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ペルソナ ~1883年生まれ男性~

 勇者様のための部屋は広くはあったが、令和の日本を生きる真希基準では、感動するようなレベルではなかった。

 それでも木材をしっかり組んで造られた建物内の、清潔に掃除された部屋だ。

 冷暖房が欲しいと思うような気候ではないし、何よりちゃんとしたベッドは寝心地が良さそうだ。

 野宿とは比べ物にならない。初日にただの元同級生と同衾してしまったときの緊張感も持たずに済む。

 三人の部屋は隣に用意されているところだ。

 ふたり部屋にもうひとつ寝台を入れるまで待ってくれと言われ、真希たちの部屋で待機している。

 寿明はさっそく眼鏡を外してベッドに横たわった。

 ひと晩遊んでやろうという目論見を阻止された新右衛門だが、寿明の眼鏡を拝借してご機嫌だ。

 真希はもうひとつの寝台をソファ代わりに座り、室内に設置されていたソファに居心地悪そうに腰掛ける久道や、物珍しそうに部屋のあちこちを見てまわっている耕造を眺めた。

「今日はここで休んで、明日早朝出発するってことでいいんだよね」

「寿明が大丈夫そうならね」

「多分大丈夫。今日一日ここで寝てます」

 健康な成人男子だ。食べて寝れば自己申告通り全快するだろう。

「じゃあ買い物しなきゃだよね。日持ちする食料と?」

「うーん。荷物増やしたくないし、それだけでいいんじゃないかな」

「この先は何日か野宿であろう。新右衛門、北村殿に布団になる物を見繕ってやってくれ」

「いらなくね? こいつ今朝ぐうぐう寝てただろ」

「欲しい欲しい! ありがとうひーちゃん!」

 昨夜寝付けなかった真希を気遣ってくれたのは彼だけだ。他三人は一瞬で眠ってしまったから。

「そうだね。ひと組なら馬に乗るかな。基本は北村さんが使って、また体調不良者が出たら代わってもらおうか」

 寝袋的な物があればだいぶ寝心地が違うだろう。しっかりした大きい布のような物でも構わない。

「ふーん?」

 耕造は納得していないようだが、構うものか。

「耕造、彼女いたって嘘でしょ。あんたたちとは身体の造りが違うんだよ」

「よく言うな。旦那のほうが繊細じゃねえか」


 買い物担当は商人の腕を見込まれての新右衛門になった。真希も興味があったからついて行った。

 耕造は寿明の付き添いのため留守番。揉め事が起こったときの用心棒役兼荷物持ちに、久道は買い物組だ。

 ふたりともナチュラルに女を下に見る傾向はあるが、それと同時に守ろうとする意識も強い。多少鈍感になるよう心掛ける必要はあるが、真希にとっては頼もしいメンバーだ。

「布団を、というのはいい意見だったね。これだけ大きな布だったら、昨夜みたいに寝れば全員で使える」

 真希は自分だけで布団を使いたかったわけではない。新右衛門は巨大な布の他に、真希用にと子ども布団サイズの分厚い布も見つけてくれた。持ち運びすることを考えてのサイズだが、昨日とは雲泥の差の寝心地となるだろう。

 明日からはまた一日中歩く予定だ。疲労とこの布があれば、寿明と久道の間でも眠れそうだ。


 寿明たちの昼食は宿で用意されているはずだ。

 三人は目についた定食屋の的な店に入って休憩することした。

 黒髪の勇者の噂は、ゲームのようななんちゃって中世の街のあちこちに広がっているらしい。

 新右衛門が値切るまでもなく、どこの店主も値札よりかなり安い値段であれこれ持たせてくれた。定食屋のスタッフも、新右衛門がフードを持ち上げて、ひと目が気にならない席はあるかな、と訊くとすぐさま二階の個室に案内してくれた。

「この世界って、我々がいた世界とは違うんだよね」

 運ばれてきた食事を咀嚼してから、新右衛門がつぶやくようにそう言った。

「そうみたいだね」

 明治時代の人間にゲームとかファンタジーとか異世界転移とか言っても通じないだろうから、真希は相槌だけ打っておいた。

「四季がないようだしな」

 久道も不思議に思っていたことを口にする。

「常春の国なんて、桃源郷みたいだよね」

 暑くも寒くもならない世界。温暖化が問題になっている時代の人間に言わせれば、パラダイスだ。あ、桃源郷も同じような意味かな。

「うむ。もしやここは極楽浄土かと考えておった」

「そんなよく分からない世界に、普通の異人さんのような姿形の人間がいるのって不思議じゃないかい?」

 それがお約束なんだよ、いにしえびとよ。

「考えてもみなんだが。言われてみれば不思議な気はするな」

「ね。ご飯も普通に美味しいと思えるものだし。これだって、久道は見慣れないかもしれないけど、私が知る洋食と同じような食材が使われている」

 真希にとっても、普通の洋食のような内容だ。

 ほどよく柔らかいパンに、牛肉(多分)ステーキ、サラダ、グラタン、コーンスープ。それらをナイフとフォーク、スプーンで食べる。

 異世界ここに来てから、食事にストレスを覚えたことはない。強いて言うなら、たまには白米を食べたい、くらいだ。

 いいじゃないか、ご都合主義。

 たまに食事が口に合わないから自分で調理しました、みたいな物語もあるが、真希にはそのスキルがない。ご都合主義異世界万歳。

「箸は欲しいが」

「あたしも思ってた」

「食べ終わったら、それらしい棒を十本探してこようか」

「賛成」

「ちょうどいい物がなければ小刀でも買うてくれ。枝を削って作ってやる」

 サバイバルスキルが高いひととの旅は、わりと快適で楽しい。




 久道はなんでも出来るねえ。いやいや、剣術だけなんて謙遜が過ぎる。

 私はご存知の通りお坊ちゃん育ちだからね。食事は勝手に出てくるし、日常の細々とした家事を気にしたこともない。商売のための知識を詰め込まれただけさ。

 剣術馬術は、武家出身の祖父殿の方針で追加されただけだね。そういうのが好きな女性が喜んでくれるから、悪いものでもなかったが。

 ははっ。北村さんはこういう男は嫌いみたいだよね。

 まあね、って正直だな。浅野屋の新さんと言えば、近隣の娘さんたちの嫁入り希望先一位だったんだよ。

 結果? そうだね、嫁の座争奪戦を見事勝ち抜いたのが今の妻だ。

 彼女自身が闘ったわけじゃない。よくある話だよ。

 親父殿が決めたのさ。彼がどうしてもどうしても手にしたいと願い続けた権利があってね。

 とまで言えば分かるでしょ。そういうことだよ。

 まあいつかはそうやって結婚することは分かってたことだけど。二十の歳に六つ上の妻を、ってのは想定外だったかな。

 いや、別にいいんだよ。妻は素敵な女性だ。なんと華族のお嬢様だよ。義父殿が大事にし過ぎて婚期を逃していただけ、まだ充分お若いからすぐに子も出来たしね。

 だがね。彼女は私に引け目があるらしい。

 ほら、私はなんと言っても浅野屋の新さんだよ。あはは。そんな目で見られても、事実そうだったんだよ。

 北村さんの時代にはこういう考えはないのかな。何不自由ない生活をさせてくれる、しかも若くて男前、いやいや男前でしょ、よく見てよ、こういう男は嫁入り先として人気なんだよ。

 さすがの私も、そんな対応を続けられたら自信を失いそうだ。すごいね北村さん。

 大丈夫、久道の反応は慣れてる。この話をすれば、男は基本そんな反応になる。同調してくるのは利害関係がある奴だ。

 そう考えてみれば、ここは楽だね。店の名も妻子の重みも何もない。私はただの新さんだ。


 いやだな、帰りたい気持ちに変わりはないよ。

 でも現実問題、今すぐ帰る方法がないわけでしょう? 楽しんだもの勝ちだよ。

 源頼光のような話じゃないか。悪者を倒す旅に出るなんて。

 危険な話なのだろうけどね。男なら誰しも、一度は夢見たことがあるものなんだよ。

 ねえ、久道? 君も少しワクワクしてるよね。

「……否定は出来んな」

 北村さんは災難だよね。刀や鉄砲なんか見たことないと言っていたものね。

 未来は平和……という質問はしないほうがいいか。今も昔も未来も、女性は争い事には無縁でいるべきだ。

 本当は君だけ城で待っていてもよかったんだけどね。

「怖い怖い怖いよ。あたしだけ置いてみんな帰っちゃったらどうすれば」

 そこなんだよねえ。どうやって元の場所に戻れるか分からないのは問題だ。魔王を倒した瞬間に、その場にいた者だけ自動的に戻ったりしたら目も当てられない。

「おぬしが頑強なのは僥倖であった。良家の娘御であろうに、文句も言わず歩いてくれて助かっておる」

「超庶民でごめんなさい」

 そんなことはないでしょ。家事を習う代わりに勉学に励むことが出来るなんて、相当なお家だ。

 それにこの美しい髪。私の奥さんも綺麗だけど、ここまでじゃない。心を込めて手入れしてくれる使用人がいるんだろう。

「新さん、奥さんと他所の女を較べるような発言はしないほうがいいよ。控えめに言って最低」

 そういうものかな。分かったよ。肝に銘じておこう。

 でも今のは本心だよ。断髪姿も似合っているけど、伸ばす気はないのかい?

「髪の手入れは自力でしなきゃなお家なので、伸ばす余裕はございません」

 この世界もだけど、未来の世界も色々疑問だな!

「そうさな。拙者にとっては、新右衛門の話も所々不思議であるが」

 時代の話はなるべくしないように、って提案してくれた寿明に感謝しなきゃだ。際限なく質問してしまいそうだもの。

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