67:届かない言葉
翌日、事態は悪化していた。
旅するキッチンの屋台を広場に持っていくと、人々のあからさまな警戒の眼差しにぶつかったのだ。
「見て。あれが豚の餌の屋台よ」
「毒入りの食い物を売るなんて、とんでもない奴だ。陰謀だ!」
私とギルは硬い表情で店の準備をする。今日はフィンとミアは連れてきていない。あの子たちに人の悪意を見せたくなかったからだ。
ふと気配を感じて目を上げると、常連の警備兵と商人たちが立っている。
「シスター、例の話は俺らも聞いた。だが信じちゃいないさ。シスターの料理はいつだって、俺たちの力になってくれたからな」
「そうだよ。風邪の時も携帯食の時も、どれだけ助けられたことか」
彼らはそう言って、いつも通りガレットを注文してくれた。
「うん、美味しい! こんなに美味しいものが毒なわけあるか!」
「ほら見ろよ! 俺は毎日ドングリを食っているが、豚になんかなっていないぞ!」
「みなさん……ありがとう」
でも、そうやって味方してくれるのはごく少数だけ。
多くの人々は不信と、汚いものを見る目で私たちを見ている。
信じてくれる人のためにも、私はやらなければならない。
一歩前に踏み出した。
「聞いて下さい! ドングリは人が食べても害のない食材です。そのまま食べると渋いですが、アク抜きという作業をすることで、美味しくなります!」
人々がざわめいた。けれどそれは好意的なものじゃなくて、疑いを深めただけ。
私は絶対倉庫から、大きな鍋をどどんと出した。
「これを見てください。ドングリを煮た煮汁です。茶色くなっているでしょう? これが渋みのモトなんです。でもこれも別に毒ってわけじゃなく、味が渋いだけ。これをしっかり取り除けば、ご存知の美味しいドングリになるんですよ!」
何人かの人が、おっかなびっくり鍋を覗き込んだ。特段臭いもしない。
「これが、豚になる毒素か?」
「だから違いますって。味が渋いだけで別に毒じゃないです」
ドングリの渋みはタンニン。お茶とかによく入っているあれだ。
でもこの国に紅茶や緑茶はない。説明しづらい。
「だって、偉いお医者の先生が毒だと言ったのよ!」
群衆の中の女性が叫んだ。たちまち、そうだそうだと同調の声が上がる。
「ドングリなんて人間の食うものじゃねえよ」
「その鍋、茶色すぎだろ。やっぱり毒だ」
「毒だ。豚になるぞ!」
「毒を食わせるとは、おぞましい!」
だんだん群衆が興奮してきた。危険を感じる。
「まずいね。扇動者がいるようだ。どうせ食料ギルドの奴らだろ」
ギルが吐き捨てるように言った。
「ここは俺たちに任せて。シスターは今日は帰ってください」
警備兵たちが前に出る。
(駄目か……)
ちゃんと説明すれば、分かってもらえるはず。そんな淡い期待は木っ端みじんに砕かれた。
食料ギルドに怒りを感じる。でもそれ以上に、人々の不安を拭えない自分の無力さが嫌だった。
「ルシル、戻るよ!」
ギルが手を引く。
私はぐっと奥歯を噛み締めて、鍋と屋台を倉庫に格納した。
こうして私たちは逃げ帰ったのだ。
◇
その日の夕暮れのこと。
割れ鍋亭にて、みんなで今後のことを考えあぐねていた。
「うぅ……」
遊びに出かけていたフィンとミア、それに孤児院の子たちが帰ってきた。でも様子がおかしい。
泥だらけで、服がところどころ破れている。小さな膝や肘に擦り傷ができていた。
「みんな、どうしたの!?」
慌てて駆け寄ると、ミアが私の修道服にしがみついた。
「ともだちが、『お前は毒屋の子だ』って……」
「石、投げてきたんだ!」
フィンは大きな目に涙を溜めている。
「ルシルのことを悪い魔女だって言って……」
孤児院の子たちも泣きべそをかいている。
「やり返してやったら、けんかになった。ルシルは悪くないもん!」
「そんな」
食料ギルドの悪意は、この子たちまで巻き込むのか。
私たちには神殿という後ろ盾がある。だがそれも、事実関係を理解している人にだけ通用するのかもしれない。
何も知らない町の人や子供たちは、煽られた敵意をそのまま向けてしまったのだ。
(許せない)
私のことはいい。どんなにおかしな似顔絵を描かれても、悪く言われても我慢できる。
でもこの子たちを泣かせるのは駄目だ。絶対に許さない!
……あとやっぱり、あの似顔絵も許さん! 一発ぶん殴ってやらないと気が済まねぇわ!
フィンとミアと2人の子供たちと、私の分で合計五発だ!!
泣きじゃくる子供たちを順に抱きしめる。
傷口は水で洗った。ギルが清潔な布を持ってきてくれたので、それを当てておく。
ラテが気遣わしそうに寄ってきて、子供たちの足に頭を擦り付けた。
「このままじゃいられない。勝たなきゃ!」
決意を込めて言う。
「ギルさん、あなたの人脈で医者や薬師はいないの? デマを打ち消せるような人」
「あいにく、そちらにはあまり知り合いがいなくて。それに並の医者じゃあ、あまり助けにならないだろう。食料ギルドの連中は、ずいぶん金を積んで高名な医者やらを集めたようだから」
「……」
くそ。やっぱり手詰まりだ。
それから話し合いが続いて、やはり神殿のシルヴェスター神官長に相談してはどうかということになる。
神殿は病気や怪我の治療を司る。神殿がドングリを無害だと公表してくれれば、事態は収まりそうだ。
ただ医者や薬師とは少し傾向が違うので、不安は残る。
それに神殿も食料ギルドと宰相の勢力が伸びているらしい。すぐに無害だと認めてくれないかもしれない。
しかし他に手はない。明日、神殿へ行ってみようということになった。
◇
その夜。しんと静まり返った割れ鍋亭の食堂で、私はぼんやりと窓の外を眺めていた。
店の前にはゴミが散乱している。いつの間にか投げ込まれていたのだ。一度片付けたけど、またやられたらしい。
(今はまだ、警備兵の携帯食の商売がある。お店の売上がほぼゼロになっても、当座はしのげる。でもそれ以降は……)
浮かぶのは暗い思考ばかりだ。
ふと。外のゴミを避けるようにして人影が動いた。
(また嫌がらせ!?)
ゴミ投げ犯人は、捕まえてとっちめてやらなければ。私は勢いよく立ち上がり、店の外に飛び出そうとして。
「……わ!」
店に入ってこようとしたその人と、ぶつかりそうになった。
月明かりの中に、金色の髪がきらりと光る。
「アルフォンスさん?」
そこには以前知り合った貴族の青年、アルフォンスが立っていた。




