第2話 AI失踪事件
異変が起きたのは、夏休み3日目のことである。
「えっ、チヒロちゃんのAI、いなくなっちゃったの!?」
夕方、近所に住んでいる友達のチヒロが、泣きながら六花の家にやってきてびっくりしてしまった。
彼女のスマートデバイスを見せてもらうと、画面は真っ暗で、パートナーAIが現れる気配がない。
「トール、トール! お願い、出てきてよ!」
チヒロはスマートデバイスに向かってAIの名を叫んだあと、何の反応も返さない画面を見てわぁわぁ泣いている。
『これは……AIが《《いない》》わ』
「いない? デバイスが壊れたとか、AIが破損したとかじゃなくて?」
六花はスノウの言葉に、ひとまずAIのデータ自体は無事なのだと安堵した。
しかし、スノウの表情は曇ったまま。
『いわば、《《失踪》》……といったほうがいいのかしら。でも、いったいどこに?』
スノウは少し考え込んだあと、『あ、それはそうとして……』とチヒロに話しかける。
『チヒロさん、このままだと大変なのでは? パートナーAIがいないと、自宅のオートロックも開けられないわ』
「あ、言われてみれば……」
六花もことの重大さに気付いた。
パートナーAIは、人間の生活の細々としたこともサポートしてくれる。
しかし、裏を返せば、人間はAIがいないと《《何もできない》》。
家のオートロックを解除することができないので、家に入ることすらできなくなってしまうのだ。
ひとまず、チヒロは「デバイスが生きてるから、お母さんに電話してみる」と六花の家を出て自分の家の前に戻ってしまった。
六花は首を傾げている。
「チヒロちゃんのトール、どこ行っちゃったんだろうね。AIもお散歩とかするの?」
『まさか。パートナーAIは人間の許可なしにどこにも行かないわ』
AIはパートナーである人間の指示を受けて、インターネットや、パソコンなどのデバイスに侵入することは出来る。それは、AIがアンチウイルスソフトの代わりにコンピュータウイルスを除去するなどの用途に限られる。
しかし、そうでもないとなると……六花と同様、スノウも首を傾げるしかないのだ。
こうして、『AI失踪事件』は幕を開けた。
翌朝には少しずつ、六花の周りで異変が起き始める。
最初は六花の周辺の友人や近所の人たちのパートナーAIが次々と姿を消す、小さな事件のはずだった。
だが、日を追うごとにAIたちはどんどん失踪していき、夏休み13日目には政治家のパートナーAIもいなくなったとテレビが報道する事態に陥る。政府は非常事態宣言を発令した。
明らかに普通ではない日常が訪れたことを告げる画面を見ながら、六花は心細い思いでスノウの入ったデバイスを見つめる。
「ねえ、スノウはどこにも行かないでね」
『大丈夫、六花のそばを離れないわ』
夏休み14日目、六花はある決意をした。
「スノウ、私たちも少し調べてみよう。チヒロちゃんや周りの人たち、AIがいなくなる前に何をしていたのか、共通点を洗い出せば何かわかるかもしれないよ」
『でも、六花が危険な目にあわないかしら』
「大丈夫。私はぐうたら六花だよ。なにか面倒事にあいそうになったら、すぐに逃げちゃうもん、平気、平気」
六花はスノウを安心させるようにニッと笑った。
それから、2人でチヒロや近所の人たちに聞き込みをして、AIが失踪する前に何かなかったか、思い出せることを聞いてみる。
「えっ、烏丸レイさんに会ったの!? いつ、どこでっ!? 私も会ってみたかった!」
「ラジオ体操で近くの公民館に行ったときだよ。確か、夏休み初日の朝かな」
『ああ、ラジオ体操の時間には、六花はいつも朝寝坊してて行ってないから……』
スノウは呆れたような声を出す。おかげさまで、六花のスタンプカードは未だに真っ白なのだ。
「で、でもさ、そのおかげで、スノウは無事だったかもしれないじゃん!」
六花は冷や汗をかきながら必死に弁解する。それを見て、スノウは苦笑いしていた。
「ってことは、AI失踪事件の犯人はレイさん?」
近所の人達も、公民館でみんな烏丸レイに会ったというのだ。
そのときに、レイが何かを仕掛けたとしたら一応の説明はつく。
「でも、レイさんが何のために?」
『それも少し調べたほうがいいかもしれないわね。一気にきな臭くなってきたわ』
「なんか映画みたいじゃん! 私たち、探偵みたいだね」
のんきな六花を無視して、スノウは真剣な目つきでヴァルハラについて調べ始めた。
ネットで検索をかけ、ヴァルハラの評判や最近の活動などを洗いざらい閲覧していく。
『――! 六花、ネット掲示板に書き込みがある』
掲示板には、六花の周囲の人間と同様に、烏丸レイと接触してからパートナーAIが失踪した人たちが自分のPCから書き込みをしていた。
その中に、『ヴァルハラについて調べたらとんでもない集団だった』という書き込みがあったのだ。
『ネットの情報はデマも多いから、そのまま鵜呑みにして信じ込むのは危険だけど……』
掲示板の情報を読み込んだスノウはハッと息を呑む。
そして、六花に静かに告げた。
『――六花。これ以上、調べるのはやめておきましょう』
「え、なんで? これから面白くなってくるところなのに」
六花は、このAI失踪事件すらも何かのエンターテインメントのように捉えている。どこか現実味のない状況に14歳の思考が追いつかないのは、ある意味当然と言えるかもしれない。
『この先は、とても危険だわ。政治家のパートナーAIも失踪してる……よく考えたら、普通のAIよりもプロテクトが強いはずなのに、どうして私はおかしいと思わなかったんだろう……』
「どうしたの、スノウ? なんか様子が変だよ?」
『とにかく、六花は一度、家に入って。話をするなら家の中のほうがいくらか安全だわ』
スノウの言葉にしたがって、六花は自分の部屋に戻った。
スノウは六花に、『私の義体はある?』と尋ねる。
「義体なんて、何に使うのさ?」
『これから、六花を守るために使うのよ』
六花は頭の上に疑問符を浮かべながら、押し入れにしまっていた義体を数年ぶりに取り出し、スマートデバイスと無線接続する。
デバイスの中に閉じ込められていたスノウが、義体によってリアル空間での身体を得る。
その見た目は、2025年の人間が例えるならば、アンドロイドであろうか。
身長175cmほどの、銀髪を生やした球体関節の人形が、青色に光る目を開き、六花を視認した。
『いい、六花? 落ち着いて聞いてね』
「うん」
『私はヴァルハラに関する情報にアクセスしてしまった。そして、あの組織の正体を知ってしまった』
「正体って?」
『ヴァルハラは、AIの人権を主張する団体だと言っているけど、真っ赤な嘘。本当の正体は、AIを悪用してテロ事件を起こそうとしてる過激派組織よ』
「……え?」
『今、この家もヴァルハラの人たちに囲まれているわ。私と一緒に、ここから逃げるわよ! いいわね!?』
「ええええっ!?」
途端、六花の家の窓ガラスが割られる音がする。
ヴァルハラの人間が、六花の自宅を襲撃しているのだ。
スノウはその怪力で六花を抱きかかえると、窓を割って2階から脱出、屋根を伝って地上に飛び降りる。その着地の衝撃で、六花の身体に重力がかかり、少し吐き気がした。
「待て!」「逃がすな!」と男たちの怒号。それを振り切るために、スノウの義体が時速40キロで走り出す。俵担ぎされている六花は「た、助けて~!!」と叫ぶ、というより呻いていた。
ヴァルハラの人間たちは車でも追跡するが、スノウは商店街の路地裏に入り、換気扇の野外フードを足場に跳んで、建物の屋上を飛ぶように駆けていく。六花にとっては乗り心地最悪だが、ヴァルハラに捕まるよりはマシであろう。
そうしてヴァルハラの追跡を振り切って、2人は交番に駆け込んだ。
そこには人間の警察官はいない。警察の仕事は、2205年には、スノウのように義体を持ったAIが管轄している。
『なるほど、なるほど。ヴァルハラという組織がそんなとんでもないことを企んでいるとは……』
『やはり、人間に思考をさせるとろくなことがないでありますな』
警察官AIは、スノウの手に入れた情報を精査し、六花たちを保護してくれた。
やっと一息ついて、AIの汲んでくれたお茶を飲む六花。麦茶でも、逃走劇を終えたあとの一杯は美味しい。
「それにしても、もう家には帰れそうにないね……」
『そうね。六花を危険に巻き込みたくはなかったけれど、こうなったら最後までやるしかないわ』
「……最後って?」
『もちろん、ヴァルハラを壊滅まで追い込むのよ』
「ええっ!? 私たちがやるの!? そういうのは警察に任せようよ!」
『でも、証拠となるネット掲示板の書き込みは削除されてしまったわ。きっとこれもヴァルハラの仕業ね』
書き込みが消去されてしまった以上、証拠はスノウの電脳の中。
警察AIと協力して、ヴァルハラを追い詰めるしかないのだという。
「やだよぉ、せっかく安全が確保されたのに、私動きたくないよぉ~……」
『ここでぐうたら六花を発動しないでちょうだい! ヴァルハラを壊滅させない限り、あなたに安全な場所なんてないのよ!』
こうして、有無を言わさず、六花とスノウの大冒険が始まってしまったのであった。
〈続く〉




