61:【ヴェロニカ視点】悪あがき
【三人称視点】
(クソッ、クソッ! 馬鹿にしやがって!)
手渡されたガレットを片手に、食料ギルドの男は走っていた。途中で何人かの市民にぶつかるが、知ったことではない。乱暴に跳ねのける。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
食料ギルド近くまで戻ってきて、男は息を切らせた。
ふと見れば、手元でガレットが美味しそうな匂いを放っている。ルシルから渡されたのは、醤油味の肉だった。
「……」
男はしばらく迷う。迷ってから、言い訳のように呟いた。
「これは敵情視察だ。あいつらがどんなものを作ったのか、調べるだけだ」
言いながら、がぶりとかぶりつく。途端、ナッツのような仄かな甘味と、蕎麦の香ばしい香りが鼻に抜けた。
さらに食べ進めれば、とうとう肉にたどり着く。醤油ダレがしっかりと染み込んだ肉は柔らかく、不思議な風味がある。タレが絡んだキャベツの細切りと一緒に口に入れると、キャベツのシャキシャキ感と、味付け肉のジューシーさが襲いかかってきた。
「こっ、これは……!」
男は目を見開く。
ドングリのかすかな甘味と、蕎麦の野性味。
醤油ダレの、彼にとっては不慣れな味。でもなぜだか懐かしい。そして森キャベツの新鮮な歯ごたえ。
それらがハーモニーとなって、一つの音楽を奏でているようだ。
彼は夢中でガレットを頬張った。
彼は思い出す。子供だった頃、近くの森によく遊びに行った。
友だちとドングリ集めをして、数やツヤツヤ度を競ったっけ。
腹が空けば花の蜜を吸い、ラズベリーの実をかじった。ちらちら揺れる木漏れ日を追いかけて、花畑に寝転んだ……。
そんな森の思い出が、一気に胸に蘇ってくる。
「美味い……」
思わずこぼれるように独り言を言って、彼ははっと我に返った。
思い出を無理矢理振り払い、ぐっと奥歯を噛む。
「違う、違う! こんなものが美味いはずがない! クソッ、俺としたことが」
ようやく食料ギルドに帰り着くと、部下が出迎えた。
「お疲れ様です。例のシスターの店、どうでした? もう売るものがなくて、廃業していました?」
「逆効果だった」
「は?」
「逆効果だったと言っている! 新しいメニューが出て、今まで以上の人気だ!」
「そ、そんな……。ヴェロニカ院長様にどう報告すれば」
「気が重いな……」
二人は揃ってため息をついた。
だが、この作戦は既に実行をヴェロニカに報告している。事の顛末を伝えないわけにはいかない。
◇
「失敗した、ですって!?」
修道院の院長室にて。食料ギルドの男たちの予想通り、ヴェロニカは怒り狂っていた。
「どこかの店が裏切って、食料品を売ったんじゃないでしょうね。裏切り者は罰しなさい!」
「い、いえ、そうではありません。あの店の者どもは、森のドングリや野生の蕎麦を集めて材料にしたのです」
「はぁ? ドングリ? 豚の餌ではないですか。そんなものまで食べるとは、なんて下賤な」
ヴェロニカはぎりぎりと歯噛みした。
「それで、院長様……」
おそるおそる、食料ギルドの男が言う。
「今回、王都中の店に圧力をかけたために、多方面から不満の声が上がっています。このままでは食料ギルドの権威そのものが揺るぎかねません。一度販売禁止は解いて、仕切り直しをしたいのですが……」
「……ッ」
ヴェロニカはギロリと相手をにらんだ。
(なんてこと。食料ギルドの力が弱まれば、宰相様の権力に影響が出てしまう。あたくしの責任を問われてしまうわ!)
彼女は身震いした。
宰相サイラスとはもう何年もの付き合いになる。彼は冷酷な男だ。たとえ愛をささやいたヴェロニカであっても、自分に害をもたらすとなれば簡単に切り捨てるだろう。
愛人として捨てられるだけならば、まだいい。宰相との繋がりが切れれば、実家のスタンリー侯爵家からも見捨てられる。
そうなれば、この修道院長の地位も危うい。本当の意味で追放されて、今度は僻地の修道院に役職無しで入れられてしまうかもしれない。
贅沢に慣れきったヴェロニカにとって、そんな生活は耐え難いものだった。
(何としてでも挽回しなければ……)
ヴェロニカは必死に考えた。
営業停止の妨害は、相手の店が神殿を味方につけたために不発の終わった。かえって名声を高める結果になっている。
今回の供給妨害も、新メニューの開発で逆転されてしまった。むしろ以前よりも人気が出ているという。
(このままではまずい。まずすぎる。もっと確実に、相手の息を止めるための手を……そうだわ)
一つ思いついて、ヴェロニカは顔を上げた。底意地の悪い笑みが浮かんでいる。
「次の作戦で、必ず潰しなさい。内容はこうです」
彼女が説明すると、食料ギルドの男たちは感心したように手を打った。
「なるほど! さすが院長様。早速手配いたします」
「頼みましたよ。もう失敗は許されません」
食料ギルドの男たちが退出していってから、ヴェロニカは一つ思い出した。
「そういえば、その店の名前や店主について聞き忘れてしまったわ。……まあ、いいでしょう。どうせもう少しで潰れて消えるのだから」
窓際に歩み寄って、孤児院の建物を見下ろす。
「食料ギルドで失敗を続けた分、取り戻さないと。そろそろ、次の子供を生贄に出しましょう。確か、軽い病気の子がいたわね。その子を神殿送りの名目にしておきましょうか」
神殿は本来、施療院で治せないほど重病の子が送られる。
ヴェロニカは今まで、神殿に送ったと嘘をついて子供をさらっていた。
だが彼女は知らない。その陰謀は、既にナタリーが気づいていて目を光らせていると。
そのため今回も、ナタリーによって未然に阻止される。
「生贄を差し出して、今度こそ新参者の店を潰して。完璧だわ」
既に包囲網が狭まっていると知らないのは、当のヴェロニカばかりである。
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