執着の血
前回、たくさんのリアクションと評価をありがとうございました!
ナタリーの父の話は、正直あまり需要がないかも……と思いながら書いたのですが、思いがけない反応をいただけて、とても嬉しかったです。
今回はその続きとなる、グレゴリオス視点をお届けします。
少し趣の違う内容になりますが、楽しんでいただけたら幸いです。
「え!? 私、もうエーベル男爵領に帰れないの!?」
ナタリーは驚きの声を上げた。
「……ああ、すまない。お父上とは話し合って、警備の都合上、君をこのまま公爵領に連れて行くことになったんだ……」
「そんなぁ! 帰る前提で、父さんに手紙書いちゃったよ!」
彼女の落胆した様子を見ていると、胸の奥がひどく痛んだ。
警備が難しいのは事実だ。
だが、彼女がどうしても帰りたいと望むなら……数日の帰省なら不可能ではない。
次期公爵夫人となる彼女を守るには、それ相応の兵を動かす必要がある。
エーベル男爵領は山間部にある。その地形も、警備計画を難しくする。兵を分散して配置せねばならず、護衛の数も増やさねばならない。
その数の兵を連れて移動すれば、否応なく目立つ。
特に王都を経由するため、「ウィンターガルド公爵領が王都を攻めようとしている」といった噂は避けられないだろう。
もちろん、そんなつもりは微塵もないが、たとえ誤解が解けたとしても、緊張感だけは残る。
ウィンターガルド公爵家は古くから王家に睨まれている。本音を言えば、無闇に争いの火種はまきたくはない。
それでも、ナタリーがどうしても帰りたいと言うなら、数日だけでも帰してやりたい。
しかし、故郷に戻ったことで彼女の気が変わり、「結婚したくない」などと言われては困る。
ならば、俺も一緒に男爵領へ行けばいいのではないだろうか?
エーベル男爵に迷惑はかけられない。食料や物資もすべて自ら調達する必要がある。
……兵は百人ほどいれば足りるか?
ざっと計算してみたが、不可能ではない。
ナタリーには、まだ正式な婚約者としての予算は割り当てられていない。ならば、俺の予算を使えばいい。
この機会を逃せば、彼女がもう二度と故郷に帰れなくなるかもしれない。
できる限り、彼女の望みは叶えてやりたい。
「……帰りたいか?」
「帰れるの? うん! 帰る!」
「……わかった。公爵領の兵を百人ほど動かさなければならないから、少し準備に時間がかかるが、なんとかする」
「……え? ひゃく……??」
「あと、俺も一緒に行く。……その方が軍を動かしても王家に言い訳がしやすいからな、うん」
「ぐ、ぐん……?? おうけ……?」
「そうと決まれば、まずは父上と軍に連絡を……」
「ちょ、ちょっと待って!?」
ナタリーが慌てて俺の腕を掴んできた。
彼女から触れるのを禁止されていたから、俺からは彼女に触れないようにしていた。
けれど今、自分から触れてきたということは……結婚の許しを得た今、もう禁止令は解除されたのか?
……良かった。
「もしかして、兵士百人を連れてエーベル男爵領に行こうとしてる!?」
「ああ。君はすでに何度も標的になっているからな。もう二度と危険な目に遭わせないために、当然の対策だ」
「いらない! いらないよ! そんな大袈裟なことしなくていいよ!」
「そうはいかない。君は次期公爵夫人だ。大丈夫、エーベル男爵に迷惑はかけない。食料も物資もこちらで用意する。テントや荷置き場さえ借りられれば充分だ」
「いやいや、のどかな村だから、みんな腰を抜かしちゃうよ……」
「まあ、数日は領民にも我慢してもらうことになるな。警護の兵が入れば、雰囲気はどうしても変わる。だがこの機会を逃せば、君が故郷に帰ることは難しいかもしれない」
「え……そうなの?」
ナタリーは、不安げな表情になった。
「ああ。せっかくだから帰った方が良いんじゃないか? ……俺も一緒に行くが」
「でもあの、さっき……王家がどうとか言ってなかった……?」
「ウィンターガルド公爵家は、もともと王家から警戒されている。軍を百人単位で動かして王都を通れば、王家を攻めようとしていると誤解されかねない。だから、事前に話を通しておく必要がある。……その調整に少し時間がかかるし、王家から横やりが入るかもしれないが、なんとかする。安心してくれ」
「……全然、安心できない……」
ナタリーはそのまま、黙り込んでしまった。
兵が百人では不安か……?
彼女は何度も襲われたのだから、無理もない。
二百人いれば、安心するだろうか?
……いや、村を囲むように三百人くらい配置した方がいいかもしれない。
彼女が安心できるなら、そうしよう。
そうと決まれば、早く父上に相談し、軍の準備を進めなければ。
父上は、母上とともに王国北部を視察していたが、今回の事件があり、王都に向かっている途中だと聞いている。
通信魔道具で取り急ぎ父上の許可を取り、すぐにでも公爵領の軍に準備させたい。その間に王家にも連絡して……。
これからの段取りを考えて移動しようとしたとき、再びナタリーに腕を引っ張られた。
「どうした?」
「やっぱり、いい……」
「ん? 遠慮はしなくていい。一緒に男爵領へ行こう」
「大ごとにしたくないの……! そんなつもりじゃなくて……ただちょっと……向こうに送った荷物を取りに行きたいだけなの」
「荷物?」
「……小説のネタ帳。私の宝物なの……! 家に帰ると思ったから、先に送っちゃったよぉ」
ナタリーは顔を歪めて、今にも泣きそうだった。
「待て、大丈夫だ。荷物を持ってくればいいんだな? それなら簡単だ。すぐに手配しよう。心配はいらない」
「ほんと? よ、良かったぁ」
「……だが、本当に帰らなくていいのか? これが、最後の機会になるかもしれないんだぞ」
ナタリーは、眉を困ったように下げた。
「……うん。帰りたい気持ちはあるけど、ちょっと規模が大きすぎて……。どっちにしてもその規模で行ったら、きっとゆっくりなんてできないと思うし……」
「……すまない」
「ううん、いいの。……あなたと結婚するって、そういうことだもんね。移動が百人規模には驚いたけど、まだ分からないことだらけだから、少しずつ教えてね」
「ああ。俺にも、君が思っていることを教えてくれると助かる」
「うん! そうするね」
俺と結婚するということは、彼女にとって当たり前だった日常が、もう当たり前ではなくなるということだ。
彼女から平穏な日々を奪ってしまうかもしれない。
窮屈な思いを、させてしまうかもしれない。
それでも、俺は彼女と一緒にいたいと思ってしまう。
それならば、少しでも彼女が満たされるように、俺は努力していきたい。
「……ナタリー」
「なぁに?」
「その、もう……禁止令は解除されたんだろうか?」
「禁止令?」
「接触禁止と言っていただろう?」
「……あ! うんうん、そうだったね。……うん、まだ禁止!」
「だが、さっき君は……今も、俺に触れているだろう?」
ナタリーは即座に俺の腕から手を離した。
どうやら、無意識だったらしい。
「ごめん! もう触らないから」
「え!? なぜだ? 先ほども言ったように、結婚は許可されたんだが……?」
「あー、うん……なんか……やっぱりね?」
ナタリーが使用人たちの方にサッと顔を向けると、使用人たちが一斉に顔をそむけた。
「やっぱり、とは?」
「うーん、人の目が……ね?」
「人の目……?」
どういう意味だろう?
ここにいるのは、すべて信頼できる使用人たちだ。
外に情報が漏れる心配はないはず。
「ここにいる使用人たちは皆、信用できる者たちだ。変な噂を外に漏らすことはないと思うが……」
「うんうん、もちろん、もちろん。いやぁ、噂とか、そういうことではないのよ」
「そういうことではない……? ではどういう……?」
ナタリーは、半眼でじっとこちらを見つめてきた。
「ナタリー……? 教えてくれ。何が気になる?」
「いやいや、だから、人の目が気になるんだってば!」
「悪意のある目など、ここには――」
「噂とか悪意じゃなくて、単純に、人が見てるところでベタベタするのが恥ずかしいの!!」
「……そうなのか……?」
うちの両親は、使用人の前でも親密なやり取りを平然としていた。
そういうものではないのか?
育った環境が違うからか?
「わかった。話してくれてありがとう」
「うん」
「――人目がないところだったらいいんだな?」
「……えっ?」
「では、禁止令は解除だな?」
「ええ!? ま、まあ、人目がないなら……隠密隊の人もダメだからね!」
「わかった」
なんてことだ。
ナタリーが可愛すぎる。
真っ赤にした頬も。
引き結んだ唇も。
その後、俺の自室には使用人や隠密隊は入らなくていいと、しっかりと伝えておいた。
久しぶりに触れた彼女のぬくもりは、胸の奥まで染み込んでくるようだった。
俺の心は、静かに満たされていた。
***
数日後、俺とナタリーは馬車に揺られながらウィンターガルド公爵領に向かっていた。
隣の彼女は、俺の肩に頭をのせてすやすやと眠っている。
奇妙な寝息を立てているが、それすらも愛おしい。
彼女と想いを交わし合ってから、自分の気持ちが歯止めなく大きくなっているのを感じる。
もう、彼女なしでは生きられない。
……最近、考えていたことがあった。
ナタリーへのこの執着心、重い愛情……。
きっと俺は、異常なのだと思う。
――これが、竜人の血なのか……?
レグナス王国には有名なおとぎ話がある。
竜人の子供が銀の花から生まれて、レグナス王国を建国したというものだ。
それはあくまで、おとぎ話として語り継がれている。
そして王家と、王家の分家である公爵家にのみ伝えられる話がある。
王家の始祖は竜人であり、王家と公爵家は竜人の血を受け継いでいるというのだ。
つまり、あのおとぎ話の大筋は本当ということだ。
そしてさらに、竜人の血を引く者には、番という運命のパートナーがいる。
それは生涯にたった一人しか出会えない唯一無二の存在。
竜人はその番を感じ取ることができる。
番といる時、竜人の心はとてつもない幸福感に包まれる。
だが、番と出会えなかった竜人は、心を失ってただ生きながらえるだけ。生きながらにして死んでいるようなもの。生きる意味もなく、心に何も響かず、人生が色を失う。
ただ、番に出会ってしまった場合も危うい。
竜人は、その番と結ばれなければ、心が壊れてしまう。
例え番に拒絶されても、竜人の心はその相手しか見えなくなる。
そして――その執着が、狂気に変わることもある。
そんな話を、幼いころから何度も父上から聞いた。
俺は、竜人なんて、ただのおとぎ話だと思っていた。
もしも本当だったとしても、俺にはウィンターガルド公爵領を守る責任がある。
番とやらに振り回されるわけにはいかない。
狂ってなんかいられないんだ。
番に拒絶されても、理性で抑え込めばいい。
そう思っていた。
だが、ナタリーと出会って、俺は見事に振り回された。
理性なんて役に立たなかった。
予想できない彼女の言動に、一喜一憂した。
今もそうだ。
彼女が俺を見てくれるだけで、嬉しい。
笑ってくれたら、心が満たされる。
いつも彼女に触れていたい。
だが、あの卒業パーティーの夜、俺は身を切る思いで彼女を諦めようとした。
彼女は俺と結婚することを拒絶したと、そう思っていたからだ。
タイムリミットを卒業までと決めた時から、ずっと胸が鈍く痛かった。
彼女に何度もプロポーズして、何度もふられて……それでも、そばにいたかった。
平気なふりをしなければ、もう隣にいられない気がして。
今しか一緒にいられないなら、一秒でも長く彼女を見ていたかった。
権力を使えば無理やり結婚はできただろう。
でも、彼女が望まない結婚を強いることはできなかった。
彼女には笑っていてほしい。
それは今も変わらない俺の願いだ。
その彼女があの夜、俺を好きだと言った。
結婚したいと、言ってくれた。
天にも昇るような気持ちとは、ああいう時のことを言うのだろう。
俺は、ちゃんと諦めようとした。
それでも彼女は俺の元に来た。
もう、俺は彼女から離れることはできない。
彼女を離すことはできない。
彼女のことになると、つい冷静さを欠いてしまう。
こんな執着の強い男に目を付けられて、彼女は迷惑に思うときが来るかもしれない。
それでも、もう、無理だ。
諦めることはできない。
彼女が俺に愛想をつかす日が、一日でも遅れればいい。
彼女のために出来ることは、何だってする。
だからどうか、俺の隣で、笑っていてほしい。
一日でも長く――。
この番外編では、本編では一切語られなかった、グレゴリオスの血筋にまつわるお話が登場しました。
本編ではあえて伏線も残さず描き切ったため、今回の展開に驚かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、これは彼の内面に深く根ざした大切な要素です。
お楽しみいただけていたら幸いです。
なお、グレゴリオスとナタリーの息子が登場する、前作
「ヤンデレ公爵令息の囚われ花嫁~外交官志望の私が公爵夫人になるまで~」
にも、この設定が少しだけ登場しています。
興味を持っていただけた方は、そちらもぜひご覧ください。




