70:病の原因
塔の部屋は窓が小さくて、薄暗い。
けれどその薄闇の中に輝くように、金の髪をした少女が座っていた。
兄のアルフォンスとそっくりな、でも、もっと儚げで美しい色。
「妹のエレオノーラだ」
アルフォンスの紹介に、彼女は上品な礼を返してくれる。
――エレオノーラ。それは、このアステリア王国の王女様の名前。
非常に貴重な『大治癒』の能力を持ちながら、病弱で能力を使いこなせず、伏せったままだったという人。
「え、えーと。王女様が妹さんということは……」
ぎぎぎ、と音が出そうなぎこちなさで、私は隣のアルフォンスを見上げた。彼は困ったように微笑んでいる。
「改めて名乗らないといけないね。私はアルフォンス・アーネスト・ミーティス・アステリア。――この国の第二王子だ」
「ウボァ」
なんか変な声が出た。王子様スマイルが似合っているとか思っていたら、本物だったとは。貴族どころの騒ぎじゃなかった!
前世日本人の私としては、階級社会というのがピンと来なかった。
でもさすがにロイヤルファミリーは分かる。
急に緊張しだした私に、アルフォンスはどこか寂しそうに笑った。
「騙すつもりはなかったが、この事態を打開するために、私の王子としての力が使えると思った。だから名乗ったが、シスター。できれば今まで通り、ただのアルフォンスとして接してくれないだろうか」
「……はあ」
そう言われてもな。まあ今まで屋台の手伝いをさせたり、ゴロツキから助けてもらったりとコキ使う……いや、手伝ってもらったけど。
「お兄様はシスターをご友人だと思っているのですわ。あなたのお話をする時、いつも楽しそうで」
エレオノーラがころころと笑った。
「そうですか? その……今まで、けっこうご無礼を働いたと思うのですが」
私が言うと、彼は首を振った。
「楽しかったよ。私を王子の肩書で捉えずに、ただの人間として扱ってくれた。新鮮だったし、嬉しかった。平民で初めての友人と言っていい。だから君が迷惑でなければ……」
「分かりました。そういうことなら」
私は頷いた。王子様が私と友達だと言ってくれるなら、私だって友情を返しちゃうね。
私が手を差し出すと、アルフォンスは嬉しそうに握り返してくれた。
◇
「それで、エレオノーラのことだが」
名を呼ばれて、彼女は小首を傾げた。
エレオノーラは確か今年で十三歳のはずだが、体は細くて小さくて、十歳くらいにしか見えない。
「この子はずっとろくに食べ物を食べられなかったのに、シスターのガレットだけは平気なのだ。そのお礼をどうしても言いたいと言ってね」
「シスター・ルシル。あなたのドングリのガレットのおかげで、わたくしはこんなに元気になりました。ベッドから起き上がって歩くのも、お腹が空いたという感覚も、わたくしにとってとても新鮮なのです。あなたは命の恩人です。感謝してもしきれませんわ」
彼女はベッドから立ち上がった。少しふらついているけれど、しっかりと立っている。
足元にやって来たラテを見つけて、にっこりと笑った。
「まあ、猫ちゃん。シスターのお店の猫ですね?」
「はい、名前はラテです。黒猫だけどミルクの由来の名前なのは、ミルクとヨーグルトが大好きな食いしん坊だからですよ」
ラテは私の説明に若干不満そうな顔をしたが、とりあえず何も言わなかった。
「それにしても、どうして私のガレットだけ食べても平気なんでしょうね?」
「さあ……。わたくしの病気は原因不明で、王宮医師長も薬師長もさじを投げました。神殿の中治癒の能力ですら、症状を和らげるのが精一杯で。このまま何も食べられず、やせ細って死ぬのだと思っていましたのよ」
エレオノーラの口調は淡々としている。たった十三歳の女の子が、死を身近に感じて諦めていたのだ。
胸が痛くなった。
それにしても、食べ物を食べると悪化する病気か……。
彼女をベッドに戻してやりながら、私は聞いてみた。
「食事をすると症状が出るんですね?」
「はい。食べて少しすると、湿疹が出たり頭痛や腹痛が起きていました。だから食事の時間が憂鬱でしたの」
「ドングリのガレットも、味噌味と醤油味は駄目だったと聞きましたが」
「普通の食事に比べれば、症状は軽いのですが。完全に平気だったのは、ヨーグルト味だけです」
食べてすぐに湿疹、頭痛、腹痛。
思い当たる原因が一つある。これが正しいとするなら、味噌と醤油が駄目だったのも筋が通る。
「食事ができないと言っても、本当に何も食べないと飢え死にしてしまいますよね。今まではどうしていたんですか?」
「野菜のスープを少量程度なら、何とかなっていました。それも時には駄目でしたが」
「……原因が分かったかもしれません」
私が言うと、アルフォンスとエレオノーラは目を見開いた。動作がそっくりでさすが兄妹である。
「まさか! 医師ですら分からないのに、シスターが?」
「えぇあの、私はそれこそ医者じゃないので、確証はないのですが。前に似た病気を見たことがあって」
といっても、この国の話じゃない。前世日本でのことだ。
「結論から言うと、エレオノーラ様は食物アレルギー。たぶん小麦アレルギーです」
私が知っているのは、親戚の子が卵アレルギーだったこと。うっかり卵が入った食品を食べると、蕁麻疹や顔の赤み、嘔吐などで大変だった。
卵と小麦じゃ症状は違うだろうが、食べると悪化するというのは同じ。
そして小麦と当たりをつけたのは、ヨーグルトは平気だったのに、味噌と醤油が駄目だったという点。
味噌と醤油は麦麹を使っている。量としては多くはないが、反応してしまったのだと思う。
そして、麦麹程度の量ではっきりと自覚症状が出るとは、エレオノーラのアレルギーはかなり重い。
「その、アレルギーというのはどういう病気ですか?」
エレオノーラが不安そうに言う。
「特定のものに、エレオノーラ様の場合は食べ物――たぶん小麦――に、過敏に反応してしまう病気です。他の人にとっては無害なものでも、アレルギーを持つ人にとっては毒になってしまうんです」




