66:異変
その日、異変は訪れた。
私たちはいつものように広場に屋台を出しに行ったが、お客さんが妙に少ないのだ。
最近、旅するキッチンは朝営業もしている。おかゆの一件以来、朝食を屋台で済ませたいという需要が増えたためだ。
お肉のサンドやガレットは、朝からちょっと重くないかと思うが、気にしない人は気にしない。
屋台の店主さんのスープを頼む人もいて、朝から結構繁盛していた。
ところが、今日は違う。
いつもなら香ばしい匂いに釣られて朝から列ができるのに、ぱらぱらとしかお客さんが来ない。
(おかしいな? 私、時間を間違えた?)
広場の時計塔を見るが、時間はいつも通りだ。
今日の屋台のお供は、フィンと雇い人の一人。二人とも不審そうな様子ながらも、屋台の準備をしている。
小さなかまどに火を入れて、フライパンを乗せる。ドングリ粉の生地を垂らせば、じゅう、と美味しそうな音が響いた。
「おはよう、シスター。今日はやけに人が少ないね?」
馴染みの警備兵がやって来た。彼はいつも通り、ドングリのガレット味噌味を注文した。
「ええ、どうしたんでしょうね」
「ま、並ばずに買えるのはありがたい」
警備兵は笑って去っていく。
その後も常連さんはやって来るが、新しいお客さんはとんと来ない。
遠巻きに屋台を眺めて、私と目が合うと慌てて走り去る人もいた。何人かで連れ立ってヒソヒソしている人もいる。
太陽が高く登って昼時になっても、状況は変わらなかった。
たまにやって来るご新規さんは、フライパンで焼けているガレットに不信の目を向ける。
「こっちのお肉のサンドイッチは、小麦のパンですか?」
「ええ、そうですよ」
「じゃあこっちにします」
ケバブサンドとたこ焼きは、多少売れている。でもドングリのガレットが壊滅的だ。いつもは一番人気なのに。
「ねえルシル。やっぱりおかしいよ」
フィンが心配そうな顔で言った。
「そうだね……。みんな、どうしゃったんだろう」
私が何か失敗をしただろうか? 思い返してみるが、特に心当たりはない。
お客さんが来なくて売上が出ないのももちろんだが、それ以上に周囲のよそよそしい態度が心に引っかかった。
お昼を過ぎると、客足はぱったりと途絶えた。
「今日はもう駄目かな。早めに引き上げようか」
私が言って、フィンと雇い人が頷いた。
私たちは片付けをして、ずいぶん早い撤収をした。
◇
「ルシル! 大変なことになった!」
割れ鍋亭に帰ると、ちょうどギルが出先から戻ってきたところだった。
いつものカッコつけはどこへやら、息を切らしてオレンジ色の髪を乱している。
「これを見てくれ!」
彼は握っていた羊皮紙を、食堂のテーブルの上に叩きつけた。
羊皮紙は端がビリビリに破れている。無理にどこからか剥がしてきたようだ。
そこに描かれていたのは、人相書き。シスターの修道服の……私?
いやでも、明らかに悪意を感じるぞ。目は吊り上がり、口元は意地悪く歪んでいる。ついでに鼻は豚っ鼻だ。なんか妙に厚化粧の雰囲気で、私っていうかヴェロニカの方が似てるんじゃない? くらいの勢いである。
髪の毛が亜麻色に塗ってあるので、まぁ私なんだろうけど。
「へんなかお。それ、ルシル?」
ミアが覗き込んで、口をへの字に曲げた。
その絵の横には、でかでかと見出しが踊っていた。
『専門家が警告! 「旅するキッチン」のドングリ料理、長期摂取で健康被害の恐れあり。子供たちの未来を守れ!』
「はぁ!?」
私は思わず声を上げた。
見出しの下に書かれた文字を読んでみる。
そこには、王都で名の知れた医者や学者、薬師の名前がこれみよがしに列挙されていた。
中にはちょくちょく屋台に来てくれる医者の先生の名前まである。
(まさか、あの優しい先生まで? いや、勝手に名前を使われた可能性もある)
内容は酷いものだった。
『ドングリは本来、豚の飼料である。人間の食べ物ではない。人間が長く食べ続けた場合、未知の毒素が体に蓄積し、やがては豚に変じてしまう危険性がある』
いやいやいや。ドングリ食べて豚に変身するとか、どういうおとぎ話よ。
『旅するキッチンの安価な料理の裏には、民衆の健康を害する企みがあるかもしれない。注意されたし』
不安を煽る言い方で、もっともらしく書き連ねてある。
「馬鹿げた言い草だ。どうせまた、食料ギルドの攻撃に違いない」
ギルが吐き捨てた。
「そうね、間違いないわ。でも、これは……」
医者や学者の権威を借りた、偽情報の拡散。実にたちが悪い。
こういうのは前世でもあった。偽情報に惑わされる人は必ずいた。そして、一度傷ついた信用を取り戻すのは非常に難しいのだ。
「対抗策を考えるよ。今から作戦会議だ」
ギルが言う。みんなが頷いた。
けど私は知っている。たぶんこれは、一筋縄ではいかない。
豚になるなんて馬鹿みたいだけど、その単純さが恐怖を産むのだと思う。
前世でも天然痘のワクチンの初期、牛から作った牛痘ワクチンを打つと、牛になるという迷信があった。
この世界は文明のレベルが高くない。科学や医学は未熟だ。牛痘ワクチンの頃の前世より未発達だろう。
そんな中で、迷信を流布されればどうなるか。
作戦会議を続けたが、一発逆転するようなアイディアは出てこなかった。
一つ良さそうなのは、神殿に相談すること。そもそも私たちは、名目上は神殿認可の慈善事業ということになっている。
が、それゆえにこの件は、認可を出してくれたシルヴェスター神官長に迷惑が降りかかりかねない。
神殿内でも政治闘争があるみたいだし、簡単に頼っていいものか。
少なくとも、前回のように認可を出してもらってスピード解決! とはいかないだろう。
「……まずは、無害であると訴えるしかないと思います。ドングリはアク抜きをすればちゃんと食べられると、実演してみせましょう」
「そうだね。ドングリは食材として馴染みが薄いから、警戒される。ガレットを作る過程を見せれば、納得してもらえるかも」
明日、割れ鍋亭の厨房を使ってアク抜きの実演をすることになった。
正直に言えば不安がある。でも今は、できることをやるしかない。
「ルシル」
心配そうなフィンとミアを、二人まとめてぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫! だって今まで、ガレットは大好評だったでしょう。ちゃんと説明すれば、みんな分かってくれるよ」
励ますつもりが、自分に言い聞かせるような口調になってしまった。




