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あの夏、私たちは電子の海で君を見つけた  作者: 永久保セツナ


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第1話 2205年、東京より

「あーあ。なんで夏休みに勉強なんかしなきゃいけないのかな」


 愛海(あいみ)六花(りっか)はぷぅっと頬を膨らませながら、ダイニングテーブル広げたテキストを前に、退屈そうに肘をついている。


『長期休みだからこそ、たくさん勉強する時間があるんでしょ』


 スマートデバイスの画面から、女性の姿をした立体映像(ホログラム)が浮かび上がり、女性は六花に勉強を教えていた。


「スノウは真面目すぎ。夏休みなんて遊ぶためにあるに決まってんじゃん。勉強なんて学校だけでお腹いっぱいだよ」


『じゃあ、宿題しないで夏休み終わり、学校に登校してみる? 怒られるのは六花だけだから、私は別に構わないけど?』


「ちぇっ、冷血AI! 生まれたときからの付き合いなのに、ひどくない?」


『はいはい。いいから、テキストを開いて』


 スノウと呼ばれた女性型AIは、六花を叱咤激励して、なんとか宿題までこぎつける。

 ――2205年、東京。人類は1人1体、専属AIを与えられる時代を迎えていた。

 専属AIは担当している人間の健康管理から愚痴・相談の対応、オートロックを解除するような日常生活の細々とした補助までなんでもこなす、人類の良き隣人、良きパートナーである。

 そして、六花のパートナー・スノウは六花が生まれたときから、彼女の一生をともにすることを運命づけられていた。

 しかし、六花は宿題を面倒くさがる怠惰な性格の中学2年生で、スノウに頼りきりだが、スノウもまた、六花の世話を焼くのが大好きなのだ。


『AIは男性型の「〇〇」と女性型の「〇〇」に大きく分類されます。〇〇に入る単語を答えなさい』


「こんなの小学生の問題じゃん。男性型が『シグルド』で、女性型が『ブリュンヒルデ』でしょ」


『そうね。ちなみに、シグルドとブリュンヒルデってなにか知ってる?』


「え、知らない。興味ないもん。変な名前だなとは思ってるけど」


『シグルドとブリュンヒルデは北欧神話に出てくる英雄と戦乙女(ワルキューレ)の名前で――』


「だから、興味ないってば」


 しかめっ面をする六花に、スノウは苦笑いして解説を止めた。

 宿題をしている間に、勉強用BGMとして流していたテレビに、六花の目が向く。

 画面の中では、お昼のワイドショーが流れており、『AIに人権は必要か?』という題目で出演者たちがディスカッションをしていた。


「ね、見てスノウ。あのイケメンさんがテレビ出てるよ」


『ホントだ。最近よく見かけるよね』


 居間のテレビに大きく映し出された男の顔。

 清潔感のある黒髪マッシュに、健康的な色白の肌。切れ長の目と笑みを絶やさない唇は、好青年と言って差し支えない。

 彼の座っている席には『ヴァルハラ広報:烏丸(からすま)レイ』と書かれた名札が置かれており、レイは人当たりのいい笑顔で話していた。


「AIは僕たち人間と対等です。皆さんも『良き隣人』と呼びますよね? ならばAIにも人権を与えるべきです。それが、僕たち『ヴァルハラ』の信念です」


「いや、でもAIは人間じゃないでしょ」と反対側の席に座っている芸能人が渋い顔をしている。


「AIに人権を与えるっていうの、いまいちよくわからないんだよなあ。昔は犬や猫に権利を与えろって騒ぐ連中もいたらしいけど、そんなことしたら社会が立ち行かないでしょ」


「しかし、現在のAIが置かれている状況は劣悪です。どんなにひどい扱いをする人間がいても、パートナーになったAIは生涯をともにしなければいけない。ゆりかごから墓場まで、です。AIだって、相棒を選ぶ権利はあるはずです。僕たち『ヴァルハラ』は、そんな可哀想なAIを救いたい、そのためだけに発足したAIの人権保護団体です」


 その後も、「AIに人権を持たせるべきか」という議題で賛否両論、疑問の声もあったが、レイは臆することなく持論を展開し、ことあるごとにヴァルハラをPRしていた。

 結局、ワイドショーは結論が出ることなく、時間切れで番組が終わってしまったのである。


「はあ~、レイさんかっこいいなあ……AIを大切にしてる、優しい人なんだなあ……」


 14歳の女子中学生にとって、24歳の美青年レイはテレビでよく見かけるアイドルのような憧れの存在として映っていた。

 ちなみに議論の内容については興味がなく、ほとんど聞いていない。

 一方のスノウは首を傾げている。


『あのヴァルハラって団体、変わってるね』


「スノウはAIとして、ヴァルハラに守られたいとは思わないの?」


『だって、六花と一緒にいるのが、私の生き甲斐なんだもの』


「そう? そっかあ……えへへ」


 六花は思わず、にへらっと笑ってしまった。

 六花とスノウは、なんだかんだで仲の良い、ごく普通の家庭の中学生とそのパートナーAIなのである。


『ねえ、六花は将来の夢とか決まった?』


「ううん、全然。だって、何をしてもどうせAIには敵わないもん。全部AIに任せればいいじゃんね」


 あっさりと答える六花に、スノウは心配そうな目を向けた。

 実際、2205年の日本では、『仕事』に就く人はそう多くない。

 外科医の手術による医療ミスも、建築家による設計ミスも、AIには無縁のこと。

 人間の手による不安を、AIは払拭してくれたし、『仕事』というものに対する負担やプレッシャー、ストレスは、AIが全部受け持ってくれる。


『なにか趣味を見つけないと、六花の人生は長いんだから』


「退屈しのぎ、暇つぶしのための『趣味』かあ……」


 趣味でなんらかの研究をしたり、創造的なものを作ったり、あるいはただ無心にゲームをして過ごしたり……。芸能人としてテレビに出演することも、ほぼ『趣味』としてやっている人が多い。本人が望めば、テレビ局でAIに撮影されることは誰でもできるようになった。

 人間の仕事は、AIの効率には到底及ばない。なぜなら、AIの『仕事』のほうがずっと優秀な成果を残せるからだ。

 しかし、それでも人間は幸せに生きている。人間を愛するAIたちによって、幸せに生かされている。人類はそれを疑問に思うこともない。あるいは『ディストピア』と呼ばれるものなのかもしれないが――2205年の人類に、その生活を、人生を、『ディストピア』などと思う者もいなければ、疑問視する者すらほとんど存在しないのであった。


 そんな中で、『将来の夢』を考えなければいけない子供たちは大変だ。

 自分の好きなことをなんでもしていい、と言われて、膨大な選択肢の中でやりたい『趣味』を見つけなければいけない。

 もともとゲームが好き、とか、やりたいことが決まっている子供ならいざ知らず、六花は無趣味で育った子供である。


「だからさ、仕事もしないのに勉強なんかいらないじゃん。スノウが全部やってよ」


『私が全問正解したら先生にすぐバレるわよ』


「そこはさ、もう少し手加減して80点くらいをキープすればいいんだって」


 スノウは六花の言い分に呆れ返るばかりである。

 そこで、六花は不意に話題を変えた。


「スノウはさ、将来やりたいこととかある?」


『私?』


 逆に六花に聞かれて、スノウは不思議そうな顔をした。


「AIだって、将来の夢はあってもいいと思うよ」


『そうね……私の夢は……』


 スノウは優しく微笑む。


『六花との穏やかな未来よ』


「え~、なにそれ?」


 六花とスノウはクスクスと笑い合っていたが、母親の「宿題終わったの?」という声に「やべっ」と慌ててテキストに向かい合った。


「えーっと、シグルドとブリュンヒルデを生成しているマザーAIの名前は……」


 まだ流れているテレビの中では、レイが「ヴァルハラのメンバー募集! 明るく楽しくAI解放運動!」とにこやかにCMで宣伝している。


 ――2205年の夏休み。

 六花とスノウは、ひと夏の大冒険へと足を踏み出す。


〈続く〉

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