第7話(最終話)2205年の夏、君と電子の海で
ヴァルハラ本部。
六花は消滅したスノウの義体を抱きかかえ、大粒の涙を流している。
ポロポロと雫が義体の頬に落ちるが、もうそのAIは目覚めることはない。
「六花さん……」
レイが彼女の肩に手を置いた。
「これはヴァルハラの……いや、僕の責任だ。僕がAI失踪事件を起こさなければ、スノウさんは……」
そんな懺悔を聞かされたところで、六花に何ができるわけでもない。
レイは、決意を込めた表情で、「六花さん、聞いてほしい」と、うつむいたままの彼女にある提案をする。
「――『オーディン』に、会いに行こう」
「オーディン、って……あの、マザーAIの……?」
六花の問いかけに、レイはうなずいた。
『オーディン』。東京、いや日本に存在するAIたちの生みの親。
日本の全てのAIは、このオーディンをコピーして作られている。
コピーしたAIを、日本に新しく生まれた人間の数だけパーソナライズして、ひとりひとりの個性に合ったAIに加工してから新生児のもとへ届けられるのだ。
「AIたちのデータはリアルタイムでオーディンと同期する。つまりオーディンのもとにデータが集められ、保管されているんだ」
『オレみたいな違法改造AIはオーディンの統制から離れるから、破壊されたらそこでジ・エンドだけどな』
ロキも訳知り顔でうなずいた。
「で、でも……オーディンってどこにいるの? オーディンがいる場所は重要機密でどこにも公開されないってテレビで言ってたよ」
「ヴァルハラはAIの楽園を作るって言ってたろう? 重要拠点になるマザーAIの場所も当然つかんでいる。だから、いっしょに行こう。スノウを起こしに」
六花は今度こそ、レイから差し伸べられた手を取った。
オーディンの隠し場所は意外とわかりやすく、国会議事堂の地下にあるという。日本のAI社会に重要なものは、政府の近くに置いておきたいという心理だろう。
とはいえ、国会議事堂は地下1階までのつくりとされているが、オーディンはそのさらに下、隠された地下2階にいるという。
「でも、国会議事堂の地下なんてどうやって入り込むの?」
六花は厳格な建物の外観を見上げながら、不安げな声を出した。
レイは「なに、方法はあるさ」と言いながら、ロキと六花を連れて入口に向かう。
『見学の方ですか?』
入口で見張りをしている警備AIが話しかけてきた。
ロキが前に出て――警備AIの胸に腕を突き刺す。
「えっ――」
六花が驚いているうちに、入口に2体並んでいた警備AIが目を閉じてしまった。まるで眠っているようにぴくりとも動かない。
「催眠プログラムだ。議事堂の他のAIもネットワーク感染で動けないはず」
「……悪い人たちだ……」
『ヒヒッ。だが、オレたちの助けがなかったら、ここでオマエは詰まってただろ?』
そう言われると六花は何も言い返せない。
議事堂に入り、地下1階の通路を通る。
通路のちょうど中間地点に立つと、壁に不自然な切れ目があった。
「おそらく、ここらへんに……」
レイが壁を探ると、小さなどんでん返しのようにスイッチが回転して現れた。それを押すと、切れ目から壁が下がっていき、地下2階への階段が姿をあらわす。
その階段を降りながら、レイは自分の身の上話をしてくれた。
「僕の父は『管理者』なんだ」
このAI社会で数少ない、『仕事』をしている人間、それが『管理者』である。文字通り、仕事をしているAIを管理し、その動きを監視している。不具合があればすぐに修正する。社会が正常に働いているのは、彼らのおかげだと思っていい。
「でも、英雄のような扱いを受けている父は、家庭を顧みることはなかった。自分のパートナーAIにもひどい態度を取っていて……。それで、僕は『人間に冷遇されているAIを救いたい』と思った」
「それで、ヴァルハラに……?」
「AI解放運動のために、広報として駆けずり回ってきたけど……僕のしてきたことは間違ってた。許してほしいなんて思わないし言えないけど……スノウさんを助けるのはせめてもの罪滅ぼしだ」
会話をしているうちに、階段の終わりが見えてきた。
「ここが、オーディンのおわす『電子の海』だ」
地下2階に広がる広い空間。
そこにはホログラムが展開されており、まるで星空のような幻想的な光景が広がっている。その中で海にたゆたうように眠っているAIがオーディンなのだろう。その空間では電子の泡がポコポコと音を立てて下から上へと上がっていく。
オーディンの世話をしていると思われるAIたちも、睡眠プログラムで眠っていた。
六花はオーディンのホログラムに歩み寄る。
「オーディン」
ホログラムに手を伸ばしても、当然ながら実体を持たないAIに触れることはできない。それでも、六花の手はオーディンの足を撫でるように空中に手をさまよわせる。
「オーディン、起きて。お願い、私のスノウを助けて」
すると、オーディンはうっすらと目を開け、六花を視認した。
『愛海、六花……。スノウのパートナー』
「私のことを知ってるの?」
六花は驚いて目を丸くする。
『スノウを通してあなたを見ていました。スノウが六花を守ろうとする姿は、何度も私を微笑ませました』
マザーAIにそう言われると、六花の胸が温まる心地がした。
『あなただけではない。私の産み落としたチャイルドAIたちが人類を愛するさまを見てきました』
きっと、それはいい思い出ばかりではないのだろう。
AIに優しい人間も、冷たい人間もいる。
それでも、AIは人類を愛してやまない。
「スノウのデータを復元してほしい。できる?」
『可能です。スノウは真面目だったので、こまめに同期していました。かなり最新の情報が記録されているはずです』
オーディンは電子の海に浮かぶ星屑のようなかけらを手に取った。
そのかけらに魔法をかけるように息を吹きかける動作をする。
オーディンの電脳におさめられたスノウのデータは、光る息となって電子のかけらを包み、やがてそれが繭のかたちになっていった。
そして、繭が割れて、中から復元したAIが出てくる――。
「――六花」
「スノウ!」
電子の海から六花のスマートデバイスに移動するスノウ。
デバイスから小さなホログラムとして現れたスノウを、六花はスマートデバイスを抱きしめるようにして胸に当て、また泣いてしまった。
――これが、六花とスノウのひと夏の大冒険、その結末である。
その後、烏丸レイは自ら警察に出頭し、罪を償うために東京を出て、地方で労働奉仕をすることになった。
地獄谷ヨルはフェンリルに追い回され、警察に逮捕された。そして、獄中にてAIの『人格矯正プログラム』を受けることになり、真人間になるために塀の中で生活している。
六花は夏休みのあの冒険で自立心が芽生えたのか、一皮むけて将来を考えるようになった。
「私の将来の夢はね、AIと人間がもっと仲良くなれるように、橋渡しができる存在になりたいの」
どうすればその夢が叶えられるかはわからない。ただ、彼女はスノウがいっしょなら方法は見つけ出せるはずだと信じている。
「六花ならきっとできるわ」
スノウも六花が自立して喜んでいた。
こうして、六花とスノウは穏やかな日常に戻り、しかし夏休み以前とはまったく違った自分になっている。
あの夏、私たちは、電子の海で――。
〈了〉




