55:あちらの事情
【三人称視点】
ある夜のことである。
ヴェロニカはいつも通り、食料ギルドに寄付食材の横流しを行っていた。
「最近は貴族の寄付が渋いのよ。何でも警備兵の携帯食料に端を発して、引き締めと見直しの機運が高まっているとかで」
ヴェロニカは忌々しそうに吐き捨てた。
食料ギルドの男は平身低頭している。
「世知辛いご時世ですね。せっかくヴェロニカ院長様の広いお心で、我らも助けられているというのに」
「まったくですわ。お前たち、もっと感謝するのですよ」
「もちろんでございます」
「そういえば」
ヴェロニカはふと言った。
「警備兵で思い出しましたわ。携帯食料の商売は、不届き者の新参者に取られたのでしたね。報復は終わりましたか?」
「そ、それが……」
食料ギルドの男たちは目配せしあった。
「何ですか。はっきりおっしゃい」
「……食料ギルドの権限で営業停止処分にしようとしたところ、奴らは神殿の認可を持ち出してきまして。神官長様の署名入りの書状を持っていました」
「はぁ? どうして商売に神殿が関わるのです」
食料ギルドの説明を聞いて、ヴェロニカは顔を歪めた。
「何と悪知恵の回る! ではお前たちは、恥をかいておめおめと逃げ帰ったのですか」
「神殿の名を持ち出されれば、我らに口出しはできず……」
(なんてこと!)
ヴェロニカは内心で歯噛みした。食料ギルドは宰相サイラスの管轄組織。ヴェロニカは修道院長に就任して以来、もう何年も彼らに寄付品を横流ししてきた。
食料ギルドの権勢は、宰相とヴェロニカの力に直結する。
それが警備兵の携帯食で商売の一つを奪われ、報復どころか神殿に事の次第が知られたのだという。
「……神官長様の署名入りといいましたね。どの神官長様ですか?」
「シルヴェスター様です」
(あいつ!)
シルヴェスターは以前、施療院の不当な寄付を撤廃した人物だ。神官長の中では最年少で、平民の出身。才覚だけで登りつめた人間である。
貴族の政治とは離れた位置にいると思っていたが、ここで首を突っ込んでくるとは。
「……必ず潰しなさい」
「え」
ヴェロニカは低い声で言った。怒りと焦りとが押し隠せていない。
「その店を、必ず潰しなさい! あたくしの顔に泥を塗って、恥をかかせたも同然です。許しません!」
「し、しかし、院長様。我々としては、これ以上関わりたくないというのが本音でして……」
「知ったことですか! このあたくしの命令が聞けないとでも!?」
「いえ、そんなことは! かしこまりました!」
「食料ギルドの権限を使って、その店を干からびさせなさい。……分かりますね?」
「は、はいっ」
食料ギルドの男は汗をかきながら、退出していく。
一人になった修道院長室で、彼女はイライラと爪を噛んだ。
食料ギルドが主体となって行ったとはいえ、報復を指示したのはヴェロニカだ。
今回の失敗を宰相サイラスに知られれば、切り捨てられるかもしれない。その前に相手を潰して、全てをなかったことにしなければ。
焦燥感がギリギリと胸を圧迫する。
「絶対に、潰してやる。あたくしに逆らったこと、心の底から後悔させてあげるわ……!」
ヴェロニカは知らない。割れ鍋亭と旅するキッチンを切り盛りするのが、かつて彼女が追放したルシルだと。
ナタリーと協力しながら、修道院の内部に目を光らせているのも知らない。
ヴェロニカにとって「邪魔者」はあくまでそれだけで、名前を持つ相手だと認識できていないのだ。
危うい足元を見ようとせず、彼女は身勝手な怒りを燃やしていた。
◇
一方その頃、王城では。
第二王子の執務室で、アルフォンスが部下から報告を聞いていた。
「――以上の経緯で、シスター・ルシルの店は食料ギルドの妨害を跳ね返しました。今も行列のできる店と屋台として、王都の民たちに大人気です」
「商売の話に神殿まで持ち出すとは。シスターもなかなかやり手だね。それとも、いいブレーンを見つけたのかな」
アルフォンスは面白そうに笑う。
「で、彼女に認可を与えたのはシルヴェスター神官長か。以前の私の匿名告発で、ヴェロニカ院長を制裁したのも彼だったな」
アルフォンスは神殿の勢力図を思い浮かべる。
シルヴェスターは年若い神官長で、政治的には中立の立場。どの派閥にも属しておらず、逆に言えば後ろ盾を持っていない。
(一度、接触してみるのもいいかもしれない)
今は兄である第一王子が王太子に収まっている。しかしこの国の伝統上、王位継承争いが終わったわけではない。
アルフォンスは相応に野心のある青年だが、それ以上にアステリア王国を憂う心を持っていた。
(兄上は、民のことを見ていない)
宰相と結託し、金策に勤しんで役人の買収を進めている。自分たちの都合のいい政策を推し進めるために、民の犠牲など考えてもいない。彼らの政治とは王宮内で完結するものだ。王宮の外で暮らしている民衆を踏みつけにして、顧みていない。
その最たるものが食料ギルドだった。宰相の匙加減一つで小麦やその他の食料品を値上げして、莫大な利益を得ている。民衆の苦しい暮らしぶりなどおかまいなしに。
ルシルのように気に入らない相手は、権力を背景に虐げる。もっとも今回は、反撃を食らったが。
(修道院を追い出されたシスターが、あんなに頑張っている。私も負けていられないね)
アルフォンスは顔を上げた。
「シルヴェスター神官長に書状を書く。他に知られないよう、極秘で届けてくれ」
「はっ。かしこまりました」
彼はペンを取り上げて、さらさらと書き始めた。
内容は、今回は当たり障りのないもの。ヴェロニカの告発がアルフォンスだと匂わせて、ルシルの知人であると明かす。
シルヴェスターが信頼に値する人物であれば、ゆくゆくは自分の派閥に引き込みたい。そんな思惑だ。
手紙を書き終えて、部下に託す。
アルフォンスは窓際に立って眼下に広がる王都の町並みを眺めた。
夕焼けに染まる町並みは、金色で美しい。
「……?」
だが、ふとアルフォンスは眉をひそめた。
何か小さな違和感がある。それは王都の町並みではなく、王宮から感じられる。淀みのような、奇妙な魔力。
しかし違和感はすぐに消えた。アルフォンスは確かめようとするが、もう霧散してしまっている。
「何だったのかな」
彼はため息をついて、机に戻った。最近、少し疲れが溜まっている。
また、ルシルの屋台に買い食いに行きたい。そんなことを考えながら、アルフォンスは書類仕事を再開した。




