345.モデルデビュー
かくして沙紀の初めてのバイトが始まった。
春希はアイドルデビューして以来、御菓子司しろにバイトに来ていない。
それでもかつて春希がバイトしていた場所として、今なお盛況である。連日、店は目が回るような忙しさだ。
なんなら店の入り口近くに、さりげなく春希のデビュー曲のジャケットを印刷したものが額縁に入れて飾られている。もちろんサイン入りだ。春希が一度、隼人たちのいない時を見計らってバイトを辞めると直接言いに来た際に、沙緒莉が書いてもらったものらしい。まったく、抜け目のない人である。
「沙紀ちゃん、抹茶セット2番さんに!」
「はいっ、奥の方の席ですよね!」
「おっと、ついでに6番テーブルの片付けも頼む!」
「はいっ、その後13番さんのところのオーダー取りに行った方がいいですか!?」
「お願い、助かるっ!」
最初こそはおっかなびっくりの沙紀だったが、研修もそこそこ、ロクに説明していないというのに席や施設名、備品などを把握しており、いざ働き出したらとてもバイトが初めてとは思えない活躍ぶりだった。
沙紀の即戦力ぶりには、隼人だけでなくこの店の生まれである森姉弟も舌を巻く。
その後、特にトラブルもなく、スムーズにバイト初日が終わる。あっけないくらいだった。
「お、お疲れさまでしたっ」
「おつかれー」
「お先です」
時刻はまだ午後3時過ぎ。まだまだ日は高い。
御菓子司しろを後にした隼人と沙紀、みなもは帰り道を歩く。
幹線道路の脇を歩いていると、みなもがしみじみと呟いた。
「沙紀さん、凄かったですね~。とても初めてとは思えないくらいでした」
「俺もそれは思った。他の人と遜色がないレベルだったし、正直驚いた」
「ホントです。私が初めての時は、とにかく失敗しないようにとゆっくりでしたし」
「俺もいっぱいっぱいで、伊織にかなり助けられたな」
みなもに賛同する隼人。確かに今日の沙紀の仕事ぶりは見事の一言だった。
自分たちの初回の時と比べ、あまりに手慣れており感心するというもの。
2人の称賛を受けた沙紀は、照れくさそうにもじもじすることしばし。
少しの躊躇いの後、ジッと隼人の目を見つめてはにかんで言った。
「そりゃ、ずっと見てきましたから」
「……あー、なるほど」
暗にずっと意識していましたと言われ、隼人の胸がドキリと跳ね、曖昧な笑みを浮かべて返事をした。沙紀は照れくさそうに、そっと顔を逸らす。不意打ちだった。
みなもは口に手を当てくすくすと愉快げに笑い、機嫌良さそうに2人の一歩前へ出る。
「それじゃ私はこちらですので。後は二人でごゆっくり~」
「みなもさんっ」
「あぅ……」
みなもは揶揄うような口調で言って、ひらりと手を振り去っていく。
残された隼人と沙紀は、その場でむず痒い空気を作ることしばし。
ややあって隼人は努めていつも通りを装い、声を掛けた。
「あー、ちょっと早いけど夕飯の買い物していこうか。今日はお祝いというか、ちょっと手間のかかるものにしよう」
「それなら、よくばりハンバーグがいいですね。姫ちゃん、ことあるごとにおいしいって口にしていますから」
「そういや最近作ってなかったな。今日はそれをメインにしよう」
「お野菜も欲しいですね。具だくさんで彩り鮮やかなチョップドサラダとかどうでしょう?」
「いいな。余った野菜とかでスープを作れば完璧だ」
「ですねっ」
◇
スーパーに寄って買物をして、一緒に霧島家のマンションに帰る隼人と沙紀。
「ただいま、っと」
「お邪魔します」
沙紀は慣れた様子で隼人と一緒にキッチンへ向かい、買ってきたものを広げつつブレザーを脱ぎ、エプロンを付けて準備をする。隼人もブレザーを脱いでエプロンを付け、沙紀と並んで調理を開始した。
近くのマンションで一人暮らしをしている沙紀は、相変わらず霧島家で夕飯を摂ることがほとんどだ。
こうして調理を手伝ってくれることも多く、欲しい具材や器具も適切なタイミングで出してくれる。息もピッタリでやりやすい。
やがて大量の具材を切り終え欲張りハンバーグの種が出来上がる。
2人でせっせと成形していると、ふいに沙紀が少し緊張気味に口を開いた。
「そういや、今日は他に誰もいませんね」
「あぁ、母さんはパートだし、姫子は学校遠いから」
隼人の母真由美は、年明け頃から家で一人は暇だからと、近くの生活百貨店でパートを始めた。月野瀬にはない仕事が楽しいらしく、こうしてまた夕飯を作る機会も増えた。
「こ、こうして2人きりになる時間、増えるかも……ですね……」
「あ、あぁ……そう、かも……」
その言葉でふいに沙紀と2人きりということを意識してしまい、落ち着かなくなってしまう。
改めて沙紀について考える。
妹の親友、田舎の代々続く歴史ある神社の巫女。
昔はどこか控えめで人見知りしていたが、都会へ飛び出してきてからというは色んなことに積極的になり、どんどん魅力的に輝く女の子。
特にここ最近グッと大人びてきており、正直隼人の目から見ても可愛いと思う。そんな女の子から、決定的な言葉を告げられていないものの、特別な感情を向けられている。
ここのところ沙紀は受験と入学の準備で慌ただしかったこともあり、そのことについてあまり考えたことがなかったが、棚上げしっぱなしというのも問題だ。
だけどどうしても春希のことが、急に目の前から遠いところへと行ってしまった幼馴染のことが気に掛かっており、上手く沙紀と向き合えていない。なんとも不誠実。
隼人が難しい顔を作っていると、ふいに沙紀が心を読んだように呟いた。
「春希さんにも困ったもんですよね。今日くらい一緒にお祝いしてくれてもいいのに」
「……ははっ、そうだな。忙しいのはわかるけど、薄情なやつだ」
「私、春希さんの誕生日もテレビで知ったんですけど」
「そういやバラエティ番組の企画で祝ってもらってたっけ」
「他にも――」
「あれは――」
ついつい春希のことで愚痴を零せば、とめどなく溢れてくる。
これまで春希のことはそれぞれ気にかけていたものの、誰も敢えて口にすることはなかった。それがこうして話題に出せるようになったのは、やはり本人の顔を直接見たからだろう。
胸の中にあったわだかまりが、少しだけ溶けていくような感覚。
改めて春希にできることはないだろうか? きっと何かあるはず。
そんなことを思っていると、ふいに玄関からガチャッと勢いよく開く音が聞こえてきた。続いてドダダダッと廊下を走る足音。
「お、おにぃっ!」
中学の時とは違う、クラシカルかつ洗練されたオシャレなセーラー服姿の姫子がリビングに顔を出すなり、息を切らせつつ大声で叫ぶ。
最近は落ち着きつつあった妹のはしたない姿に、隼人は眉を顰めて窘める。
「どうした姫子、ていうか狭い廊下をわざわざ走るな」
「あはは……」
沙紀もこれは擁護できないと苦笑い。
しかし姫子はそんなお小言を右から左へ聞き流し、こちらへ大股でやってきてスマホの画面を見せてくる。
「いいからこれ見て! どういうことなの!?」
「……は?」「え?」
思わず隼人と沙紀の口から、素っ頓狂な声が漏れる。
姫子が見せてきたのは、とあるファッション雑誌のデジタル版。その表紙に映っているのは見慣れた友人――一輝の姿。その隣には『MOMOの弟、鮮烈デビュー!』という文字が躍っている。
信じられないといった顔を見合わせる隼人と沙紀、それと姫子。
姫子は困惑した表情を隼人に向け、詰問してくる。
「これ一輝さんだよね? どういうこと!? おにぃ、なにか聞いてない!?」
どういうことか聞きたいのは、むしろ隼人の方だ。
今日学校で会った時も、いつも通りだったではないか。
全くもってワケがわからない。
春希に続いて、一輝もどこか遠くへ行ってしまうかのような感覚。
「俺は、何も……」
隼人は妹の問いかけに、ただ漫然と首を左右に振ることしかできなかった。
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