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死の贈り物 ~ランバート・ホテルにて~  作者: 五十鈴 りく
The 3rd day◇The Rose scented Friday

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14/41

◆6

 とりあえず姉の顔を見に行こうと思い、アデルは三階の304号室へ向かったけれど、その通路を見た途端、昨晩の恐怖が蘇った。


 若い娘の青白い顔。魂を失って投げ出された手足。

 誰もがいつかは直面する死に、人は抗うことができない。だからこそ恐ろしいのだ。


 足が震えてエレベーターの前で立ち尽くしていると、304号室からメイドが出てきた。

 それはレイチェルだった。


 アデルの使っていた305号室は封鎖されているから、ノーマが担当していた304号室をレイチェルが受け持つのは妥当なところだ。人が死んでもホテルから宿泊客をいきなり閉め出すことはできないのだから仕方がない。複雑な思いは抱えつつも働くしかないのだ。


 レイチェルは遠くからアデルに気づくと、あ、と口を軽く開けた。そうして、頭を下げる。アデルは近づくのではなく、レイチェルがこちらに歩いてくるのを待った。


 レイチェルは手にトレイを持っているだけだった。顔色が悪く、昨晩は眠れなかったものと思われる。

 そういえば、レイチェルがノーマに仕事を代わってもらったのだった。そのせいであの惨劇が起こったのかどうかはわからないが。


「ねえ、あなた、うちの姉さんの部屋の担当になったのね? 姉さん、具合がよくないと聞いたのだけれど、部屋にいるかしら?」


 強く言ったつもりはないが、レイチェルは困惑気味にトレイを持つ手に力を込めた。


「ええ、いらっしゃいますが、少し眠ると仰っておいででした。お訪ねになるのはもう少し後の方がよろしいかと……」

「そうなの? ……ええ、そうするわ」


 この時、アデルはレイチェルに向かって、気になったことを率直に訊いてみた。


「あなた、昨晩は用事があったそうだけれど、どこにいたの?」

「それは……」


 冷静沈着に思えたレイチェルがひどく動揺した。この動揺の仕方は、殺人犯か逢引きをしていたかのどちらかだろう。


「もしかして、恋人と会っていたの?」


 責めているのではないと微笑んでみせる。レイチェルはアデルから顔を背けた。


「い、いえ、そんなことは……」


 ノーマにも恋人がいた。レイチェルは美人だから、いてもおかしくない。

 レイチェルからしてみれば、その逢引きのせいでノーマが死んだのだ。恋人と会っていましたとはとても言えないのだろう。


 女たるもの、何よりも恋を優先してしまっても仕方がないとアデルは理解を示すのだが。

 ノーマが死んだのは、仕事を代わってもらったレイチェルのせいなのか、それとも、誰かから恨みを買っていたかもしれないアデルのせいなのか――。


 これ以上アデルと話していると何を言われるかわからないとでも思ったのか、レイチェルは深々と頭を下げて階段を下りていった。

 彼女が立てる靴音を、アデルは音楽のようにしみじみと聞いていた。その音が聞こえなくなるまで。



     ◆



 それから、アデルがスイートルームに戻るなり、バクスター警部が訪ねてきた。相変わらず煙草臭い。

 進捗具合を教えてくれるのかと思い、部屋へと通した。くたびれたコートのベテラン警部は、ソファーに座る仕草ひとつ取ってみても胡散臭かった。


「丁度いいところにいたから、あんたのボーイフレンドからも話を聞きましたよ」

「……マットから?」


 アデルは眉を顰める。

 ジーンから〈あんた〉と言われてもちっとも腹は立たないけれど――もちろん名前を呼んでほしいが――この警部に言われると不愉快である。


 しかし、職業柄、参考人にこんな表情を向けられることにはすっかり慣れきっているらしい。少しも動じずにうなずいた。


「そう。あんたはあのボーイフレンドの公演に合わせてこのホテルに来たってわけですね」

「ええ、そうです」

「じゃあ、ここには知り合いがほとんどいないってことになる。あのボーイフレンドは少ぅし疑わしいですが」


 疑わしいとは、アデルの殺害を企てそうだというのだろうか。どうだろう、わからない。

 ただ、マシューに殺されてあげるほど、アデルは彼のことが愛しくはない。


「マシューは公演を抜け出したりしていませんわ。大体、自分の将来と公演を台無しにするような馬鹿な真似はしないでしょう?」


 彼は自分が一番好き。その次にアデルのことが好き。

 だから、どちらも駄目にするようなことはしないはずだ。

 しかし、バクスター警部は安っぽい煙草の匂いのする腕を振った。


「今回の事件は人を使うか、前もって仕込むことができたのではないでしょうか? 犯罪がバレなければ台無しにはなりません」


 嫌なことを言う。アデルが知るマシューは、彼のすべてではないと。

 アデルには見せない裏の顔があってもおかしくはないのだと。


 アデルはこれまで、自分にさえ優しくしてくれたならそれで満足だった。それでは嫌だと思ったのは、姉の婚約者のデリックくらいかもしれない。


「知り合いだから庇うわけじゃありませんけれど、ヴァイオリンはとても繊細な音色ですのよ。殺人を企てていて、それでもいつもと変わりなく動揺が音に出ないなんて、そこまでの技量が彼にあるのかしら?」


 演奏者の精神状態が音に出る。それは当然のことだ。

 もし、アデルが彼の立場で誰かを殺そうとするのなら別の日にする。自分が失敗できない公演を控えている日など選ばない。


 バクスター警部は、アデルの発言に呆れたようだった。他の庇い方はないのかとでも言いたげだ。


「それはそうかもしれませんが」


 警察はアデルの身辺ばかりを探っているが、最初からノーマ自身が狙われていたとしたらこの事件はどういう色合いを見せるのだろう。

 アデルは当事者だから、自分が狙われていたと考えるよりもノーマが狙われていたと考える方が納得できる。


「彼女自身は人から恨みを買っていなかったのかしら?」


 ポツリとつぶやいてみると、バクスター警部は毛虫のような眉毛を持ち上げた。


「ごく普通の、どんくさい娘だったそうですよ。まあ、そちらも調査中ですが」

「あらそう。じゃあ、もうお話することはなさそうですわね」


 笑顔でアデルは言う。つまりは出ていけと。

 バクスター警部は仕事柄、雑な扱いには慣れているし、それを躱す図太さも鍛え抜かれている。それを言われて素直に退散するのは、今のアデルから有益な情報は出てこないと判断したからだろう。


「じゃあ、何かお気づきになったらすぐに教えてくださいよ」

「ええ、そうしますわ」


 重たい腰を浮かせた警部のくたびれた背中を眺めつつ、パタンと扉が閉まる音にアデルはなんとも言えず安堵した。


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