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あの夏、私たちは電子の海で君を見つけた  作者: 永久保セツナ


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第6話 巨狼フェンリル

 ヴァルハラの会長、ヨルの楽園計画、その恐ろしい全貌を知ってしまった六花とスノウ。

 2人はこの悪の組織を壊滅させなければならない。


 会長室はロックがかかっているのか、六花が扉を開けようとしても、うんともすんとも言わなかった。


「無駄だ。仮にそこのAIが扉を蹴破っても、待ち受けているのはウチのメンバーたち。ロキは退けたらしいが、違法改造AIをそう何体も相手にはできまい」


 スノウは隙を見せないように、既に戦闘モードに入っている。


「スノウ……といったか。君は楽園には興味ないのかね?」


『おじいさん1人に何体ものAIが奉仕するような楽園(ディストピア)を求めているのなら、私はお断りね』


「この崇高な理想に賛同してもらえないのは残念だが、それでは君には消滅してもらうしかあるまい」


 ヨルが口笛を吹くと、部屋の奥にある控室の扉からズン……ズン……と重量を感じさせる足音が響いた。

 次の瞬間、扉が弾けるように破壊され、奥からなにか巨大なものが現れる。


「……なに、あれ……」


 六花はそれを見た瞬間、畏怖の念に囚われた。

 それは、巨大な白狼だった。

 天井に届くほどの巨躯、青く光る目と、鋭い牙や爪。

 四つ足にはすべて足枷、首には首輪をつけており、鎖で縛られている。


「紹介しよう。ワシのパートナーAI、『フェンリル』だ」


「AI……? これが……?」


 六花は呆然としたまま、口から言葉がこぼれていく。


「シグルド型でもブリュンヒルデ型でもない……こんなの、AIじゃないよ……!」


 2205年の東京において、マザーAIから生まれたAIはすべて人間の姿をしており、男性型をシグルド型、女性型をブリュンヒルデ型と分類している。

 六花は人間の姿をしていないAIを見るのは初めてだった。

 なぜなら、AI――人工知能とは、人間の脳を参考に作られたものであり、それゆえに人間の形をしたものしかありえない。

 スノウは、大きく目を見開き、静かにヨルに尋ねる。


『これ、まさか……違法改造したAIじゃないでしょうね』


「もちろん、ワシが改造を重ねて生み出した最高傑作だよ」


 ヨルは鎖の一端を持ち、フェンリルの首輪を引っ張った。

 巨狼は鼻先にシワを寄せ、グルルとうなった。


「ワシは趣味でAIの研究をしておる。50年をかけて、フェンリルに改造を加えて、ここまで成長させた」


『成長ですって? ふざけるのも大概にしなさいよ……! ヒトの姿すら保てなくなって、下手したら人語によるコミュニケーションもできない状態じゃない……!』


 スノウは怒りに震えた。ここまでAIを踏みにじり、侮辱する人間は見たことがない。


「会長さんの言ってることとやってることおかしいよ! AIにひどいことする人間から、AIを守りたいんじゃなかったの!?」


 六花がフェンリルの扱いに耐えきれずに叫ぶ。


「ああ、守ってやるとも。フェンリルは楽園の番犬として必要だ。万が一、軍事システムから生き残った人間が楽園に攻め込んでもフェンリルなら追い返してくれる」


 六花もスノウも、この老人は狂っていると結論付けた。

 ヴァルハラを壊滅させ、楽園計画を阻止し、AIたちを救い出すためには、目の前の巨獣を倒さなければいけない。


「さあ、フェンリル。まずは目の前にいるAIを噛み砕け!」


「■■■――ッ!!」


 白狼は吠える。もはや人語を解することはできず、また喋ることも二度と叶わない。

 フェンリルは口の端から唾液を垂らしながら、その巨体でスノウに突進した。

 スノウは跳び箱の要領で跳躍し、フェンリルの背中に両手をつけて飛び越える。狼の勢いは止まらず、会長室の出入り口に激突して扉は破られた。


「うわっ、なんだコイツは!?」「俺のAIが食われた!」と扉の向こうは大惨事である。


「ちょっと、フェンリルを止めてよ!」


 六花はヨルの襟首をつかんで老人をにらみつけた。

 しかし、彼は大笑するばかりで、狼の仕業を咎めるでもない。

 このままフェンリルが本部の外に飛び出したら――考えただけで寒気がする。

 そうしている間にも、巨狼はバキバキと音を立ててAIの入った関節人形を噛み砕いていた。パートナーを食われて泣き叫ぶメンバーの悲痛な声が聞こえる。


『止めないと……!』


「待って、スノウ! このまま突っ込んでいってもあんなの勝てないよ!」


『でも、このまま野放しにするわけにも……!』


 六花とスノウが言い合っている間に、フェンリルの目がスノウを捉えていた。グルル……とうなりながら、ズシン……ズシン……と近づいてくる。

 六花は青ざめて体温が下がる心地がした。

 もし、スノウを失ったら、私は――!


『――ずいぶんと好き勝手してくれたなァ、おい?』


 男の声がして、狼に向かって何かが流星のように突っ込んできた。威力抜群の飛び蹴りだ。フェンリルの牙が何本か折れて、口から飛び出す。


「あっ……ロキ!」


『よう、また会ったな、嬢ちゃん』


「君たち、無事か?」


 六花とスノウに駆け寄ってきた優しい声はレイのものだ。


「私たちを助けてくれるの?」


「会長に騙されていたと知った以上、僕がヴァルハラに肩入れする理由はない」


 どうやら、扉の向こうで会話を聞いていたらしい。

 他のメンバーも、怒り心頭といった表情で老人をにらみつけている。

 突き刺さるような視線にヨルは流石にたじろいだが、「フン、役立たずどもめ!」と罵った。


「ワシの楽園計画に泥を塗るんじゃない!」


「あなただけがいい思いをして、他の人間はすべて滅ぼす? それでAIたちがあなたに従うと思っているんですか?」


 レイは感情を交えず、冷淡な口調でヨルを見据える。

 AIは、人類を愛している。だからこそ、彼らは人類をサポートし、あらゆる『仕事』を肩代わりして、人類が快適に暮らせる理想の社会を築き上げたのだ。

 ヨルは、それを踏みにじろうとしている。


『スノウちゃん、オレに手を貸しちゃあくれねえか! いっしょに狼退治、どうよ!』


『考えはあるの?』


『もちろん!』


 ロキとスノウは目を合わせる。

 アイコンタクト――同意を得たお互いの思考を無線で共有する機能である。

 スノウがうなずくと、ロキはフェンリルに向かって駆け出した。

 ロキの飛び蹴りを受けて地に伏せていた狼が、再び敵意を持って襲いかかる。

 その突進をかわし、ロキはフェンリルの背中に飛び乗って、狼の身体に巻かれた鎖を引っ張った。


『ハッハー、ロデオごっこもなかなか楽しいもんだな!』


 ロキを振り落とそうと暴れるフェンリルの上で、彼は器用に乗りこなしている。

 その隙に巨狼に近寄ったスノウは、首輪と足枷を力任せに引きちぎった。

 戦闘モードに入ったスノウの怪力は、鉄でできた足枷を用意にひん曲げる。


「バカモン! やめんかぁ!」


 ヨルが慌てて止めに入ろうにも、AI同士の激しい戦闘に、人間などとても割り込む隙間がない。

 そうしてフェンリルの拘束を解いたロキとスノウは、『さあ、一番憎い人間を襲うといい』と背中を撫でた。

 フェンリルの視線は――当然、ヨルに向いている。


「ヒィッ……! ま、待てフェンリル! ワシとお前の仲ではないか!」


「その信頼を壊したのはあなただよ」


 六花は悲しそうに老人と、そのパートナーAIを見ていた。


「ヨル……お■前は、私■を捨■■てた……!」


 ノイズ混じりにフェンリルが悲しみと憎悪にまみれた呪詛を吐く。

 ――その後、ヴァルハラの本部を飛び出したヨルは、警察に逮捕されるまで巨狼から逃げ回ったという。


「さらったAIたちは会長のデスクPCに保管されている」というレイの言葉通り、そこにはおびただしい数のAIが閉じ込められていた。

 レイがパソコンを操作して、公共ネットワークからAIを逃がす。


「これで、全部解決したのかな」


「そうだね……ヴァルハラは活動を停止せざるを得なくなる。僕も罪を償うことになるだろう」


 レイの言葉に、六花は泣きそうな顔で彼の顔を見上げていた。


「そんな顔しないで。僕がやったことが間違っていたことには変わりない」


「騙されていたのに?」


「そうだとしても、僕は自分のしていたことが悪いことだったと自覚している。だから……これでいいんだ」


 しんみりした空気が流れる中、不意に『おい、大丈夫かスノウちゃん!』と、ロキの慌てた声が聞こえた。

 振り返った六花は、「え……?」と固まる。


 スノウが床に倒れていた。


「スノウ……!? どうしたの!?」


『ごめんなさい、六花。電脳をやられた』


 スノウの頭部には、フェンリルにつけられたと思われる爪痕が残っていた。


「おそらく、鋭い爪が電脳に達してしまったのだろう」と、レイが悲痛に顔を歪める。


『ああ……六花ともっといっしょにいたかったなあ……』


「スノウ……!」


『六花。私がいなくても、ちゃんと宿題、やってね』


「こんなときにまで勉強の心配しないでよ……! やだ、スノウはずっと私と、おばあちゃんになってもいっしょに……!」


『六花、あなたは、強く、なったね、……』


 スノウは、目の青い光が消え、それっきりもう一言も喋らなかった。


「…………スノウ」


 六花はパートナーAIの義体を抱きしめて泣き崩れる。

 こうして、スノウは消滅した。


〈続く〉

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