とある没落伯爵令嬢②
「――という話ですわ」
「……え? 続きは!?」
「ありませんわ。強いて申し上げるなら、このまま一生、二人は平行線のままですわね」
「なんで!?」
「レアはハルトを受け入れる気はありませんし、彼女は花街で生きると決めていますもの。諜報員というのは、生半可な覚悟でなれるものではございませんのよ」
「……俺は、いつ辞めてもらっても構わないがな」
そこでリオスが会話に割り込んできた。
「まあ。ずいぶんひどい言い草ですこと。レアが聞いたら悲しみますわよ、公爵令息閣下」
「……彼女と元婚約者のためだ。意地を張らずに、早く添い遂げればいいものを」
「意地ではございませんわ。レアは、元婚約者と添い遂げる気がないだけですわ。所詮、親が決めた婚約者ですもの。情けをかける必要はありません」
一瞬、場の空気が止まった気がした。
けれど私は気にも留めず、思ったことを口にした。
「へええ。レアさんは、ハルトさんのことを本当に愛しているんだね……!」
「…は?」
「きっと、自分よりもハルトさんの幸せを願ってるんだろうなぁ」
「奥様、私の話を聞いておられました? レアはもう次の人生を歩んでいますの。住む世界が違うから、ハルトと添い遂げるつもりなどありませんわ」
「それは建前でしょ? ハルトさんには伯爵家に戻って幸せになってほしい――自分は彼との思い出を胸に、一生その人だけを想って生きていく……。たとえ彼が他の人と幸せになっても、彼の幸せを願う……。献身的な愛だよね。素敵だなぁ」
私はうっとりと胸の前で手を組み、二人の恋に思いを馳せた。
「違います!!」
マダムの、聞いたこともない鋭い声が部屋に響いた。
見ると、彼女は顔を真っ赤に染めていた。
私は思わず目を瞬いた。
(え……怒ってる? ……なんで?)
「なっ、何をおっしゃってるの? わたくしは、そんなこと……っ!」
「本当なのか……レア?」
(……レア?)
執事のクロイツナーが、いつもの位置から一歩踏み出し、まっすぐマダムを見つめていた。
(今、レアって言ったよね……? どういうこと???)
マダムの名前は、私の記憶では「リィーナ」のはず。
レアは、マダムが語っていた没落令嬢の名前だ。
隣のリオスに視線を送ると、彼は小さく頷いた。
――今は、二人のやり取りを黙って見守ろう。
そんなふうに言われた気がした。
「私に、伯爵になってほしかったのか? だから身を引こうとした……?」
「そ、そんなこと……ないわ。あなたがどうなろうと、わたくしには関係ありませんもの……!」
「悪いが私は、伯爵家には戻らない」
「……っ! なぜ……?」
「伯爵家は、弟が継ぐよ。正式な後継者として手続きも、もう済ませた」
「あんなに……家を継ぐことを誇りに思っていたのに、どうして……」
クロイツナーは、愕然としているマダムと視線の高さを合わせるように、そっとしゃがみ込んだ。
「伯爵になることよりも……私は君の夫になりたいからだ」
「……でも……わたくしはもう、平民で……」
「地位なんて、関係ないだろ? 幼いころ、約束したじゃないか」
そう言って、クロイツナーはマダムの手を取り、小指同士を絡めた。
それは、幼い日に交わした誓いを思わせる仕草だった。
マダムの瞳から、涙が溢れた。
「あれはっ……子どもの戯言よ……」
「私は本気だったよ。あの頃から、ずっと、君と結婚すると決めてたんだ。今も変わらない」
「でも……っ」
「君が私の将来を思って断っているなら、私はいつまでも待つ。私が幸せになるには、君が必要だと分かってもらえるまで」
「……っ……でも、やっぱり無理だわ。わたくしには、莫大な負債があるの……」
「気にしなくていい。私も――」
「だめよ。負債を背負うのはわたくし一人でいいわ」
しばらく沈黙が続いた後、見かねたようにリオスが口を開いた。
「マルセリア嬢、冷たい言い方をするが……君を保護した際に肩代わりした負債は、まだ返済が終わっていない」
「……はい。存じ上げております」
「あれは、平民ではとても払いきれる金額ではない。例え諜報員であり続けたとしても、だ。だが、ベルンハルトは別だ。彼にはいずれ、公爵家の執事長になってもらおうと思っている。時間はかかるが、彼なら返済が可能だ。……実は、君にはずっと黙っていたが――君の負債はベルンハルトが 半分 引き受けている。正確には、君の返済分の半額を、彼が肩代わりしていると言ったほうがいい」
「……え?」
「君はベルンハルトを巻き込みたくないと考えているのだろうが、すでに彼は自ら背負いに行っている。……もう、観念したらどうだ」
マダムは息をのみ、信じられないものを見るようにベルンハルト・クロイツナーへ視線を向けた。
「どういう……こと?」
クロイツナーは静かに、そっとマダムの手に触れた。
「……公爵家で働き始めてすぐに、申し出たんだ。君の負担を少しでも軽くしたくて。全部背負うと言えば、君は必ず拒むだろうから……半分だけ、背負わせてほしかったんだ。君の誇りを奪わない形で……君を支えたかった」
「でも……すごい額なのよ……?」
「君がこの負債を重く考えていることは知っている。だが、君のいない未来に比べれば、いくらでも軽いものだ。一人で負うことはない。一緒に背負おう」
「ハルト……」
「レア……。私と、また未来を見てくれるか?」
「……ええ。わたくしで良ければ、喜んで」
二人は見つめ合い、そっと手を取り合うと、そのまま抱きしめ合った。
その抱擁は、長い年月分の想いを確かめるように、強く優しかった。
すかさずリオスが咳払いをした。
「ベルンハルト、もう今日は帰っていい。二人でゆっくりと話し合って来てくれ。積もる話もあるだろう。……必要なら、数日休暇を取って構わない」
「グレゴリオス様……ありがとうございます」
「公爵閣下、何から何まで、感謝申し上げます」
話がすんなりまとまりかけたところで、久しぶりに私は口を開いた。
「……ど……どういうことぉ???」
その声は、思いほか間抜けに響いたのだった。




