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死の贈り物 ~ランバート・ホテルにて~  作者: 五十鈴 りく
The 6th day◇The Outing Monday

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26/41

◆5

 まだ帰りたくないとごねるアデルと、僕は帰るからあんたは残ればいいと言うジーン。

 どうしても手強い。しかし、土地勘がなく、放っておくとすぐに知らない男が寄ってくるアデルを、ジーンが本気で放置する気がないのはわかっている。


 たまの休みだから、帰ってゆっくりしたいのだろうか。ここであんまり駄々をこねると逆効果かもしれない。ここは素直に引いて、次に期待したい。


 そう、次だ。

 これで終わりでは何をしているのかがわからない。次へと続けなくてはならないのだ。


 殺人事件が発生するという特殊な状況でアデルはここに留まったが、本来ならばとっくにロンドンへ戻っているはずだった。この恋は、本来であれば発展しなかった。


 今はもうアデルも警察に行動を制限されることがなく、帰っても構わない。

 姉の体調が気がかりではあるけれど、デリックが来たのだから連れて帰るだろう。


 つまり、アデルはもうランバート・ホテルに残らなくてもいいということ。向こうから言い出したこととはいえ、スイートルームを使っているので、ホテル側はそろそろ帰ってほしいと考えているに違いない。


 ロンドンに帰ったら、どれくらいの頻度で会えるだろうか。アデルが来るだけでなく、ジーンもたまにはロンドンに来てくれるだろうか。


 遠距離ってつらいな、とすでに恋人になった気分であるが、今のところ了承はない。帰るまでになんとかなるだろうか。あと一日二日しか猶予がなかったら、結構厳しいかもしれない。


「帰り道も腕を組んでいいかしら」


 返答を待たずに腕にしがみつくと、ジーンは冷ややかな目をした。それも想定内である。


 本当だ、その人を知ると行動が読める。

 嫌な顔をするだろうなと思ったら、している。


 これも照れているからだということにしよう。そう思うと、その表情も可愛く見える。

 アデルはフフ、と笑顔を向けた。


 ジーンは駄目だとも言わず、諦めて歩き出す。アデルはそんなジーンに寄り添って歩いた。


 無機質なコンクリートと、生命力溢れる緑の草木。

 相反するはずのふたつが何故だか当たり前のように組み合わさり、天から注ぐ光を受けて当然のごとく輝いている。

 この国には色んな奇跡があるのだ。




 ――ランバート・ホテルが見えてきた。

 あと少しで着いてしまうと思ったら切ない。ジーンの腕をギュッと抱き締めるが、悲しいかな無反応である。でも、そういうところも好きだと思うアデルは変かもしれない。


 ジーンはまた正面玄関を避けて裏口から入りたいようだ。しかも、アデルと一緒に戻るつもりはないらしい。


「変な噂でも流されたら僕が働きにくくなる。あんただけ先に帰れ。さすがにこの距離で迷子にはならないだろ?」


 変な噂とやらが流れればいいのにと内心では思ったが、ここは大人しく引いた。アデルももう大人だから、ジーンの立場も考えてあげられる。


「わかったわ。今日はありがとう」


 面と向かってちゃんと礼を言うと、ジーンは意外そうな顔をした。

 アデルが、物足りないと不平不満をぶつけてくると思ったのだろうか。そんなに子供ではないつもりだ。


「じゃあ、また明日ね!」


 まだロンドンに帰らないのかと言われそうだが、もう少しだけここにいたい。

 しかし、この時――。


「アデル!」


 急に背後のジーンが動いた。長い腕がアデルの腰に巻きつき、体を軽く抱えたのだ。

 アデルは何が起こったのかもわからなかった。


 ジーンはアデルを抱えたまま、近くの建物の陰に背中を合わせるようにぶつかった。背中から伝わるジーンの心音が、普段の落ち着き払った様子からは想像もできないほど速まっている。


「ジ、ジーン?」


 抱き締められて口説かれるという期待はできなかった。明らかにそういうことではない。

 陰になったせいもあるが、振り返ったジーンの顔が青ざめて見えたのだ。周囲にいた人々も何事かと振り返る。


 しかし、これといって何かがあるわけでもない。皆、恋人同士の喧嘩かとすぐに興味を失って通りすぎた。


 ジーンは息を詰まらせ、呼吸を落ち着けながらアデルを放した。アデルはそっとジーンを見上げる。

 すると、汗を滲ませたジーンがつぶやいた。


「……ホテルの窓から誰かが狙っているように見えた」

「えっ? 私を?」


 ゾッとするようなことを言う。飲み水にタバスコを入れられるという悪戯はされたが、それは捜査を撹乱するためであって、本気でアデルを狙ったわけではないとジーンは考えていた。

 だから、ジーンも戸惑っている。


「わからない……。僕が過敏になっているだけで、見間違いかもしれない」


 殺人があった後なのだ。いくらジーンでも平素と同じ精神状態ではなかったのかもしれない。

 とっさにジーンがアデルを庇うように動いてくれたことが、アデルには天に昇るほど嬉しかった。

 改めて抱きつき直したが、ジーンの体は震えていた。平穏からの非日常に驚きが勝ちすぎているのだろう。


「やっと私の名前を呼んでくれて嬉しいわ!」


 アデルはギュウッと腕に力を込める。しかし、ジーンはもう抱き締め返してはくれなかった。アデルを自分から引き剥がし、険しい顔をしたかと思うと、ポツリ。


「もうあんたとは出かけない」


 親密度が増したかと思えば、そうでもない。むしろ嫌われてしまった。

 女の方から抱きついたりしてきて、はしたないと思われたのだろうか。アデルがショックを受けて涙を溜めると、ジーンはいつかのように苦りきった顔をした。


「僕が色々と甘く見積もりすぎていた。はっきりするまで軽はずみに出かけるのはやめた方がいい」


 ジーンは、アデルは狙われていないと思っていた。自分の読みに自信がなくなったのかもしれない。


 けれど、アデルはジーンの気のせいであった可能性も否定できないと思う。チラリとホテルの方を見たが、取り立てて不審な人物の影は見つからない。

 とはいえ、ジーンが心配するのならしばらくは大人しくしているべきだろうか。


「私に愛想を尽かしたって意味じゃないのね?」


 上目遣いで見上げると、ため息をつかれた。


「最初から尽かすほどの愛想はない」


 ジーンらしいことを言った。この口の悪さも親しみだと思うことにする。

 アデルは笑った。


「ジーンが私のことを心配してくれているのがわかったから、ここは大人しくするわね。しばらくデートは諦めるけど、ラウンジには行くから」


 駄目だとは言われなかった。だから、来てもいいと言っているのだと解釈した。


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