リテラシー
「ちぇっ」
舌打ちして分かりやすく拗ねる耕造は、頭をがしがしかきながらテントの支えになる枝を地面に固定する作業に戻った。
「ねえ、その髪邪魔じゃない?」
「ぁあ?」
「文句じゃないから威嚇しないで。髪ゴムあるから貸してあげようかと思っただけ」
「……ん」
返ってきたのは、ありがとう、でも貸して、でもなく、はたまた余計なお世話だ、でもない。
その態度にむっとしてしまう気持ちはもちろんある。
(でもなあ)
耕造の生い立ちは、信じられないくらいひどいものだったのだ。
時代のせい、ではない。令和にだってひどいニュースは毎日のように流れている。
耕造を引き取った養親のせいだ。もしかしたら自分たちの生活も苦しかったのかもしれないけれど、十代半ばの男の子が逃げ出して、どれだけ辛くても戻ろうと考えられない家にした養親が悪かったのだ。
彼は態度が悪いだけのまともな人間だ。その言動に対して、真希がイラっとしなければいいだけだ。
「しばってあげようか?」
首筋が完全に隠れる長さだ。髪をしばる習慣はなさそうだから、やってあげるのが親切というものだろう。
「……頼む」
「そのまましゃがんでてね」
手櫛もなかなか通らないバサバサの髪の毛だ。時間があればブラッシングすることを教えてもいいが、今は応急処置だけにしておく。
久道と違って長さが揃っていないから後れ毛が大量に出てしまったが、頬にかかる髪が減っただけだいぶマシだろう。
「……おう。楽だな」
後頭部に手をやって嬉しそうにする耕造は、顔が隠れる部分が減って明るく見える。
「ありがとうございます」
「?」
「ありがとう、ございます」
「…………アリガトウ」
「どういたしまして」
テント周辺を整地するのも兼ねて、真希はその場にしゃがんで枝拾いを再開した。
生木は投げて、枯れ枝だけまとめて積んでいく単純作業に、途中から耕造も加わってくる。
見ると、樹木や地面に差した長い枝を柱に布を張ったテントが完成していた。追加で購入した布も足して、上だけでなく側面も守られる形になっている。
「すごいね」
「何が」
枝を選別しながら、いつもどおり刺々しく耕造が返してくる。
「テント。枝と布だけでこんなの作れるんだ」
「ああ。ガキの頃よくやってたからな」
秘密基地を作って遊んだ、ではないだろう。これは追い詰められてしたのであろう家出の話だ。
「ご飯も?」
「それはヒモやってたとき。飯くらいは作るって言ったら女が教えてくれて」
「素敵なひとだったんだね」
「ババアだったけどな」
ひどい言い草だ。女神、なんていうのは、酒の力を借りてようやく言えた本心なのだろう。
「他には? あんたしっかりしてるじゃん。女神様が教えてくれたんでしょ」
箸を綺麗に持つこと、他人に親切にすること、弱い女を庇うこと、小さい子には優しく接すること、全部身近なひとがお手本を見せてくれていないとできないことだ。
「……確かに色々教わったな。やっぱり俺は息子代わりだったってことか」
「そんなことないでしょ。そんなちゃんとしたひとが息子を恋人にするなんて気持ち悪いことしないよ」
「じゃあなんであいつはいなくなったんだ」
「うーん。分かんないけどさ。そのほうがあんたが幸せになれるって思っちゃったんじゃない?」
「意味分かんねえ」
きっと、耕造はちゃんと彼女の気持ちを分かっている。分かりたくないだけだ。
彼の気持ちは何かに癒されるか風化してしまうか、そのときを待つしかないのだ。
「頑張って元の世界に帰ろうね。無事帰れたらあたし仕事頑張るから、あんたも頑張ってね。休みの日には女神様を捜してもいいし、新しい恋人つくってもいいし。友達と馬鹿みたいに遊んでもいいし」
「そうだな」
「あたしはね、今ならパワハラ上司に言い返せる気がする」
毎日我慢して、言われっぱなしのまま終わってしまいそうなのだ。こんな異世界に飛ばされることが分かっていたら、「てめえでやれ」くらい言ってやったのに。
「ぱわはらってなんだ」
「理不尽に偉っそうに無茶苦茶な指示出ししたり厭味言ったりする上司のことだよ。帰る準備してるところに仕事振ってくるっておかしくない⁉︎」
「いつの時代もいるんだな、そういう奴」
「耕造の上司にもいるの?」
「いるいる。もう暗くなるっつー時間に無茶振りしてきやがんの。明日の朝までに仕上げろって馬鹿じゃねえの」
「うわあ」
「無理だっつったら殴りやがるしよ。まあやり返すんだけど」
「おおう……さすが昭和。それってクビにならないの?」
「クビだ! は何回も言われてる。おお辞めてやるわ! って啖呵切って帰るんだけど、翌朝しれっと現場行く」
「昭和あ」
「なんだよ。どこでもそんなもんだろ」
「うちでは暴力沙汰は見たことないな。機嫌悪いときには泣くまで詰めてくるけどね。なんでだ、なんでこうなった、なんでこんなことした、って。人間なんだからうっかりすることくらいあるじゃん。なんでって言われても、としか言えない話をネチネチネチネチネチネチネチネチ! あームカついてきた!」
「女がいる職場はそんなもんなのか。俺の周り男しかいねえから、気に入らねえことあったらすぐ殴ってくるぞ。毎日誰かしら青タンこさえて働いてんの」
権力ではなく腕力の世界だ。
「でもさあ。耕造小さいじゃん」
一五八センチの真希よりわずかに高いかな程度の身長なのだ。一六〇センチ程度というのは、時代を考慮しても小柄なはずだ。
「うるせえチビって言うな」
「言ってないでしょ。大きいひとと喧嘩して負けないの?」
「身長で喧嘩するわけじゃねえからな」
「違うの?」
大きいほうが強いというのが生き物界の常識だと思うのだが。
「違わねえけど。大人と子どもとは違うからな」
久道が合流した川組はベースキャンプに戻り、真希の拳を喰らう耕造の姿を目撃する。
「……ケンカかな」
「耕造がおまきちゃんを襲ったとか」
「おぬしと一緒にするな」
やあっとやる気だけは感じられる掛け声とともに、真希が低い姿勢から右拳を前に突き出した。
腹筋でそれを受け止めた耕造は半歩だけ後退り、ごほっと苦しげな咳をする。
「……お、思ったより効いた」
「あっほんと? あの腹が突き出た課長にも効くかなっ」
「脂肪の量による」
「打倒パワハラ上司ー!」
おー! とふたりで拳を掲げると、楽しくなってきた。上司をぶっ飛ばす妄想も捗るというものだ。
「耕造は結局上司は倒せたの?」
「そこまで本気で殴らねえよ。あいつらアホみたいに身体つええしな」
「……何してんの?」
獣道を歩いて戻った三人組に、真希が笑顔を見せる。
「あっおかえりー! 特訓してたの!」
「打倒上司のな」
「魔王じゃないんだ」
「北村さん、ずいぶんスッキリした顔してるね」
「そう? 耕造に喧嘩の極意を聞いてやってみたんだけど、あたし向いてるかも」
「生兵法はケガの元って言葉知ってる?」
「うむ。おまきは無理せず」
頭の固いふたりが諭しにかかる。
「まあまあまあ。何もしないより、護身術のひとつでも身に付けておいたほうがこの先きっと役に立つよ」
新右衛門がバランスを取ろうと試みると、空気が柔らかくなる。
「喧嘩は技術よりも度胸と勢い」
久道に剣術を習っても付け焼き刃にしかならないし、それくらいなら気合いでなんとかなりそうな喧嘩式のほうが為になりそうだ。
「おまきちゃん、やめなさい。私が役に立ちそうな護身術を教えてあげるから」
やっぱり喧嘩は駄目ということらしい。
リテラシー ある分野に関する知識や能力を活用する力




