ペルソナ ~1943年生まれ男性~
全員、そこそこ飲めるクチだったようだ。ある程度腹が満たされたら、アルコールに興味が移ってしまった。
「……あー、美味い」
「よくよく考えたら、ここの生活最高じゃねえか。金使い放題ってどういうことだよ。俺、元の世界でこんないい物喰ったことねえよ」
ワインが気に入ったらしい耕造が、二杯目を飲みながらしみじみと言う。
「商いもしてないのにねえ」
「魔王城に向かう旅、って仕事じゃないの?」
「そっか。仕事しに向かっていることになってるのか。忘れてた」
「北村は、」
「それさあ! あたしだけ苗字呼びってひどくない? 仲間外れにしないでよ」
飲んでいるうちに、他のメンバーが親しく呼び合っているのが羨ましくなってきた真希は、理不尽な文句を言った。
「自分がそう呼べっつったんだろ」
「おまきちゃんて呼んでいいのかい」
「何それ可愛い。呼んで呼んで」
「寿明はそれでいいのか」
「本人がいいならいいんじゃない」
「なんで梶原くんに訊くのよ」
「結婚するんだろ」
「? ……そうだった! 結婚するする。梶原くん将来はお医者さんだもんね! 玉の輿万歳! 仕事なんかやめてやる!」
「なんだ、やっぱり未来でも金持ってる男はモテるんじゃないか」
「新さんはその顔だけでモテるでしょー」
「おや、嬉しいことを言ってくれるね」
新右衛門がさりげなく椅子を近づけてくるから、真希は彼にビシッと掌を向けた。
「新さん近いよ。セクハラ禁止」
「せくはら」
きょとんとする新右衛門に、寿明がさらっと解説する。
「性的嫌がらせ。まあ今のは近づき過ぎるなって意味かな」
「拒否されたってことだろ。おまえそういうの面倒くせえからいい加減にしとけよ」
「ははあ。残念。でも久道とはそんなに近くていいのかい?」
「ひーちゃんは新さんとは違うもん。ねー」
「ねー」
アルコールに顔を赤くした久道の似合わない相槌に、真希はケラケラ笑った。
「北村さんちょっと調子に乗ってる感じだから、新さん席代わってくれる?」
寿明の言葉に、新右衛門はすぐに席を立ち、真希の隣の席を寿明に譲った。言動は軽いが、悪い男ではないのだ。
「了解、婚約者殿」
移動する彼らを眺める耕造は、リラックスした表情だ。
「……俺、このまま帰らなくてもいいかも」
ぽつりとつぶやいた彼の言葉に、ほろ酔いの四人は一瞬静かになった。
「……働かなくていいのは大きいよね!」
冗談で済ましたい真希は、あえて同調することにした。
「な。真希も普段は仕事してるんだろ。どんな仕事だ」
未来の話はしない、という約束だ。だけどこのくらいならいいだろうと慎重に口を開いた。
「事務職。書類を作ったりするの。どの時代にもあるでしょ。商品を説明するものとか、請求書とか、そういう書類を作る仕事」
やっぱり学がある奴は座り仕事だよな。
俺は中学卒業と同時に家を出てからこっち、きっつい仕事ばっかりやってきた。
親とはぐれた俺を拾った養い親には感謝しろって、周りは簡単に言うけどよ。
あんたのとこは子どもいないだろって周りから押し付けられて仕方なかったんだって、ガキにグチグチ言うような奴らだぜ。役立たずに喰わす飯はねえって気軽に飯は抜かれるし、親父は気紛れに殴りやがるし。
どう感謝しろってんだよ。
中学卒業するまで我慢したら、集団就職だ。家を出られるって喜んだら、養い親が給料根こそぎ持って行きやがんだ。
これまで育ててやった恩返ししろ、だとよ。親方が同情して多少は手元に残るようしてくれたけど、そんなもんじゃあ一生逃げられねえ。
着替えも買えねえ、遊びに行くなんざ夢のまた夢、そんな奴は虐められるようになってんだ。殴る奴が親から職場の先輩に代わっただけだ。
やってられっかと思って、一年も経たずに逃げてやった。
でもそんなガキが生きて行くには、汚ねえか悪いかの仕事しかねえんだ。
裏路地のストリ、ああ、具体的にはやめとくか、とにかくきったねえ仕事を恵んでもらって、悪い仕事にも巻き込まれたりしてるときに、ちょっと、じゃねえな、だいぶ年上の女に拾われたんだよ。
十八のときだ。その女は母親ほどじゃねえけど、まあそのくらいの歳だ。美人じゃねえけど色気だけは人一倍あって、それを武器に仕事してんだ。ヒモみてえなもんだけど、その頃が一番安心して暮らせたかな。
ここに住んでいい、喰わせてやるからその間に真っ当な仕事を探しなって言ってくれて、ぜえんぶ面倒見てくれた。
その女のおかげで、道路工事をする会社に就職できた。仕事はキツいけど毎月給料が手元に入ってくる。
その女? もう別れたよ。
別れたってか、逃げたんだよ。俺がじゃねえよ。俺だってそこまでひどい男じゃねえ。
初任給で一緒に飯喰いに行って、あんたのおかげだ、これからは楽させてやる、って話をしてたんだよ。
でもそれから何ヶ月もしないうちに消えちまった。
置き手紙もなく、俺の給料から貯めたわずかな金を持って行きやがったんだよ。
ああ? 何がひどいんだよ。あんな端金だけじゃあ、恩返しにもなりゃしねえ。せめてもう少し待ってくれたら、まとまった金を渡せてやれたのに。
多分あれだな。俺がハタチになるまでに頑張って働いて金貯めるから、そしたら籍入れようって言ったせいだ。
こんなババア相手に何言ってんだって笑いながら怒られたんだ。
やることやってても、あいつにとって俺は拾った子どもでしかなかったんだ。息子を亡くしたって言ってたしな。気持ち悪いこと言うなってことだったんだろ。
捜したさ。必死であちこち捜したけど、見つからねえよ、そんな自分の意思で消えた女。
美人じゃねえとは言ったけど、俺に言わせりゃ女神様だ。今でも会えるもんなら会いてえよ。
あいつが消えてからも、仕事はちゃんと続けてる。無遅刻無欠勤、嘘は吐くなよ、真っ当にやってる人間のことはお天道様がちゃあんと見てるから。って、あいつに言われたとおりやってるけどな。
本当はやりたくねえよ、あんな仕事。毎日毎日上の奴に怒鳴られ殴られしながら、泥まみれ汗まみれで重いもん運んで。
あいつに楽させてやれると思って頑張ってたけど、あいつが居ねえんじゃ頑張る意味がねえ。いつかまた会えたときのためにと思ってたけど、そろそろしんどくなってきた。
分かってるよ、おまえらには帰る場所があるし待ってる家族もいるんだろ。そりゃ帰りてえだろうよ。
俺にはなあんもねえからな。帰っても独り、仕事もどうせクビだろうしなって、ちょっと思っただけた。
「…………泣きすぎじゃね?」
酔っ払って喋っていた耕造がふと我に返り、げんなりした顔になる。
「……だ、だって」
なんとか声を出せたのは真希だけだ。
他の三人はそれぞれの方法で涙を隠すだけで精一杯の様子である。
「あああ、悪かったよ。気持ち良く飲んでるときにこんな話して」
「おっさんばっかりの職場でわけわかんない死語が飛び交ってて理不尽な命令されて残業アホみたいにさせられるってだけで愚痴ってごめんなさい……」
「おまえの職場もなかなかみたいだな」
「……梶原くん、バブルっていつ弾けたんだっけ?」
「一九九一年。それまでに東京の土地を買えるだけ買って売り逃げればいい」
「借金もありかな」
「カタいところからなら全然ありだよね。買ったら絶対値上がりするんだから」
「一九九一年までに土地を買って売ってを繰り返せばいいわけだね!」
「そうそう。一九九一年までに売り抜ければ、大金持ち確定だったんだよ!」
「お金貯めて東京の土地を買ったらいいんだね!」
「……生物だけじゃなく、近代史ももっと勉強しとけばよかった……」
「あたしも……」
悔し涙を流す令和のふたりを、耕造が呆れ顔で見やる。
「おい。誰だよ。未来の話はしねえって言った奴」
寿明だ。賛同したのは全員だ。
「うーん。子孫のために書付を遺しておきたい話を聞いてしまったようだね」
「ごめん、新さんは遠慮して」
元々金持ちなのだから。
「頑張って忘れよう。どうせ死後の話だ」
「えー……」
「えーじゃないよ。真面目か。こんなわけわかんないことに巻き込まれたんだから、このくらいの役得くらいあってもいいじゃない。耕造は女神様のためにも、絶対絶対幸せにならなきゃ駄目だよ。こんなのズルのうちに入んないよ。とにかくお金を集めて土地を買うの。それだけ覚えてたら一発逆転狙えるから!」
泣きながら言い募る真希を見て、耕造は愉快そうに笑った。
「とりあえず鼻水拭け。分かったよ。俺もちゃんと帰るから。おい、おまえらも泣くなっつってんだろ。飲もうぜ。偉いさんの金で飲む酒は美味いな!」




