37:王子様
「アルフォンスさん、どうかしました?」
「……いや、何でもない。それよりもルシル、まだおかゆの販売を続けるんだね?」
「ええ、そのつもりです。風邪の流行が収まるまで続けたいと思っています」
その後も需要があれば、価格改定をして続けよう。
「そうか。では私も、できるだけ手伝いに来るよ」
「え? すみませんが、お給金を支払う余裕はあまりないですので……」
ただでさえ原価ギリギリだから、人を雇うつもりはない。だが彼は首を横に振った。
「いいんだ。本来であれば、貧民の救済は我らの責務。それを君のようなシスターに一任するのは、あまりに無責任というものだからね」
「はあ」
ノブレス・オブリージュというやつか。真面目なお貴族様もいるものだ。
アルフォンスが手を差し出したので、私たちは握手をした。クラウスのごつごつした手とはまた違う、鍛えられているけど雑事とは無縁そうなきれいな手だった。
それから私とフィンは店じまいをする。アルフォンスと護衛に見送ってもらいながら、ラテを連れて割れ鍋亭へと帰った。
◇
【アルフォンス視点】
去っていくシスターの背中が見えなくなるまで待って、私は歩き始めた。
「……殿下。スタンリー侯爵家といえば、宰相と第一王子殿下の派閥」
護衛がささやいてくる。
「そうだな。スタンリー侯爵家の娘ヴェロニカは、五年ほど前に派手な醜聞を起こした女性だ。侯爵家のもみ消しで修道院長に収まったと聞いていたが、また問題を起こしていたとは」
ヴェロニカ女史は人妻の身でありながら不貞を起こし、離縁された。侯爵家がもみ消したために、不貞相手は表沙汰になっておらず、私も知らない。以前はゴシップにそこまで興味がなかったというのが、正直なところである。
「きな臭いな。神殿を通じて調査を入れるべきか」
「それがよろしいかと」
今の段階で、私は表立って動きたくない。王太子である兄上に嗅ぎつけられれば、どんな妨害をされるか分かったものではないからだ。神殿には匿名で告発を入れておこう。
ヴェロニカがただの欲に走った女であれば、それはそれでよし。もしも兄上や宰相と繋がっているのならば、少しは彼らの力を削げるだろう。
「それにしても……」
今日食べた麦粥は美味しかった。王宮のどんな豪華な食事よりも心と体が温まる味。
おかゆ自体にも旨味がたっぷりだった上、添えられた小さい貝がいい。塩味ともまた違う、不思議なコクのある味付けだった。
それに、あの元気なシスター。子供たちを心から心配する一方で、ヴェロニカ女史の悪口を口さがなく言っていた。
思い出すとふと、顔がほころんでしまう。
屋台の名は「旅するキッチン」といったか。手伝いの約束をしたのだから、なるべく顔を出すようにしよう。
ルシルの視点からヴェロニカの話をもっと聞いておきたいし、何よりあのおかゆをまた食べたい。
今後の計画を頭の中で立てながら、私は王宮へ続く道を歩いていった。
◇
【ルシル視点】
「ただいまー」
私とフィン、ラテが割れ鍋亭に帰ると、ミアが笑顔で、クラウスはいつもの真顔で出迎えてくれた。
「おかえり、ルシル! あのね、おかゆ、お鍋いっぱいぜんぶ売り切れたよ」
「そっか! やったね。屋台の方も売り切れよ。これは明日の分も張り切って作らないとね」
今日の分で、シジミ貝はだいたいバケツ半分くらいを使った。湖で採ってきたシジミ貝は、バケツ十個分。
二十日分あれば、来月の頭くらいまでは足りる。それまでに風邪の流行が収まればいいが、そうでなければ冒険者に頼んで採ってきてもらおう。
そうして私たちは、毎日おかゆを売り歩いた。
一日のはじめに施療院へ行って、ナタリーとシスターたちに差し入れをする。患者さんたちにもおかゆを食べてもらう。
その後は割れ鍋亭と旅するキッチンで手分けして、おかゆを売る。
アルフォンスは約束通り貧民街に手伝いに来てくれて、助かった。
五日ほども続けていると、まず、施療院の患者の列が短くなった。
「シスター・ルシルのおかゆを食べていたら、だんだん体に力が戻ってきてなあ」
やつれていたおじいさんも、だいぶ体調が戻ったようだ。咳が減って、顔色も良くなっている。
「ルシルちゃん、わたくしもおかゆのかげで元気が出ましたよ。患者さんも徐々に落ち着いてきたし、もう大丈夫です」
「良かった! でも、もうしばらく差し入れは続けるから」
ナタリーも患者が減ったのとおかゆで栄養を取ったのとで、ずいぶん回復したようだ。笑顔になっている。
さらに数日すると、広場や城門に人足が戻ってきた。
「シスター、今日もおかゆをもらうよ。いやー、風邪はもう治ったんだけど、朝飯はおかゆを食べるのがくせになっちゃって」
兵士たちはそんなことを言って笑っている。
町の人にも笑顔が戻ってきた。
「シスター。おかゆのおかげで、うちの子が元気になりました。私も体が楽になって、もう熱はありません」
「それは良かった。今月いっぱいは特売価格と子供はタダ・キャンペーンをやっていますので、また来てくださいね」
「はい!」
貧民街でも、咳の音はずいぶん減った。子供たちは元気を取り戻して、美味しそうにおかゆを食べている。
「シスター、こんにちは」
小さな女の子を連れた女性が屋台にやって来た。
「先日はこの子におかゆを持たせてくれて、ありがとうございました。あのおかゆのおかげで、飢え死にしないですみました。とっても美味しくて、また食べたくなったんです」
見ればその子は、例のゴロツキにお皿を奪われそうになっていた子である。
「お母さん、元気になったんだ。良かったね!」
「うん!」
笑いかけると、はにかみながら頷いてくれた。かわいいね。
母親の方は銅貨一枚を支払ってもらい、女の子にはタダでおかゆを渡す。二人は美味しそうに平らげていった。
こうして今月が終わる頃には、王都から風邪はすっかり消えてなくなったのである。




