J・Vの結末
僕たちの関係に暗雲が立ち込めたのは、黒バラ本の三作目がきっかけだった。
僕は、ピンクローズ先生に恋人ができたことを伝えたくて、慈善市にウィリアムを一緒に連れていった。
最初のときは、桃色の薔薇で装飾されていた出店は、二回目からは地味な店構えになっていた。
でも行ったことがある人なら、どのお店が黒バラ本を売っているのかがわかるようになっていた。
売り子のお姉さんが、いつも同じ女性だったから。
言葉のやり取りは少なかったけれど、お姉さんの微笑みから、『恋人になったのね。おめでとう』と言われた気がした。
僕は少しお姉さんと話そうと思ったけれど、受け取った黒バラ本の表紙を見て絶句してしまった。
表紙が、鎖で巻かれた上半身裸の男たちの絵だったからだ。
それは、あまりに露骨に性的な雰囲気を醸し出していた。
気づいたらそこから立ち去っていて、足早に帰る僕をウィリアムが不思議そうに見ていた。
この本は、人前で見てはいけない。
直感のようなものが働いた。
僕の家で、二人で読むことにした。
それは、とんでもない内容だった。
でも、僕たちが知りたいことだった。
「こ、こんなことするの!?」
「これ、大丈夫なのか……?」
心配そうに僕を見つめるウィリアムの様子と、自分の身体の心配をする僕は、自然と役割が決まっていたらしい。
でも、いくら尊敬するピンクローズ先生の本だとはいえ、こんなことが可能だなんて思えない……思いたくなかった。
「……とりあえず、やってみようぜ」
「え!?」
「無理だったら途中で止めればいいじゃん」
「今!?」
「なんとかなるだろ」
「嘘でしょ!?」
「いけるいける」
いつになく強引なウィリアムに言われるがまま、僕は、流されてしまった。
二人とも、正気を失ってたんだと思う。
過激な小説を読んで、興奮し過ぎていた。
僕の部屋に近づく足音に、気付かなかったんだ。
「お前たち! 何をしている!?」
あられもない姿の僕たちを見つけたのは、長男のヴィンセント兄さんだった。
言い訳のしようもない状況だった。
体格の良いはずのウィリアムは殴られ、家から追い出された。
ヴィンセント兄さんは、見たことがないくらい怒り狂っていた。
僕も殴られ、家から出してもらえなくなった。
学園にも行けなくなった。
両親にも報告され、母上からは罵倒された。
父は何も言わなかった。
僕は絶望のまま、命を絶つことさえ考えた。
やっぱり、僕は生きていてはいけなかったんだ。
家の恥だし、汚物だ。
そう思ってずっと泣いていた。
そんな中、発覚からしばらく経った頃に、僕の部屋にヴィンセント兄さんの妻であるセリーヌ義姉さんが来て言った。
「一度しか言わないわ。あなたを逃がしてあげる。だから、何があったのか、知っていることをすべて話しなさい。ピンクローズ先生とはどうやって知り合ったの? 会ったことはあるの?」
僕は、震えて何も言えなかった。
義姉とは今まで、表面的な会話しかしたことがない。
本音が見えない人だった。
なぜこんなことを言ってくるのか、分からなかった。
「……あなたの恋人が、毎日会いに来ているわ。門兵に殴られて、それでも来ているの。彼……そのうち大怪我をするわよ? 早く彼の元へ行ってあげた方がいいのではなくて?」
「ウィリアムが!? 何でもします! お願いです! お願いっ……!」
そこからは、義姉から聞かれたことに泣きながらすべて答えた。
ピンクローズ先生に数年前からファンレターを送っていたこと。
ある時に自分の性的指向を相談したこと。
すると先生が黒バラ本を書いてくれたこと。
途中で義姉が「ファンレターを送れば良かったのね……」と独り言を言っていたが、そのまま続けた。
三作目を読んで、書いてあることを試していたらヴィンセント兄さんに見つかって激怒されたことを話した。
「ごめんなさい……男の人を好きになってごめんなさい……」
僕は泣きながら謝った。
きっと義姉も内心は怒っているはずだ。
僕を気持ち悪いと思っているはずだ。
すると義姉は、小さな声で呟いた。
「あの人の怒りは、同族嫌悪よ」
僕は意味が分からなかった。
だって、ヴィンセント兄さんは……女遊びが激しかったはずだ。
「今回の件ではっきりしたわ。あの人の弱みは分かった。お礼に、あなたは逃がしてあげる」
そう言うと義姉は綺麗な顔で微笑んだ。
義姉に指示された通りに部屋を出ると、身体の大きな騎士が抜け出すのを誘導してくれた。
彼は確か、義姉の護衛騎士だ。
裏門近くの物置まで先導すると、騎士はそれ以上何も言わず、静かに去っていった。
物置の中には、ウィリアムがいた。
僕たちはすぐに抱き合った。
ウィリアムの顔は、痣だらけだった。
それなのに彼は謝ってきた。
「俺のせいだ……悪かった。事態を軽く見ていた。ジュリアン、俺と一緒に行こう」
僕は彼の手を取って、二人で一緒に馬車に乗った。
しばらくして着いたのは、ウィリアムの実家であるマーロウ伯爵領だった。
ウィリアムは、サイズ直しして僕の左手薬指にはまっている指輪を、確かめるように撫でた。
彼の指にも、揃いの指輪がはまっていた。
「贅沢はさせてやれない。このまま進めば、俺たちは身分を捨てて平民になる。それでも、俺と一緒に生きてほしい。お前じゃないと、嫌なんだ」
僕も反対の手でウィリアムの指輪に触れた。
「……喜んで。僕も、君と一緒に生きていきたい」
僕たちは手を握り合った。
「二人で一緒に、乗り越えよう」
「……うん」
そうして、新しい人生を歩み始めた。
二人の薬指の指輪が、夕陽に静かに光っていた。
***
二人の新しい生活が落ち着いた頃、ジュリアンは手紙をしたためた。
ピンクローズへと宛てた、ささやかな報告は、
「互いに対の指輪を身につけて、これから二人で生きていきます」というものだった。
それからしばらくして世に出たピンクローズの新作は、愛を誓う二人が指輪を交換する物語だった。
その静かな流行はやがて波紋のように広がり、数年、そして十数年を経て、指輪は恋人たちの象徴となり、結婚の証としてこの国に根づいていった。
ジュリアンとウィリアムの小さな指輪は、いつしか国中の人々の左手に宿る愛の証へと姿を変え、新しい時代の風景をつくっていった。
これで、ジュリアンの物語は完結です。
ただ物語の都合上、すべてを描ききることはできませんでした。
その補完として、明日12月27日(土)、セリーヌ視点の短編を投稿予定です。
「なぜセリーヌは彼を助けたのか」
そう疑問に感じた方がいらっしゃいましたら、そちらも読んでいただけたら嬉しいです。
ただし、こちらの作風とは大きく異なるお話で、セリーヌの物語はハッピーエンドではありませんのでご注意ください。
なお、ナタリーの物語は、次で最終話となります。
12月29日(月)に投稿予定です。
最後までお付き合いいただけましたら幸いです。




