68:彼の話
「噂を聞いて、心配になって来てみたが。……酷い有り様だね」
彼は店の前に散らばったゴミと、思い詰めた私の顔を見て言った。後ろには護衛の人の姿も見える。
「入ってもいいかな?」
「はい。どうぞ」
アルフォンスと護衛を食堂に案内する。いつもなら明日の準備がまだ続いている時間だけど、今日は何もない。みんな部屋に引っ込んで、静かなものだ。
(……そうだ)
私は思う。この人は貴族だ。だったら。
わらにもすがる思いで、私は口を開いた。
「アルフォンスさん。勝手なお願いなのは承知の上で、力を貸してくれませんか」
アルフォンスは緑色の瞳を上げて、私を見ている。
「あなたの貴族のお知り合いの中に、食料ギルドと無縁の、信頼できるお医者様はいないでしょうか? 潔白を証明したいんです」
ただの知り合いのこの人に、こんなこと頼めた義理じゃない。
食料ギルドの力は強い。たとえ貴族でも、関わればトラブルに巻き込まれるかもしれない。
でも今は、可能性があるのなら何でも頼みたい。
私の必死の訴えに彼は少し微笑んだ。でも何ていうか……目が笑っていない。
笑いながら静かに怒っているような。背景にゴゴーッと怒りの炎が見えそうな。なんかこわい。
「シスター。君の料理が体に悪いなど、決してありえない。それはこの私がよく知っているよ」
「え? どういうことですか?」
アルフォンスは私から目を離さないまま続けた。
「私には妹がいる。生まれた時から体が弱くて、ずっとベッドの上で過ごしてきた。ほとんど食事を摂れなくて、やせ細ってしまってね。……でも、君のドングリのガレットを食べさせたら、美味しいと言って食べてくれたんだ。こんなことは初めてだったよ」
「……?」
私は首を傾げた。嬉しい話ではあるけれど、そこまで私を信頼するものだろうか?
アルフォンスは言う。
「妹の病は原因不明だ。特に食事をすると症状が悪化したため、ろくなものを食べられなかった。それが君のガレットだけは大丈夫なのだ。ガレットは妹のお気に入りで、文字通り命を繋ぐ食べ物になっている」
なんと。そういうことだったのか。
でも、食事をすると悪化する病気? 何だろう、それ。
私が考えあぐねていると、アルフォンスは微笑んだ。
「だから君は、妹の命の恩人なのだよ。それがこんな侮辱を受けて、許せるはずがない。もちろん力になろう」
「……! ありがとうございます!」
私が頭を下げると、彼は手で制した。
「頭を上げてくれ、シスター。礼を言うべきは私なのだから。実は今日もガレットを買いたかったのだが、在庫はあるだろうか?」
「もちろんありますよ。今から焼きますね。せっかくだから作るところを見ていってください」
「うん」
アルフォンスを連れて厨房に入る。護衛の人は戸口で待機していた。
私はアク抜きの説明をして、粉にしたドングリを見せる。
「これを蕎麦粉と混ぜて生地を作ります。で、薄焼きにしてガレットの出来上がり。お肉の味は何にしますか?」
「ヨーグルト味で。妹は味噌と醤油も好きと言うんだが、その二つは食べると少しだけ体調を崩してしまうから」
「うーん?」
味噌と醤油で体調を崩す? どういうことだろうか。
考えながらもガレットを焼く。少し甘くて香ばしい匂いが漂った。
焼き上がったガレットで、森キャベツとヨーグルト味の魔物肉をくるむ。
「はい、どうぞ」
「うん? 三つ?」
ガレットを手渡すと、アルフォンスは目を丸くした。
「ええ、三つです。妹さんとアルフォンスさんと、そこの護衛さんの分」
「そうか。ありがとう」
彼は顔をほころばせた。後ろの方で護衛もニコニコしている。
代金を出そうとしたので、断った。
「もらえませんよ。妹さんにとって唯一の食べられるものなんでしょう?」
「シスターは無欲すぎる。銅貨を支払うのが大変な貧しい民ならともかく、私はそれなりにお金持ちだからね。受け取ってくれ」
と押し問答をした末に、代金はしっかりともらってしまった。
護衛の人が言う。
「シスター。俺は兵糧丸が欲しいです。護衛の仕事をしていると、きちんと食事の時間が取れないことも多くて。あれがあると助かるんですよ」
「ありがとうございます。何味にしましょうか」
「ブルーベリーが入っているフルーツ味で。とりあえず一日分の十個を」
「こいつ、甘党でね。見た目によらないだろう?」
アルフォンスが挟んだ茶々を、護衛はじろりと睨んで黙殺した。
まあ確かに護衛の人はがっしりした強面。同じ剣士でもクラウスはもう少し細身なので、甘党は意外である。
とはいえ猫大好きS級冒険者に比べれば、かわいいものだ。
私が手渡した兵糧丸を、護衛は嬉しそうに袋に入れて腰から下げた。
アルフォンスはガレットをもぐもぐと食べている。
「うん、相変わらず美味しい。王都で人気になったのがよく分かるよ。そのせいで攻撃の的になってしまったが」
「……」
私はぎゅっと拳を握った。
「心配しないでくれ。君の冤罪は私が必ず晴らす。……その前に、一度妹に会ってもらえないだろうか?」
「妹さんにですか?」
「前から君に会いたがっていてね。最近は体調がずいぶん落ち着いたから、そろそろいいだろうと思うんだ」
「はい、そういうことでしたら」
「今日はさすがにもう遅いから、明日また来るよ。デマ対策も心当たりがある。その時に話そう」
それは頼もしい。だが、明日はこちらも予定があった。
「明日は神殿に行って、デマであると神殿から証明してもらえないか相談するつもりだったのですが」
彼は少し考え込む顔になった。
「……それはちょっと待ってもらっていいかな。神殿内部も政治が複雑に絡み合っている。今は私に任せてほしい」
「……はい」
アルフォンスがそう言うのであれば、無理押しはしたくない。私は頷いた。
ふと見れば護衛の人もガレットを食べ終わっている。
「では、また明日の朝に」
アルフォンスはそう言って、店を出ていった。




