ大人だし、必要以上にいがみ合う必要もないが、お互いイイ大人だから必要以上に慣れ合う必要もない。ようするに。
「……どっか行ってくれません?」
こういう事である。
「……あんな? 流石に国王陛下に不敬やで、それ? 一応、話があるんやから来たんや。そんなに邪険にせんといてんか」
口で言う程気にした風も無いのか、机の上に置いてあったポットから、持って来たカップに紅茶を注ぐ。
「……私の紅茶……」
「ケチケチすんなや。そもそもコレ、エリカの嬢ちゃんの紅茶やろ? お前が文句言う筋合いないやん」
「残念。この茶葉は私が買ったものです」
「え、そうなん? そりゃ申し訳なかったな」
拍子抜けするぐらい、素直に頭を下げるカルロス一世。今までの態度とは明らかに違うそれに、思わず綾乃も居住まいを正した。
「い、いえ! その、私も紅茶の一杯ぐらいで――」
「どおりで、安物の味がすると思うたんよ。そっか。そりゃそうやな。アヤノの懐具合だったら安物しか買えへんわな」
「――返せ。十倍にして返せ」
謝り損だ。そう思い、睨み付ける綾乃にもう一度『まずぅ』と言って紅茶を一息で飲み干すと、カルロス一世は視線を綾乃に向けて。
「――面倒臭い駆け引きは抜きや。お前らが考えてるヤツ、あるやろ? アレ、受けてもエエで?」
不意な話題の振られ方に、一体何を言われているのか分からない。きょとんとした表情を浮かべる綾乃に溜息を吐き、カルロス一世は出来の悪い生徒に諭すように言葉を継いだ。
「信用状の発行。したいんちゃうんかいな?」
頭が、ようやく回りだす。情報の変化に付いて行かず、慌てる頭に連動する様に慌てる口が言葉を紡いだ。
「し、信用状の発行って、そ、それ!」
「マリアの所にも出してたやろ、手紙。申し訳ないとは思うたけど読ませて貰った――ああ、マリアを責めんといてやってんか? 流石に俺が言うたら断りきれへんからな、マリアも」
「そ、それは……責めませんけど」
歯切れの悪いその言葉に、カルロス一世がもう一度苦笑の色をその顔に浮かべて見せる。
「純粋に『商売』として旨みがあると思うたのもある。御大層に『信用状』言うては見ても、いるもんは紙だけやろ? 金箔でも練り込んでないとあかんちゅう訳でも無さそうやし」
「……そうですね。適宜様式で発行して頂ければ差し支えはありません。要は、保証がしっかり為されれば良い訳ですから」
綾乃の言葉にカルロス一世は満面の笑みで頷いて見せる。
「初期投資の掛からへん『事業』なら反対する理由もないし」
「ですが……宜しいのですか?」
「改まった言葉遣いは気持ち悪いって」
「……イイんですか、マジで」
「イイんです、マジで。ちゅうかイケん言うと思うてたんかいな?」
「そうじゃないですけど……でも、『信用状』の発行ですよ? それって要は『信用』しないとイケないんですよ? 信用するって言う事は――」
「『数字』がいる、ちゅうことやろ? 売上、利益、人員から蓄えとる金銀財宝まで軒並み情報を出して貰わなあかんやろ。きちんと払えるかどうか、それを見極める為には」
「……です。そして、それは」
「確実に揉めるやろな。幾ら俺が国王陛下やと言っても」
カルロス一世の言葉に綾乃が小さく頷く。考えて見れば至極当然の話、いきなり『今の収入と家族の情報、それに預貯金の額も全部教えてね』と言われれば、幾ら温厚な国民が多い現代日本であっても暴動が起きるかも知れないし、『絶対イヤ!』と言う人間も出て来るだろう。
「せやから俺からは言い出せへんのよ、そんな事。ほいでもな? それをお前らが……『テラ』から言うてくれるんやったら、こないに有難い事は無いで? それが無いと取引出来へんってなったら、仕方なしにでも教えてくれるやろうし」
暴動が起きるかも知れないが『今の収入と家族の情報、それに預貯金の額も全部教えてね。じゃないとスーパーで買い物させないから!』となれば、じゃあ日本を出てアメリカで暮らします、という人間より、不満を言いながらも開示をする人間が多い可能性は高い。生きて行く為に必要なのであれば、意外と人は我慢できるモノなのである。
「有り難い話、ソルバニアは景気も安定しているし大国でもある。あるけど、逆に大き『過ぎて』細部まで目が届かへん所があるんや。こういう言い方はあんまり好きやないけど……吹けば飛ぶ様な小さな商会がどんな仕事をしているか、これっぽちも分からへん」
「それは……当たり前では?」
「今までは俺もそれで良しとしてたんや。人材にだって限りはあるし、国庫にはもっと限りがある。吹けば飛ぶ言うたかて、それを調査して纏めるには誰がどう考えても途方もない手間と……それに、カネがかかるから。ほいでも、その『信用状』の取引で儲けが出るんやったら、それを使ったらええやん。なんせ元手自体は紙代だけ、言うてみたら真水の売上と利益やし」
「でも、それじゃ儲けが殆ど人件費で消えますよ?」
「ええんよ、それで。ウチかてそんなに高い税金頂いとるわけやないけど、それでも払われへん人間は仰山おる。カネが無い人間の行動パターン、三つぐらいしかないやろ?」
「入りを増やすか、出るのを減らすか――」
「犯罪に走るか、や。自殺する人間もおるけど、それも寝覚めが悪いからな。一年間隔ぐらいでその年の売上とか利益を提出させてチェックする機関を作れば、それを行う人間の『雇用』も作れるし……そこで優秀な人材も発掘できるかも知れんやろ?」
カルロス一世の言葉に綾乃は大きく頷く。
雇用の『創出』は国家運営の上で殆ど必須の事項であり、だからこそ頭を悩ませる所でもある。やれ景気の上昇だ、やれインフレだ、やれ為替だと昨今の新聞には難しい言葉が並ぶが、要は『働きたい人全員に職と、生活に困らないだけの金銭を提供できる』環境整備の為であり、これが出来れば国家の最終目標の半分は達成したと言っても良いだろう。衣食住足りてから初めて知るモノなのだ、礼節とは。
「……流石、ソルバニア王ですね」
「あんがとさん。まあでも、コレは俺の『趣味』みたいなモンやしな」
「『趣味』?」
「人材発掘。優秀な人間は手元に置いておきたい性質なんよ、俺」
もう一杯エエか? と綾乃に問いかけ、首肯を受け取ったカルロス一世はカップから紅茶を注ぎ。
「――ほんで、本題や。どうやアヤノ? お前、俺の所にけーへんか?」
注ぎながら、何でも無い様にそう話を振る。
「……は?」
「俺の『趣味』や。優秀な人材は手元に置いておきたいんよ、俺」
「……えっと……言っている意味が分かりませんが?」
「コータに逢った時も思うたけど、ヤメート出身の人間はオルケナに無い考えを持ってはる。まあ、ヤメートはオルケナに無いから当たり前っちゃ当たり前やねんけど……ともかく、その発想はごっつい興味深い。今回の信用状にしてもそうや。そういう人間と話をするのは純粋に楽しいしな」
注ぎきり、カルロス一世はポットをテーブルの上に置いて綾乃に視線を飛ばす。冗談でも何でもなく、本気でそう言っているだろうと分かる視線に綾乃ももう一度、今度は本気で居住まいを正してゆっくりと頭を下げた。
「丁重に、お断りします」
「理由は」
「単純に、私が行きたくないから。後、個人的に色々気に入らないから」
「俺が?」
「それもあるけど……一番は陛下、浩太に逢ったんでしょ? じゃあ浩太を誘えばいいじゃん」
「……そのココロは?」
「私のホレた男、舐めんな」
きょとん顔は一瞬。その後、カルロス一世のけたたましい笑い声が中庭に響いた。
「……なんですか?」
「くっくくく……いや、すまんすまん……く……くっくくく……どんだけコータにベタ惚れやねんって思うて……」
一頻り笑った後、カルロス一世は綾乃に向き直る。目尻に浮かんだ涙を拭いながら、カルロス一世は言葉を継いだ。
「いや、別にコータを低く見ている訳や無いんやで? アヤノと同等か……まあ、それ以上かも知れへんけど、とにかく俺もコータの能力についての評価は高い。別にアヤノの『ホレた』男をバカにしている訳や無くて……純粋に、コータにも断られたんよ」
「浩太の代わりに私って事ですか?」
「……なんでそこで不満そうな顔するかな?」
心持、頬を膨らます綾乃にカルロス一世が浮かべるのは呆れ顔。浩太を貶せば怒り、褒めても怒る。自身でも難しい感情のまま、綾乃はそっぽを向いて口を開いた。
「……揺れるんですよ、乙女心は」
「まあ、そう言う事にしとこうかいな。そんで、続き。ともかくそういう訳でコータに断れたけど……別に、コータの『代わり』ちゅう訳やない。今、お前とコータのどっちかを手元に置けるんやったら、俺は間違いなくお前を選ぶ」
「……そのココロは?」
先程のカルロス一世の言葉の鸚鵡返し。そんな綾乃に、にっこりと微笑んで見せて。
「お前が『オンナ』やからや」
「――ソニアちゃーん。此処に女にだらしない国王陛下がいまーす!」
「って、ちょい待ち! そういう意味やない! いや、純粋にそういう意味やないわけやな――って、おい! 椅子をズサーッて引くな、感じ悪い!」
「陛下の方が十分感じ悪いんですけど?」
ジト目を向ける綾乃に疲れた様に肩を落とすカルロス一世。気のせいか、何だか背中が煤けている。
「……ウチも色々有るさかいな。難しい『舅』も『姑』も仰山おるんよ。いきなり『こいつ、今日から伯爵! ほんで財務卿やからよろしく!』なんて言うたら暴動起きんで」
「……ああ、そう言う事ですか」
「ホンマに伯爵にするちゅう意味や無いで?」
「分かってますよ」
爵位や地位はともかく、カルロス一世の『覚えめでたい』臣下がいきなり増えるのである。王宮事情にそれほど詳しくない綾乃にだって、それがどれ程『面倒臭い』かぐらいは想像が付く。
「私なら大丈夫、と?」
「それこそ『オンナにだらしない』陛下ちゅう事になるやろ? 俺の悪評が立つ方がやり易いわ」
「側室扱い、って事ですか?」
「実際には手は出さへんと約束もするで? まあ、頼まれてもお前なんかに手を出さへんから。そんなに飢えてる訳やないし」
「中指を突き立てる所存に御座います」
「は? 中指を突き立てる? なんや、それ?」
「ヤメートの風習で『まあ素敵』って意味ですよ。まあそれはともかく……イイんですか? 怒られますよ、王妃様に」
「怒る訳あるかいな。アレクは賢い女やからな」
綾乃の言葉に『ない、ない』と手を振って見せるカルロス一世。
「……そうなんです? なんか先程まで聞いてた話と違うんですけど?」
綾乃の中では鬼嫁扱いである王妃の評価に、苦笑を浮かべるカルロス一世。
「『蛇の王様』が何処でもかしこでもシャーシャー言うて舌出しとったら、皆怯えてまうやろ? どっかで弱みを見せとかんとな」
「……計算?」
「民衆に親しまれる国王陛下を目指してるからな、俺。アレクはその辺りを良く分かってくれて、汲んでくれてはる。そういう意味では頭があがらんのは事実や。それに――」
一息。
「――どこでもかしこでも舌出すのも疲れるんよ。たまには国王陛下の看板、下ろしてもエエやろ?」
「……だから、敢えて虐げられる、と?」
「『私には政治とか商売とか、そんな難しい事はわかりません。ですが……そうですね、貴方が下着一枚のだらしない姿をしていれば、それを叱りとばす事ぐらいは出来るでしょう』らしいで?」
「……なんです、それ?」
「結婚する時アレクに言われた言葉。内と外、完全に分けて考えろって意味やと解釈したわ。アレクも何も言うてへんし、間違っては無いんやろ。せやから俺はアレクに叱り飛ばされてるんよ。弱みと――それに、息抜きもかねてな」
「敢えて?」
「敢えて」
「…………ドM?」
「言うてる意味はさっぱり分からんけど、バカにされてるのは分かったで!」
声を荒げるカルロス一世に、自身の失言に気付いた綾乃が慌てて口を押えて見せる。多分、乙女は『ドM』とか言わない。
「ま、まあそれはともかく、どちらにせよお断りします! そもそも、『愛人になれ』っていう人に誠意を感じませんので」
もう一度、御免なさいと頭を下げる綾乃にカルロス一世が手を振って見せる。
「エエよ。俺かて『巧く行けばラッキー』ぐらいなモンやし。まあ、ほいでも考えて置いてや。条件面ではテラは勿論、ラルキアよりもエエ暮らしさせたるから」
「浩太がいないから行きません。セットなら考えてあげます」
「それやったらエリカの嬢ちゃんにエミリの嬢ちゃんもついて来るやん」
「もう一人、多分『シオン』っていう人もついて来ると思いますよ? イイんですか? 残念ですよ?」
「シオンって……ああ、バウムガルデンの? 有名な才女やん? 顔も別嬪さんやし……大歓迎なんやけど。なんやねん、残念って」
知らないって怖い。そう思い、綾乃は小さく首を左右に振って見せた。
「まあ、そんな事になったらロッテ・バウムガルデンに睨まれるしな。やめとくわ」
「それが賢いと思います。色んな意味で」
神妙な顔で頷いて見せる綾乃に、もう一度苦笑。カルロス一世は手に持ったカップを二、三度地面に向かって振って水気を切る。
「さて……それじゃ、そろそろ帰ろうかな。言いたい事も言えたし」
「なんのお構いも出来ませんで」
「構わんよ。別に構って貰おうと思った訳や無いし。夜のデートと洒落込んで見たけど……まあ、相手がアヤノやしな」
「……どういう意味ですか、それ?」
「俺にだって選ぶ権利はあると思わへん?」
「……言っておきますけど、こっちだってプリーズダウンですからね?」
「なんやねん、それ」
「願い下げ」
「……へえ。分かってると思うけど? 俺、一応王様やねんけど?」
「……へえ? そこで権力、使っちゃいます?」
「カネも権力も含めて、男の魅力やと思わへん?」
「カネと権力以外に魅力はないんですかぁ?」
「男前やん、俺」
「イイ年して男前ですかぁ~? 面白い冗談ですねぇ、それ」
「あれ? なんや容姿が著しく獣に似ている奴には言われたくないかなぁ~?」
「あ、陛下? ちょっと近寄らないでくれます? こう、経年劣化でそこはかとなく臭いますんで。加齢臭ですか?」
「いやいや、丁度エエんちゃう? 獣臭と中和されるやん?」
「女の子にそんな事言うなんてデリカシーの欠片もないですね? なるほど、オルケナの男には『デリケート』なんて言葉は無いんですか?」
「エエ年こいて女の『子』とか言うなや? 面の皮、バリケードなんちゃう? それか心臓に毛でも生えてますか? 毛が生えるのは尻尾だけで十分ですよ~?」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……表、出ろやぁー!」
「此処は既に表だ! でも、上等よ! その顎、もう一遍砕いて上げるわ! さあ立ちなさい陛下!」
「何遍もやられる思うなよ! お前こそ、俺は女やからって手加減せーへんからな!」
「殴られる覚悟が無くて殴る気は毛頭ねーですよ! さあ、来い! 地面とキスさせてあげ――」
「――喧しいわ! 何時や思うてんねん! さっさとねろ!」
不意に、屋敷の二階の窓がガラリと開いた。寝ぼけ眼を擦りながら、頭にナイトキャップを被ったマリアの怒声と共に。
「アンタらな? もうエエ加減にせーや! エエ年やろ、お互いに!」
「あ、あの、マリ――」
「どんだけ迷惑かけたら気が済むねん? なんなん? アンタらの首から上についてるソレ、飾りなん? それとも中身が入ってない、スカスカの頭なん?」
「ま、マリア? ほいでも俺、国王陛下やで? それは流石にふけ――」
「喧しい! 国王陛下でも皇帝陛下でも関係あるか! ウチの安眠の邪魔すんな!」
「……」
「……」
「ホレ、さっさと寝る! 今度騒いだら水ぶっかけるで!」
「「……」」
「返事!」
「「は、はい」」
眠気がピークで不機嫌な顔のまま、マリアは頷いた二人にうんと頷いた後、力一杯二階の窓を閉める。ガシャンという窓の割れそうな音に縮こまり、思わず顔を見合わせたカルロス一世と綾乃は。
「「――ふんっ!」」
どちらからともなく、顔を背けた。




