サマリー
多少は頭が近代化しているであろう昭和男、荒唐無稽な映画は彼の時代にはあったのか、難しい顔で黙って情報を処理している。
「……徳川家慶? って何代目だっけ」
こそっと問うた真希に、寿明は迷わず答えた。
「十二代じゃなかったかな。大塩平八郎の乱とかあった。ペリー来航は十三代将軍の時代だったから、そのちょい前くらい」
さすが優等生。生物選択の理系は日本史は専門外のはずなのに。
「チョンマゲの時代ってことね」
「うん。見た目から入る情報から更新されてないね。北村さん何学部だっけ」
「Fラン大法学部卒ですが何か」
「北村真希ノ情報ガ更新サレマシタ」
くそ。意外と面白い奴だったんだな、優等生め。高校時代からもっと仲良くしておけばよかった。
「……弘化二年ね。なるほど。お侍さんのおっしゃるとおり、私は商家の出でございますよ。勉学に励めと言って育てられましたから、西暦だって分かります」
「あ。西暦助かります」
「おや、そうかい。ではそちらのご夫婦から」
「二〇二五年にいました」
「……一九六五年」
「昭和四十年だ。終戦から二十年」
計算が早い優等生の補足は真希に向けてのものだ。
「そうだ」
「私は一九〇五年、明治のほうが通りがよければ三八年。弘化二年は一八四五年」
「なるほど、六十年ずつズレてる。全員その二十二年前の壬午生まれか」
全員の服装に理由をつけられた。武士は本当に武士だし、明治男も昭和男も、そのものだったのだ。
「ところで、全員同い年ってことは分かったけど。お名前教えてもらっていいですか?」
お侍さん、はともかく、明治男、昭和男、と呼び掛けるわけにはいくまい。
「ですね。僕は梶原寿明。こっちは北村真希です」
「? ああ、祝言はまだ、なんだっけ。奥さん、じゃないほうがいいのかな」
「北村でお願いします!」
「了解した。梶原さんに北村さんだね。私は浅野新右衛門。新さんとでもお呼びください」
「俺は大倉耕造。好きなように呼べばいい」
「大倉ならダイちゃんとか?」
明治男改め新右衛門、最初から薄々気づいていたが、ノリが軽いな。初対面の成人男子にちゃん付けって。
「幼馴染か。大倉はろくに喰わせてくれなかった義親の苗字だ。耕造でいい」
「拙者は天野久道。部屋住みの身ゆえ、そう構えず久道、と呼べばよい」
さすがお武家様。上から目線甚だしい。
「ひーちゃんか」
真希が言えば、耕造がノッてくる。
「ひーちゃんだな」
「よろしく、ひーちゃん」
「無礼な」
「じゃあ久道」
「敬称を付けんか」
「自己紹介長いよ、ひーちゃん。なんか名前で呼ぶ流れみたいだから、僕は寿明でもいいや。北村さんはどうする?」
こいつら仲良いな。
「北村で構いません。どうぞ作戦会議の続きを」
まあじきに人妻になる女性に馴れ馴れしくはできないよねえ、なんて言いながら、男性陣は小学校、もしくは寺子屋から帰ってきた。
ここは人間の他に魔族が住む世界。
人間の住む国はここ、その名もなんとオスマン帝国、のみ。
魔族が住む国の名は人間が勝手に呼んでいるだけらしいが、ローマ帝国。
勝つ気しかないじゃん。
国王じゃなくて皇帝だったらしい、髭のおじさんからその名を聞いたとき、平成生まれのふたりは微妙な顔をしたものだ。
ここ、テストに出るから覚えろよーナンチャッテ。ぼくらの国がオスマン帝国、魔族の国はローマ帝国。うちの祖先が勝手に決めただけらしいけど。オスマンではローマって言えば通じるから、まあよしなに。
僕としてはガッチャンコすればって思うんだけど、向こうにもプライド? あるからさ。難しいよね。
魔族の人数は少ないんだけど、やっぱ魔法が強力だから。
今後のためになるはやで倒しておきたいんだけど、人間みんな怖がっちゃって。ぼくも部下やら后やらから尻を叩かれて困ってるの。
そこでだ。大切なのは座組みだ。
君たち。召喚させてもらったの。勇者五人にボールを渡すから。
ダマでね。さっき言ったように、人間は怖がってるから。
一丁目一番地の課題のはずなんだけど、魔王討伐なんてとんでもない、って考えの勢力もあるから。
もう落とし所を探す時間もないから、エイヤで頼むよ。ね。なるはやで。よろしく。
職場以外で聞くはずがなかった死語を連発され、真希は頭の中でちゃぶ台返しを何度も繰り返した。大丈夫。想像でしかないから、片付ける手間は必要なかった。
江戸明治生まれのふたりはもちろん、昭和前半生まれにも通じない言葉なのは理解できる。
が、なぜ寿明も無反応なのだ。意味までは知らなくても、単語のいくつかは聞いたことくらいはあるだろう。昭和から平成にかけてのビジネス用語。変だと思えよ。
緊張すべきだったのかもしれない謁見から部屋に案内された今まで、真希は心情はずっと微妙なままだ。
「作戦会議の前にさ。ちょっと誰か耳見せてくれない?」
「耳?」
新右衛門が、何か思い当たったような顔で、率先して寿明に近づく。
「ありがとう。ちょっと失礼」
寿明は新右衛門の耳にかかった髪を掻き分け、至近距離でじいっと凝視した。
「あっちょっと息は止めて。かかってるかかってる」
くすぐったそうな新右衛門は無視して、寿明は真希を呼んだ。
「北村さん、これ見える?」
「何なに?」
「うわっちょっ、お嬢さんは遠慮して」
「新さん黙って」
近寄って寿明と交代して新右衛門の左耳の穴を覗き込む。
「梶原くん、これ何?」
「何かなと思ってるところ。ふたりも見せてくれる?」
耕造と久憲が怪訝な顔をしながらも新右衛門に倣う。
「耕造、耳掻きしたほうがいいよ」
「うるせえな。なんだよ」
「うーん。この国のひとってさ、絶対日本人じゃないよね」
「そりゃそうだろ。バタ臭え顔ばっか」
「僕には日本語を喋ってるように聞こえた。みんなもそうなんじゃない?」
「? 俺は日本語しか分からねえからな」
「彼らの口の動きと、耳に届く言葉が合ってなかった。彼らの言語は日本語じゃない」
「……それ、この、いつの間にか耳に仕込まれてたやつのせい?」
新右衛門が自分の耳を指差す。
「多分。僕はついさっきまで、夜道を歩いてたんだけど」
「飲んでたんだよね。ちょっとにおうよ」
寿明の酒臭さには真希も気づいていたが、意識はハッキリしているようだし、下手に指摘して離れられたら困ると思って黙っていたのだ。礼服に白いネクタイを締めているということは、結婚式に出席していたのだろう。
「それは失礼。で、歩いてたはずなのに、まばたきしたらここだった」
「あたしと一緒だ」
「みんなそうなのかな」
「気のせいかと思ってたんだけど、そのまばたきの最中に耳がチクっとしたんだ」
「気のせい程度なら俺もだ」
寿明の耳を覗き込みながら、新右衛門がうなずく。
「……寿明にもあるねえ」
全員の耳の中に、胡麻粒ほどの黒い異物が埋め込まれている。
「……自動翻訳機ってこと?」
「じゃないかな、と思って。この中に英語が分かるひとは?」
真希と新右衛門が手を挙げた。
「日常会話が怪しいレベルだけど」
「私も少しだけなら」
「オッケー。四人共、僕の口の動きをよく見て、声を聞いて」
真希の耳には、日本語しか届かなかった。だが寿明の口の動きは、日本語を使っているものではなかった。日本語の発音に、舌を噛む動きは必要ない。
「……すんごい違和感」
「だよね。ちなみに、試しに英語をつぶやいてみたら、そのときから、耳に届く言語が英語に変わった」
すごい。真希が異世界に怯えて寿明から離れまいとしているときに、彼はそんなことまで検証していたのか。さすが秀才。通り越して天才だ。
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