ペルソナ ~1823年生まれ男性~
続けるのか。まあ仕方ないか。一番古い人間だからな。
父が江戸定府ゆえ、生まれも育ちも江戸、ゆえに国元の地を踏んだことはない。父は殿の……という話は興味ないのであったか。
しかし拙者の話と言われてもな。隠居の父母、他家に嫁いだ姉、家督を継いだ兄の下の次男という生まれということくらいしか。
あとはそうさな、幼少の頃から道場だけでは褒められて育ったゆえ、やっとうの腕ばかり磨いてこうなったという話でもするか。
同じ境遇の部屋住みであれば、内職に精を出すより他ないことを思えば、恵まれているほうだ。
「そういうお侍さんって、やっぱり掌がっちがちなの?」
手? おなごのものと較ぶればそれは硬いが。これ、軽々に触れるでない。夫君が、……見ておらぬな。
「見てねえな。半分以上寝てる」
「ならいいんじゃない? 掌くらい触らせてあげなよ」
……しかし。寿明が知ればよい気はせんであろう。
「別にいいだろ。時代が違うってやつだ。元の時代に帰るまでは、あんま固えこと言うなって」
「嫌なら無理には触らないよ。あたしひーちゃんのなかで痴女みたくなってるじゃん」
さようなことは。……おぬしらはなんというか、同じ日の本の国で育ったとは思えんな。
拙者は物心ついた頃には、母と姉以外のおなごは近くにおらなんだ。むろん、本当におらんわけではない。口を利かんというだけだ。家門の奥方にお会いすれば挨拶はするがそれだけ、飯炊き女と話すこともない。
正直なところを申せば、北村殿とどう接すればよいか分からんのだ。
「俺らと同じ扱いでいいんじゃね? いいよな?」
「手加減はして欲しいけど、まあ。あたしたちの時代は、男女同じ学校で勉強してたの。梶原くんと同級生だったっていうのもそんな昔の話じゃなくて、十八歳までだよ。彼は成績良かったからいい大学に進学して別々になったけど、あたしが半年くらい前に卒業した学校も、男女半分ずつだったよ」
なんと。北村殿はおなごの身でそこまで勉学に励んでおったのか。
「……て言うと語弊があるけど。この歳まで学校通うのは珍しくないの。男も女も関係なくね」
ふうむ。学者殿と思うて接すればよいということか。
「うーん。そこまで賢くはないんだけど、どう言えば分かってもらえるか分かんない」
「婦女子だと意識せず、学友と同じと思えばいいって考えていいのかな」
「そんな感じでお願いします」
「こんな魅力的な存在を婦女子と思うな、は私も無理だけどね」
「あはははは」
「新の字、流されてんぞ」
「あは」
学友、同輩、か。努力してみよう。
でもそうさな、先だって兄と祝言を挙げた、拙者からすれば義姉にあたる方がおって。
「へえ。部屋住みってことは、一緒に暮らしてるんじゃないの?」
左様。まだ戸惑うことのほうが多いな。歳は拙者のひとつ下、昔遊んだ記憶もうっすらあるから余計に、どうすればよいか分からんのだ。
兄の用をするついでに拙者の世話も焼いてくださる。それがどうも居心地が悪いというか、母と同じことをされても、尻の座りが悪くなるのだ。
「なるほど。可愛いんだ」
「やめなよ新さん」
「すげえ無神経だぞ」
可愛い。考えたことはないが、確かに目鼻立ちは整っておるかもしれん。直視することがないから、よく分からんな。
そう心配せずとも、兄嫁に懸想したりはせぬ。昔お転婆だった娘の記憶が残っておるから、義姉上と呼ぶのに慣れんだけだ。
「それを」
「黙れ節操なし」
「耕造の言うとおりだと思う」
同輩にも新右衛門と似たようなことを言う輩はおるな。だが拙者は、兄嫁に邪な思いを抱いたりするつもりはないし、そんな話をはじめるつもりではなかったのだ。
つまり、北村殿とこうして話すように、義姉上にも接すればよいのだろうかと考えただけだ。
「それはどうだろう」
む。違うたか。
「よく知らねえけど、その義姉ちゃんは北村とは違う時代の人間だろ。同じにしたらまずいだろ」
「そだね。ごめん。多分練習台にはなれない」
難しいな。では帰ってからもあのままか。
寝汚くすることもかなわん。夏場にふんどし一枚でおればぎょっとして逃げられる。兄と昔のように取っ組んでみれば、驚き泣かれる。
「それはひーちゃんが悪いような……」
左様。兄ともそのような話になって、家内におる間は登城しておるつもりで神妙に過ごすことにしたのだ。
「想像だけでしんどい」
「仲良くなればまた違ってくるんだろうけどねえ。仲良くなりすぎるわけにもいかないし、難しいところだ」
「新さんと一緒にしたら駄目だってば。ひーちゃん、他にはいないの? 身近な女の人」
おらんな。道場での稽古も江戸屋敷での御役も、周りは男ばかりだ。まさか飯炊き女を参考にするわけにもいくまいし。
あとは、その義姉の姪、義姉の兄の娘だな、が遊びに来ると相手をしてやるくらいだ。
「何歳?」
十にはなったんだったか。
「期待したより小さかった」
義姉とは姉妹のように育ったとかで、嫁いでからも寂しがって会いにくるのだそうだ。
その娘は可愛らしいと思うぞ。義姉のことをあねさま、兄をあにさま、と呼ぶついでに、拙者のこともみっちゃんと呼んで懐いておる。
「舐められてんじゃん」
「ひーちゃんじゃなくて、ひさみっちゃん、みっちゃんね」
「呼び方変えるか」
「駄目だよ。みっちゃん、は久道お兄様の略ってことでしょ」
「ひーちゃん続行で」
好き勝手言うておるな。やはり北村殿は、義姉よりもその姪に近いな。
「十歳かあ」
「若く見られてよかったな」
普段屋敷におる時間は、そうして姪と遊ぶ時間が逃げ場になる。他は町道場に通う日々だ。あの日は御目見えの日を明日に控え、落ち着かなかったのだ。
兄は殿と同年の生まれ、幼い頃は遊び相手に指定されたこともあるという話だ。その縁で、拙者もお声を掛けていただいたということもある。江戸屋敷に詰める者に指南せよと、直々にお声をいただいたのだ。
その殿は剣の稽古をする暇もなく、久方ぶりの御目見えとなるはずだった。
昂ぶる気をおさめるために遅くまで道場に残り、夜が更けてから帰途に就いた。
そのはずが、今こうしておぬしらと共にここにおる、というわけだ。
「なるほどね。ここに来た経緯は私もほぼ同じかな」
「仕事帰りにここに、ってところはあたしも一緒。梶原くんも同じ感じみたい」
拙者は、魔王とやらを斃さねば帰れんというならば、なんとしてでも斃さねばという心持ちでおる。
部屋住みが運良く掴んだ御役であるのだ。このままでは取り上げとなり、呆れた兄に家を追い出されんとも限らん。そうなれば、国許に帰り父母の世話になるか、さもなくば何処ぞに流れ着いた先でその日暮らしをするより道はない。
それが考えうる限り、拙者の今後の一番マシな行く末だ。
一刻も早く魔王を斃し、脱藩者は腹を切れと命じられるを覚悟で殿の御前に参じるのだ。拙者が御役を放って姿を消した責めにより兄までも御役御免となり、一族郎党路頭に迷うことを思えば、そのほうがまだ救いがある。
ペルソナ 人物モデル




