腕の中に宙吊り
このサブタイトルも「萌え恋」要素ど真ん中です。
でもそれほど身長差のある相手と付き合ったことがない!
夢のまた夢です。
私は土手の草むらに膝を抱えた。かなり恥ずかしい声を上げてしまった。いや、私史上最悪のめっちゃ恥ずかしいやつ。
「ごめん……」
風の合間に声がして恐る恐る顔を上げると、川に向かって投げ出した近藤君の長い脚が見えた。
「帰って……いいよ。電車の時間までここ座ってるから……」
「それまで居てもいいだろ? もう嫌なことはしない……」
唇を噛んだ。何を話していいかわからない。たぶん近藤君は私が嫌がってもがいたから自転車から落ちたと思ってる。左手のことは……、バレてない。
「電車通学、大変だな」
「あ、ううん、うちのほう、みんなそうだから。同中の子たち、私立とか行ってるだけで電車で顔合わせたりする」
「そうか……」
「なんでうちの高校に来た?」
「大学行きたいから。地元の高校進学率低くて。私立に行くには貧乏で……」
我ながら味気ない女。
「オレは多田先生がいるから。あの人トレーナーの資格持ってんだ。うち、公立のくせに陸上強いの先生のお蔭……」
「そうなんだ……」
名前が出たから聞いてみる気になった。
「あ、あの、多田先生、私のことなんて言ってるの?」
「別に……、でもよく見てる。部活中も早坂が下校するのをフェンス越しに……。教師でも生徒でも男が近付くとじっと……」
うわっ、それかなり気持ち悪いんですけど。
「俺のほうから訊いたんだ。うちのクラスの女子なんだけど、あのサポーターは風紀違反じゃないのかって。そしたら急に真面目な顔して早坂は皮膚が弱いとか語り始めてびっくりした。何の接点もないはずなのに、なんでそんなこと知ってんだ? それで、2年の先輩が冷やかし始めた」
噂は陸上部から広まったわけだ。
「先生も早坂と面談しただけって言い張って、付き合ってるかと訊かれてもへらへら笑ってるし、自分の彼女を悪い虫から守ろうとしてるとしか見えなくて……」
先生本人が所構わず吹聴していたわけじゃない。それだけはホッとしてしまった。
先生はやっぱり教師の立場で私の心配してくれてるだけだ。説明できないから否定もできなくて、手首の秘密がバレないように、熱弁してくれただけ。
不器用な立ち回りだけど、まあ、多田先生らしいな。
「なんか、悪い、学校中の噂になって……」
「ううん、大丈夫」
「送るって言っといてケガさせるとこだった、ビビったあ。今日も上森たちがちょっかいかけてるから気になって……。橋本は実は早坂に気があると思うし……。多田先生から聞いた話はほんとなのか俺自身も知りたくて……」
「……」
「早坂ってドジっ子なのに、頭いいだろ? のんびりして見えるのにちゃんと理由持って行動してるってか……。何とはなしに学校来てるその他大勢とはちょっと違う。目標持ってるような気がしたんだ。オレと似てるかなって……」
「ドジは似てなくてよかったね〜」
そう返すのが精一杯だった。
――近藤君が、あの近藤君が私のこと見ていてくれた? クラスに馴染めなくて逆に目立たないようにしてたのに。
ダメ、これ私の弱いパターン。知らないところで私のこと見てくれてて認めてくれるって……。多田先生じゃ気持ち悪いけど、それが憧れの相手だったら、話は全く別。
次の近藤君の声は優しかった。
「ごめん、無理矢理サポーター奪おうとしたわけじゃ……なくて」
「違うの?」
「ちっちゃくて可愛い手だなと思ったら触ってた。ほんと、ごめん」
近藤君は右膝と右腕で顔を隠してしまった。私はきょとんとして……、でも彼の耳たぶが赤いことに気付いた。
「夏の大会、本当に来てくれる?」
近藤君は膝の下の雑草に話しかけている。
「うん、場所と日時を教えてくれたら」
「郊外広域公園のスタジアムだって」
「うちのほうじゃん!」
近藤君は首だけ廻して、助走前にハイジャンプのバーを見つめるような、鋭い端正な顔を向けた。
「先生に会うためじゃなくて、俺の応援のためにだよ?」
「もちろん」
私の下校路は、校門を出てからぐるりと学校のグラウンドを半周する。
テニス部もサッカー部も活動しているけれど、私の目はフェンス近くで練習する陸上部、それも学校を上げて応援している期待の新人、同じクラスの近藤君のジャンプばかり追っていた。
弓なりにしなる体が宙に弧を描く。2メートルを飛ぶその体は滞空時間が長くて、コマ送りでも観ているかのようで。
それが入学以来、私の帰宅部としての日課だったんだから。
「足、早く治るといいね……」
「そうか?」
思いがけない返答にまた目を丸くしてしまった。
「休部中ならこうやって早坂送れるんだけど?」
ぶわっと音がしそうに頬が熱くなった。
「取り敢えずこの2週間は、一緒に帰るってことでいい?」
近藤君はアスリートなだけあって、決める時は決める、思ったよりはっきりと言葉を発する人だった。
近藤君は夏休みに入った途端の県大会に、私と買いに行ったおそろいのサポーターをして臨んだ。
5月にあった県総体ほどの記録は出せなかったけれど3位につけ、インハイ出場権を見事に獲得。
表彰式が終わり、樹木園のほうでふたりきりになれてから、ご褒美として「私のサポーターの内側に指を入れてみて」って耳打ちした。
半信半疑の近藤君は、最初は自転車の上でしたように、手の甲側に中指を忍ばせたけれど、その指が私の手首を廻って日に焼けてない側に触れた時に、全てを理解したようだった。
声も出せずに動悸に堪え目を潤ませた私を労るどころか、彼ってば狩人のように豹変して、立ち木に私の手首を押さえつけ左腕で腰を抱き締め、口づけしてくれたのだから。
そして、
「未来……、これスグレモノ……」
と囁くと、ずらしたサポーターの下にまでキスしてしまった。
「一生、オレだけのものな?」
決めゼリフを吐かれてぼうっとした私は、「彰吾って呼べるようになるかな?」なんて考えながら、長身の彼氏の腕の中に宙吊りになっていた。
―了―




