75:王太子と宰相
【三人称】
その日の午後、アルフォンスは王宮の一室で、王太子と宰相サイラスの二人と、対峙していた。
アルフォンスと兄マクシミリアンの仲は良いとは言えない。――はっきり言えば悪い。
この国では伝統的に、現国王の崩御や譲位で次の国王が確定するまで、王子や王女による王位争いが続く。
マクシミリアンは王太子だが、その立場は絶対ではないのだ。
宰相は王太子の後ろ盾。年の離れた妹をマクシミリアンの婚約者に据えて、将来の外戚を狙っている。
マクシミリアンは二十代前半。弟よりもくすんだ金髪に、ダークブルーの目をしている。
宰相サイラスは四十歳そこそこ。灰色の髪に、猛禽類を思わせる黄の瞳の男だった。
「兄上、宰相」
アルフォンスは言う。表情ばかりはいつもの穏やかな笑顔だが、声は底冷えしている。
「食料ギルドの統制をしっかりしていただかねば、民に示しがつきません。特にあの屋台、シスター・ルシルは一介の平民。宰相の管轄化である食料ギルドが、権力を振りかざしてただの平民に圧力をかけるなど、許されないことです」
「……ふん」
マクシミリアンはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「貴族の権力を使って、平民を破滅させる。よくある話だろう。何故今回に限って、お前がしゃしゃり出た?」
「正当な理由なく平民に危害を加えるのは、王国法で禁じられています。ましてや今回は、組織と個人が対立した。食料ギルドは王家直轄の組織ではないものの、宰相が統括する半民半官の組織です。平民たちにとっては、王家や政府と同じ扱いでしょう。現に今回、デマに騙された民衆は暴発しかけた。ひとたび暴動が起これば、どれだけの被害が出ることか。元の日常を取り戻すのに、多大な労力がかかります。その損害の責任を、兄上はどう取るおつもりか?」
「いや、それは」
マクシミリアンは目を泳がせた。彼にとって民衆とは言うことを聞かせるだけの駒であり、今回のように歯向かってくるとは思ってもみなかったのだ。
「そうだ! 歯向かう平民など、皆殺しにすればいいのだ。残った従順な者だけを国民とすればいい」
「王太子殿下。それは、さすがに暴論でしょう」
今度は宰相サイラスが口を開いた。
「民は生かさず殺さず、死ぬ一歩手前まで搾取するのが最も良いのですよ。そうすれば暴動を起こす気力体力が残らず、羊のように大人しく日々の営みを続けるもの。多くの民がいれば、それだけ税を搾り取れる。いざ他国と戦争になった時も、より多くの兵士を集められる。過激な者は見せしめに処刑せざるを得ませんが、それ以外は如何に上手く利用するか。それこそが国政というものです」
「なるほど! さすが宰相だ!」
手を打って喜ぶ兄王太子に、アルフォンスは苦り切った視線を向けた。
マクシミリアンは昔から心が弱い人だった。責任の矢面に立たされると、すぐに逃げ出してしまう。その弱さにつけ込んで、宰相は都合の良い言葉ばかりを吹き込んでいる。
(いつか正しい道に立ち戻ってくれるのではないかと思っていたが。……諦めるべきか)
「ともかく」
内心の思いを表には出さず、アルフォンスは続けた。
「食料ギルドの不祥事がこれだけ明るみに出た以上は、王国法に照らし合わせて裁きを行います。食料ギルドは国の食物を一手に担う組織。代替案なしに解体はできません。今は本来の適正な食料普及業務に尽力させ、余計なことは一切行わないように。これは父上の意向でもあります」
父である国王の存在を出され、マクシミリアンは肩を震わせた。
サイラスは表情こそ動かさないものの、何も言わない。
彼らの手駒である食料ギルドが大打撃を受けた今、経済基盤が大きく損なわれた。
既に吸い上げた財があるものの、今後はこれまでのように好き勝手はできなくなる。
また、食料ギルドは宰相の管轄であると周知の事実。現場の人間に責任を押し付けてトカゲの尻尾切りをしようとも、ある程度の責任追及は免れない。
そうと理解しての沈黙である。マクシミリアンはともかく、サイラスはそこまで愚かではない。
「承知しました。第二王子殿下のお心遣いに感謝いたします」
「……チッ!」
サイラスが慇懃無礼に礼をすると、マクシミリアンはあからさまに舌打ちをした。
アルフォンスは彼らと別れて部屋を出た。
(今はまだ、私と宰相の力の差は大きい。食料ギルドの失態があったとて、釘を刺すのが関の山だ。しかしいずれ必ず、国を正しい方向へ持っていってみせる)
互いに逆方向へ進む廊下の向こう、ふとアルフォンスが振り返ると――サイラスの横顔が目に入る。
彼の黄色い瞳が、奇妙な形に歪められていた、ような気がした。
そして一方で、修道院長ヴェロニカは――。




