77:友
【ルシル視点】
エレオノーラの部屋で、アルフォンスは話に区切りをつけた。
「……というわけで、兄上と宰相はとりあえずは手を引いた。ヴェロニカ元院長は、毎日地下室で恨み言を吐いているそうだよ」
「まあ、ヴェロニカは反省とかしそうなタイプじゃないですね」
私は肩をすくめた。
むしろ、食事の世話をしなくてはならない修道女が気の毒である。早めに神殿に身柄を移して欲しいものだ。
エレオノーラがお米のおかゆをモキュモキュ食べながら言った。
「食料ギルドは相当力を削がれましたね。当面は反撃の余力もないでしょう」
「もう反撃を諦めてくれるのが、一番いいんですけどね」
「食料ギルド主体では、諦めざるを得ないんじゃないかな。ただ、兄上と宰相は何とも言えない。経済基盤だった食料ギルドが傾いて、何もしないとは思えないから」
と、アルフォンス。私は不安になる。
「私の店への嫌がらせが、まだ続くでしょうか?」
「その可能性は低いと思う。君の屋台と店は、今回の件で王都中で有名になった。下手に叩こうとすれば、あちこちから火の粉が飛んでくる。絶対ないとはいえないが、今までのような直接的な嫌がらせはなくなるはずだ」
「よかった」
私はほっと胸を撫で下ろす。
食料ギルドの嫌がらせは、全部返り討ちにしてやったけど。でも大変だったもの!
エレオノーラとアルフォンス、私は、今回の事件についてあれこれ話した。
食料ギルドの販売封鎖は酷いやり口だったが、おかげでこうしてエレオノーラの病気を治療するきっかけにもなっている。
何がきっかけになるか分からない。禍福はあざなえる縄の如し、だ。
「とりあえず、味噌と醤油を米麹で作ろうと思っています。そうしたら、小麦除去料理の幅がぐっと広がりますから」
「楽しみですわ」
エレオノーラはニコニコ笑っている。妹の笑顔を見て、アルフォンスも嬉しそうだ。
「醤油と味噌が出来上がるまでに、次はじゃがいものパイを持ってきますよ」
「まあ、お芋の」
じゃがいもパイはカナダの料理。じゃがいも主体でお肉もたっぷり食べれられる、スタミナ料理である。
食べ盛りのエレオノーラにぴったりだろう。
ミルクや卵主体であれば、デザートのレシピもたくさんある。米粉で代用もできる。
私の知っている料理をあれこれ話してみれば、エレオノーラはちょっと前のめりになって聞いてくれた。
「食べるのがこんなに楽しいなんて、少し前までは想像もしていませんでした」
満足そうに笑って、彼女は息を吐く。
「でも、お腹が減る悲しさも知ってしまいましたわ。貧しい民たちは、いつも飢えと隣り合わせでいるのですよね……」
すぐにそこに気づけるとは、この人は優しく賢い人だ。
アルフォンスが妹の肩を抱いた。
「そのために我々王家がある。貧しさと飢えとを少しでも減らし、よりよい国を作るよう、私も頑張らないとね」
「はい、アルお兄様。わたくしもずいぶん元気になりました。手助けができるはずです」
エレオノーラは貴重な『大治癒』能力の持ち主。健康を回復して能力を使いこなせるようになれば、神殿のトップに立つ立場だ。
神殿に宰相と王太子の勢力が伸びている現状、エレオノーラが力をつけてくれるのは心強い。
「ルシル」
エレオノーラが手招きをするので、ベッドに近づくと。
「わあ!?」
ぎゅっと抱きしめられてしまった。王女様、体が細い! 髪ふわふわ! あとなんかいい匂いがする!
ついでに彼女の反対側にはアルフォンスがいる。近い近い近い。
間近でアルフォンスと目が合った。お互い真っ赤になる。
「もうっ! エレオノーラ様、いたずらはほどほどに!」
「ふふっ。わたくしの大好きなお兄様と、大好きなルシルに仲良くなってほしくて」
「私たちは仲良しだよ、エレオノーラ。だってシスターは私の平民の最初の友だからね」
「お兄様。友達ならば、名前を呼べばいいではないですか。いつまでも『シスター』と他人行儀に」
「うっ」
アルフォンスは何故か言葉に詰まった。なんか変な声がするので振り返ると、護衛の人が後ろで笑いを噛み殺している。
「いや、しかし。シスターは妙齢な女性のわけで、名前を呼ぶのはなんというか、ほら、……照れくさいというか……」
目を逸らしながら言われると、逆に恥ずかしいんですけど!
いやしかし、そう言われれば恥ずかしい気がしてきた。それに彼は王子様だ。知らなかった頃ならともかく、「アルフォンスさん」は不敬だろう。
「そうですよね。では私も王子殿下と呼びます」
宣言すると、アルフォンスは焦ったような顔になった。何だよ、照れくさいと言ったのはあんただろうに。
「いや、それはやめてくれ。公式の場ならともかく、私的な場では今まで通りアルフォンスと呼んでほしい」
「そうですか? では、アルフォンス様」
「様付けもやめてくれ。友である以上、さん付けだって不要だと思っていた。どうか呼び捨てに」
えええ? いや、それはまずいんじゃない?
するとエレオノーラが口を出した。
「お兄様、ずるいですわ! わたくしだって、ルシルに名前を呼び捨てにしてほしいのです。だってルシルは、わたくしにとっても友ですの。いいですわよね?」
「え、えーと」
「あぁ、お兄様は様付けでいいんじゃありませんこと? ルシルより年上で、力を貸す立場ですもの。でもわたくしは違います。年下で、病を治してもらいました。命の恩人です。そのような人に様付けで呼ばれるのは落ち着きません。どうかエレオノーラと」
エレオノーラは私の腕を取って、ずずいと顔を近づけた。
圧が、圧が強い! 絶世の、をつけてもいいくらいの美少女の顔面がめちゃくちゃ圧が強い!
「わ、分かりました! この部屋のように他に人がいない時は、エレオノーラと呼ぶから!」
「やりましたわ! ありがとう、ルシル」
私の腕に頬ずりするお姫様を、ラテが呆れたように見上げている。
一方でアルフォンスはそわそわしていた。
「その理屈で言えば、妹の命の恩人であるシスター……ルシルに、私としても様付けで呼ばれるわけにはいかない。アルフォンスと呼んでくれ」
……別の意味で圧が強い。にこやかに微笑んでいるのに、どす黒いオーラが見えるのは何故なのか。
駄目だ。どう考えても、この王子王女相手に勝ち目はない。
「分かりました……。じゃあ、呼び捨てにしますからね。アルフォンス」
そう言えば、王子様はにっこりと笑ったのだった。
◇
「はぁ。酷い目に遭った」
ようやく王女の部屋を出て、帰路。アルフォンスと別れた私とラテは、王城の敷地を歩いていた。
エレオノーラの部屋がある塔は、王城のかなり奥まった場所にある。周囲に人気はなく、寂しい雰囲気だった。
『気のいい奴らではないか。あの小娘、吾輩をラテちゃんと呼ぶのは不埒であるが』
ラテはからかうような口調である。
「今回は本当に助けてもらったし、エレオノーラとの付き合いは長くなりそう。そのうち、ラテの正体をきちんと話さないとね」
『そうだな……』
頷きかけたラテが、ふと足を止めた。
「ラテ?」
『あの建物。妙な気配がする』
彼の視線の先には、緑のツタが絡まった古い建物があった。一階建てのそう大きくない、石造りの建物である。頑丈そうな造りで、小さな窓には鉄格子が嵌っていた。周囲は草に覆われていて手入れされている様子はない。
ラテは慎重な足取りで建物に近づいた。草ぼうぼうに見えたが、良く見れば人が一人通れる程度の踏み固めた道が通っている。
建物の扉は、頑丈な錠前で閉ざされていた。しかしそれは錆びているわけではなく、時折人の手が入っていると示している。
『鍵の他に、魔法で封印が施されている』
ラテが扉を見上げた。
「ここは王家の敷地だもの。ちょっとした建物でも、厳重に締め切られていてもおかしくないよ」
私が言うが、ラテは視線を外さない。
扉に近づき、耳先を付けるようにして。
『……駄目だ。気配が消えた』
納得いかなそうな顔で、建物から離れた。長い尻尾が不満そうに揺れている。
「今度アルフォンスに会ったら、この建物のことを聞いてみようか」
『そうしてくれ。何なら吾輩が直接聞く』
「ん、そうだね」
ラテは何度か振り返りながらも、元来た道を戻っていく。
最後に振り返った建物は、初夏の緑に埋もれて、何かを隠しているようにも見えた。




