第十三話 「期限付きの恋」
物語もいよいよ終盤に差し掛かり、このあたりから、恋の行方が少しずつ揺れはじめます。
ナタリーとゴリラ、そして読者の皆さまにも、笑顔になっていただける物語を目指して書きました。
健気なヒーローを応援しながら、どうか最後まで、あたたかく見守っていただけたら嬉しいです。
私は、絶好調だった。
恋愛小説のアイデアが、泉どころか滝のように溢れ出る。
それはすべてゴリラのおかげと言っていい。
先日、専属取材の約束をしてから、ゴリラと過ごす時間が極端に増えた。
今までは昼休みに食事をとるだけだったが、休み時間ごとに会いに来るようになり、移動教室だからあまりいられない時ですら「顔を見に来た」という、意味不明な理由で頻繁に来ていた。
休日も、小説のネタを提供してくれた。
今まで休日は執筆に充てていたが、ゴリラに誘われて美術館や観劇へ足を運び、街中を一緒に歩き、初めての経験をたくさんさせてもらった。
今、執筆の休憩中に手に取っているのは、彼にもらった小さな木彫りのチャームである。
先日の街中巡りで平民向けの露店にあった物で、「クマ」と記されていたが、私には「ゴリラ」にしか見えなかった。
いかついゴリラがハートを持っているのが妙に可愛らしくて惹かれた。
執筆道具以外は無駄遣いしないと決めていたが、これは欲しくなって悩んでいると、隣にいたゴリラが購入を決めてしまった。
迷っていると、俺が買うからと強引に渡された。こういうのは良くないと伝えようと思ったが、ゴリラが嬉しそうに笑っているから、何も言えなくなってしまった。
ゴリラの顔を見て、妙に胸がざわついた。
ハートゴリラのチャームには細い革紐がついていた。
紐の色は購入時に選べた。
ゴリラが選んだ革紐の色は、彼の碧眼とよく似た碧色だった。
幸せが訪れると噂されているこのチャームを、私はいつも持ち歩くようになった。
***
「エーベル男爵家に求婚状を送ったよ」
「はい???」
そう突然言われたのは、ゴリラと出会ってからちょうど一年が経とうとしていた秋のことだった。
この頃には、ゴリラと一緒にいるのが当たり前になっていた。
今も、ゴリラの専用となっている貴賓個室で一緒にランチを取っている時だった。
「聞き間違いかな? もう一度言って?」
「君のお父上に、求婚状を送った」
「はあ!? なんで!?」
聞き間違いじゃなかった。
マナー違反ではあるが、私は立ち上がってテーブルに身を乗り出していた。
「だって、卒業まであと半年だろう? 結婚準備を考えたらそろそろ婚約しないと間に合わないと思って」
「いやいやいや、ちょっと待って、どういうこと!? いつの間にそんな話になってたの!?」
「……俺たちは恋人だろう?」
「違うけど???」
私たちの間に、変な空気が流れた。
使用人が水を注ごうと向かってきていたが、Uターンして部屋から出て行った。
出来る使用人である。
「数カ月前、俺は君にプロポーズしたよな?」
「えっ」
確かにされたが、あれは、口説く例として見せてくれただけなのでは?
「その後、抱き合ったよな?」
「……」
「そして二人で休日にデートをするようになった。君とは結婚前提で交際していると思った。違うか?」
「……あれ、プロポーズ、本気だったの?」
「本気じゃないプロポーズをする奴が、どこにいるんだ?」
ぐうの音も出なかった。
ええ?でも結婚?公爵夫人!?
めっちゃ偉い人だよね!?
私が公爵夫人になったところを想像してみた。
想像の中の私は、大事な晩餐会で皿をひっくり返し、賓客には方向違いの受け答えをして場を凍り付かせていた。
控えめに言って地獄だ。
(………………絶対、無理!!!!)
こんな、マナーもままならない私なんか無理に決まってるじゃん!
「無理に決まってるじゃん!」
「……なぜだ? 家格の違いなら気にしなくていい。両親には許可をもらっている」
「いやー……私が無理っていうか……」
ゴリラは、今まで私の何を見ていたのだろう。
公爵夫人の器などないと、誰が見ても分かるだろうに。
「とにかく、結婚はできない。ちょっと、そういうことなら、もう会うのもやめた方が……」
「とりあえずデザートをいただこう」
「話を聞い……」
「アイスが溶けてしまうぞ。今日は公爵家のシェフが氷魔法で作ったバニラアイスだ」
「いただきます」
もうすっかり私の扱い方を知られてしまっている。
ここまで分かっているのに、なぜ公爵夫人になれないことは、分からないのかな?
育ちも貴族より平民寄りだ。
素質がないのは誰から見ても明らかだ。
ゴリラの代でウィンターガルド公爵家をつぶす気なのだろうか?
だとしたら私は適任ではあるが。
それに、小説家の夢もある。
どうしても諦められない。
実は、もう少しで手が届きそうな気がしているのだ。
少し前に応募した小説コンテストで、二次選考まで行ったのだ。惜しくも落選してしまったが。
通過していれば、次が最終選考だった。
あと、二歩。
もし在学中にプロになれたら、後妻にならなくても食べていけるかもしれないと、希望を持っていたところだ。
私も、後妻にならなくて済むならそうしたい。ぜひ在学中に最終選考を突破したい。
それにはぜひプレイボーイのゴリラに協力をしてもらい……。
「あー!!」
「……どうした」
「あなた、プレイボーイじゃん!! 危ない! 騙されるところだった!」
誠実そうな言動に、騙されるところだった。
そうだ、彼は、いろんな女性にこのようなことを言うプレイボーイだったのだ。
最近そのことを忘れていた。
「君は、何を言っているんだ……?」
ゴリラは、心底不可解と言う表情をした。
私は人差し指を揺らしチッチッチと言った。
「そんな誠実そうにしても騙されないからね。私の鋭い観察眼を舐めてもらっちゃ困るのよ。だってゴ……あなた、仮面舞踏会に来てたじゃん!」
効果音があったら、ババーンとなっていたに違いない。
必殺技のように鋭く指摘した。
これにはゴリラも反論できなかったようで、言葉に詰まっていた。
勝ち誇った笑みを浮かべていたが、放課後にサーシャが珍しく来て、しこたま怒られた。
「あんたバカなの!? 仮面舞踏家に公爵令息を呼んだのは私よ! プレイボーイとか、どこをどう間違えたらそんな勘違いするのよ!」
ゴリラのやつ、サーシャに告げ口したのだ。
そういえば仮面舞踏会の日、サーシャがこそこそと誰かに手紙を出していたことを思い出す。
ここが繋がっていたとは盲点だった。
両方のほっぺたを引っ張られながら説教をされた。
「私は中立でいるつもりよ。でも、さすがに不憫になるわ。公爵令息が権力を振りかざさず、たった一人の男として向き合おうとしてるのよ? 断るにしても、ちゃんと……向き合ってあげなさいよ」
サーシャは頬っぺたから手を放し、なでてくれた。
「まあ、躊躇するあんたの気持ちも分かるし、よく考えなさい」
「……うん」
なんだか、現実が突然襲ってきたような感覚になった。
ふわふわして楽しいだけだった今までの世界が、少しずつ溶けていく。
遠くない未来に、私は答えを出さなければならない。
もう、その答えは決まっている。
そのことを考えると、胸が締め付けられるようだった。
***
父さんから求婚状が来たことについて、私の意思を確認する手紙が来た。「断ってほしい」と返事すると「保留にしておく」と連絡がきた。
本来、家格差から考えると、父には大変な返事だったに違いない。
ゴリラに限って、爵位を盾に残酷なことはしないと思うが。
なんだか憂鬱な気持ちでいると、ゴリラは全く気にしていない様子で、毎日変わらずに会いに来た。
やっぱりたまに口説き文句を言われつつ、私がそれを断るのが一連の流れになっていった。
それが続くうちに、何でもないことのように思えてきたから不思議だ。
ゴリラの動じない様子に、なんだか、ずっとこのままの関係でいられるのではと思えるくらいだった。
周囲からしたら、確かに恋人のように見えていると思う。
ゴリラに口説かれて、断って、また口説かれて、笑って、ずっとこんな日が続くと思ってた。
――そんなはずは、ないのに。
それでも、そう願ってしまう自分がいた。




