5ー40 ベルタ嬢 最後の手紙
5ー40 ベルタ嬢 最後の手紙
鏡が映していたのは間違いなくベルタさんだった。
後ろで1本の三つ編みにしていた髪はほどけて広がり
衣服も乱れている。何よりも。
「足を怪我しているわ! 血が止まらないみたい」
私がそう叫んで鏡に駆け寄った瞬間、
その姿はかき消えてしまう。
そして、もう何も映さなくなった。
いったい、何があったというのだ?
この部屋で、イン=ウィクタ国の過去を知ったベルタさん。
確か、2通目の手紙では。
”こんなに誰かを憎いと思ったのは生まれて初めてでした。
こんなことが許されて良いわけありません!”
と激しく憤っていたのだ。
そして。
”マリーたちには、地下には絶対に行くなと言われたけれど
私に出来ることはないか、探してみようと思います”
とあったのだ。
「ベルタさん、何をしようと……」
ルドルフがそういった瞬間、私は気が付いた。
「彼女が運んでいたのは、アレクサンドの大剣と鎧だわ!
彼の”絶命の呪縛”を解くつもりだったのよ!」
人は通常、亡くなった時点での姿で霊魂が拘束されてしまう。
溺死なら濡れた姿、事故死なら手足が欠けていたりするものだ。
しかし彼女は卓越した想像力を持って、
その呪縛から死者を解放することができた。
ライオネルやフィデル、王妃を救えたのは、
当の本人の想像を凌ぐほど、”この姿だ!”と、
強く、鮮明にイメージできたからだ。
「確かミューナが言っていたわね。
ブックマーカーを拾った場所よ。
鏡から出て、クォーツに驚いて……
壁づたいに歩いていたら、刀か何かにつまづいたって」
クルティラの言葉を受け、ルドルフもうなずいて言う。
「そうだ! そこにブックマーカーが落ちていたということは」
私たちは、大急ぎで下へと戻った。
そして今度は淡く光る巨大クォーツに直進せず
手元に火を灯した木材を掲げながら、
いったん壁まで移動し、それに右手を着きながら進む。
「もう。メイナが使えれば、ここもパアッと明るくできるのに」
私がブツブツ文句を垂れると、
リベリアが諭すように言う。
「イナバム王子はメイナ使いでしたわ。
だから少しでもメイナが感じられると、
イン=ウィクタの人々の霊が反応し、
メイナを封じようとするのでしょう」
アイツのせいで、この地にとってメイナとは
不正と俗悪の象徴になってしまったのだ。
そのためこの地ではメイナを使うことができない。
私はルドルフにたずねる。
「実際、メイナを使ったら何が起こるの?」
「なんだ、そんなことも知らずに、
ちゃんとルールを守っていたのか」
「いや、”使った瞬間に意識を失う”っていうのは
皇国の報告書で読んだけどね」
ルドルフはうなずいて言う。
「前に一度だけ見たんだ。
旅人がフザけてメイナを使った瞬間、
バターン! って前に倒れてさ。
しかもその後三3日間、
金縛りみたいに動けないままだったよ」
「……それは嫌だな」
私は顔をしかめる。
自由を奪われるのは一番嫌いだ。
しかしリベリアがニコニコ笑いながら言う。
「呪いにしては、優しい方だと思いますわ」
クルティラもフフッと笑い同意する。
「”特定の言語を使うと発動する呪い”を見たことあるけど
言葉を言った瞬間に、頭部が弾けてたわよ」
うわ! 何それ。
呪った人、短気すぎるでしょ。
ルークスが背を向けたまま、静かに言う。
「イン=ウィクタの民は本質的に
優しく穏やかなのだろう」
確かにそうだ。
壊滅的に呪われたのはイナバムたちだけだし
メイナの使用を禁止する以外は何も起きてはいない。
現シュケル国の人々も、
人を疑うことを知らぬ努力家ばかりだ。
だからエルロムのような奴に、
良いように使われてしまう。
苦々しい思いを抱えて歩いていると。
「……あれではないか?」
先頭を進んでいたルークスがつぶやく。
私たちは彼が見つけたそれを取り囲んだ。
柄や鞘を調べ、クルティラが言う。
「これだわ。間違いない」
鏡に映ったアレクサンドが持っていた大剣と一緒だ。
一度見た武器を、クルティラが見間違えることはない。
「立派な胸甲ね。大剣と一緒に運ぶなんて、
ベルタさん重かったでしょうに」
リベリアが鎧を見ながら言う。
胸甲の前面には見事な獅子のレリーフが描かれていた。
その鎧をルークスが持ち上げた瞬間、何かが床に落ちた。
それは……手紙だった。
全員が息を飲む。
震える手でルドルフが拾いあげる。
宛名はいつもの通り”ルドルフ・ビブリオテ様へ”。
私たちはぼんやりと光るクォーツの側で
ベルタさんからの手紙を読んだ。
彼女からの、最後の手紙を。
************
ルドルフ様。
この国はシュケルではなく、全く別の国だったのです。
世界に危険を及ぼす国宝を奪われ、
理不尽に滅ぼされた国があったのです。
マリーたちは、その国の人々でした。
彼女たちが心から敬愛する王は、
ひどい屈辱や拷問を受けた後、
国宝から世界を守るために亡くなりました。
私は彼らの怒りや悲しみを知りました。
そしてそれは、この”物語”を知った私の感情でもあるのです。
朝になってから私はフェデル様に、
王様の剣や鎧がどこにあるか尋ねました。
彼は”本塔の 上階”と教えてくれたのです。
王妃の部屋を出て、すぐにそちらへ向かいました。
私の意図に気付いたマリーは反対し、
ヴァレリア王妃様は複雑な面持ちで止めてくれましたが
フィデル様は迷われているようでした。
主塔の上階はたくさんの物であふれていました。
困惑する私にフィデル様が、一か所を指さします。
そこには私の背くらいある大剣と、
獅子のレリーフが施された鎧がありました。
私は大剣と鎧を持ち上げ、
心配そうに見守る王妃様たちに私は言いました。
「大丈夫です。あの方にお届けします」
私はそれらを抱え、必死に階段を降りました。
やっと一階まで着いた、と思ったら。
「見つけたぞ!」
地下への階段の手前で、
あの主導者たちと鉢合わせしたのです。
私を探して、ここまで来たのでしょう。
彼らは私を見つけると、ニヤニヤしながら近づいてきました。
「お前が悪いんだぞ。素直に従わないんだから」
彼らの目は血走り、恐ろしい形相で近づいてきます。
どうやらひどく焦っているようでした。
「近づかないでください」
私はとっさに大剣を構えました。
しかし、持ち上げることすらできません。
だから急いで階段を降りて逃げようとしたら。
彼らは私に飛び掛かってきたかと思いきや、
主導者のひとりが私の背を蹴り飛ばしたのです。
ものすごい音を響かせ、
大剣や鎧とともに、私は落下してしまいました。
彼らは階段の上から覗き込み、
「……死んだか?」
「ああ、動いてない」
「……俺たちが悪いんじゃない。
従わなかったコイツのせいだ」
そんなことを言いながら、
階段の入り口に外れたドアや石をのせて、
完全に封をして去っていきました。
元々、口封じのために殺すつもりで来ていたのでしょう。
本当に愚かで凶悪な人たちです。
階段から落ちた私は、もちろん生きていました。
とっさにフィデル様やマリーたちが
出来る限りの力を使って、衝撃を弱めてくれたようです。
しかし、運悪く足に木片が刺さってしまいました。
ここへの階段は封じられました。
もう戻れないかもしれない。
もし、このままここで死ぬのなら……
私は決意しました。私の最後は、
”手紙”という、あなたとの対話で終えよう、と。
だから私は、マリーたちが自分の体を発光させて
手元を照らしてくれている間に、
最後の手紙を書くことにしたのです。
ルドルフ様、今までお手紙ありがとうございました。
あなたのとのやり取りは、
私の世界を幸せなものに変えてくれ
生きる力を与えてくれました。
本当に、たくさんの言葉を頂き、感謝しています。
でも。
私はあの鏡で過去を知り、
フェデル様が目を閉じたままである理由を知りました。
彼は辱めを受けた王の姿を
最後まで見ることを拒否して殺されたのです。
本当に君主想いで、優しく思いやりのある方です。
でも、見られるほうの本当の願いは、
そうではないかもしれません。
一番願うのは”どんな姿でもかまわない”と
言ってもらうことではないでしょうか。
私はずっとルドルフ様に
こんな地味でみっともない姿を見せたくなかった。
でも、今は違います。
会いたかった。会えば良かった。
きっとあなたは気にせず
”別に外見などどうでも良い”
そう、言ってくれる気がするのです。
なんて、勝手な想像にすぎませんが。
それでも、会って話したかった。
あなたに会いたかった。
いま、ライオネルが心配そうな目で見守ってくれています。
マリーが私を案じ、涙をこぼしながら背中をさすり、
王妃様やフィデル様は誰か呼べないものか
探し回ってくれているようです。
優しい方々は、亡くなっても優しいのです。
この情け深く慈愛に満ちた方々が、
忌まわしい出来事から解放され、
自由に世界を楽しめるようになることを切に願います。
全員が元通りの姿に戻り、
みんなでお酒やご馳走を食べながら、
笑いあって過ごせる日が来ることを。
そして私は、生まれ変わったら紙魚になりたいです。
紙魚になって、ルドルフ様とともに活字を追いかけたい。
一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に胸を弾ませて。
たくさんの本を読むのです!
************
手紙はここで終わっていた。
とうとう力尽きてしまったようだ。
最後の方の字は薄くなり、乱れていたけど、
”たくさんの本を読むのです!”
という最後の言葉だけは、強い筆圧で書かれていた。
リベリアが顔を覆い、クルティラも目を伏せる。
涙が止まらない私の肩に、ルークスが手を置く。
「……俺の方こそ、感謝してもしきれない。
君の言葉が、俺の人生を救ってくれたんだ」
そう言って、ルドルフは肩を震わせる。
涙を流しながらも、彼は穏やかに笑っていた。
ルドルフは前回、ベルタさんの遺骨を見つけて、
その場を動こうとしなかった。
しかし今回は早々に立ち上がり、
涙をぬぐい、鎧と大剣をつかんで顔を上げる。
ルークスはそれを見てうなずき、
「では、行こう!」
と言い、背を向けてすぐに歩き出す。
どんどん奥へと向かうルークス。
とまどう私の横で、ルドルフは言った。
「ミューナが古城に現れ、ベルタさんを侮辱した時。
将軍が言った言葉を覚えているか?」
私はうなずく。確かルークスはあの時。
「中傷誹謗に激怒して……」
ルドルフは笑って言う。
「そうだ。でも俺が一番嬉しかったのは、そこじゃない。
将軍はあの時、俺に言ったんだ。
”彼女は君が、人生の全てをかけて
守りたいものだと知っている”と」
私は気付いた。そうか。
「あの方は”守りたかった”とは言わなかった。
未完の、過去形にしなかった。
……今でも俺は、彼女を守る事ができる、
そう言い切ってくれたんだ」
だから、行くのだ。
彼女の”願い”を守り抜くために。
黒獅子王に会い、彼に大剣と鎧を届け、
イン=ウィクタ国の人々を古城から解放するのだ。




