笑顔で迎えた結婚記念日
前半は、結婚記念日前日。
後半は、結婚記念日です。
午後、公爵家のテラスでお義母様とリオスと三人でお茶を飲んでいた。お義母様は優雅にティーカップを傾けて、音もなく受け皿に戻す。
「そんなに気にしていると思わなかったわ。気付いてあげられなくてごめんなさいね」
「いえ……私も、自分で思っていたよりプレッシャーに弱かったみたいです」
私が苦笑いで答えると、リオスが口を開いた。
「茶会でアリィーに妙なことを吹き込んだ者たちがいるようです」
「なんですって?」
「さきほど、茶会に出席していたバリウス侯爵令息夫人から手紙が届きました。こちらに詳細が」
そう言って、リオスはお義母様に手紙を差し出した。
「なぜ私ではなくて、グレゴリオスに? 私に知らせる方が自然でしょうに」
「バリウス侯爵令息夫人とは、学園時代に少し関わりがあったので」
お義母様は手紙を受け取ると、すぐに読み始めた。
「そう、発端はルーセル子爵夫人なのねぇ。他の伯爵夫人たちも関わっているわ……。ふうん、ウィンターガルドも随分と軽く見られたものね」
お義母様の目が鋭く光った。
「私の可愛い義娘を侮った報いを、受けさせないとね」
「ひぇっ」
「いい見せしめになりますしね」
「ひぇっ??」
お義母様とリオスが報復方法を相談し始めた。二人とも、仄暗い目をしてた。ああ、やっぱり親子だ……。
「あの、でも……私も上手く言い返せなかったのも悪くて」
「そうよ! あなたも悪いのよ! なぜすぐに私に言わないの! それに夫人の嫌味くらいで傷ついてはいけません。あなたは未来のウィンターガルドを背負う一人なのだから!」
「ひえぇ……」
「母上。アリィーが怖がっています。声を落としてください」
「あら、失礼。でも本当のことなのよ。社交界は、いかに相手を落とすかの勝負。嘘も噂も上手に利用するの。噂の一つや二つで動揺しては相手の思うつぼよ」
「はい……」
「そういえば、父上を慕っている令嬢がいるという噂を聞きましたが……」
「なんですって!? ちょっと用事を思い出しましたわ!」
お義母様にしては珍しく、大きな音を立てて立ち上がり、駆けて行った。
公爵家に嫁いでから知ったのだけど、お義母様は、お義父様が大好きだ。それはもう、熱烈に、情熱的に。お義父様は静かに愛するタイプで、一見しただけではお義母様の愛が大きく見える。だが、二人は相思相愛だ。
お茶会では私だけがのろけた形になってしまったが、実際には義両親の方が屋敷内で頻繁にイチャイチャしている。朝のお見送りでキスをしていたときは驚いた。食い入るように見てしまった。玄関ホールで、使用人たちがいる前でだ。義両親には羞恥心なんてないみたいだ。
それ以外も、一緒にいるときは必ず身体が触れている。リオスが人前でも触れてきたがるのは、きっと義両親の影響だろう。親からの影響とは大きいものだ。実子にしても養子にしても、私がもし親になれたら気を付けなければならない。
義両親は寝室も毎日同じで、そもそも個人の寝室すらないらしい。だから私は、それが貴族の普通の形だと思ってしまったのだ。これからは貴族の常識は隠さずに教えてほしい。とはいえ、今回は初めて夫婦喧嘩が出来たし、お互い本音が言えたし、良しとしよう。
***
翌日の結婚記念日には、予定通りパーティーを開くことになった。
昨日見た会場には、私とリオスの分のイスとテーブルしかなかったのに、当日は壁際に長テーブルが置かれ、ずらりと料理や飲み物が並んでいた。
その数は、とても二人分ではない。
なんと、使用人たちも立食形式で参加してくれたのだ。てっきり二人きりでお祝いするものだと思っていたから、驚いた。
「君はこういうフラットな関係が好きなんだろう? いつもできるわけじゃないが、今日は無礼講だ。たまにはいいだろう」
「あ、ありがとう……!」
いつもリオスは「使用人を友人扱いしてはいけない」「菓子を分け与えてはいけない」と言っていた。使用人とはきちんと線を引くようにと、たびたび注意された。
それが、少し寂しかった。
リオスはよく、自室で執筆している私のところに様子を見に来てくれたけれど、日中に外出していることもある。そんなときに出る公爵家のお菓子が、とんでもなく美味しくて、つい誰かと共有したくなる。お茶を淹れてくれた侍女や護衛に、こっそりお菓子を分けてしまうこともあった。
渋々食べた護衛が一口で虜になるのを見るのが楽しくて、ついまたやってしまうのだ。
育った村でも学園でも友達がいて、毎日他愛のない話をしていた。けれど、結婚してからはそんな機会がほとんどなくなった。
手紙のやり取りが続いているのはサーシャくらいだ。けれどサーシャも結婚して忙しいらしく、なかなか会えない。
結婚して、リオスと過ごす時間は増えたし、この生活に不満はない。でも、ときどき、友達と気軽に話したり、笑い合ったりしたくなる。
侍女や護衛は仕事でそばにいるだけで、友達とは違う。
それでも雑談をしたり、美味しいものを分け合ったりしたいと思ってしまう。
けれど使用人とは距離を保つべきだと、リオスからは何度も注意されていた
そのリオスが、こんなパーティーを企画してくれるなんて、想像もつかなかった。
今日だけは特別で、皆と同じものを食べられた。
私とリオスだけが着席していたのは特別扱いではあったけど、私の足はまだ安静が必要だし仕方がない。使用人たちはいつになく顔が緩んでいて、楽しそうだった。公爵家の本格的な料理を味わえることが嬉しいのだろう。非番の者たちも参加して、会場は大いに賑わっていた。
大勢でわいわいした雰囲気に、私は言いようもない高揚感を覚えた。
皆に、どれが美味しいだの、おすすめはこれだのと勧めまくった。皆が美味しいと笑ってくれるのが嬉しかった。
ふと隣のリオスを見ると、彼は静かに微笑んでいた。
でも、その笑顔に、どこか影が見える気がした。
今までなら気づかなかったかもしれない、ほんの小さな違和感。
これって、もしかして――。
私はこっそりと彼に尋ねた。
「もしかして、今のも嫉妬してるの?」
「……」
リオスは答えず、気まずそうに目を逸らした。
さっき私が声をかけた相手の半分は、男性だった。
「触れてもないし、美味しいものを勧めるのもだめなの?」
「……だめじゃない。君が楽しそうで嬉しいという気持ちもあるんだ。ただ、そう感じてしまうのはどうしようもない。君は気にしなくていい」
「えー。嫌だよ。二人の記念日だもん。お互いが楽しいのがいい。どうしたらリオスは嫌な気持ちにならない?」
彼は少し考え込んでから、私の目を見つめて言った。
「他の男に話しかけるたびに、頬にキスしてくれたら……嫌な気持ちにならないかもしれない」
「ええ!?」
「君から抱きつくのでもいい」
「えええ!?」
まさかの提案だった。
「話しかけるたびって?」
「君が言葉を発する回数分だ」
「ジャッジが厳しすぎない?」
リオスの真面目な顔に、思わず吹き出してしまった。
もしかしたら、今まで彼が私に触れたがったのは、不安もあったのかもしれない。今まで人前で触れられるのは恥ずかしくて嫌がっていたけれど、それで彼の不安が少しでも和らぐのなら、話は変わってくる。
とはいえ、キスは無理だ。ハードルが高すぎる。
「キスは無理だけど、腕に抱きついたり、手を握ったりはできるかも。それに、あなたも会話に入ってくればいいじゃない。一緒に話そうよ。あ、今ちょうど足を痛めてるし、抱き上げながら話すのはどう? 抱きしめてるようなものじゃない? 重くて大変かな?」
「鍛えているから君くらい重くもない。試してみよう」
そう言って、彼は私を軽々と抱き上げた。お姫様だっこというやつだ。
出会った頃の彼は、まだ青年とも呼べない幼さで、細くてひょろ男とすら思っていた。けれど今では、大人の男性としての頼もしさを感じる。体つきもしっかりして、抱き上げられても安心できる――そんな人になった。
「軽々とできるの、かっこいいね」
「……君のために鍛えた甲斐があったよ」
「あはは、鍛えているのは軍のためでしょ」
そんな冗談を交わしながら、皆の輪へ向かった。
男性使用人と会話するときは、言葉を交わすたびにリオスの首に腕を回して抱きしめたり、見つめ合って微笑んだりした。
リオスはそのたびに嬉しそうに笑い、そこにはもう影は見えなかった。
私もすごく楽しくて、ずっと頬が緩んでいた。
そんな中で、侍女たちが「パーティーのことを隠すのが大変だったんですよ」と苦労話をしてくれて、思わず笑ってしまった。
そして皆が口をそろえて言ったのは「お二人が仲直りして本当に良かったです!」だった。
昨日の夫婦喧嘩は、どうやら屋敷中の使用人たちが知るところになっていたらしい。姿は見えずとも、皆が固唾を飲んで見守っていたという。恥ずかしすぎる。
こうして、私たちの三度目の結婚記念日は笑顔のうちに幕を閉じた。
あれからリオスは、ちょっぴり独占欲が増した気がする。いや、私が気づかなかっただけで、元々そうだったのだろう。まるで罪でも告白するように恐る恐る気持ちを話してくれるようになった。
けれど、それも彼が私を信じて、心を許してくれているようでなんだか嬉しかった。
本音でぶつかり合って、苦しさも、涙も、受け止め合えた気がする。
夫婦というものは、少しずつ成長していくものなんだと知った。
もう一人ではないと、心から感じられた。
来年はどんなパーティーにしようか。終わったばかりなのに、もう楽しみだ。これからは毎年、彼と一緒に結婚記念日パーティーの内容を考えていくのだ。
それからしばらくして、北のウィンターガルドから手紙が届いた。
ぜひ、養子について直接話したいという内容だった。良い機会なので、私は初めて北の領地へ足を運ぶことになったのだった。
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章のタイトルを変更しました。
この章はもう少し続きがあり、最後にはナタリーを侮辱した夫人たちへのざまぁも予定しています。
どうぞ最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。




