Phase 3-e1:斜陽?
1973年、ビルマは統一された。
国家社会主義によってビルマは統一された。
つまり、ここではドイツが勝利したという事だ。
英米は戦略的に完敗を喫したのだ。
だが本当の敗者は別のところにいた。
そしてその数年後、ドイツの水上艦隊がビルマに駐留を開始するようになり、大東亜共栄圏に対してこれ以上はないというぐらのクサビを打ち込むことに成功していた。
なにしろ、盟主たる日本と最大の人口を持つ大国であるインドの間にこの国が存在したからだ。
英米が勝手にドイツとの代理戦争をした結果がこれだったのだ。
何が原因だったのだろう。
やはり、事を平和裏に解決するべきだとする日本の一部意見迎合した事がいけないのだろうか。
しかも、事態は悪化し続けた。
ビルマが、距離的な必然からそれまで支援していた国家の中から人民中国へとその庇護を求めた事がさらなる引きがねとなった。
これは、もともとビルマの実権を掌握したウィン将軍が社会主義者である事が影響しており、1974年にビルマ社会主義人民共和国と国号も変更することになる。
ただ、このアジアの小国がしたたかだったのは、ドイツとの関係をほぼそのままとした事だった。
これで誰もこの小国を無視できなくなったのだ。
そして、これが面白くないのがとかく中華地域への対抗心を持つ隣国のインドであり、英米がこの地から完全に足を引くと同時にインドが国境での対立を始め、同盟者にして亜細亜の盟主たる日本がこの地域に軍事的に深入りするのに時間はかからなかった。
白人同士の代理戦争は、たった数年で今度は黄色人同士のものへと変化したのだ。
タイとインド国境でのビルマとの対立は、その後順調と言ってよいぐらいに悪化していき、分裂中華の対立と共に泥沼の亜細亜へとばく進し、盟主である日本は国際政治で著しくイニシアチブを失う事となり、また軍事費の増大は経済と日本が重視していた宇宙開発にブレーキをかけることにもなり、白人勢力との競争に大きく遅れるという大きなダメージをも受ける事となった。
日本にとって幸いだったのは、この東南アジアのジャングルでの対立が人民中華との不要な戦争や、さらにその後にいる国家社会主義陣営とのニュークを投げ合っての最終戦争に発展しなかった事だろう。
もちろん、これは世界にとっても幸福な事なのだろうが、だからといってあまり慰めになるものでもなかった。
ビルマ情勢が複雑化する事で、日本は世界から10年以上は遅れる事となったのだ。
そしてこれは、今後の外交が英米の風下に立つ事を意味しており、日本と東亜の成長に大きなブレーキをかける事となった。
チョットした戦争だったはずのボーア戦争が、英国の栄光が曇らせたのと同様、日本にとって半ばどうでもよい場所と言えるビルマでの泥沼の対立が日本の旭日の光を陰らせてしまっただ。
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Bad End
ハイ、またしてもバッドエンドです。
皆勤賞はゲットできましたか? あ、ここでのバッドはあるまいと楽観していた方もいるんじゃないでしょうか?(笑)
いけませんね~、油断は禁物ですよっ。
別にパイ投げ合戦(最終戦争)の脅威がなくっても、日本が凋落する原因なんてどこにでも転がっているものです。
何と言っても競争相手は、腹黒いアングロに陰謀大好きなゲルマンですからね~っ☆
あと、せっかく珍しく女性が登場したのですから、侍たる日本はこれを全面的に助けてあげなくてはいけませんよっ!
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さて、この平行世界でのベトナム戦争にあたる戦いを取り上げてみました。
そして、その敗北パターンを少し違った形での提示というのがここでのバッドエンドという事です。
まあ、それだけと言ってしまえばそれだけです。
この点、ひねりも何にもありません。
ただし、ここでの史実のテト攻勢にあたるビルマの旧正月である水かけ祭りが、ベトナムの旧正月ほどビルマにとって重要な祭りであるかは調査不足にて少し分からず、もし詳しい方がいらしても、イメージしやすい事象として取り上げただけという点をご理解ください。
なお、アウン・サン・スー・チー女史は、史実ではインドで生活しその後英国に留学(確かオックスフォードのはず)していますが、ここでは日本とインドの関係が強くなっている平行世界ですので、日本の大学に留学という違った状態を現出させています。
また、この草稿を作っていた2002年12月5日、元ビルマの独裁者だったネ・ウィン氏の訃報を聞くことになりました。
単なる偶然にすぎませんが、これを書くにあたり氏の事を詳しく知った事はとても興味深く思いました。
それでは、正しい道のりに戻って下さい。




