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死の贈り物 ~ランバート・ホテルにて~  作者: 五十鈴 りく
The 5th day◇The Reunion Sunday

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17/41

◆1

 そして、異物混入騒ぎがあった翌日。

 アデルの部屋に来たケード刑事から報告を受ける。


「あなたが飲みかけた水からはカプサイシンが検出されました」

「そ、それってどんな毒なのかしら?」

「…………」


 ケード刑事はやや半眼になっていたが、コホンとひとつ咳ばらいをし、続けた。


「部屋へ運ぶ飲み水は同じものがいくつも用意されていて、担当者が各部屋に運ぶそうです。それなりの数があるわけですが、あなたの部屋はスイートルーム。水差しもグラスも、他より上等のものを使っていて、あなたのもとへ届けられる水差しがどれなのかは区別がついたことでしょう。担当のミス・スコットは、もちろん身に覚えがないとのことでした。水を用意する厨房には数多くの従業員が出入りするので、現段階で誰がタバスコを入れたのか特定はできておりません」

「タバスコ……?」


 アデルは甘党で、辛いものは嫌いである。カレーですら好んで食べない。慣れない舌への刺激に驚いて取り乱したが、そもそも水にタバスコなんて入れられていると思わないのだから仕方がない。


 完全なる悪戯であった。

 どうも、警察も命に別状がないただの悪戯だと見て、殺人事件ほど身を入れて調べてくれるつもりがないらしい。


 ノーマの事件とは別件だと警察は判断したのかもしれない。それもどうせ、鼻持ちならない女だから誰の恨みを買っているかわからないし、事件にかこつけて悪戯してやれという手合いがいたという程度に。

 もしジーンが言ったように、アデルが狙われていると見せかけたかったのだとしたら大失敗だろう。




 とりあえず、アデルはラウンジに向かった。ジーンに報告をしようと思ってのことだ。

 また呆れられてしまうかもしれないが、まあいい。顔が見たい。


 そんなことを考えていると、廊下でノーマの恋人を見かけた。あの時とは違い、数日でげっそりと瘦せこけた印象だった。恋人が死んだのだから、それも当然かもしれない。

 彼が殺したのであって、罪の意識に苛まれている――なんてこともあるだろうか。


 アデルは少し考えたが、そのまま彼に声をかけることにした。廊下は無人ではないから、もし彼が犯人でもアデルに危険はないはずだ。


「こんにちは」


 彼はハッとして機敏に振り向いた。怯えた小動物のようだった。


「こんな時でさえお仕事をお休みできないのかしら?」


 周囲はどれくらい二人の関係を知っていただろう。隠しているようでいて詰めの甘い二人だから、皆が知っていた気がする。だから皆、彼を気遣ってくれていると思いたい。


「何人か休みを代わってやるって言ってくれたんですけど、働いていた方が気が紛れるんです」


 しょんぼりとそれを言った。気が紛れているようには見えないけれど、それでも一人で部屋にいるよりははるかにマシに違いない。

 それも、彼が殺していないことが前提だが。


「少しお話できるかしら?」

「し、仕事中ですので……」

「そんなに長くはかからないわ」


 すると、ジョアン――いや、ジョエルだったか――は、ゆっくりとうなずいた。目の下に隈がある。うつむくとそれがよくわかったから切ない。

 ガラスの小物に触れるような慎重さを心がけ、アデルはささやく。


「あんな若い娘が可哀想なことだわ。犯人には絶対に償わせなくちゃ」


 この時、ジョエルはしょぼついた目を瞬かせながら顔を上げた。


「じ、自殺じゃないって言うんですか?」

「私は違うと考えているけれど。だって、あんなに若くて、あなたっていう恋人がいて、どうして死を選ぶ理由があると思うの?」


 責めているわけでもないのに、ジョエルは今にも泣き出しそうなくらいに顔を歪めて震え出した。


「ちょっと、喧嘩をして。そんなのいつものことだから、売り言葉に買い言葉で言い返して……。ノーマがもう別れるって言うから、面倒になって、こっちも好きにしたらいいよって。でも、本気で言ったんじゃありません。こんなやり取りは今まで数えきれないくらいしてきたんです。あんなのが最後になるなんて、こんなことって……っ」


 そこで声を詰まらせた。アデルは生々しい心の傷痕を抉ってしまった気分で、ジョエルの腕をポンと叩いた。


「真実がわかるまで、自分のせいだなんて思いつめない方がいいわ。ね?」


 大の男がすすり泣く。それをみっともないとは、さすがに思わなかった。見ていると胸が痛い。


「ノーマは、本当に普通の女の子だったんです。いつでもコンプレックスのそばかすばかり気にしている、でも、笑顔がとびっきり可愛い女の子でした。僕は、そんなノーマのことが……っ」


 もし仮に死んでいたのがアデルだったとして、ボーイフレンドたちはここまで悲しんでくれるだろうかと考えた。

 残念がったとしても、また別の誰かを追いかけに散っていくだけのような気もする。数を侍らせただけで、そうした上辺だけの関係しか築けていないのだ。


「ノーマは私生児なんです。父親の顔も知らないって言ってました。母親はいますけど、喧嘩別れして飛び出してきたらしくて、連絡先とかわかりません。このホテルで働くようにはなりましたけど、ここで生まれ育ったマンチェスターっ子(マンキューニアン)じゃありませんから、ここに知り合いなんてほとんどいないし。だから、ノーマのことを弔ってあげられるのは僕だけです」


 最初に会った時、この青年を頼りないと思った。けれど、今はそう思ったことを謝りたくなった。

 心優しい恋人がいて、ノーマの最期はほんの少しくらいは幸福であっただろうかと。そうであってほしい。


 アデルはジョエルと別れ、暗雲が垂れ込めた胸を摩りながらラウンジに辿り着く。


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