76:転落の第一歩
修道院長ヴェロニカは、逮捕された食料ギルド幹部が自白をしたために、罪の連座に問われていた。
最初は憲兵がやってきて、彼女を連行しようとした。
「何をするのです! あたくしは修道女にしてこの修道院の長。聖職者を連行するなど、神を恐れない不届き者め!」
そう言ってジタバタと暴れた。
確かに神殿や修道院所属の聖職者たちは、憲兵ではなく神殿の捜査機関が調査をすることになっている。
ヴェロニカはその規定を盾に取って抵抗した。
「宰相様と、我が実家スタンリー侯爵家のお父様に手紙を書きます! 憲兵が不当にあたくしに手出しをしたと!」
すごい剣幕で喚くので、憲兵もやや気圧された。名前を出された後ろ盾が大物だったせいもある。
ところがヴェロニカが彼らに手紙を出す前に、数人の伝令がやってきた。
一人目が言った。
「宰相サイラス様よりご伝言です。『余計なことはするな。反省しろ』」
「……なんですって?」
ヴェロニカは絶句した。
続いて二人目が言う。
「スタンリー侯爵様からです。『これ以上はかばいきれない。大人しく神殿の言い分に従うように』」
「……」
わなわなと震えるヴェロニカを尻目に、神官服姿の伝令が口を開いた。
「神殿からの通達です。ヴェロニカ・スタンリーの修道院長職を解き、一介の修道女に降格とする。さらに修道院の最も狭い地下室にて、謹慎処分とする。ゆっくりと『療養』しながら、追って沙汰を待つように」
療養は名ばかりで、要は軟禁、ないし監禁処分ということ。罪が確定するまではそのような口実というわけだ。
ヴェロニカの顔色が青を通り越して白くなった。
「そ、そんな、嘘でしょう!? そんな仕打ちはあんまりですわ!」
神殿の伝令は彼女を無視して、横にいた修道女に問いかけた。
「この修道院で最も狭い地下室はどこだ?」
「こちらに」
修道女が先導する後を、伝令がヴェロニカを引きずりながら連れて行く。廊下を曲がり階段を降りて。
その間、ヴェロニカは赤毛を振り乱してずっと喚き続けていた。
「こんなことは間違っている! あたくしをこんな目に遭わせて、呪ってやるわ!」
唾を飛ばして喚き散らす元・修道院長を、シスターと孤児たちがおっかなびっくり覗いていた。
一行がたどり着いた先は、古い時代に物置として使っていた狭苦しい部屋だった。窓は手のひらほどの大きさのものが、天井近くに一つあるだけ。しかも鉄格子が嵌っている。
ヴェロニカはその部屋に、突き飛ばされるようにして放り込まれた。がしゃんと外から鍵がかけられる。
「食事は一日一回、そこのドアの下から差し入れる。自身の行いをよく反省し、神に許しを乞うように」
伝令はそう言って、修道女に指示をする。
「再度の通達があるまで、彼女を決して外に出さないでください。もしも逃がせば貴方がたも罪に問われます。心しなさい」
「は、はい」
修道女は強張った顔で頷いた。
そうして伝令が立ち去った後。
「誰か! そこにいるんでしょう。鍵を開けなさい、出しなさい!」
ヴェロニカは乱暴に扉を叩いて怒鳴った。
修道女が戸惑いながら答える。
「申し訳ありません、院長様。あ、もう院長じゃなかったっけ……。とにかく、出すのはできません」
「悪どいことばっかりするからよ」
少し後ろで他の修道女が話している。
ヴェロニカは対外的には慈悲深い修道院長の仮面をかぶっていたが、実際の贅沢っぷりは修道女たちのよく知る所だった。
「ルシルを追い出した因果応報よね。あの子の店を潰そうとして、全部裏目に出たんでしょ?」
「そうそう。馬鹿みたいだわ。正直、いい気味」
(ルシル……?)
ヴェロニカはその名前をもうほとんど忘れていた。何ヶ月か前に寄付の食材を勝手に使って、料理をした修道女の名前。
「待ちなさい! ルシルが何だと言うのです!」
「ヴェロニカさん、あなた、食料ギルドを使ってルシルの店を潰そうとしていたんでしょ。全部失敗してたけど」
「なんですって……!」
ヴェロニカは驚きと怒りでブルブルと震えた。では彼女が必死に叩き潰そうとしていたのは、他でもないルシルの店だったのか。
「ヴェロニカも捕まったし、ルシル、戻ってきてくれないかしら。あの子がいなくなってから、ごはんが美味しくなくて」
「無理じゃない? お店を繁盛させて、楽しくやってるみたいだもの」
「なら仕方ないか。あの子が幸せなら、応援しないとだもんね」
「今でも時々、孤児院に差し入れしてくれているじゃない。十分よ」
「そうよね」
シスターたちはおしゃべりをしながら、地下室の前から去っていく。
彼女らの声が遠ざかると、地下室はしんとした静寂に包まれた。
(あり得ない……)
薄暗く埃っぽい地下室の中で、ヴェロニカは身震いした。
つい先ほどまで輝いていたはずの未来が、今は真っ黒に塗りつぶされている。
贅沢をするだけのお金も地位も権力も、全て取り上げられてしまった。
(あり得ない、あり得ない、あってはならない! あんな小娘のせいで、このあたくしがこのような目に遭うなんて!!)
どん、と壁を殴る。手が痛いだけなのに、悔しくて怖くて不安で止められない。
ぶつぶつと呟く声と、未練がましく扉を叩き続ける音だけが、いつまでも響いていた。




