第58話 昔のあたしと昔の彼と 3
才川裕作。
それが彼の名前だそうだ。
特に印書に残るような個性的な名前でもなく、普通の名前だと思う。
その名前と一緒に、色んな人から彼に対する印象を聞いて回った。
その情報を大まかに情報を整理すると、
周りのみんなよりも二回りも大きく立派な体つき。
鋭く威圧感があって、冷たい印象を受ける怖い目つき。
そして、彼の事を聞くと決まってみんなは怯えた態度を取ってしまうその存在感。
ここまでを聞いて、概ねあたしが初めて抱いた感想と大きく変わる事は無かった。
それだけ、才川裕作という人間が恐ろしく怖い生き物なのだと理解出来、普段であればクラスに一人や二人いる乱暴者という印象で終わる。
けれど、その時のあたしは不思議に思うことがあった。
それは、彼自身が何か悪い事をしたという話を一度も聞かなかったということ。
年上相手に喧嘩を吹っ掛けたとか、いじめっ子の集団を一人で倒したとか、悪い事をするとすっ飛んできて怒りに来るとか……。
周りの子は怯えて、さも彼が悪者でいけないことをしていると信じて病まない態度を取っているけれど、手段と行動が暴力という事を除けば、彼がやっていることは良い事の様に思えてきた。
――暴力を振るうのはどうかと思うけど。
そのことが気になって、あたしは何日も考えた末、彼に直接相談しようと思った。
私が思っている、心のうちに潜めた悩みを。
「……とはいったものの」
放課後、彼の後ろをついて回って数分が経った。
彼は一人で帰路を辿っており、話しかけるタイミングなど山の様にあった。
しかし、彼の放つ威圧的な雰囲気と、これまで聞いてきた彼の噂がグチャグチャに混ざり、気軽に話しかけてはいけないような錯覚に陥る。
誰かに話しかけるのにこんなに緊張して、話しかけられないことなど一度もなかった。
それこそ、学校であたしのことを避けている周りのクラスメイトに話しかけることなんかより、ずっと話しかけづらい。
「――はぁ」
すると、無言で歩いていた彼が突然立ちどまり、あたしが気が付く程ワザとらしいため息を吐いた。
何かあったのだろうかと、電柱の陰に隠れながらこっそりと観察をしていると、
「お前、用があるならさっさと出て来いよ」
こちらへ振り返り、呆れた顔であたしを見据える彼。
「えっ、あ、いやその」
後ろからついて行っていたあたしは、なるべくバレないよう慎重に行動していたから、変に怖気づいてしまう。
どうしてバレたのだろうと考えるよりも先に、彼が話しかけてきた。
「何の用だ、この前にあった三組との喧嘩の仕返しか?」
「ちが、う。その、あなたに用があって」
「ならさっさと話せ。俺は暇じゃないんだよ」
イライラした様子で受け答えする彼は、まるで狂暴な大型犬のようだと感じた。
今は鎖でつながれて襲ってくる様子はないけれど、機嫌を損ねればいつ飛び掛かってきてもおかしくない、そんな危険な雰囲気が常に漂っている。
近くにいるだけで冷や汗が止まらず、指先がちょっと震えているのを今でも覚えている。
「まったく。そんな兎みたいに跳ねまわりながら付いてきて迷惑だ」
「だ、誰が兎よ! あたしは人間よ!」
「は? あたし?」
突然の事で、自分の事を「あたし」と言ってしまう。
「お前、女子じゃないよな。なんでそんな口調で話してんだよ」
「あ、いや。あた……ちがくて」
普段外では言わないように気を付けている口調だったけれど、咄嗟に出てしまった言葉をどうにか隠そうと必死の誤魔化そうとする。
「あ、いや。ぼ、ぼくは、その」
「お前、言いたいことがあるならさっさと言え。なんか俺に用か?」
突き放すよな態度と鋭く怖い目つきに、たじろいでしまう。
言いたいこと、聞きたいことがあったはずなのに、頭が真っ白になっていく。
頭が回らない。
言いたいことが言えない。
どうして彼の前では、何も言えなくなってしまうのだろう。
いや、理由ハッキリしている。怖いんだ、純粋に。
自分よりも大きい体も、威圧的な口調や声も。
何もかも未知の存在の彼に、怯えてしまっている。
身体が強張り言いたいことも言えない状態で、彼は荒々しく言葉をつづけた。
「お前それ、誰かに言わされてんのか?」
――違う。これはあたしの意思でしゃべっている言葉だ。
「その格好も、無理やり着てるとかか?」
――違う。これはあたしが好き出来ている服装だ。
「嫌なら止めた方が――」
「違う!!!」
彼が話した事を遮るように、あたしは叫んだ。
これはあたしの好きなことで、あたしそのものだ。
だから、それらを否定するな。
そう、彼に言ってやりたかった。
「お前、なんなんだよ」
呆れるようにそういった彼の表情は、とにかく冷たかった。
理解できない、納得できない。
そんな感情を読み取れるような顔つきに、あたしは怯えた。
聞きたいことは何だっけ。
話したいことは何だっけ。
あたしは、何をしたいんだっけ。
考えれば考えるほど考えがまとまらくなって、緊張してしまう。
「おい、なんとか言えよ」
あたしが黙っていると、彼がさらに険しい表情を浮かべて問い詰めてくる。
そのことが余計に焦りを募らせて、ついにあたしはうつむいてしまう。
彼の顔を直視できず、地面を見つめて浅い呼吸を繰り返す。
今思えば、こんなに緊張した事はなかったかもしれない。
いじめられた時も、馬鹿にされた時も、あたしはあたしの考えを貫いていた。
でも、それは紛い物だ。
周りの人間をどこか見下して、自分が正しいのだとどこかで言い聞かせる。
このころのあたしは、そうしないと自分を守れなかった。
両親を除いて、味方になってくれる人間は誰もおらず、世界中のみんながあたしを否定しているのだと考えていた。いじめる奴らも、陰口を言う奴らも、みんなセンスがないんだと思い込んで、自分が正しいのだと信じていた。
けれど、実際はそんなことない。
必死に考えていたことも、彼の前ではすべてが瓦解した。
所詮取り繕った綺麗事は、こうも簡単に覆ってしまう。
緊張や恐怖。
今まで味わったことのない感情で、自分のいいたいことややりたいことが何も出来なくなってしまう。
そのことが、どうしても悔しかった。
「――ッ」
視界に広がるアスファルトの地面に、涙がこぼれた。
一つ、また一つと落ちる涙の後は次第に増えてるのを見て、どうしようもなく情けなくなる。
目の前にいる彼に対して、言い訳がしたい。
怖くて泣いているんじゃない、悔しくて泣いているんだ。
あんたなんて、ちっとも怖くないんだからって。
そんなこと、なんの解決にもならないのに。
「……はぁ」
そんな様子を見た彼は、俯いたあたしからも分かるくらい大きなため息を吐いた。
それもそうだ。
だって、知らない相手に話しかけられたと思ったら突然泣き出んだもん。
誰だって、あたしのことを面倒くさい奴だと思うだろう。
嫌われるだろうし、悪口を言われてもおかしくはない。
そんな状況だったけど、次に彼が話した言葉は意外なものだった。
「……やっぱり、俺は顔が悪いんだろうなぁ」
後悔の色も見て取れるよな声色を上げて、彼は何かを反省していた。
頭を掻く音と共に、彼はうつむくあたしの視界に合わせるようにその場に屈んでこちらを見つめ返してくる。
「悪かったよ早乙女、俺、怖かった……よな?」
涙でグチャグチャになってる目元を親指で救い取り、何度も頭を撫ででくれる。
途中「これでいいのか……? いや、もっと優しくか」などを言いながら、あたしのことを慰めようとしてくれる。
「――くずっ、なん、で?」
「あ? いや……ん? どうした?」
「なん、で。あたしの名前。知ってるの?」
どうして優しくしてくれるのか。
なんで頭を撫ででくれるのか。
頭の中で感じていた疑問とは全く関係のない問いを投げかけてしまう。
「同じ学年だろ? だったら、顔と名前くらい覚えてて当然だろ」
「そう、なの?」
「そんなもんだろ、何なら俺、上の学年のやつらも大体覚えてるし」
――今思い返してみれば、このころからあいつは謎に対人関係に関してのスキルが異常に高かったんだなって思うわ。
「ま、今はそんなことどうでもいい。とにかく場所変えるか」
「……うん」
彼に手引きされるがまま、あたしはこぼれる涙を片手で拭いながら後をついて行った。
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