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死の贈り物 ~ランバート・ホテルにて~  作者: 五十鈴 りく
The 6th day◇The Outing Monday

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28/41

◆7

 姉がいる304号室もこのフロアである。

 まさか、とアデルはチョコレートの袋を握り締めて震えたが、ケード刑事に引っ張られてエレベーターを降りた。


「さあ、こちらです」


 やはりここなのか。

 しかし、ケード刑事がノックしたのは304号室――ではなく、303号室であった。

 ノックと共に声をかける。


「アデル・ダスティン嬢をお連れしました」


 ケード刑事は、返事も待たずに扉を開く。

 中にいたのは、姉だった。椅子にもたれかかり、顔面蒼白である。


「姉さん!」


 生きている。具合は悪そうだが、姉は無事だ。

 アデルは心底ほっとした。


 そうなると、殺されたのは誰だ。アデルに関わりのある人物ではなかったのか。

 アデルが姉に駆け寄ると、姉はうっすらとまぶたを開き、虚ろな目から涙を流した。


「ね、姉さん……」


 どう声をかけていいかわからず、アデルは姉の肩を摩った。そうしていると、ケード刑事がアデルの背中に向けて言う。


「亡くなったのは、お姉さんの婚約者、デリック・ミルトン氏です」

「そんな……!」


 デリックが亡くなったと。

 どうして、とそのひと言が出てこなかった。喉が渇いてくっついたように動かない。


 アデルは手に持っていた紙袋をまた落としてしまったけれど、それを拾うよりも先に姉を抱き締めた。


「姉さん……」


 本人同士が恋をして決めた婚約ではない。愛してはいなかったかもしれない。

 それでも、すべてはこれからだった。これから愛情を育んでいくはずだったのだ。


 姉の心情を思うと、アデルもどうしたらいいのかわからない。一緒に泣くことしかできなかった。

 アデルが泣くからか、姉は幾分落ち着いてアデルの背中を摩った。




 ようやく涙が止まると、アデルは姉と抱き合ったままつぶやいた。


「一体何があったの?」


 すると、姉の体がヒクッと痙攣したように動いた。それでも、姉は少しずつ語り出す。


「部屋でデリックとお茶を頂いていたの。そうしたら、デリックが急に苦しみ出して、それで――」


 デリックに持病はなかったはずだ。若い彼だから、突然死は考えにくい。

 ノーマと同様に毒を盛られたというのだろうか。


 わからないけれど、ノーマに続いて今度はデリック。

 メイドと実業家。被害者は接点のない二人だ。


 時期が近いからといって関連づけて考えるべきではないのかもしれない。先の事件に便乗しただけという可能性も考えられる。

 それでも、どちらも中毒死だとするなら死因は共通する。


「部屋には二人だけだったの? 誰も来なかった?」

「来なかったわ。メイドのミス・ファラが給仕をしてくれていて、二人でお茶を飲んでいると、デリックが倒れたの」


 アデルが考えたところでわからない。

 どうすべきか迷ったけれど、アデルは姉から離れ、落としたチョコレートを拾って机の上に置いた。


「ちょっと確かめてくるわ……」


 それを言うと、姉が不安そうな目をした。今は姉につき添っていてあげたいけれど、デリックのこともちゃんと確かめておきたかった。

 アデルは部屋を出て304号室の扉をノックする。


「アデル・ダスティンです。バクスター警部はいらっしゃいますか?」


 すると、中から反応があった。ガチャリ、と乱暴に扉が開く。相変わらずの煙草臭さを振り撒いて、バクスター警部が細長い顔を出した。


「姉の婚約者のデリックが亡くなったと聞きましたが」


 バクスター警部は頭をガリガリと掻きながら目を伏せた。


「後であんたにもお話をお聞かせ願いたいと思っていたところですよ。ホテルにいませんでしたね?」

「ええ、お買い物に出かけていましたの」

「一人で?」

「いいえ、連れがおりましたわ」


 アデルにはアリバイがある。ノーマの時もそうだが、デリックの時もホテルにはいなかった。

 バクスター警部はアデルの言うことだけを鵜呑みにはできないのか、スッと目を細めた。


「そのお連れさんとやらは、あのヴァイオリニストのボーイフレンドですか?」

「違いますわ」

「そのお連れさんにもお話をお伺いしたいんですがね?」

「できると思いますけど。……デリックはお茶を飲んでいて、それで苦しみ出して亡くなったと姉から聞きました。それはお茶に何かが含まれていたということでしょうか?」


 アデルがじっとバクスター警部の目を見て言うと、バクスター警部は煙草臭い息を吐いて言った。


「只今調査中ですので詳しいことはわかっていませんが、多分毒殺でしょう。ところで、ミルトン氏は煙草を吸われましたか?」

「え? 煙草ですか?」


 その質問は唐突に思えたが、何か意味のあることなのだろう。

 アデルの知る限りでデリックが煙草を吸っているのを見たことはない。バクスター警部のように煙草臭いと感じたこともないのだ。


「……多分、吸わなかったと思います」

「じゃあ、お姉さんは?」

「吸いません」


 煙草がなんだというのだろう。

 アデルの返事は想像通りだったらしく、バクスター警部はそのひと言で納得していた。それなら何故訊いたのだろうかとアデルは訝しんだ。


「わかりました。じゃあ、あなたが一緒に出かけたお連れさんを連れてきてもらえますか?」

「今日は別れてからどこへ行ったのかわかりません。明日でもいいでしょうか?」


 バクスター警部は口の端を持ち上げ、小刻みにうなずく。なんとなく人を食ったような仕草だ。


「なるべく早くお願いしますよ」

「……あの、デリックに会えますか?」


 死んだと聞かされただけで、遺体を目にしてもいない。未だに何かの冗談ではないかという気がしてしまう。


 バクスター警部は扉を大きく開く。すると、中にはまだ遺体があった。

 椅子から落ち、倒れ込んだままの状態である。顔は背けられていてこちらからは見えないけれど、見えなくてよかったのかもしれない。きっと苦悶の表情で事切れている。


 姉とデリックがティータイムの最中であったことを物語るティーセット。

 テーブルの上には二人分のカップとソーサー、ビスケットやチョコレート。

 カートにはふたつの小さなミルクピッチャーとティーポットがひとつ。すべてボーンチャイナだ。

 椅子が一脚倒れているのは、姉が驚いて倒したのだろう。


 このささやかなティータイムがデリックにとって最後になった。

 アデルは部屋に踏み入ることなく、十字を切ってその場で祈った。組んだ手が震えた。




 ジーンに会って話をしたいけれど、捜せない。

 アデルは仕方なく朝になるのを待った。姉も一人にはしておけず、アデルと同じ部屋に来てもらって二人で過ごす。


 姉はこのところずっと体調が優れなかったので、また寝込んでしまうかに思えたけれど、案外しっかりとした足取りだった。もちろんショックは受けているが、急に倒れてしまうということもなさそうだ。


 まだ現実として受け入れられていないからなのか。それとも、やはりデリックのことはそこまで好きではなかったのか。


 ひどいかもしれないが、最愛の人を亡くすよりはその方がいいのかもしれないと考え、アデルは心の中でデリックに謝った。


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